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My silly days  作者: 高空天麻
邂逅
7/18

第三章ー2

 少年がその少女に出会ったのは、引っ越しも落ち着いたので学校に行き始めてから、一月が経たない頃だった。最初こそ珍しい転入生として扱われていたものの、この地の訛りが全くないしゃべり方や様々な場所を転々としているうちに身につけた、十歳とはとても思えない落ち着いた雰囲気と知識のせいか、いつの間にか目の敵にされるようになっていた。

 女の子のような容姿も、それを後押ししたのだろう。大人達からは良い子だと言われたが、周りの少年達からは一方的に敵視されていた。

 そんな頃だった。

 いつものように殴り倒されて痛む身体にむち打って、壁を頼りに立とうとした時、小さな声が聞こえた。

「大丈夫?」

 目線を上げると、そこには一人の少女がいた。自分と同じように身体のいろんな部分にアザを作った、なのにとても綺麗な微笑を浮かべた少女が。

「大丈夫?」

 もう一度言って、少女はこちらに手をさしのべた。礼を言いながら手を取って、立ち上がる。泥や砂のついてしまった服をはたいていると、少女も優しく叩いて土を落とすのを手伝ってくれた。何も言わずに、ケガをしている部分には決して触れないようにしてくれる目の前の彼女に、少年はすでに何か惹かれるものを感じていた。

「これで良いよ、ありがとう」

 払い落とせる汚れを落として言う。それに少女は彼を上から下まで見てから、また微笑んだ。

「ん、それじゃあね」

「あ、待って!」

 離れていこうとする少女に言うと、彼女は首を傾げながら振り向いた。少年は、痛みとは別の理由で震える指を動かして、ポケットから小さなケースを取り出す。

「これ、アザとか擦り傷用の薬なんだ。君もケガしてるんだろ? お礼にこれあげるよ」

 そう言って彼女に差し出す。それに、少女の綺麗な笑顔が固まった。信じられないものを見るような表情で少年をじっと見つめる。

「何で?」

 微かな声で、少女は尋ねる。

「何で、私に?」

「何でって、そりゃ……」

 少年は少し熱を持った顔を見られないように背けながら、それでもハッキリと言う。

「嬉しかったから、かな」

 その一言に、彼女の表情が驚愕に染まる。だが、顔を背けたままの少年はその変化に気付かずに、そのまま言葉を続ける。

「僕この前こっちに来たんだけど、それから全然友達とかできなくて、話しかけてくれる人とかいなくてさ。今みたいに殴られたりしてても、誰も気にしてくれる人がいなかったから……。だから、すごい嬉しかったんだ」

 今度はちゃんと少女を見て、もう一度差し出す。

「だから、これはそのお礼。ありがとう」

 少女は、少年とその手に握られた薬を何度か見て、おずおずと手を伸ばして薬を受け取る。薬を取った瞬間少女の手が少しだけ震えたが、少年はしっかりと手渡す。まじまじと手に取った薬を見つめ、少女は少年の顔を見る。

「……ありがとう」

 そういって彼女が小さく浮かべた笑顔は、先ほどのように綺麗ではないけれど、年相応の花のような魅力をたたえていて、少年は自分の顔がさらに強く熱を持つのを感じた。

「それじゃ、ね」

「うん、またね。……えっと」

 そこで彼は自分が少女の名前を知らないのに気付いた。彼女もそれを少年の表情から読み取ったのか、はにかみながら小声で教えてくれた。

「ライカ・グルーエンだよ。またね、ヴェインくん」

 それが少女、ライカとの出会いだった。

 それから二人はいつも一緒にいた。遊ぶ時も、勉強する時も、食事をする時も。陰湿ないじめは相変わらずだったが、二人でいたら平気だった。辛い時も、楽しい時も、苦しい時も、嬉しい時も、二人で分かち合った。

 そうして、いつしか少女は少年の前でだけ本当の表情を見せるようになった。初めに出会った時の、何も不安を抱かせないような完璧で綺麗そのものの笑顔ではなく、こちらの頬も自然と緩んでしまうような、暖かい笑顔を。母にさえ打ち明けない不満や不安を打ち明けてくれるようになった。

 状況自体は何も変わっていない。それでも、二人で楽しく生きていけると思った。

 しかし、数年経つと少年はいつか家を継ぐ為に数ヶ月に一回、一ヶ月ほど偶然村を通った旅の商隊とともに街の外に出るようになった。ある程度近い場所にしか行かないとはいえ、魔獣や盗賊が跋扈する街の外、そして心から頼れる者が一人もいない他の街で商売をし、生きて帰ってくる。それが、彼に与えられた修行だった。

 何度か危うい状況はあったものの、少年はどうにか無事だった。だが、少女は違った。

 支えをいきなり失ったのに加え、これまで二人でどうにか受け止めていたきたものを一人で全て受けなければならなくなった。ある程度まで普通を取り戻したが故に、苦痛は増してしまったのだ。それこそ、戻ってきた少年の声も届かなくなっていたほどに。

 少年はそばにいられる間に出来る限り心を尽くして彼女に接していたのだが、彼女の空白を埋める事はかなわなかった。もう一度平穏を取り戻して再び苦痛に飲まれるよりは、最初のように一人でいる事を少女は選んでしまったのだ。

 彼には、少女が歪んで壊れていくのをただ見つめている事しかできなかった。



「……そんなところです」

 語り終わったヴェインは目を伏せて長い息を吐いた。年に見合わない、疲れた雰囲気が全身からにじみ出ている。無理もない。ずっと気にしていた少女が、戻ってきたら心壊から暴走して、捕縛されているだから。

「カリヤさん、アイツをお願いできますか……」

 小さな低い声で彼は呟いた。その声には、自分の大切な人を他人に頼む事しかできない悔しさと、彼女のみを案ずる思いで充ち満ちていた。

「悔しいですが、今の彼女は僕の手じゃどうにも出来ない。あなた達しか頼る事が出来ないんです……」

 カリヤは俯いて感情が見えない彼の顔を見つめ、おもむろに立ち上がる。返事もせずに立った彼にヴェインが顔を上げると、コツンと軽い音を立てて少年の額が叩かれた。

 目を丸くする彼に、カリヤは心の底からの言葉をかける。

「よく頑張ったな。後はプロに任せておけ」

 不敵な笑みを浮かべながら言う彼に、ヴェインは大きく目を見開いた。その後ろではアトリとコウイチも「やれやれ」といった表情をしながらも微笑んでいる。

 少年が何を言えばわからないまま、口を開けて呆然としていると、カリヤは頭を掻きながらさらに言ってくる。

「とは言ったものの、俺たちだけでケアできない部分があるのも事実なんだよ。だからさ……」

 見ているものを不思議と安心させる笑顔で。

「能力が落ち着いてからで良いから、ライカに会ってまた話をしてやってくれないか?」

「え……」

 思っても見なかった提案に、ヴェインの表情がさらに驚愕に染まる。

「ま、お前が受けてくれるなら、だが。どうする?」

「やります」

 一秒もおかずに即答する。それにカリヤはさらに笑みを深くし、もう一度握手をして二人を連れて外に出ようとして、もう一度振り返る。

「あ、そうだ村長。明日から当分の間、ガルムの森に誰も近付かないようにして貰えますか?」

「あ、ああ構わんが……。何をするんじゃ?」

 彼は背を向けて当然のように答える。

「ライカの能力制御トレーニングです。近付いたら命の保証は出来ないとお伝えください」



 翌朝、ガルムの森にほど近い平野で四人は立っていた。

「あの、それで何をするんですか?」

 多少なりと話した事のあるカリヤはまだしも、全く知らない二人を前に少し緊張気味に切り出す。自己紹介は互いに軽くしたものの、それだけでこの面子が打ち解けられる訳もなく。三方から放たれる「どうにかしろよ」オーラに少し汗をたらしながら、カリヤが口を開く。

「昨日、どこまで話したんだっけ?」

「私の中に強力な異能が眠っていて、それが不安定な状態にあるとだけ」

「おっけ。んじゃ、もう少し詳しく異能についての話をしていこうか」

 草原に腰掛ける。ライカもつられて腰を下ろした。アトリは何故か体育座りをして、コウイチはあぐらをかいてすでによだれをたらしている。

「そうだな、まずは能力を使う原理から。……ライカも、学校で簡単な魔法は教わっただろ? 魔法が何を元に生み出されて、発動するか知ってるか?」

「えと、この世界の至る所に充満してる、虚空のアストラールに干渉して使ってるんですよね」

「正解。この世界の全てを司り、俺たちの身体を形作る原子も突き詰めればそれから出来てるらしいな。コイツは不思議なもので、ある一定の法則に従って並べ替えたり、命令をすることでいろんな現象を……たとえば雷の槍や炎の弾丸を生み出したり出来るわけだ」

 言いながら、彼は指を空中で踊らせる。すると、指の動きに併せて空間に光で円が、文字が描かれていき……。

「響け:>天雷」

 唱えると同時、魔法陣が輝いて小さな火花が飛び出す。本来なら雷の槍が放たれるのだが、今は威力は必要ないのでその分を全て省略していた。

「まあこれが魔法の原理。んで、異能も基本はこれと変わらない。ただ一人一人で扱える現象、魔法で言うと式や陣が最初から決まっているから、ある程度方向性が決まっている事だけはちがうかな」

 そこで深く息を吸って、彼女の方を見る。ライカは少し顔をしかめてはいたものの、理解しようと努力はしているようだ。その必死さに少し笑いながら続ける。

「そこまで必死に覚える内容じゃないさ。重要なのは、異能は魔法と違って替えが効かないぞってトコだけ覚えてればいい。その分、異能の方が強力な力を引き出しやすいんだけどな」

「え、何で?」

「考えてみろよ、道具を介するより自分の力でやった方が良い事もあるだろ? そういうことだよ」

「あ、なるほど……」

 きちんとわからないところを質問しながら納得していく優秀な生徒に、先生は少し目を細める。彼もコウイチも、最初に異能に目覚めたり魔法を使えるようになるまでは「座学なんて良いから早く実技を!」とか言ってたタイプなので、目の前の少女を見て今更ながら昔の自分の態度は酷かったと再認識するのだった。

「さて……異能に関してはそれくらいかな。あとはそうだ、大事な事を忘れてたな」

 今までのほのぼのした感じが一瞬で失せ、カリヤの目に真剣な光が宿る。

「一つ覚えとけ。異能が目覚めるのは、身体が通常の防衛機能じゃ対処できない異常を察知した時だ。俺たちは薬品とか暗示でそれを手に入れたけど、お前の場合はそうじゃない。それだけは覚えておく事、オッケー?」

「わ、わかりました」

 雰囲気に気圧されたライカがつっかえながらも答えると、カリヤは元の笑顔に戻って立ち上がった。

「さて、じゃあ実際にやってみようか。無理矢理力を抑えてるから、それもずっと着けてると辛いだろ」

 腕輪を指さして言う。一点の曇りもない漆黒の腕輪は、どちらかというと白めな彼女の腕で異様な存在感を放っている。彼の言うとおり、服を着るのに困るわいつも装飾品をまるで着けないので感覚が狂っていろんな所に腕をぶつけるわと、あまり良い事はない。それに……。

「これ着け始めてから、なんかたまに背筋がゾクッとする感じがするんですよね。それも何か関係あるんですか?」

「あー、言うの忘れてたか。それも実は異能の一種なんだが……。まあ見せた方が早いか」

 言って、ハテナを頭上に浮かべたライカの方を向いて、肩まで服をまくり上げて、二、三度調子を確かめるように左腕を回す。大きく息を吸って、目を閉じて自分の内の力を収束・左手に集めていく。すると、そのイメージとともに手の甲を中心に肩の辺りまで何本もの黒い筋が生まれ、複雑に絡み合いながらどんどん一つの形を生み出していく。

「起動」

 力がある程度集まった事を確認してから、呟く。すると、機械の起動するような音ともに黒い力が肩までを覆う、まるで生き物のような艶めかしいイメージを持たせる黒の籠手に固定化された。

 手の甲にあたる部分には黄色の宝玉がはめ込まれていて、一定の間隔で光を放つ力の結晶を前に、ライカは何故かそれに飲み込まれそうな感覚を覚えて少し後ずさった。

「これが俺の能力。魔法や異能みたいな、虚空の力が関係する力の制御を奪ったり、コントロールを誤らせたりする。本気を出せば人や生物も阻害できるんだが、さすがにそれを使うのは疲れるんで滅多にやらない。ちなみに……」

 途中でライカの腕輪を指さす。

「それも実は俺の能力で作ったもの。構造的には俺の籠手と似たようなものでね、それを着けてる間は異能を使えないようにする。いくつもいくつも作れるワケじゃないからそれほど便利ではないんだが、今のライカには必要だろ」

「あ、もしかして……」

 何かを察したような顔をするライカに、カリヤは指を鳴らして答える。

「そのとおり。時々感じてたって言う変な感覚は、その腕輪が君の異能を抑えた時の副作用みたいなものだよ」

 元々異能は身体へ向かってくる危険を除去する為に働き出した防衛機能なので、きちんと異能者自身がコントロールしていないと勝手に動き出す事もあって危ない事この上ない。それを防ぐ為に念のためで着けておいたのだが、どうやら吉と出たようだ。

「はあ〜……。何か知らない間に結構お世話になってたんですね……」

 視線を改めて腕輪と彼の左腕の間を行ったり来たりさせながら、彼女が言う。それに少しむずがゆい感触を覚えながら、カリヤはずっと船を漕ぎ続けているコウイチをひっぱたいて意識を無理矢理戻ってこさせる。

「いって〜な〜! 何だよカリヤ〜、もう少しで究極のふかふか枕を手にするところだったのに!」

「なんか壮大な夢を見てる!? い、いやそれどころじゃないから。俺のヤツは見せたから、お前のも見せてやってくれよ。俺のよりも、お前のヤツの方が派手だし異能っぽいからわかりやすいだろ」

「ちっ。今度俺に新品の枕をよこせよ」

「さぼらなければな」

 そんな軽口を叩いて、コウイチも立ち上がって目を閉じる。これから何が起こるのかと期待に目を輝かせるライカの前で、いくつか呪文を呟いた途端、彼の全身が黄金の豪炎に包まれた。

「え、え……!? こ、コウイチさ……ッ!」

「あー、ライカ。大丈夫だから。アレがアイツの能力なんだ」

「へ?」

 突然の事に訳がわからなくなる彼女の目の前で、炎が一気に勢いを失ってあるものを象る。それは翼。伝説に描かれた不死鳥のごとき、深紅と黄金で彩られた灼熱の羽根。その中心で、いつも通りの眠たげなあくびをかきながら、コウイチは言う。

「コイツがおれの異能、〈破邪の焔〉。一応今の状態だと戦闘専用なんだが、この状態だとおれの身に余る強大すぎる力だな。んで……」

 一度彼が指を鳴らすと、それに呼応して深紅が全て蒼炎に変化していった。殺気まで感じられた〈破邪の焔〉とは違って、逆に包み込むような暖かささえ感じる。

「これが〈救世くせの炎〉。さっきのとは逆で、完全支援用。……ま〜、実際に見せる方がいいか」

 そう言うが早いか、腰のホルスターからハンドガンを引き抜いて、手のひらに当てた。

「さ〜て取り出したるは種も仕掛けもないただの拳銃〜。を、このよ〜に左手に当てて引き金を引きます。はい、ドン」

 すさまじい音とともに、彼の左手に穴が空いて吹き飛ばされた肉がビチビチと気味の悪い音を立てて地に落ちる。カリヤの隣で息をのむような音が聞こえた。普通の人間が見たら、失神ものの映像だ。良く保っている方だろう。

 にもかかわらず、コウイチは少し指を切ったぐらいの感じで顔をしかめ、左手を蒼炎に近付ける。すると、彼の左手が一気に火に包まれ……。

「はい、このと〜り。種も仕掛けもあるマジック、ご堪能いただけましたでしょうか?」

「え、あれ? 元に戻ってる……?」

「というか、その悪趣味なマジックは誰も楽しまないと思うぞ……」

 すると、何もなかったように綺麗な左手が目の前でかざされる。ライカは目前の光景に唖然としながらも、しかし先ほどよりも衝撃は少なかった。トリックも一瞬疑ったがおそらくそうではないだろう。地面に残った血や薬莢が、今のが現実だった事を物語っている。へらへらと笑いながら、コウイチは続ける。

「とまあこんな感じ。触れた仲間の傷を癒す事が出来る。ま〜、基本はこんなトコかな」

 言い終えると、右手を軽く振って炎を引っ込める。これでいいんだろ、とでも言うような視線を向けてきたので苦笑しながら頷く。

「と、まあ俺らのヤツだけだが、とりあえずこれが異能。人の奥底に眠り、あるきっかけとともに現れる可能性の結晶。……んで、俺らはもうコントロールできてるが、お前のも自分で制御できた方が良いだろ?」

 当然、と彼女は何度も頷く。自分の能力がどういうものかはよく覚えていないが、身体の中に荒々しい獣を飼っているようで、気味が悪いのだ。

「じゃ、さっそくやるか。今ライカの腕に着けている腕輪の力で異能を現出しやすいようにしているから、最初はそれの補助ありでやろうか。一回感覚をつかめば、あとは楽だし」

 カリヤの手を取って、ライカも立ち上がる。そのまま彼が手を伸ばして、目を閉じさせた。

「深呼吸して。身体の力を抜いて……そう」

 暗闇の中彼の手のぬくもりを感じながら、声に従って何度も深呼吸を続けていく。すると、身体の感覚がするりと抜け落ち、意識だけがさらに暗黒の奥深くに沈んでいく。眠る時のように周囲の音が消えていく。なのに、意識は全くボンヤリとしておらず、むしろどんどん冴えていく。

 暗闇は果てなく、際限なく続いている。光源など何もなく、まさに一寸先も闇だ。

(……どこまでいけばいいんだろ)

 無限に続く闇を一周(とはいえ、身体の感覚がないのでなんとなくでしかないが)見渡して、そんな事を思う。その時だった、目の前にその少女が現れたのは。

 自分とそっくり、いや同じと言っていいほどに自分に似た少女。違うのは髪と瞳の色だけ。彼女の髪は根本から鮮やかな金、自分よりも吊り気味な瞳も金色に染まっている。

「あ、アナタは……」

 誰?

 その問いを発しようとした瞬間、自分によく似た少女が口が開いた。

『ようやっと来た……。もう少し早く来るものと思ってたけど』

 それはその少女の口から発せられているハズなのに、暗闇の中様々な方向から声が聞こえてくる。反響やこだまじゃない、それら全てが力を持った言葉。自分と同じ声なのに、知らぬ間に屈服してしまいそうな、そんな声。

「もう少し、早く……? なんの事……?」

 その質問に、少女はアハハとかわいらしい声で笑う、嗤う、嘲笑う(わらう)。

『そう、人間はいつだってそうよねぇ。都合の悪い事は全部忘れて、どっかに押し流して、自分にとって良い物だけで記憶を、世界を、歴史を塗り固めていく。そういうモノだものね、人間って』

 クスクス、と笑い続けながら少女が人差し指を立てる。その指先に、淡い光がともった。

『ねえ、思い出したい?』

 声が囁く。何がそんなに楽しいのか、裂けたような笑みを顔一杯に浮かべながら。さながら、悪魔のように。

『知りたい? すっぽりと抜け落ちた記憶の間、あんたが何をしていたのか』

 言葉を認識するのと、彼女の指先の光が弾けるのは同時だった。イエスも、ノーも、言う暇なんて無い。弾けた光燐が尾を引いて空中に消え去る。

 瞬間、ビデオが巻き返されるように映像がフラッシュバックしていく。さっき見せてもらった二人の能力発動シーン、暗い牢の中でのカリヤとの会話……。

 そこまではよかった。だが、記憶の再生は止まらず、次のシーンを見た瞬間ライカの思考が途切れた。現れたのは、天からの稲妻に貫かれて地に堕ちるアトリ、心臓を潰されて倒れるコウイチ、険しい表情でこちらに銃を向けるカリヤ。十数体の魔獣を引き裂き、何百人もの人間を引きちぎり……。

 そして目の前に現れた、自分を恐怖に歪んだ瞳で見る母親。

「あ、あ……、あんた何を……」

 がたがたと震えるばかりで動こうとしない、いや動けないのであろう母親に、後ろから火が迫ってくる。

(……危ない!)

 今身体に漲っている力があれば、目の前の母くらいなら助けられる。そう判断して、前に出ようとした。しかし身体が思いに反して動いてしまう。

 口元が限界までつり上がり、口の中から出された舌が口元を舐める。まるで、獲物を見つけたハイエナのように。

「やめて……こ、来ないで……」

 母が怯えながらそう言うが、私の身体は止まらなかった。一足で一気にわずかな距離を完全に詰めて、右手を振り上げる。母は、反応する事すら出来なかった。反射的に目をつぶろうとしたが、この世界ではそれすらも出来なかった。

 ぐしゅり、と嫌な音が手元から響き、真っ赤な血が全方向に飛び散った。目を背ける事すら出来なかった。しかも、惨劇はそれで終わらない。一撃で二つに裂かれた物体に、視界がどんどん近付いていく。まさか、と思った瞬間口が大きく開かれ、

 ……ガブリ。

 口の中に、鉄の味が広がった。グチャグチャ、と何度も何度も肉と皮の入り交じった感触が繰り返される。もう、疑う余地はない。私は今、人を食べている。人を、女を、母を。愉悦の笑みさえ浮かべながら。

(あ、あ、あああ……)

『な〜にショック受けちゃってんのよ。この』

 後ろから肩に置かれた手に振り向くと、ニタァと醜悪な笑みを浮かべた私自身が、情け容赦なく抉ってくる。

『ヒ・ト・ゴ・ロ・シ☆』

 その一言で、私の中の理性が崩れるのがわかった。ケモノが再び動き出していく。それを止めるだけの力は、もう残っていなかった。



「ア、アア、アアアアアアアアハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 少女の全身に小さな紋様が現れ、薄い雷光のヴェールが服の上から彼女を包んでいく。周囲には大型の魔獣も身を隠すであろう濃密な殺気が充ち、その眼光は獣のように鋭く研ぎ澄まされていって、人としての性を残しているとは思えない。

「ライカ」

 名を呼んでも、まるで反応しない。こちらの動きを伺い、少しでも隙を見せれば飛びかかろうとしているのがわかる。

「おい、聞こえるか」

「グ、グギャ、グギガガガガガガガガガガ」

 その口から漏れ出すのは獣のうなり声。なまじ、以前の暴走の時よりも人の形を留めていて、二本足で立っているその姿は、人とも獣ともつかない、まさに“異形”だった。

「カリヤ、私が出る……?」

 今まで静かに座っていたアトリが腰を浮かせる。大丈夫だよ、と手で制して至近距離で変貌していくソレと対峙する。

「なあ、聞こえてるか? まあ、聞こえないならそれでも良いが」

 返ってくるのは籠もったうなり声だけ。が、元々まともな返事は期待していない。まだ電撃が飛んでこないだけでも僥倖と言える。うなり声に合わせて小さな紫電がいくつもはしる。そのうち一つが彼に向かって飛んできたが、彼は左手を振るだけでその全てをかき消した。

「俺はお前と会ってから、いろんな話を聞いたよ。小さい頃から母親を助けながら、どんなにくだらないいじめを受けてもずっと一人で頑張ってたんだってな」

 まだ間に合う。他人の力を使わなくても戻ってこれる。そんなに簡単に飲み込まれるようなやわな子じゃない。そう信じて、彼は必死に言葉を投げかける。

 根も葉もないように見えるが、根拠はある。手を伸ばせば届くような位置にいるのに、彼女が未だに彼に牙を剥かないのは何故か? わずかでも、彼女の中に意識が残っているとは考えられないだろうか?

 実際の所、彼の右手で触れればこの程度の軽い暴走ならば鎮めるのは容易い。身体能力強化の魔法を起動して、彼女が反応する前に触れてしまえばいい。そうすれば内側の人格は危険もなく戻ってこれる。

 だが、それだけでは意味がない。

 何がきっかけでも構わない。どんな理由でも良い。今自分で戻ってこれるようにならなければ、この先同じように暴走しても戻って来れなくなってしまうかもしれない。

 それはいやだ。完璧に助けてみせると誓ったから。

 彼女には関係ない。自分勝手な都合でしかない。相手の気持ちなんて一切考慮して無くて、自分のこれからのことしか見ていない、最低な考えだと彼自身思っている。

 それでも、結果的に彼女が救われたなら。

 それで充分。自分がどう思われようが知った事じゃない。

「良くやったと思うよ。最後は暴走して周りの人を傷つけたかもしれない。そのことで傷付くな、なんてことも言えない。だから、俺はこれから先の事しか言わない」

 彼らは自らの行動の代償として、その結果を受け取ったにすぎない。ライカの行動は、聞いている限りではどこまでも自衛でしかなかった。ならば、彼女に見せなければならないのは、過去ではなくて未来。

「お前は、力を手に入れた。望んでなんかいなかっただろうし、重荷だろうと思う。それでも、そこで止まっちゃいけない。力は、もうそこにあるんだ」

 どんないきさつであれ、彼女は結果として強大な力を手に入れた。人どころか、強大な魔獣でさえもあっさりと屠るようなモノを。ソレは使いようによっては人々を救うモノにもなるし、全く逆に全てを叩き潰す兵器にもなる。

 使い方さえわかっていれば、それは自分で選べる。

「お前が望んで手を伸ばせば、力は応えてくれる。忌避すれば、それは今のままお前の中でわだかまり続ける。それはお前の中にあるんだ。どうしようが、お前の自由」

 バチバチッと音が鳴る度に、雷撃が飛んでくるようになった。しかし、彼はその全てにまだ対処する。

 ……いや、対処できるようにされているのだろう。何せ、雷撃の最高速度は音を凌駕する。魔法で強化しても反応できないし、今の状態ならばなおのこと。彼女が手加減をしていなければこんな事にはならない。

「忘れろ、とも言わない。お前の気持ちを一言教えてくれればいい。俺も、後ろの二人も、その為にここにいるんだ。殺して欲しい、ってんならめんどくせえがやってやるよ。……どうしたいんだ?」

 ソレは、言葉の間にも身体を前傾させながら右手を開く。みるみるうちに光が収束し、一つの巨大な雷の杭に形を変えていく。

 次の一撃は、手加減抜きだ。バチバチという音は、青白い光が純白に近付いていくにつれてどんどんと高く、時折人間の耳には聞こえないほどに高くなり、その雷鳴は解き放たれるのを今か今かと待ちわびるように、その小さな手中で明滅する。

 その瞳に映る光はさらに獣へと近付いていて、とても人としての性が残っているようには見えない。

「聞こえてんのか……」

 それでも、止まらない。

「聞こえてんのかァ、ライカッ!」

 その叫びに、ソレの表情がぴくりと歪んで滑らかに動いていた身体が、力強い光を放っていた衣が、油が切れた歯車のように一気に動きが鈍くなる。

「グ、ギ……グギゥガァ! グギャギィガァアアアアアアアアアアアアアア!」

 吼え、何度か閃光を散らすも、そこには今までのような威圧感はかけらもなく、まるで駄々っ子が泣き喚いているようにしか映らない。全身を覆う雷光は目に見えて衰え、目にはわずかながら理性が灯った。

 その変化に、彼は微笑んで一歩、始めて前に出る。ソレはその挙動に未だ力を宿した右手を突き出して稲妻を放とうとしたが、すんでの所で左手が動いてその動きを阻害する。

 元々それほど開いていなかった距離を完全に詰め切って、彼女の目前に立つ。今も、能力によって暴走した本能と、取り戻した理性とがせめぎ合っているのだろう。右手は何とかして彼を砕こうと蠢くが、それを左手が食い止める事の繰り返し。今のところは拮抗しているようだ。

 表情は苦痛に満ちていて、全身は相反する二つの動きに耐えきれずにガクガクと震え始めている。

「ライカ」

 呼びかけると、一瞬にしてさっきのような殺意が溢れ出し、

「壊ス……潰ス……殺ス、殺ス殺ス殺ス殺スゥウ……ッ!!」

 そう呻いたかと思えば、スイッチが切り替わるように口調と雰囲気が変化する。

「カリヤ……今、近付かないで……ッ! 止められない……か、ら!」

 必死で自らの暴走を食い止め続ける少女に、カリヤは優しい声で話しかける。

「どうだ、ライカ。自分の力は?」

「な、何を言って……?」

 ライカの表情に怪訝な色が映るが、構わずに彼は続けた。

「でかいだろ、すごいだろ? そんな半端ねえ可能性がお前の中に眠っていたんだよ。きっかけは最悪だが、そんなモンがお前の中に眠っていたんだ」

「……で、もっ!」

 明確に怒りを込めた視線で目の前の少年を睨み付けながら、本能も理性も関係なく少女は吼える。

「私はこんな力いらなかった! こんな人を傷つけて、壊してしまうだけの力なら、私がずっと我慢し続ける方がずっと、ずっと良かった!」

 彼にぶつけるべき言葉でない事など、理解している。この異能が少女の中に秘められていたのはただの偶然にすぎず、これが目覚めたのもエスカレートしていく状況に彼女自身が耐えきれなかったため。

 目の前の少年が、人を食い千切る化け物になっていた彼女に手をさしのべてくれたのだから。終わりも見えなかった地獄を終わらせてくれたのだから。

 それなのに。わかっているのに、頭の中ではきちんと理解できているのに、それでも心の中の理不尽な怒りは収まってくれない。

 どうして人間に戻したのか、どうして獣のままで終わらせてくれなかったのか。

 どうして彼は自分に手を伸ばしてくれたのか。どうして、こんな化け物を拒絶しないでいられるのか。

 そんな、自分の中ではもう抑えておけないグチャグチャした感情が全て、止める事も出来ずに吐き出される。

「なんであの時殺してくれなかったのよ! なんで私なんかを助けたのよ!? なんで、なんで……」

 そこで言葉が止まり、喉に詰まった音が外に出て行けずに小さな呟きとして零れる。

「なんで、こんな化け物を救おうとしてるのよ……」

 最後の方は、もはや音になったかどうかも妖しい。包み込むような優しさをたたえたカリヤの表情を直視できず、俯いてしまう。一度下を向いたら、上を向く事も出来なくなってしまった。

 ……やってしまった。

 助けてくれた人に、今も命を危機にさらしながらも手を貸してくれた人に、恩を仇で返すような言葉を投げかけてしまった。あんなことを言われたのだ、きっと彼も……。

「ライカ」

 思わず身体を震わせて。恐る恐る顔を上げる。しかし、そこにあったのは想像していたのとは全く違うものだった。少なくとも、否定や拒絶なんかではなかった。

「知ってるよ。……いや、お前の痛みはお前にしかわからないだろうけど、お前が今味わっている悩みも、痛みも、同じような道を俺たち三人全員が一度は通った……もしくは今も通り続けている道だから」

 今の、自分の事以外何も考えていない言葉も許容して、包み込んでいくような声だった。カリヤは黒い力に覆われた自らの左手を彼女に差し出す。条件さえ揃えば全ての現象を思い通りに操るその力がよく見えるように。

「なんで俺にこんな力があるんだろう、なんで俺はこんな力を手に入れてしまったんだろう……。俺も良く思うよ。こんなモノさえなければ、普通でいられたかもしれないのに、ってさ。……だから死にたいなら、殺してやるよ。それだけの力を、俺は手に入れたから」

 力を全て歪め、思い通りに封じ込める事さえ可能な牙を持って、彼はそう静かに宣言する。その眼には一筋の遊びも見えない。ここで自分が一言、「死にたい」と言えば彼は何の躊躇いもなく私を殺すのだろう。自分がそれによって受ける傷跡なんて全く気にしないで。徹頭徹尾、目の前で泣いている私の為に。

「んでもって。その能力と共に生きたいというなら。自分で折り合い付けながら、これまでとは違う日常に飛び込む気があるなら。俺たちは同じように、出来る限りの手伝いをするよ」

 少女はもう一度、視線を自分の身体に移した。相変わらず、そこにあるのは稲妻の衣。これまで彼女が知っていた、普通なんてものは全く通用しない、常識の範囲を大きく超えた能力。

(これを……使いこなす……?)

 本当に出来るのだろうか。そんな不安が心の底からわき上がる。その感情の動きに乗っかって、彼女の内に潜むケモノが囁いた。

『へぇ、言うじゃないあの男。やれるの? 私を押さえ込んで、制御しきれると本当に思うの?』

 その声は依然として強い。全力で抑えつけているのに、それでもなお余力を残している。奥底から、今感じているモノよりもさらに強い脈動が、ジワリジワリと伝わってくる。自分の中にあるというのに、まるで底が見えない。

(……怖い)

 正直にそう思う。今までの自分とは全く違う身体になっているのが本人だからこそよくわかり、それ故にその唐突に開かれたその可能性に足がすくんでしまう。そして、自分の鏡に嘘やごまかしは通用しない。

『ホラ〜、ね? やっぱあんたには無理よ。ホラ、無駄な事はやめて、私に全部ゼンブぜ〜んぶ任せちゃいなよ。皆ミンナみ〜んな叩き壊して、踏み潰して、あんたの事を骨の髄にまで刻み込んでおいてあげるからさ☆』

「だ、ダメ……ッ!」

 一気にうねりを増して彼女をいよいよ飲み込もうとするその力に必死で抗いながら、声を張り上げる。

『何でよ? あんたは壊したいって思ってたじゃない。恨めしいでしょ? 泣き言しか言わずに自分を傷付けた母が。呪いたいでしょ? あんたをいつも傷付けて嗤ってる奴らを。消したいでしょ? 誰も助けてなんかくれないこの世界を!』

「ち、がうっ! そんな事は……」

『思ってない、なんて言わないよね? そうでなきゃ、私は生まれなかったんだから。追い詰められて、一人で泣き疲れたあんたが、それでも逃げようとしてもがき続けた結果、私が生まれたんだから☆』

「そうじゃない……!」

 確かに彼女の言うとおりだ。今までは何もかもに怯えていた。全てから逃げようとしていた。それも叶わないから、一人で泣いて、自分を傷つける者に、自分を嘲笑う者達に復讐したいとさえ願っていた。

 時として、隣で一緒に笑っていた少年にさえ、その矛先は向けられた。自分と同じようにひとりぼっちでいたくせに、いつの間にか一人で生きていけるだけの力を手に入れて、私を置いていってしまったーー事実は違うとはいえ、そう思ったーーと思い、戻ってきた少年とも一緒にいる事を拒んだ。

 結果、出口のない迷宮に一人で迷い込み、背後から逃れようのない怪物に追われ、耐えきれずに自らも化け物に身を堕としてしまった。声の言っている事は正しい。私の中に、そんな暗いものが眠り続けている事もわかっている。

「それでも、もう壊したくないの……! たとえ、そこにどんな理由があっても……!」

 望んだ力を手に入れて、願った全てを叶えて、そこに残ったのは破壊と殺戮の跡だけだった。逃げようとしても意味はないのだ。どこまで行っても、それはまた別の形で目前に立ちふさがり、いつしか逃げ切れずに再びケモノに身を変じてしまう。

(そんなのは、絶対にいや)

 記憶を取り戻し、全ての結果を知った今だからこそそう思う。遅すぎるかもしれないが、これ以上力に身を委ねる訳にはいかない。

 壊すのはもうイヤだ。人を殺すのももっとイヤ。それが自分の意志ではないのは最悪だ。絶対に、もう二度とさせはしない。

「あなたに、私の身体を、好きにさせない!!」

 途切れながらも、思い切りの力を込めて、吼える。押し流されそうになる意識を必死に留め、もう一人の自分と真っ向から対峙する。感じる力は相変わらず強大だが、それでももう俯かない。正面から、自分の薄暗い部分と向き合う。すると彼女は、驚愕を隠せない様子で呟く。

『何でよ……。あんたは壊したがってたじゃない、逃げたがってたのに、その為に私が生まれたのに……!』

 その表情が泣きそうに歪んでいく。きっと、さっきカリヤに黒い言葉を吐きかけた私もこんな顔をしていたのだろう。

『あんたが必要だって言うから私が生まれたのに! あんたがいらないって言ったら、私は消えるしかないじゃない! 何でよ! 暗くて後ろめたい部分は全部私に押しつけて、それでも足りないって言うから力まで目覚めさせたのに、何で今度はいらないって言うの!?』

 その言葉に、ライカは何も言わずに前へ出る。それに、目の前の少女はこれまでの余裕の態度はどこへいったのか、怯えた表情で一歩後ずさる。が、彼女はそれに倍する速度で距離を詰めていく。

『こ、来ないで。来ないでよぉ……』

 その少女は必死で後ろに下がる。だが、人間の足というのはそもそも前に進む方が早いように出来ている。ついにライカが追いついて、腕を上げた。

 その挙動に少女はビクリと身体を震わせながら、目を閉じる。が、想像していたような痛みは襲ってこなかった。代わりに柔らかな身体の感触と、暖かい体温に包まれていた。

 恐る恐る目を開くと、少女はライカに抱きしめられている事にようやっと気付いた。ギュッと、二本の腕で、強く、離れぬように。

「……そうだよね。私がこうやってされた事がないんだから、あなたがされたことがあるわけ無いのか。……ごめんね、いつも辛い事を全部押しつけて。みんなあなたに背負わせて。……ごめんね」

 少女は、驚いた様子で大きく目を見開き、次いでゆるゆると幸せそうに目を緩ませていく。少しの間、何も言わずに二人の少女は抱き合っていた。

 それだけで充分だった。言葉も、行動もいらなかった。それで全てが伝わっていった。

 すこししてから、どちらともなく身体を離して互いの目を見る。

「これまでずっと力を借りてて、すごく言い辛いんだけど……力を貸して。私はこの力を使いこなしたい。私は……」

『良いよ、もう何も言わなくても。ワガママだなぁ、壊したいって言ったり、もうイヤだってごねたり』

 それはそうだ、と二人してクスクスと笑い合う。本当にワガママだ。自分から何をするでもなく、辛い部分やいやな部分を全て切り離して、挙げ句の果てにこの少女にも散々迷惑をかけたのだから。

『良いよ、力を貸す。私はあなた、あなたは私。あなたが望む事は、私が望む事……ってね☆』

 少女がパチンと指を鳴らす。すると、今の今まで消えずに感じていたいやな圧迫感が全て失せ、自分の中に圧倒的な力が流れ込むのを感じる。……いや、今の今まで彼女の中に力はあったのだから、彼女に主導権が移ったと言うべきだろうか。

 記憶を取り戻した瞬間のような不安定感もなくなり、今なら自分の力を操りきれる自信さえあった。

『とはいえ、メインで使ってたのは私だから多少の違和感はあると思うけどね』

 そういって、少女はもう一度クスリといたずらっぽく微笑む。心なしか、その表情も険が薄らいだように思える。

「ありがとう、その……」

『良いよ、全部わかってるから。ホラ、聞こえる? 呼んでるよ、行ってあげなきゃね☆」

「うん。……ありがとう」

 お礼を言って、手を小さく振る。少女も頷いて手を振り返してくれたのを確認してから、外の世界に意識を向ける。すると、視界を暖かい何かが覆っていた。目を上げると、そこには心配そうなカリヤの顔があった。

「お、帰ってきたか。その様子だと、成功したみたいだな。大丈夫か?」

 そうやらカリヤに抱きかかえられているようだ。それに気付いた途端、頬の辺りが少し熱くなる。自分で立とうとしたが、暴走の反動のせいか身体が自分の物でなくなったように重く、思い通りに動かせない。

「おいおい、良いぞ無理しなくて。というか、寝れるなら寝ちまえ。疲れただろ?」

 そんな優しい言葉に、心が少し軽くなるのを感じた。何も言わないままではいられない、と必死に口を動かして音を紡ぐ。

「ありがと、う……助けて、くれて……」

 それはとても小さくて、彼の耳に届くかも妖しいような声だった。なのに、彼は小さく微笑んできちんと応えてくれた。

「いいさ、お疲れ様」

 そういって頭を軽く撫でてくれる。その今までに味わった事のない感じと、優しく抱かれている感覚に身を委ね、ライカはいつからぶりかの安眠に落ちていった。



 暗闇の中、カリヤは目を覚ました。

 手首の時計に目をやると、まだ午前二時である。もう大人も子供も関係なく眠っているだろう。あの後、疲れて眠ってしまったライカを担ぎながら村に戻った。扱いとしてライカは保護観察処分の状態なので町中を歩き回る事は出来ない。コウイチにライカを抱いて地下牢に先に行ってもらい、彼はアトリとともに村で夕飯を買い込んでから合流。

 ヴェインは家の都合もあって来る事は出来なかったものの、四人でそれなりの量買ってきた料理を囲んで、楽しい時間を過ごしたのだった。コウイチは食べながら寝るという恐ろしい特技を披露し、ライカは終始笑っていた。アトリはほぼ無言だったが、実は一番食べていたのは彼女だろう。それに触れたコウイチは何故か壁まで吹っ飛んだりしたのだが、カリヤとライカはこれまでで一番の微笑みを浮かべたアトリの前にそれ以上何も言わずにその話題を流したりもした。

 あまり遅くなりすぎるとライカのダメージが抜けきらないので早めに切り上げ、報告や道具のメンテなどをすませて彼がベッドに潜り込んだのが大体十時過ぎ。

 四時間程度の睡眠でも作戦行動中は事足りる。彼が心の底から気を緩めて眠るのは、『スクール』の自分の部屋だけだ。それ以外は常にどんな些細な事でも起きる事が出来るように気を張っている。

「……これは」

 静かに窓を開けて、ヒョイと外に飛び出す。普通なら足をひねったりしかねないが、彼にとってこの程度の高さなどあってないに等しい。着地の瞬間に膝を折り曲げて衝撃を吸収する。痛みも音もなく夜の街に降り立った彼は、足音一つ立てずに夜闇に紛れていった。



 パチパチと音を立てて、手の中から幾つもの小さな火花が零れ落ちていく。全て自分が生み出した物だ。出力は下げているので、一瞬弾けたらすぐに消えてしまうものの、それを繰り返す。それ以上でも、それ以下でもなかったが、ただそれだけが嬉しかった。自分の力を、自分で操れる事が、安心と満足をもたらしていた。

 カリヤ達が帰ってから、ライカは内にいるもう一人の自分と対話しながら、少しずつ自分の力を使い始めた。まずは、自分の力を安定させて外に放出する事から。二十分ほどかけて、ようやっと一番最初の花火が出た。それから、少しずつ力を安定させながら出せる花火を増やしていった。

 今日は初めてだからこの程度なのかもしれないが、それでも全く何も出来なかった昨日よりもずっと前に進んだと思う。

 深く息を吸って、少しずつ出力を上げていく。パチパチがバチリに、次いで連続した高音に変わり、橙から黄色に色が変わって、段々と青みがかった白に近付いていく。

『ここまでにしときなさい。これ以上は、あんたの手には負えないわ』

 その声で、上昇から維持に意識を切り替える。威力は落とさないように、しかしベッドや床には焼け焦げを絶対に付けないように、慎重にコントロールを続ける。意識が収束し、一瞬が一気に引き延ばされていく。

(……こんなトコかな)

 フウ、と息を全て吐いて、力の維持と放出をやめる。残光がわずかの間部屋を照らし、溶けるように消えていった。ベッドに腰掛けて、手で扇ぐ。

「……暑い」

 放電によって一時的に熱された空気がまとわりついてきていた。地下牢で通気が悪いせいか、いっこうに空気が動かない。

 もう一度息を吐くと、靴底が地面を叩く音が聞こえた。慌てて布団を被り、寝たフリをする。おそらく、気付かれてはいないだろう。幸い、この牢は外から中への音や能力は通すが、その逆はほとんど無い。相手が魔法を使う時の対策なのだが、この時ばかりはこちらの役に立つ。

 足音が少しずつ近付き、部屋の前で止まった。軽いノックがされ、小さな窓が開いて声がかけられた。

「ライカ、起きてるよな……?」

 目を向けると、扉の小窓から覗いていたのはカリヤだった。起き上がって扉に近付くと、彼は少しだけ扉を開けて入ってきた。

「カリヤ……? どうしたの?」

 聞くと、彼はにやりと鋭い笑みを浮かべて言った。

「俺の能力は索敵にも応用できてな。その腕輪の近くで能力を使ってる気配があったから来てみただけだ」

「あう、すいません……」

 普通の看守なら今の寝たふりで看過できたのだろうが、彼の目は欺けなかったようだ。正直に謝ると、彼は口元をゆるめた。

「ま、別に良いけどあんまやり過ぎると明日が辛いぞ? 最初の内はあんまりやり過ぎない方が良い」

「うん。……あの、カリヤ」

 帰ろうとしていた彼が振り向いて、首を傾げた。言葉を探すように視線を宙に迷わせて、ようやっと呟く。

「心配してくれてありがと」

 それにカリヤが少し目を丸くした。すぐに優しく微笑んで言ってくれる。

「このぐらい別にいいさ。んじゃおやすみ」

「うん、お休みなさい」

 後ろ手を軽く振って彼の姿が、扉が閉まる音と共に消えた。足音が少しずつ遠ざかり、ついに聞こえなくなった。それを確認してからベッドに寝転がる。目を閉じてすぐに思い浮かぶのは、暴走から戻った時に初めに見た彼の笑顔。それを思い出すだけで自分の心臓が一際強く跳ねるのを感じた。

 ヴェインと一緒にいる時に感じる安堵ともまた違う、心地よさを伴ったその感情。人生で始めて感じるこの思いに、困惑を抱くと同時に快感さえ覚えてしまう。

「何なんだろ、これ……」

 小さく呟いて深く息を吐く。寝て起きれば、この妙な感覚も疲労と一緒に少しは消えてくれるのだろうか。そんな事を考えながら、彼女は目を閉じた。



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