幕間ーーとある少女のお話
私がこの異能を手に入れたのは八歳の頃だった。
私が住んでいた街はとても小さく、ほとんど村と言っても差し支えないような規模だった。自給自足が精一杯で、豊作の時に少し生活が楽になる程度。大人も子供も働かなければ食料が足りなくなるので、四人兄妹の末っ子である私も物心ついた時から手伝いをしていた。
辛かったけど、毎日がそれなりに笑いに満ちあふれていた。
そんな日々を送っていたある日、『スクール』という組織から先生がやってきた。私に『スクール』に入らないか、と言う為に。
その当時、周りの皆も使えるような簡単な魔法さえ使えなかった私は、ほとんど二つ返事で了承した。一つには魔法とは全く違う『異能』というものに憧れたから。そして、もう一つは『スクール』に所属していれば、家族にも少なくない金額を渡す事が出来ると保証されたから。
両親は反対したものの、兄や姉は応援してくれた。出発の直前にはなけなしの小遣いを使ってささやかなお菓子パーティーをしてくれたほどだ。
こうして、私は『スクール』に入学して、異能を手に入れた。
魔法が苦手なのはどうやら身体に宿っていた能力の性質が原因で、それだけは何をしても変えられなかった。が、その他は劇的に変化を遂げた。
私の能力は『スクール』の中でもそれなりに強力なモノだったらしく、私は異能を使いこなしてそれに合った武器や戦い方を覚えるだけで組織の中の上の辺りまで強くなる事が出来た。それに付随して、手に入る金額も桁外れに増えていった。
その大半を私は家に送り、一年近く血なまぐさい戦場を渡り歩いて、いつのまにか私の異名と戦闘スタイルは様々なところで語られるようになった。英雄の一人として数える人がいたくらいだ。
でも、私の故郷ではそんな事関係なかった。
約一年ぶりに家に帰った私が見たのは、変わり果てた家だった。
ガラスはことごとく割れ、至る所に傷が付き、家全体が多少傾いてさえいる。
帰る、という連絡はしていたので、ノックだけして家の中に入る。すると、中は外から見るよりも悲惨な状況だった。家具の殆どは倒れるか壊されるかしていて、かつての一家団欒の影はどこにも見る事ができない。
みんなはどこにいるのだろうと探していると、玄関のドアが突然開いて誰かが中に入ってきた。顔が腫れたり青あざができていたりしていて一目では判別できなかったが、それは私の一番上の兄だった。
「お兄ちゃん!? どうしたの、その顔!」
駆け寄ると、兄は億劫そうに顔を上げた。半分以上閉じられた虚ろなその目が、私を視界に収めると、これ以上無いだろうと言えるほど大きく見開かれた。
「お前、どうしてここに……?」
「そんな事より、その傷手当てしないと! 待って、今薬を……」
腰のポーチを右手で探りながら近付こうとすると、兄は急に怯えた顔をして一歩後ずさった。
「……いらない」
「え、でも……」
「いらない、って言ってるだろう!」
その拒絶の意が込められた言葉に、全身がビクリと震えて固まる。優しくて、泣き虫だった私をいつも守ってくれた兄に、口調を荒げてそういう風に言われるのが初めてだったから。
幾つもの視線をかいくぐっていても、結局は子供だった。帰ってきたのを喜んでくれると思っていたところを家族に拒絶された時、たかが九歳の子供ではその状況に対応する事なんて出来なかったのだ。
「お兄ちゃん、何で……?」
「何で、ね。それをお前が言うか。この家をここまで壊しておいて、まだそんな事が言えるのか?」
「え……?」
その、恨みさえ込められた言葉に、今度は私が怯える番だった。周囲の惨状をもう一度見回して、放たれた言葉の意味をもう一度考えたが、全く理解できない。
(これを……私が……?)
「どういう、事?」
「お前、人を殺したんだってな。それも一人だけじゃない。何人も、何人も殺したんだろ?」
「……うん」
それは紛れもない事実だった。多くの人間を殺し、数多の魔獣を屠る事によって私は今の地位に立ったのだから。頷く私に、皮肉そうな声が突き刺さる。
「そのせいで、俺たちは周りから人殺しを生んだ家って呼ばれたのさ。お前の仕送りがあるだろうと言って金は税金に殆ど全部持っていかれ、外を歩けば嘲笑と石が飛んでくる。父さんと母さんは無茶な労役を課されて過労死してしまったし、下の二人は罵りに耐えきれずにこの前自殺したよ。……生きてるのは俺とお前だけだ」
次々と明らかにされていく事実に、目の前が真っ暗になっていくのを感じた。私の知らないところで、私のせいで家族が迫害されて、五人中四人がすでに死んでいる……?
「私の……せい?」
「それ以外にあるか?」
「そんな……」
「そんなもこんなもあるか。……まあ、このタイミングで良く戻ってきてくれたよ」
兄の声が突然昔のように優しく、いやさらに甘ったるくなる。それはまるで緩急を付ける事でこちらの油断を誘うような、そんな変化。
普段の私だったら気付いていたはずだった。でも、このときは気付かなかった。
いや、気付かないフリをしていた。もしかして、と警戒を発する心を必死に奥底に留めていた。万が一でもそんな可能性を考えたくなかったから。まさか、と一笑に付していたかったから。
でも、現実はそんなに優しくはなかった。
「本当良く帰ってきてくれたな……このクソガキ」
グチャリと熟れた果実のように、男は甘ったるい醜悪ささえ感じる笑みと共に右手をこちらに突き出した。その手中で光るのはいつの間にか握られた包丁。
いつもの私なら、この時点で戦闘に意識を切り替えて冷静に目の前の男を鎮圧できた。ケガ一つ負わせず、とまではいかないがすぐ治る軽いケガをさせる程度で終わらせられるはずだった。それだけの訓練と実戦を経験していた。
しかし、自分の中で疑念を圧し殺そうとしていた私はその動きへの反応が一瞬遅れた。その結果、実戦で培った経験はセーブをかける暇もなく、全力で目前に迫った敵意に対処してしまう。
身体を左に動かしながら、相手の手首を思いっきり握る。握力が緩んだ瞬間を狙って包丁を奪い、男の胸元をめがけて突き出す。しまった、と思った時にはもう遅かった。正確無比に銀光は兄の心臓を容易く貫いてしまった。
右手と顔に、生暖かいモノがかかった。見れば、そこにベッタリと付いていたのは真っ赤な血。
兄の表情は痛みよりも驚愕に満ちていた。まさか、妹に反撃されるとは思ってもいなかったのだろう。くそ、とこぼしてその身体が、糸が切れたように床へ崩れ落ちる。口を動かして何かを言おうとしたようだが、音にならずにそのまま目から光が抜け落ちてしまった。
しかし、言いたかった意味は伝わった。
『ヒ・ト・ゴ・ロ・シ』
「あ、ああ、あああああああああああああああああああああッ!?」
叫び、外に飛び出した。ひたすらに、後先考えずに、ただひたすら走る。走る、走る。行く手に川があったので腰の辺りまで一気に浸かって、手と顔をガシガシと洗う。冬が近いせいか水はとんでもなく冷たく、かきむしった肌はじくじくと痛み出す。
なのに、そこまで洗っても顔と手にこびり付いた血の感触は消えてくれない。脳をひたすら悪寒だけが刺激し、虫が這い回るような感覚に胃から何もかもを戻しそうになる。
ガチガチと、寒さとは全く違う理由で身体が震える。始めて人を殺した時よりも酷い。瞬きをする度にさっきの情景が何度も、何度でも現れる。
歯を食いしばって、全身で水中に飛び込んだ。流されていくのを感じながら目を閉じる。生命の危機を感じて対処しようとする身体を必死に押さえるために、胎児のように丸くなった。
一年前が懐かしい。貧しくも、みんなで楽しく生きていたあの頃に戻りたい。
家族の為と思って頑張った。任務も訓練も辛かったし、ケガの痛みに呻いたのは一度や二度ではない。強くなっていくのも嬉しかったが、それよりも何よりも自分が努力した分で家族が少しでも笑う事ができるなら、そう考えるだけで何度でも立ち上がる事ができた。
でも、その努力こそが家族を殺したのだ。彼女が頑張れば頑張るほど、彼らは周りから蔑まれ、一人また一人と死んでいき、最後の一人も私が殺した。
結局、全てマイナスで終わってしまった。彼女が『スクール』で頑張った意味なんて無かった。
だったら、もう努力をする必要なんて無いじゃないか。
もう、息をする理由だって無いじゃないか。
ボンヤリとしていく意識をあっさりと手放して、私は暗闇の底に沈んだ。
それからどれだけの時が過ぎたのだろうか。
存外にも私は死にづらい身体のようで、目を開けばどこかの浅瀬に流れ着いていた。しばらく身体を動かす気にもなれずにそのままでいたが、重い全身を動かして河原に上がる。
ポーチの中から固形燃料と携帯食料を取りだして、暖を取りながら腹を満たしていく。全く濡れていなかったところを見ると、ポーチの防水性は思った以上に高かったらしい。
空を見上げると、何千もの星が輝いていた。無感動にそれを一瞥して息を吐くと、無線を取り出して『スクール』に連絡を取る。早めに戻る事だけを伝えて、さっさと火を消して立ち上がった。
死ぬ事はできなかった。もう一度同じ事をしても死ぬ確証なんてない。
ならば、『スクール』に帰ろう。あの学校でならば、いつか死に場所に出会えるだろう。
生きる為ではなく、死ぬ為に。誰かのプラスの為ではなく、自分のマイナスの為に。私は戦場に留まり続けよう。幸運の女神に見捨てられる、その瞬間まで。
そう決めて、戦い続けた。いつか壊れる事を望んで。そのうちに死ぬ事を願って。
……あの少年に出会うまでは。




