ぼくは座敷童の『ひょん』! 座敷童の帝ということで、人はぼくを童帝と呼ぶのです!
山田 九十九、22歳。
普通に大学を卒業して、普通に地方公務員となろうとしていたわたしは、ビールの缶を片手に夜の街を彷徨っていた。今日は三月三十一日。わたしが学生という身分でいられる最後の日であり、明日からは地元の役所での勤務が決まっている。これを期に一人暮らしを始めようと思い、すでに新居に荷物は送ってあるのだが、それどころではない事件が起こってしまったのである。
「あ゛ぁ~」
わたしは公園の適当なベンチに倒れこむ。ただでさえお酒を飲めない体質のわたしが、今日に限ってはもう思い出せないほどのアルコールを摂取している。普段は3%のチューハイ一缶でべろんべろんになってしまう。なぜ、そんなわたしがそんなに飲んでいるのか。
働くのが嫌だからというわけではない――、いや、その理由もちょっとはあるけどさ。
「死ぬぅ、死んでやるぅ」
仰ぎみると、人を馬鹿にしたような月がまんまるく輝いていた。公園の時計はすでに4月1日であることを示しており、いわゆる丑三つ時であることがわかる。エイプリルフール。すべて嘘だったらよかったのに。わたしは手の持ったよくわからない銘柄の缶を口に運ぼうとし、仰向けであったことを忘れておもいっきり顔にぶっかけてしまった。
「ぶへ、げほっげほ! はぁ」
惨めすぎて死にたくなってくる。大学の部活の先輩であり、もう何年間もわたしの恋人であったあの人――。初めてといっていい恋だった。わたしは先に卒業した彼を追いかけてあの役所を受けたのだ。必死で勉強して受かり、そしてこの地に幸せな家庭を気づくことまで妄想していた。のに。
『わりぃ、職場の子と飲み会終わりにもにょもにょしてさ……、デキちゃったみたいなんだよねえ』
「死ね!」
怒りに任せて空になった缶をゴミ箱に投擲しようとしたら、ふらっふらのわたしは大幅に狙いがそれてしまった。自慢じゃないが、いつもは1%のチューハイを飲んでもふらついてしまうわたしだ。その空き缶はわたしの人生のように無計画な軌道を描き、茂みの中に吸い込まれて――。
「痛っ!」
茂みの中の誰かに当たってしまったらしい。ホームがレスなストリート系の人かしら……と回らない頭で考えてみたものの、いま聞こえた声はいい感じのショタのような、あるいは女子小学生のような可愛らしい声だった。
「誰……?」
がさごそと月明かりに照らされた茂みが揺れて、小さなシルエットが顔を出した。竹取物語の絵本に出てくるようなミニチュアサイズの和装の少女のように見えた。さすがに幻覚とかシャレにならないなと思いつつ、わたしはベンチからふらつく脚で降りて、目線を合わせた。
「大変恐縮ですが、殺す気だったんでしょうか……?」
「こびとさんですか~?」
「うぅ、酒臭い。ぼくは座敷童の『ひょん』! 座敷童の帝ということで、人はぼくを童帝と呼ぶのです!」
小さな胸を張って、その和装少年?はドヤ顔をしたのだけど、その発言はアウトな気がした。一方で、ショタに大変目がないわたしにとっては、幻覚とはいえ、最高に大好物であり、手で救い上げて頬をすりすりとしてみた。
「や、やめっ、やめてください! 九十九さん!」
「はへ、なんでわたしの名前を?」
――これはわたしは『ひょん』なことに巻き込まれる物語。まさかこんな些細な出逢いから、あんな壮大な運命が動き出すとは夢にも思わず、あとそろそろ酔いが回って気持ち悪くなってきて、盛大に吐いてしまったのだった。
「おろろろろろ……」
晩御飯で食べたラーメンやコンビニで食べた揚げ物の類が、公園の地面にぶちまけられる。よく朝登校するときにこういうのを見て嫌な気持ちになるのだけど、まさかそれをする側に回ってしまうとは。ぎりぎりで座敷童くんに嘔吐物を浴びせなかった、自分の判断力を褒めてやりたい。
「ああ、そんな目で見ないで」
初対面でいきなり激しく嘔吐してしまうわたしを、この座敷童くんはかなり蔑んだような目で見ていた。お酒に酔った幻覚なら幻覚らしく、もう少し優しく接してほしいものだ。座敷童くんが、咳払いをひとつ。
「九十九さん、ぼくは異世界からあなたをスカウトに来ました」
「そういう怪しい契約はしちゃダメって最近なんかのアニメで見たような……」
「いやいや、ぼくは怪しいものではなく、ってこの世界だと付喪神なんかはもう在り得ない存在なんでしたっけ。気を取り直して、九十九さん、とある事情から、ぼくたちはあなたをあちら側の世界に招待したいのです。悪い話ではありません」
「怪しすぎる」
「では明日からもこの世界で生き続けるのです?」
この世界――。わたしが22年間を過ごしたこの世界。父はあんなで、母はああなってしまったし、親戚といえば一くんとおばさんくらいしか交流がない。唯一、生活の中心にあった恋人――、いまやただのクズ男ももうわたしのところに帰ってくることはない。そんな彼を追って決めた就職先なんて、行けるはずもない……。
ここには、なにも、ない。
どうせこの座敷童は幻覚なのだから、
「ないわ。綺麗さっぱり未練なんてない。異世界でも何でも連れて行って頂戴な」
「契約成立でございますね!」
指をぱちんと鳴らした座敷童。
「ところで、異世界ってファンタジー世界的な?」
「そう、ですね。この世界に比べればだいぶファンタジックかと」
「ということはだよ?」
山田九十九さんは何を隠そう、大の本の虫なのだ。リアルの本はもちろん、最近ではアマチュアウェブ小説まで守備範囲を広げている。最近よく入り浸っている「小説家になろう」というサイトでは、異世界転生は定番中の定番だった。さらに、そういったことに巻き込まれる主人公は、例えば鍛冶屋の才能があったり、バーテンダーの才能があったり、あらゆるバイトをこなしてきた達人だったりと、何かに秀でているのが常! このあらゆることに取り柄がないと思われていた九十九さんにも、ぴかりと光るステータスが!
「わたしにも何か隠された力が……? あ、言われてみれば、右眼が疼いてくるような……。左腕が燃えるように熱いような……。これがわたしの、チカラ……?」
「ちょっと仰ってる意味がよくわからないのですが」
「『異世界で寝取られまくられた件』、とかは嫌ですよ?」
「この人の頭は大丈夫なんだろうか」
「ゲロスプラッシュで戦うお話も嫌」
座敷童くんはわたしをスカウトするかどうか真剣に悩み始めてしまったようだ。
「というか、九十九さん、逆に何かあなたに能力があるのですか? だとしたら、前情報と違うのでこの話はなかったことにしたいのですが」
「……いえ、何の取り柄もないクソ女です」
どうせ眼が覚めたら地獄めいた日々が待っているのだから、ちょっとくらい夢見させてくれたっていいのにさー。ぷー。ちなみにわたしがよく寝る前に想像している長編ファンタジーは絶賛第22部『恋心は悲しき闇の中に/宇宙開闢篇』に突入し、そこでは倒した敵の能力をすべて80%のクオリティでコピーできるチート能力の持ち主だというのに……。
座敷童くんは満足したように頷いた。
「そうですそうです。あなたには『穢れ』しかないはず――」
「うぇ?」
「いえいえ、なんでもありませんですよ!」
座敷童くんは大きな身振り手振りで何かを誤魔化し、「さぁさ、あちらのベンチに座って。こんなクソ汚いゲロまみれのところなんかじゃなく!」と言い放った。身長は30センチないほどのその動きはとってもマスコットめいていて、重度のショタコンであるわたしはドキドキしてしまった。なんかいまの台詞の後半で酷いことを言われているような気がしたのだけど、気にならないほどだった。
「ふぅ、立ち上がるのも億劫だよねえ」
「たくさん飲まれたんですか。たしかあなたはあんまりお酒に強くなかったはず」
「これが飲まずにいられるかー! もう何も怖くないよ!」
「とても明日から社会人の台詞とは思えませんね……」
よっこいしょっと、ベンチに腰掛けて、その反動で背もたれに体重を預ける。少しばかり酔いは醒めてきたような気がする。なんだかよくわからない幻覚だったけれど、なんだかんだで気晴らしにはなったかな。可愛いショタも見られたし。まんまる輝くお月様を見上げながら、明日からどーしましょーと白いため息が流れていった。