第三章ー1
彼女が目覚めたのは、薄暗い部屋だった。布団が掛けられているにもかかわらず、少し肌寒い。頭まで被ろうとすると、手首にいつの間にか腕輪が付けられているのに気が付いた。これまで生きてきた中で装飾品を身に付ける事がほとんど無かったので、少し気持ち悪い。
何故自分がこんな所にいるのかを考えようと起き上がったところで、彼女はあるものを見つけた。自分が寝ているベッドから二、三メートル離れた場所にある机で、卓上ライトを光源にして誰かが本を読んでいる。あちらもこちらが起きたのを認識したのか、こちらを向いた。
「お、起きたかい?」
その声は男のものだった。見た事のない少年だ。自分とそれほど、離れていても二つ三つくらいだろうに、その目には自分にはない強さと鋭さを内包している。その視線を怪しんでいるものと思ったのか、少年が頭を掻きながら聞いてくる。
「え、と……だな。とりあえず自分が誰かきちんとわかるか……?」
「あの、はい。……あの、アナタは?」
「『スクール』から派遣されてきた、ジュン・カリヤ。仲間からはカリヤって呼ばれてるから、そうやって呼んでくれると嬉しいかな」
「カリヤ、さん?」
そう聞くと、少し苦笑気味にカリヤは言ってくる。
「別にさん付けなくても良いよ。年二つしか変わらないし」
「あ、そうなんですか……。あれ、なんで私の年を?」
その質問に、カリヤは納得のいったような表情に変わった。
「覚えてないか。実は一度会った事があるんだけどな」
少女は眉をしかめて、記憶を遡る。一度会った事のある人を忘れた経験なんてほとんど無いのだが、何故か思い出せない。なのに、どこかであったような気がするから、少しモヤモヤする。そんな少女を見て、カリヤはイスを移動させながら言う。
「ま、思い出せないなら今は無理に思い出さなくても良いよ。そのうちポンと思い出すだろ。それよりさ、」
イスに腰掛けて、微笑む。さっきまでナイフのように鋭かった瞳は、今は包み込むような優しさをたたえている。その微笑につられて、自分の頬も緩んでいる事に少女は少し遅れて気付いた。
「名前、教えてくれないか?」
「へ?」
予想外の質問だった。年を知っているなら、名前もすでに知っているものだと思っていた。そんな疑問を表情から読み取ったのか、カリヤは更に言ってくる。
「いや、年とかは人から聞いても良いけど、名前だけはきちんと本人から聞いておきたいと思ってな。直で聞いた方がわかる事も多いし」
「そう、ですか……」
それに少女は心中で少なからず驚いた。学校にも一応通っていたし、普通の生活を送っていたものの、どこに行っても自分の存在は無きに等しいものとして扱われてきた。
この村で彼女の名前をきちんと覚えているのは、あの最低な親と、あともう一人だけだろう。
その事実を頭の中で思い浮かべて、少女は小さく笑みを浮かべた。そこにあるのはプラスではなく徹底的なマイナス。辺りが暗くて本当によかった。こんな悪意の塊のような部分を見られたら、と思うとぞっとする。
もう一度、今度は意識的に彼女は笑顔を作り上げた。マイナスなんて一つも思わせない綺麗な笑顔で、少し心配そうにこちらを見ているカリヤを見て、言葉を紡いだ。
「私の名前は……」
◆
轟音とともに、爆風と土煙が巻き上がり、その中心にいた獣が小さく呻きながら崩れ落ちた。全長十メートルにも及ぶその獣はこの辺境においてはかなりの実力を誇っているのだが、たった二人の人間に狩られる事になった。
一人はぼさぼさの黒髪に猫背の、やる気が一片も感じられない少年。
もう一人は流れるような白髪を束ね、左手に機械的な籠手を装着した少女。
言うまでもなく、コウイチとアトリだった。コウイチは相も変わらずさっきまで命がけの戦いをしていたとは思えない、気怠そうな瞳を揺らして嘆息する。
「うう……何でおれがこんな事をしなきゃいけね〜んだよ……」
「仕方ないでしょ。カリヤがあの子のケアしてるんだから。私たちが他の事を担当しないと」
これもまたいつも通りアトリが当然のようにバッサリと切り捨てた。魔法や銃撃メインのコウイチと違い、近接オンリーのアトリではあるがその装備には傷一つ付いてないし、息も全く上がっていない。
彼女は本当に狩りきったのか、立ち上がったりしてこないかを慎重に確かめてから、砕けたり削げたりしていない鱗や甲殻を一枚一枚丁寧に剥がし始める。大型の魔獣ともなると鱗一枚で一人暮らしの男性が一ヶ月生活できるだけの金額になる。傷物にしてしまうと価値が下がるので、狩猟用のナイフを丁寧に動かしていく。
その後ろでコウイチはボーッとしているように見えるが、探知用の魔法をかけていた。こういう仕事をしていると何となくでわかってくるのだが、自然界にはある程度の序列が存在する。基準は簡単、強いか弱いかだ。
そしてこれも予想でしかないのだが、この森は今回のターゲットだったあの少女がトップに君臨していた。そのトップが消えると、今度はここぞとばかりに他の強者が勢力を伸ばそうとしてくる。この魔獣もその一頭。そこでさらにこの二人によって新たなトップが狩られた。
とすれば、再び魔獣同士での縄張り争いが起こっても何らおかしくない。素材の剥ぎ取りは時間との勝負だ。肉の臭いをかぎつけていつまた新手のモンスターが現れるかもわからない。
いつ、どこから新手が出現しても大丈夫なように、肩のサブマシンガンを意識しながら辺りを見回す。二人が今いるのは、ガルムの森の北のエリア。二日前に少女と対峙した西のエリアとは異なり、ここはそれなりに見晴らしも風通りも良い。
空は清々しいほど澄み渡っていて、昼寝をするには最適な気温と天候である。吹き抜けていく風に、コウイチは元々半眼気味な眼をさらに緩めていく。思わず口元からあくびが零れ出た。
「フア〜。……眠い。も〜、これは寝るしかないんじゃね? そ〜ですよね? それしかないよね?ほいじゃ〜、おやす……ってウワァ!?」
器用にも立ったまま寝ようとした彼の頬を銃弾が掠めていった。わずかな殺気を感じて、首を横に振っていなかったら頭を撃たれていただろう。恐る恐る振り向くと、そこには拳銃をコウイチの頭当たりに照準したアトリがいた。
「居眠り厳禁」
「殺す気かっ! 今の、運悪けりゃ〜死んでたぞ!」
「任務中に居眠りするなんて気が緩んでる証拠。気を締めて。いつ、どこから攻撃がきても対応できるように」
「さすがに同士討ちまでは対応してないよ!?」
「仲間といえども信用しきっちゃダメ。いついかなる時でも後ろに注意よ?」
「あ〜、はいはいわかりましたって。ちゃんと見てますよ〜っと」
ふて腐れたように言うと、アトリは頷いてから剥ぎ取りを再開した。どっと疲れを感じて、深いため息を吐く。
手持ち無沙汰なので魔法の改良でもするか、いやでも途中でモンスターに襲われたら対応できないしな〜、何すっかな〜、なんて暇をもてあましているとナイフが鞘に収められる音が聞こえた。結局、何もしない間に魔獣の解体は終わってしまったらしい。
「コウイチ、終わったから運ぶの手伝ってくれる?」
「ん〜。相変わらず早いな〜。おれにゃ〜真似出来んぜ〜」
二つに分けられた荷物の片方を担ぐ。アトリも袋を担ぎ、村の方へと歩き出す。草原は土がしっかりしてて、この前の根っこだらけの森エリアよりもずっと歩きやすい。少し歩くと、アトリが不意に口を開いた。
「今日はこれでおしまいにしましょう。戻ったら休憩ね」
「やったね。いや〜、さすがに三連戦は疲れた〜……」
彼ら二人は今日一日で大型の魔獣三体、さらに昨日も二体を狩っている。この森は元々競争率が高いのかビリビリ少女が消えたとわかるや周辺のエリアからここを縄張りにすべく力自慢のモンスターが集結し始めたのだ。
このまま放っておくと、ただでさえ少女の暴走でダメージを受けている村が壊滅しかねない。そのような理由があって復興の地ならしとしてこの周辺の大型魔獣の一掃を『スクール』から命じられたのだった。
大型モンスター全ての一掃を依頼できるだけの予算は村にはないものの、おそらく少女とモンスターから手に入る素材の全てを『スクール』に引き渡すという契約が交わされたのだと予想される。
村は暴走した異能者と凶悪な魔獣から解放され、『スクール』側は天然ダイヤにも等しい異能者と、貴重なモンスターの素材を手に入れられる、という訳だ。
コウイチがほっとした声で言うと、アトリはさらに言う。
「このまま無駄に暴れれば逆に生態にダメージを与えかねないし。落ち着くまであと二、三日はかかるわね」
「だよな〜。最初のボスが消えたのに動かなかったヤツも動き出してるし、大きいのから小さいのまでざわついたまんまだ。こりゃ〜まだまだ荒れるぜ」
歩いていくと、さっきと同じうっそうとした森のエリアに入った。入った途端少しムワッとした湿気とざわめいた生命の気配。それらが合わさって、全身を膜で包まれたような変な、しかし嫌ではない感じがまとわりついてくる。
「…………」
「…………」
特に話す事もなく、互いに周囲に気を配りながら数分ほど歩く。今日の夕食は何かな、と極めて平和的な思考を展開していると、不意に少し前を歩いていたアトリが振り返らずに聞いてくる。
「カリヤ、大丈夫かな」
「それはどういうベクトルで? カリヤが、それともあの子が?」
「女の子の方。異能が覚醒するほど強い精神的ショックから立ち直っているワケじゃないし、彼女はまだ自分の力を制御できないのよ? カリヤ一人で大丈夫なのかな……」
「オイオイ、そりゃ心配のしすぎじゃね〜?」
苦笑すると、こちらを振り向いてくる。その表情は本当にあの二人を心配している。コウイチも苦笑をやめて、真剣な顔になる。
「アイツはあの時の失敗したカリヤじゃないし、一年前に会った時の死にたがりでもない。自分で守りたいものを守れるだけの力はもう持ってると思うぞ〜?」
「……でも」
「そもそもさ〜」
アトリが何かを言おうとするが、コウイチはそれを遮って続ける。
「アイツが助けたいって思ったら何が起きても、誰が邪魔しても助ける。そ〜いうヤツだろ、アイツは。それは俺たちが一番知ってなきゃいけないはずだぜ」
コウイチの言葉に、アトリは俯いて目を閉じる。彼も、彼女も、かつて彼によって救われたのだから。世界を拒絶しきって、暗い穴の底に沈んでいた自分たちを引っ張り上げてもう一度笑えるようにしてくれた他でもないカリヤなのだ。
人よりも傷付きやすいくせに、自分よりも人の事を心配し続けて、なのに人前では絶対に弱さを見せようとしないで、人を笑わせようとしてくれる。そんな彼に救われて、ついてきているのだから。
「……そうだね」
「だろ。俺たちに出来るのは、アイツのフォローと軌道修正くらいだ。間違えたらブン殴っても正してやりゃ〜良い。助けを求めてたら全力で助けてやりゃ〜いい。俺たちが出来んのはその程度だよ」
あっけらかんとした口調で手を軽く振りながら言うコウイチに、アトリは心配そうな表情から少し微笑みを浮かべた。
「そんな事言いながら、カリヤがピンチの時は全力で助けに行くんでしょ?」
「もちろん。おれの能力は盾に最適だしな。それにアイツとは約束してんだ。アイツが危ない時はおれが、おれが危ない時はアイツが助けるってな」
胸をどんと叩きながら、答える。ボロ切れのように影にうずくまっていた自分を引っ張り上げたカリヤが零した一つの願い。それを聞いて、コウイチが提案した約束。
その頃を回想していると、不意にリストバンドに仕込んだ無線のライトが赤く点滅した。サッと辺りを見渡すが、モンスターの気配はない。アトリに手首を見せると、彼女は小さく頷いた。それを見て、通話の回線を開く。
「はい、こちらコウイチ。どなたですか〜」
「こちらセルティ。お前ら、今どこにいる? 何度も呼び出したのに、無視しやがって」
「へ、マジっすか?」
受信履歴を見ると、ちょうどさっきの魔獣に会敵した辺りから五、六回ほどかけられていた。敵の相手と、そのあとの処理で全く気付いていなかった。
「すいません、ちょ〜どその辺りから敵と戦闘してたみたいです。そっちに気〜取られて全く気付いていませんでした」
「なら良いが……。先ほどカリヤから連絡があってな、暴走した例の異能者が目を覚ましたそうだ」
「! それどのくらい前ですか?」
「初めに無線を飛ばす二十分くらい前だから……一時間ほど前か? とりあえず現状は安定しているそうだ」
「そうですか……。わかりました、すぐに合流します。また後で〜」
「ん、頼んだぞ」
無線を切る。アトリを見ると早く行こう、とだけ言ってまた歩き始めていた。待てよ、と一声かけながら右手の荷物を担ぎ直す。ここから村までこのペースなら十分ほどだろうか、モンスターに気取られないように動いていたら二十分はかかるだろう。なるべく早く戻りたいが、それで敵を呼び寄せてしまうと余計に時間がかかってしまう。
もどかしさに唇を噛みながらも、コウイチは歩く速度を上げた。
◆
「ん、寝たか……」
健やかな寝息を立てて目を閉じている少女に背を向けて、カリヤは地下牢を出た。敬礼をしてくる牢屋番に軽く頭を下げ、階段を上ると約三時間ぶりに日光が彼を出迎えた。森が近いからか、温暖期が近付いてもこの辺りはそれなりに涼しい。
開放感に身をゆだねながら、思いっきり伸びをする。多少薄暗い方が好みではあるものの、牢屋独特の濁った空気と閉塞感は苦手だ。本当ならば、彼女もあんな所に入れていたくはないのだが、普通にそのまま外にいたら今度は村の住民が怖がる。最悪、カリヤ達の目の届かないところで迫害を受けて、再び暴走してしまう恐れもあるので、互いにとって今はこれが良いのかもしれない。
今からどうするかを考えていると、首元のチョーカーがわずかに震えた。ポケットからイヤホンを取り出して接続し、耳に当てると聞き慣れた相棒の声が聞こえた。
「よ〜、こちらコウイチ。そっちは平気か?」
「こちらカリヤ。おう問題ないぞ。今ちょうど寝たから戻ろうとしてるところだ」
「そか。おれらもそろそろそっちに戻るから、宿で合流しよ〜ぜ」
「了解、あとでな」
ジャックを外して再びポケットに戻す。宿の方へ足を向けながら、何から話していくかを頭の中で整理していく。今回の彼の役目は暴走した少女のケアと暴走の理由の調査。ケアの方は少女が起きたばかりなので何とも言えないが、身辺調査は進んでいる。彼女に話を聞いた分も含めて意外に量が多い。
その内容を思い出して、彼は少し顔をしかめる。この村では『スクール』が能力発現に使用する薬品、ないしはそれとよく似た効果を持つ薬品はそもそも流通していなかった。それはつまり、彼女の能力覚醒には物理的要因は関係なく、強大な精神負荷が原因である可能性が高い事を示す。
彼女は何にそこまで追い詰められていたのだろうか。一歩間違えたなら精神が壊れるほど、何に怯えていたのか。脳裏をよぎるのは、目覚めた少女がほんの一瞬だけ見せた暗い笑み。彼女は気付かれていないと思っているだろうが、実戦で鍛えに鍛えた彼の目は灯りが無くともある程度暗闇を見抜く。
あの笑いに含まれていたのは、自嘲と自己嫌悪。しかも、その後一瞬でそれら全てが消えて十五歳とはとても思えない完璧な笑顔を生み出していた。
マイナスなんて一つも見せない、完全で完璧な微笑みを。
(アイツ、何か隠してるな……)
それは間違いない。異能者にとって、暗い過去や人には言えない後ろめたいものはよくあるのだが、彼女は何の違和感も覚えさせずに自分の黒い部分を全て内に隠している。そんなまねは、普段から同じ事をしていなければ出来る訳がない。
自分の、人に見せるのがはばかられる部分だけを押さえ込み、溜め込んでいったら、その果てにどうなるか。嫌な想像しか浮かばない。
所詮、人間一人のキャパシティなんてたかがしれている。にもかかわらず、感情を押し殺して我慢していればどうなるか。本来何らかの形で放出されるべきものまで自分の中に抱えていれば、別の面に影響が出る。それも、本人にすらわからない、まるで目立たないところからだ。
たとえば食べる量が少し増えたり。たとえばいつもよりほんの少し苛立ちやすくなったり。そんな思いもよらない部分で、身体は少しでも負荷を減らそうと働く。もちろん、それで根本から解決している訳ではないから、段々その少しだった行動はエスカレートしていく。
自分を傷付けて内に籠もっていくか、外に負荷の受け皿を求めて他にぶつけるか、最終的にはそのどちらかになるだろう。
「ううあ……。なんかメンドい事になってきたぞ……?」
少女の状況がどの程度まで進行しているのかがわからないので何とも言えないが、少なくともその状況から脱するのは難しい。誰かに言われて、ではなく当人がそれを自覚して変えようとしなければ変わらないからだ。
それをケアするという事はつまり、彼女が心の中に押し殺しているものを解放しなければならない訳で。という事は、彼女の事情を理解して、かつ内面の奥深くまで知る必要がある訳で。
「引きこもりには難易度が高すぎるだろ……」
ポツリと呟いて、深いため息を吐く。今でこそ『スクール』に所属して様々な戦場を渡り歩いているが、一年前までは立派な引きこもりだった彼にとってこの手のコミュニケーションは最も苦手な分野である。会話自体がそもそも不得手だし、腹を割ってはなせるのはチームメイトのあの二人だけ。
そんな自分に与えられたのが、少女のケア。
配役ミスにもほどがある。しかも現状の最善手がこれだから余計にどうしようもない。アトリもコウイチも人との会話スキル自体はあるものの、二人とも自分の深部まで踏み込まれる、もしくは相手の深部に踏み込むのを、無意識的に拒絶しているフシがあり、今回に限らずこのメンバーでの交渉抜きの対話は、いつもカリヤが担当している。
とどのつまりこのチーム、全体的に引きこもりの傾向が強いのだ。
もう一つため息を吐いて、思考を切り替える。現状『スクール』からの増援も望めない。戦闘・暗殺・護衛・調査など様々な依頼に対して異能者を派遣している『スクール』だが、量より質を重視している為に実際に動く事が出来る人数は意外に少ない。
特に精神干渉・制御系の能力者は希少で、常に人員不足を起こしている。その影響で、こちらに回す余裕はないのだとか。
(まずは体調がある程度回復してから異能の制御トレーニングか。……問題はないだろうけどそれでも面倒だなぁ)
いざとなれば彼女がもう一度暴走しても抑えられるだけの準備は整っている。暴れ出してもすぐに止めてやればしっかりと意識が戻ってくるのでそこは問題ない。ないのだが……。
(てことは最終的に問題になるのは、やっぱ精神の方だよなぁ……。どうしてこうなった)
なんて考えているうちに彼の足は泊まっている宿までの道のりを律儀に消化していた。アイツらは、と辺りを見渡せば見覚えのある影がこちらに向かってきながら、手を振っていた。
「おう、お疲れさん」
「お〜う、結構疲れたぞマジで……」
「そっちの方はどう?」
「長くなるから中でな。二階の俺らの部屋で待っててくれ、なんか適当に軽い物買っていくわ」
「ん〜」
二人は先に上に上がり、カリヤは一階の食堂兼酒場に立ち寄る。少女の襲来で多少品揃えは悪いものの、それなりに食える物は入っている。ブドウジュース(決してアルコールは入っていない)を五本と、お菓子をいくつか持って金を払ってから部屋に戻ると、すでにわずかながら船を漕いでいるコウイチと、左手に着けていた籠手を手入れしているアトリが待っていた。男二人は黒の半袖Tシャツに黒の短パンと普通通りの服装だが、アトリは任務中には珍しく結んでいた白髪をほどいている。
「しっかし、いつ見ても綺麗だよなぁ〜、その髪」
カリヤが扉を閉めた音で目を少し開いたコウイチの、一番最初に目に入ったアトリの白髪に対しての一言に、カリヤも無言で同意する。鋭い瞳や、近付きがたい雰囲気に隠れがちだが、彼女は十七という年には珍しい『かわいい』ではなく『綺麗』なタイプの美少女である。
そんな女の子が、気の置けない仲とは言え男二人と一緒の部屋にいる。……シチュエーションだけ見ればそこはかとなく危うい状況にも見えるが、あいにくと二人とも襲うつもりはない。
(襲ったとしても、二人まとめて殺されるだろうしな)
これに尽きる。いや、そもそも二人とも女性に対してそこまで関心がないというのが一番の理由なのだが。
「それで? 話してみての感触はどうだったの?」
アトリはそんな彼の思考にも気付かずに聞いてくる。コウイチも興味深そうに(といってもいつもの眠たそうな半眼だが)、こちらを向く。
カリヤは宙空に目を彷徨わせ、さっき整理した順番を思い出しながら口を開いた。
「名前はライカ・グルーエン。本人からも、村の書類からも確認済み。年齢は十五。能力はおそらく〈獣因り〉、タイプ雷獣。学業成績については中の上から下の行ったり来たり。暴走前は五歳の頃から母と二人暮らし。酒に溺れていた母の代わりに生活費を稼いでいたそうだが、当然生活環境は悪く、母の虐待と同年代の子達のいじめで毎日違う場所にアザが出来ていたそうだ」
アトリの唇がわずかに動き、コウイチの目がさらに細められる。自分の表情も似たようなものだろう。
予想以上に劣悪な状況だった。彼らがこれまで担当した中ではトップスリーに入る。二人暮らしになって初めのうちは母親がきちんと家を回していたそうだが、数年前にこの地方で起きた不作をきっかけに勤め先を解雇されてからアルコール浸りの毎日に変わり、わずか九歳の少女が方々で頼み回って働く事でどうにか生きてきたのだとか。
家に帰れば母の折檻が、外に出れば何の助けにもならない哀れみの目と、年の近い子供達からの無邪気故に質の悪いいじめが待っている。
「……母は暴走に巻き込まれて死亡、いじめていた子供達もそのほとんどが重傷を受けるか殺されたそうだ。暴走の理由は、おそらくだが見えたな……」
「……復讐、かね〜?」
「わからないけどな、今の時点では……」
重苦しい沈黙が場を包む。理由にはある程度の推測がついたものの、どうやってケアすればいいのかが全く思いつかない。他人が触れるには重すぎる。
「……俺の方はそんなところだ。そっちの首尾は?」
区切りを付けるつもりで聞く。コウイチは面倒くさげに顔をしかめるだけなのでアトリに目をやると、今日の結果や周辺の状況、そしてここからの予想を話してくれた。
「まだ数日は収まらないと思う。普通なら力の拮抗している大型を二・三体狩れば落ち着くのに、まだまだ湧いてきているから」
「ここ、そんなに競争率高いのか? そんなふうには見えないがな……」
「さ〜な。思った以上に肥沃な土地なのかもよ?」
「そうか……。わかった、どうせ数日はここに留まらなきゃいけないんだ。二人には悪いけど、もう少し粘って貰えるか」
了解、という二つの返事を聞いて、これで会議はおしまいと気を緩めようとした時、部屋の戸を叩く音が響いた。視線を向けると、コウイチが目を閉じて周りを索敵する。が、特に不審な気配はないらしくすぐに首を横に振った。それを見て、カリヤが返事をする。
「はい、どなたでしょうか?」
「村長からの伝言です。彼女と親しかった唯一の人物が村に戻ってきたので、こちらに来てくれないか、と」
「わかりました。すぐに伺います、とお伝えください」
扉の向こうの人物がわかりました、と答えてその気配が消えるのを確認してから小さく舌打ちをする。始めて聞いた情報だった。おそらく、自分の情報収集に漏れがあったのだろう。心の中だけで毒づき、振り返って二人に行こうと合図して部屋を出る。
少女と仲がよかったという少年。もしそんな人物がいるなら聞きたい事は山ほどある。待たせる訳にはいかないだろう。
数分で村長の家に着くと、先日のように案内される。以前のような不意打ちに注意しながら扉を開くと、老人がすでに席についていた。微笑む彼に一礼して部屋に入る。すると、いきなり世界の全てが上下左右反転した。一瞬半眼で老人を睨んでから、目をつむって左手に意識を集中させる。
瞬間、彼の左手に黒の籠手が出現し、
同時、黒い暴力の波が世界を蹂躙する。
ビキリ、という音を立てて空間を歪めていた魔法があっけなく砕け散った。全てが反転した世界が消失し、元の視界を取り戻す。その瞬間、アトリとコウイチが前に出て術者らしき人間をあっという間に殴り倒す。
「人を騙す人間は、ろくな死に方しませんよ」
「あいにく、ろくな死に方に覚えがないのう」
いたずらが成功した悪ガキのような笑みを浮かべる老人に小さくため息をつきながら左手の籠手を霧散させ、隣で困惑の表情を浮かべて立っている少年に視線を移す。
「その子が例の?」
「ああ、そうじゃ。ヴェインという。ヴェイン、こちらがさっき話をした方達じゃよ」
話を振られた少年が、少し緊張気味にカリヤの前に来て右手を出す。
「ヴェイン・シリアといいます。はじめまして」
「カリヤ・ジュンだ。こちらこそよろしく。済まないな、帰ってすぐに呼び出してしまって」
「いえ、かまいません。特にする事もなかったので」
カリヤも右手を出して握手をする。見た目通り小さな手は、存外にしっかりしていた。何か剣術でもしているのだろうか、なんて考えていると手の中を小さな電流のような何かが走った。
(!?)
カリヤは驚きを表情に出さないようにヴェインの表情を伺う。少年はずっと手を握ったままの彼を不思議そうな表情で見つめていた。手を放して村長の勧めたイスに座るも、彼の疑念は消えなかった。
さっきの感覚は、何らかの魔法や異能を察知した時のモノだ。つまり、彼の能力は今何らかの魔法か異能を目の前の少年から感じた訳で。表面上は何でもないふうを装いながら、表情が硬い少年に軽く話しかける。
「まあ、そんなに身構えなくても良いよ。君が見てきたあのこのことをそのまま話してくれれば……」
「あの、」
が、緊張をほぐそうとした彼の言葉を遮ってヴェインは聞いてくる。
「あの子は、ライカはどうなるんですか。あなた達は、ライカをどうするつもりなんですか……?」
そのあまりにもわかりやすい質問に、カリヤは真実を伝えるかはぐらかすかで少しだけ悩む。嘘をつくのは単純だが、幼なじみを純粋に心配しているのだろう彼に事実を伝えずにいて良いのか。
ちらりと右に座っているアトリに目をやると、彼女は小さく頷いた。それに、カリヤは口を開いた。
「まず、彼女に何が起きているのかから話をしようか。彼女は理由は今のところ不明だが異能に覚醒している。まずしてもらうのは異能のコントロールだ。今のままじゃ常時拘束をかけていないと自他共に危ういからな。んで、そのあとは本人の希望にもよるが、基本的にはうちの組織に所属してもらう事になる」
異能の開発と制御がうちの十八番だからな、と付け足してさらに続ける。
「そっから先は、本人の能力と敵性に応じて様々な部署に回される。組織からの支給金と、仕事の報酬と両方出るから金には困らないと思うが……危険はあるからな。その辺も本人に尋ねる事になる」
「スクール」は何も人を改良し(イジっ)た戦闘兵器を作るのが目的ではない。人体に眠る力の可能性を呼び覚まし、それがどういう原理で動いているのかその身に宿るのか、どうすればその力を別の条件で扱う事が出来るのか。そして、その可能性をどういうふうに利用できるのか、応用・発展させられるのか。それを探っていくうちに巨大化していった組織である。
なので基本的に人員の待遇は他の組織よりも良く、大抵の事も融通が利く。
「そんなところだな……。何か質問はあるか?」
さすがにこれ以上は下手にしゃべれない。不用意な事を言えば、自分の首が飛びかねない。それに少年は首を横に振って、少しだけ緊張を解いた。
「いえ、答えてくれてありがとうございます。少し安心できました。……それで僕は何を話せば?」
「ああ。ヴェイン、君はライカと小さい頃から一緒だと聞いたんだが」
「はい、僕が十歳の頃からの友達です」
「そうか。……端的に聞くから気分を害したらすまない。何で彼女を友達に選んだんだ? その時、あの子はすでに周りから浮いていたと思うんだが」
その問いに、少年は微笑んだ。少し影を持った、でも幸せそうな笑顔。それなりに造形も整っているせいか、そこからは年下とは思えない雰囲気がにじみ出ていた。
「簡単ですよ、僕も浮いていたんです。……僕がこの村に来たのがあの頃ですから」
「そのパターンか。なんか訳あり?」
「そういう訳ではないと思いますが……。流れの商人が定住しただけで」
「そっか。まあ、こういう所だからこそ外の人に冷たいってことってあるもんな。……村長の前で悪いけど」
その一言に、村長とヴェインが少し笑う。カリヤも少し微笑んで、話を続ける。
「そういう事があって、惹かれるモノがあったと?」
「その通りです。二人でよく遊んでました」
そう言って、彼は自分と幼なじみの昔話を始めた。




