いいのいいの、気にしてないから。自然現象だもんね、元気元気。
山田はじめ、15歳。
魑魅魍寮の104号室の住人であり、基本的にこの家の家事のほとんどを担っている。百鬼夜高一年生。成績は中の上で、部活には所属していない。
モットーは、『昨日と同じ今日を。今日と同じ明日を』。
友達からはじじ臭いとよく言われるが、何事にも淡々と、ルーチンワークのように毎日をこなすことがぼくの夢だった。今日も安い食材を帰り道のスーパーで仕入れて、仕込みをしながら、洗濯機を回している。
※
そんなぼくだったが、この四月は色々と大きく動いた時期でもあった。
まず百鬼夜中から百鬼夜高への進学。これはあらかじめ決められていたようなものだったが、近隣の中学からの流入や他の進学校へ行ってしまった者もあって、日中活動する仲間たちがわりと散り散りになってしまった。友達は少ない方ではないが、部活をやっていないせいもあって、それほど多くはない。ま、適当にやってれば適当にうまくいくでしょう、と思いながら、桜舞い散る校門をくぐった。
発表されたクラス表に自分の名前を見つけることができたが、他に見知った名前はほとんどいなかった。同じ中学だったということは認識できても、それほど親しくないような者たちばかりだ。ぼくはとりあえず指定されたクラスの教室に入った。『山田』なので出席番号は一番最後。アニメで主人公がよく配置される、教室の黒板に向かって左後ろの窓際の席だ。授業が始めるまで、頬杖をついて外を眺めていた。
――肉じゃが……、は先週作っちゃったか。特売品次第だけど、久々に魚メインで作りたいな。
なんてことを考えていた。
「あ、あの」
いつのまにか隣の席にきていた少女に声をかけられた。黒縁の眼鏡をかけている地味な学生だ。
「これからよろしくお願いします。わたし、あんまり知り合いがいなくって。ともえといいます」
「え、ああ。よろしく。ぼくもこのクラスにはあんまり知り合いがいなくて困ってた」
ホッとしたのかわずかに微笑む少女だった。授業が始まるまであと10分といったところ。教室中の距離感を測っていた少年少女たちがにわかにざわつきだした。それぞれ緊張しながらもコミュニケーションを図っているのだろう。そういうのが苦手なぼくとしては、この高校で最初に話しかけてくれたともえにとても感謝していた。
「ともえさん――、ってあれ、席ここであってる?」
事前に机の上に配布されていた配席図を見ると、ぼくの隣の席は渡邉という女子生徒だった。ともえの苗字は50音順でもっと前の方でここに座っているのはおかしい。
「あ、それは席を変わってくれって言われたんです。渡邉さんに。あんまり話したことはないんですけど、もともと同じ中学校で。渡邉さん、ほら、目が悪いので。担任の先生には許可を貰ってみたいですよ」
「ふうん。ま、とりかえずこれからよろしく」
「はい」
そのタイミングで先生が入ってきて、新入生のためのオリエンテーションが始まった。しばらくして体育館に移動して入学式・始業式が始まり、簡単な授業を経て、お昼休みになった。その後、ちょっとした話があって下校という流れだ。
「あ、山田さん、手作りなんですね、お弁当」
「昨日の夜の残りだけどね」
「すごいなあ」
お弁当を広げていると、ともえが机を寄せてきて覗かれた。当のともえのほうは、コンビニで買ってきたような惣菜パンとヨーグルトだった。
「いつもはお姉ちゃんが作ってくれるんですが、今日から社会人で、いきなり寝坊してしまったらしく……。むぐむぐ。わたしもわたしで朝が弱いものですから、慌ててコンビニで買ってきたんです。あ、食後に芋けんぴ食べます? アラミタマートの芋けんぴ美味しいですよ」
と、ともえははにゃりと微笑んだ。
※
四月に起こった大きなことといえば、もちろん、魑魅魍寮の管理人が変わったことだ。
山田九十九。ぼくの従姉妹である。たしか今年で22歳かそこら。
小さな頃はよく遊びに来てもらって、一緒にゲームをして過ごしていた(もっとも九十九姉が原始人かっていうくらい恐ろしくゲームが下手で話にならなかったけど)。あのころはぼくはまだ小学生であったから、九十九姉が高校生の頃だったと思う。ぼくからすれば、日常生活には非常に珍しい年上の女性であったから、その、いわゆる初恋というやつをしてしまった。
――いまでは人生の汚点だと思っているが、九十九姉に会いたくて会いたくて震えながら駄々をこねていたこともあった(らしい)。九十九姉が大学に進学した頃にさすがに魑魅魍寮に遊びに来ることはなくなってしばらくなんとなく疎遠になっていた。
とはいえ、そのころにはmixyといういまは亡きサービスが有ったから、九十九姉の日記はたまに見ていた。『yamada99』なんてわかりやすいアカウントで、大学生活というものをわりとエンジョイしている風な日記が並んでいた。小説を書く趣味があったらしいから文芸部に入り、その後彼氏ができたらしい。
『ぁたしと彼ぴっぴの幸せを祈ってくれる人はコメントください!(0)』
『愛妻弁当を作ってみました!おっとまだ妻じゃなかった(・ω<)!(0)』
『寝取られました(0)』
『殺す(0)』
開けてはいけない箱を開けてしまったようで、そっとブラウザを閉じた。初恋云々とは関係なしに胸が傷んだ。というか、これと同じ血が流れているのかと思うと、なんか、こう、中学の時分では死にたくなる。
そんな山田九十九がいきなりここの管理人になったのだから驚きだ。ひとつ屋根の下というやつだった。いくら初恋の相手とはいえ、あんな日記を見たばかりだし、なんかちょっと人が変わったような変わりっぷりだったから、変に意識はしないようにしていたけど……。あの性格さえなければ、けっこう地味に可愛いと思うんだけどな。
「お、はじめくん、おかえりんりん。今日の晩御飯は何かなー?」
「おさかな。にざかな」
さて、まさかその新管理人がこんなにだらだらと何の家事もやらないなんて思わなかったじゃん。ため息をつきながら、ぼくは両手のスーパーの袋を下ろした。この家賃激安の魑魅魍寮において、学生のぼくは家賃をほとんど免除されている。それは家主の身内だったからという理由もあるが、表向きの理由は、家事手伝いの報酬と相殺というかたちを取っている。
靴を脱いで共同食堂に向かうと、山田九十九は熱心に携帯電話と睨めっこをしていた。なんかの拍子に覗きこもうとすると恥ずかしがって机に伏せる。イラッとするが、だらだらと怠惰な時間を過ごしているわけではないらしい。というか、家事をやってくれ。
料理の下ごしらえが済むと、だいたい6時過ぎ。匂いに釣られてあと十五分もすれば憂姫も降りてくる。ぼくとヒトーさんの明日の弁当分も考慮して一気に作るため、結構な量だ。けれど、これだけの量で作ってしまえば、規模の経済でかなり安く抑えられる。これでもそこいらの主婦よりはよっぽどかチラシのチェックを行っているのだ。もっとも効率的に巡るルートを授業中、ずっと思案している。はじめマン巡回問題だ。
「さて、と」
炊飯器が炊きあがるのを待つばかりというところで、学ランから着替えるために自室へ帰った。九十九の筆跡で『エロ本はどこに隠しているのかな?』と書かれていた置き手紙があったが、くしゃくしゃぽい。結構洗濯物が溜まっているので、ここいらで一気にケリをつけたいところだ。下着も変え、ラフな格好で、脱いだばかりのものを共同洗濯機の中に放り込んだ。
「……」
洗濯機のボタンを押す段階になって、不意に気づいてしまう。自分は変態ではないと思ってはいるが、健全な男子高校生なのだ。ここに初恋の人の肌に触れた下着や靴下があると思うと――、いやいや、何を考えているんだぼくは。まったくもう。と、身体の一部の生理的反応は置いておいて、気持ちを落ち着かせる。洗剤を入れて、回して――。
「はじめくん?」
「は、はい!?」
びっくりして振り返ると、九十九姉が立っていた。
「えーっと、えーっとね、ごめんね、洗濯機を回す音がしたからついでにこれもと思って、持って、来たんだけど、さ」
九十九姉の視線は完全に下方向を見つめていて、ぼくは座り込んで、「ごめん」と呟いた。
「いいのいいの、気にしてないから。自然現象だもんね、元気元気」
その九十九姉の妙な励ましが、よりぼくを奈落の底に落としこんでいったのだ。
このクラスメイトの登場で目下のプロットの材料は揃いました。
次回:第十六話『小谷間まどかと作戦会議』