幕間ーーとある怪物の独白
絶対的な不死。
この言葉に、あなたはどんな印象を持つだろうか。どんなケガも一瞬で治り、たとえ死に至るような状況に陥ってもーーたとえ死んだとしても即座に蘇生し、回復する。
そんな能力がもし自分に宿っていたならどう思うだろうか。
その能力に何ら関わりのない普通の人なら、この能力を便利だと思うだろう。なにせ、ケガをしても本当に一瞬で傷は癒え、痛みも残らない。病気にかかる事もないし、何よりも死なないのだ。
どんなに無茶をしても無理をしても、死なない。というか死んでもすぐに生き返る。
確かに、こうして見てみると便利かもしれない。しかし、おれはこの能力を便利だと思った事は一度もない。
十歳の時、おれは始めて死んだ。
ボールを追いかけて車道に飛び込み、車に轢かれて死んだのだ。ハッと気付いた時には目の前に自動車が迫ってきていた。回避する暇なんてなかった。
ドンという鈍い音が聞こえたと思った瞬間、おれの身体は空中に軽々と撥ね上げられていた。全身の筋肉がちぎれ、骨が砕けるような感覚が全身に響き渡る。
景色がやけにスローモーションで動いていた。ゆったりと地面が近付いてきているのがわかるのに、身体が動かない。そのまま受け身すら取れずに、地面に叩き付けられ、うつぶせに転がる。地面に激突した時背中の方からベキリと何かが折れる音がした。
ああ、と心の中で思う。こりゃ死んだな、と。
さすがに十歳でもそれくらいはわかる。車と激突して撥ね飛ばされ、そのままクッションになるものが全くないままにアスファルトの地面にたたきつけられて、無事でいられるはずがない。
身体の下に何か生暖かいものが広がっていくのを感じる。眠気に負けて閉じそうになる目を必死に動かすと、真っ赤な血がおれの身体の至る所から流れ出しているのが見えた。
不意に全身を妙な寒気が襲った。蝉が鳴くほどに気温が高く、アスファルトは目玉焼きが出来そうなほどに熱されているのに、何故か震えるくらい寒い。
そして抗いきれない眠気の大波に、ついに意識がさらわれて目の前の光景が全て闇に沈み。
おれは死んだ。
……ハズだった。
しかし、まるで眠りから覚めるように意識がハッキリとしてきた。感覚としては、眠気に負けて一瞬寝てしまった時のそれに近いだろうか。
瞼に力を入れると、あっさりと目が開いた。それと同時に、全身に五感が戻る。鼻と口の中には鉄の味と臭いが広がり、耳には相変わらず煩い蝉の鳴き声が突き刺さった。全身にさらさらな、しかし少しヌルッとした液体の触感と、焼け付くような暑さが染み渡り、目はチカチカするほどに鮮やかな赤を見つめていた。
頭がパニックを起こしそうになった。
自分は車に撥ね飛ばされて、全身の骨が砕けたはずだった。にもかかわらず。彼の身体はケガをしているどころか万全の調子に近い。
四肢に力を込めると、事もなく立ち上がる事が出来た。おまけに、身体のどこにも傷一つ残っていない。残っているのは道路を塗りつぶした深紅の絵の具と、車のひしゃげたフロントだけだった。
最初、おれの中に生まれたのは喜びだった。普通なら死んだであろう状況で生き延びる事が出来たのだから、当然だろう。だが、その考えはすぐに打ち消される事になる。
おれが見たのは、こちらを変な目で見てくる車の運転手だった。
「あの……」
何ですか、そう聞こうと口を開いたら、ザリッという小さな、本当に小さな音が耳を叩いた。運転手の男が表情を歪めながら足をわずかに退いた音だった。その眼には、自分には理解できない何かを見た時の畏怖と嫌悪が宿っている。
「あ、ああ。驚かせて悪かったね。とにかく、ケガがないようでよかったよ。じゃ、じゃあ僕は急ぐからこれで」
そう早口で言った男はすぐに車に乗り込んで、そのまま走り去った。
男の様子がおかしかった事に少し疑問を抱いたおれだったが、まあ用事があって急いでいたんだろうな、くらいに考えて、特に気にもしなかった。
その時、背後で何かが駆け出す音が聞こえ、
次の瞬間、後頭部に鈍い痛みが走った。
「…………え?」
足から力が抜けた。フラリと身体が揺れたと思った時には、後ろから六本の腕がおれを地面に縫いつけていた。それが誰かは確かめるまでもない。今の今まで一緒に遊んでいた友達だった。首を動かすと、血が付いた手の平ぐらいの大きさの石を持っている手が見える。
「みん……何、で……?」
唇が震えて、上手く言葉が口から出ない。頭の中が疑問で溢れかえりそうになる。いきなり、ドクンと一際強く心臓が脈打った。すると、後頭部の痛みが溶けるように消えていく。それを見た三人が自分の上で何かを話している。それを意識した途端、会話の内容がおれに突き刺さった。
「ホラ、見ろよ。普通の人間はこんなふうにならねえよ。やっぱコイツ化け物だぜ」
「ど、どうする。放したら暴れるかも」
「バァカ、それなら放さなきゃいいんだよ。こっちは三人だぜ、負けるかよ」
「やる事なんて決まってるだろ」
二人が嬉しそうに、言う。
『成敗だ』
再び石が振り下ろされた。一度では止まらずに、何度も何度も。最初は怖じ気付いていた最後の一人も少し経つと加わって、三方向から手加減なしの攻撃が襲ってくる。あまりの痛みに声すら出せず、十秒ごとにどこかの骨がへし折られる。ここまで執拗だと、死ぬ事が出来ない自分が逆に恨めしい。
最初の内は無抵抗のまま、やられるがままだったが、何度も殺される内に自分の内からドス黒い感情が湧き上がってくる。言葉に言い表せないモヤモヤとした何かが、頭を埋め尽くしていく。知らぬ間に、手が強く握られた。
「……ふざけんな」
ポツリと呟いた刹那、思考・理性・常識・躊躇ーーそういったモノが全て吹き飛んだ。次におれが本能のままに行った事は至極単純。
反撃だった。
おれの背に乗ったヤツが腕を振り上げた瞬間を狙って、思いっきり背を反らして立ち上がる。転げ落ちた少年の膝を、自分の骨にヒビが入るほどの勢いで踏む。ゴギリ、という音が足から伝わってきた。
「……あは」
口元が知らぬ間に緩んでいた。おれはSでもMでもないが、これだけは断言できる。
被虐のあとの加虐は、たまらなく気持ちいい。
「アハハ、ギャハハハハハハ、ギャヒヒヒィッ!」
形勢は逆転した。今まではおれが反撃しなかったから一方的にやられていたものの、攻勢に回ればこれほど有利な状態もない。何せ不死身だ。どれほど反撃を受けても、止まる必要がない。
そのまま、心の赴くまま、おれはその力を振るい続けた。
そして、気がついた時には周りには全身をズタズタのボロボロに引き裂かれた赤いボロ雑巾が三つ。かろうじて息はしているものの、ぴくりとも動きはしない。震えるおれの手にベッタリとこびり付いているのは、もはや自分のものか他人のものかもわからない赤色。
「ああ……」
ああ、ああ、と呻く。これでは、
これでは本当に化け物じゃないか。
そのあとの事はきちんと覚えていない。部屋にずっと籠もって何度も死のうとしたが結局死ぬ事が出来ず、一日のほとんどをずっと寝て過ごす日々を送っていた。自分に寿命なんて人間らしいものがあるかもわからず、全てを投げ出して放り捨てて、考える事すらも放棄して。
夢とも現とも覚束ない闇の中で、膝を抱えてボンヤリと漂っていた。
--あの“学園”に無理矢理スカウトされるまでは




