――なんてね、フィクションですよ、フィクション。
「ねえ、憂姫さん」
「柊さん、でしょ」
テレビに繋いだゲーム機から伸びるコントローラーを、憂姫さんとおうま君が振り回していた。ゲームオンチのわたしにはあんまり何が起こっているのかわからないけれど、オンライン対戦をしているようだった。憂姫さんとおうま君の操るタコのキャラクターがチームカラーである墨をフィールドに塗りたくっている。
「ああ、ごめん。柊さん。おうま君ってそれ強いの?」
「それなり。いまは『夏vs冬』でそれぞれユーザーが分かれて戦ってるところだから、猫の手でも借りたいところなの! 夏なんかに負けるわけにはいかないわ!」
「はぁ」
おうま君はときおり立ち上がったり、コントローラーを左右に大きく振ったりしながら、憂姫さんのキャラクターに追随して支援攻撃を行っている。この二人、たぶんいつもふたりでゲームやっているんだろうな。この寮から出られない鬼の子と、なんかぐーたらしてる冬の娘で。
「安全圏からしか攻撃できないおくびょうものめー!」
「鬼、あんたは左から回って。挟撃するぞ!」
「りょーかい!」
ふたりの巧みな連携攻撃によって袋のネズミとなった敵チーム(墨がオレンジなので、『夏』チームなのだろう)は一網打尽となっていった。WINと大きく文字が踊り、ふたりは無言でハイタッチをする。なんだかその図がとっても愛らしくてわたしは、部屋の隅で体操ずわりをしたまま、二人を見つめていた。おうま君が何か良い動きをした試合のあとには、憂姫さんがポケットからチョコをひとつプレゼントしていた。餌付けなのかな。
ひとしきり一時間ほどがっつり対戦をしたところで、ゲーマーの二人は「ふぅ!」と息をついて、そのまま床に寝転んだ。なんだか猫を見ているみたいだ。仰向けのまま首を上に向けている憂姫さんと目があった。
「ねー、ニュー管理人、お茶ー」
「はぁ、なんでわたしが」
「こんなに白熱の死闘を演じたのに、お茶もないのー?」
「おちゃー」
おうま君もそれに釣られて繰り返した。この子のオーダーなら仕方がないかとわたしは立ち上がる。ちなみにひょん君は昨日の夜からずっと働いているので疲れていたのだろう。クッションに埋もれていびきをかいていた。たしか共同食堂にはポットとお茶があったはずだ。さすがのだめ人間のわたしでもお茶くらいは淹れられる。淹れてみせる。
さて、台所である。ついでにお菓子も持って行ってやろうと思いたち、わたしは台所の棚を開けていく。ポテトチップス的なものは――、ダメだ。『これは憂姫の!』と雪だるまのアイコンとともにでかでかとシールが貼られている。ふむ。となると、他の駄菓子系も手出しがしづらい。
古めかしい冷蔵庫を開けてみると、誰かきちんと料理をする人がいるのか、わりと野菜もお肉も卵も揃っているかたちだった。ただ扉側に並ぶ2リットルペットボトルのコーラや各種炭酸類にはやはりマジックで雪だるまが描かれていた。
「冷凍庫は――」
懐かしいものを見つけた。冷凍ピザである。もちろん異世界である関係でわたしがよく馴染んだものとは微妙にロゴも名称も違うけれど、電子レンジでチンすることで、おやつサイズのピザが食べられる代物であった。側面をよく見たり、裏返したりしても、雪だるまのマークは見当たらない。
「やっぱりニートは、コーラにピッツァでしょ、ピッツァ、ピッツァ」
よくわからない節をつけながら、冷凍されている袋からピッツァを取り出す。電子レンジに入れて、袋に記載されているのは約5分。タイマーをセットしようと電子レンジのボタンを触ってみても反応がない。いくらボロアパートだからってさすがに電子レンジが使えないのは――。
「あ、そうか」
憂姫さんに逢う前に、わたしが電子レンジのコンセントを抜いて、携帯電話とPocket WiFiを充電していたのだった。これは失敗失敗と思いながら、それらの充電ケーブルを抜く。そのままピッツァを温めるつもりだったが、充電ケーブルが抜かれたことにより、iphoneには通知画面が浮かび上がってしまった。そこにはいくつかTwitterでのリプライが並び、たまに元彼からのLINEらしきものが見て取れた。
わたしはそれを手に完全に固まってしまった。
未練? 後悔? 何かの間違いだった? 散発的に問が浮かぶが、わたしの中で答えは定まらない。『死ね!』と短絡的に叫ぶことができればまだよかったのだけど、心のスキマのようなところにすっぽりと入ってきてしまった今回に関しては、わたしはどんな感情を抱けばいいのかすらわからなかった――。
「死ね……」
口には出してみるが、何かが邪魔してすっきりとはしない。
「でも――」
ふぅ。ため息を大きくひとつ。わたしは座敷童のひょん君に連れて来られて、ここで暮らすことを決めたのだ。いつまでもあんな奴のことを引きずるのは良くない。だって、考えてもみてごらんなさい、山田九十九さんよ。多少ボロっちいかもしれないけれど、不労所得は入るし、個性豊かな住民は暮らしているし、可愛いショタだっているのだ。何を、寂しくなんか――。
「あれ?」
iphoneの画面を見つめていると、左上のところに見慣れないアイコンを見つけた。そこには普段、電波の強さを示すアイコンが描かれているもので、キャリアの名前と、普段だったらLTE,Pocket WiFiにつないでいる時には、Wifiの電波のマークが表示されているべきところだった。
「この人魂みたいなやつって」
見覚えがあった。たしか憂姫さんに逢ったとき、彼女がどん兵衛を食べてるそばでスマホを弄っていたのだ。そのとき見せてもらった画面には同じようなアイコンが並んでいた。この世界のネットワークに接続している……? たしかに他のアプリもFatihbookやらLINNE等、この世界でそれに相当する名称に置き換わっていた。でも、あのときは前の世界のネットワークに繋がっていたはず。そうだ、繋がっていた。じゃなければ、さっき見たTwitterやらLINEの通知が表示されているはずがない。
「あ、」
Pocket WiFiの画面が表示されていない。よく見ると、充電用のMicroBのUSB端子が微妙に刺さりきっていない。そのため、充電されることなくバッテリー切れになってしまったのだろう。わたしのようなスマホがなければ生きていないような人種にとって、スマホはもはやわたしの臓器のひとつであり、Pocket WiFiは必携品である。キャリアの通信制限は糞であるため、常にPocket WiFiに接続をしていた。
――だから、元の世界のネットワークに接続できた?
「これを使わなければこの世界のネットワークに接続できる……?」
電源の切れてしまったPocket WiFiをじっと見つめる。見捨てたはずの世界。もう関係のない世界。その最後に残されたつながりがこの携帯電話だった。このPocket WiFiさえなければ――、わたしはもう必要のない世界から背中を向けて一歩踏み出すことができる。わたしがあの世界から召喚されたことは座敷童との秘密であり、彼はわたしがここにいることを望んでいる(そのために呼んだのだ)。つまりあの世界とは永遠におさらばである。
「……っ!」
ピコン。
Pocket WiFiの画面が点灯し、充電中1%の表示が点滅する。
「く、癖だし。Pocket WiFi電源切れてると落ち着かないし、そ、それに、」
ごくりと苦い唾を飲み込む。
「それにさ、なろう! そう、なろうが読めないのが辛い。辛すぎるわ。まとめサイトとかそういうのはこっちにあるにしろ、なろうの文化は違うもんね! そもそも現実(この世界)が魑魅魍魎跋扈する世界だし。わたしが読みたいのはあの世界の小説なんだなぁ~。あ、そうだ。これもリアル異世界転生みたいなものだから、日記風にあっちの世界に投稿しちゃおうかな、『魑魅魍寮へようこそ!』ってタイトルとかでさ。読み専だけど、行けるっしょ!」
声が震えているのが、自分でもわかった。
「……ばか」
それでもわたしはPocket WiFiの充電ケーブルを抜くことをしない。
「なんか電子レンジと話してる人がいる……」
その声に振り返ると、例の鬼の子が柱の影から震えていた。いつまで経っても戻ってこないわたしを心配してやってきたのだろうか。それにしてもこの共同食堂ではよくこういった誤解を受ける。少しは独り言を抑えないとなと思いつつも、青ざめて青鬼のようになっているおうまくんがカタカタと震えたままだ。
「なんですか、ニュー管理人はお茶も淹れられないのですか、まったく。まあ、前の管理人も淹れてくれませんでしたけど」
ジャージ姿の憂姫さんが後ろから現れて、震えるおうま君を抱き上げようとして、やっぱり重いのか、無言で下ろした。誤魔化すように頭を撫で撫でしている。時折、指先で、たんこぶのようにわずかに突起している角に触れると、「ひゃっ」とおうま君は顔を赤らめてくすぐったそうにする。
「管理人、何故に涎を垂らしているのか」
「い、いや、これは生理的反応で……」
「こわいねー、このおねーちゃん、こわいねー」
こくりと頷くおうま君。悪意はないとは思うのだけど、この無邪気さが胸に刺さる。
「さあさ、鬼の子、休憩をしたら再び戦場に戻るのですから、しっかり休んでおきなさい。管理人はお昼ごはんでも作っていてください」
「わたし、お料理そんなにできないけど……」
「役立たずー」
「憂姫さんはいつもどうしているんですか、ずっと家にいるようですが」
「インスタント麺に決まっているでしょう!」
「三食インスタントじゃ身体に悪いでしょ!」
「失礼な! 晩は人の子の手料理を食べているわよ!」
「人の子、って、はじめくん!? 勝手に大切な従兄弟を利用して!」
キーキー言っているわたしたちを尻目に、おうま君の頭の上に登ったひょん君が呆れたように大きくため息をついた。
※
異世界へと召喚されて、魑魅魍寮にやってきた日。
山田九十九の人生で一番長い一日は、ようやくお昼の鐘を鳴らしたところだった。とりあえずここで一旦筆を置こうと思う。はじめての小説だったけれど、うまく書けているでしょうか。これからも元の世界のネットワークにアクセスできるかぎり、この異世界日記を投稿していこうと思います。
――なんてね、フィクションですよ、フィクション。
第一章『山田九十九と人生で一番長い日』了
次回:第二章『飛頭篇』あるいは『はじめくん篇』
くぅ~疲れましたw これにて第一章完結です! 実は、ぽっぷこぉーんさんに参加したら連載の話を持ちかけられたのが始まりでした。本当は話のネタなかったのですが← ご厚意を無駄にするわけには行かないので流行りの異世界で挑んでみた所存ですw
これで書き溜め使いきったえみるの今後に乞うご期待。