第二章ー2
第二章、後半です。
「フッ、フッ、フッ……」
森の中に、獣のような荒い吐息が響いていた。しかし、その出所は猛獣でも、全身を筋肉に覆われた大男でもない。
それは一人の少女だった。その身体は健康的に締まってはいるものの筋肉がそれほど付いているようには見えないし、身長も同年代の子達と比べれば少し小さい方だろう。
ただし、普通の少女とは違う点がいくつかある。まず身体に衣類を一切纏っていない事。二つ目に人間は二足歩行のはずだが四つん這いで動いている事。そして最後に、全身から薄い光を放っていて、胸や腰に雷光のヴェールを纏っている事。羽虫が近付く度に、バチンという音とともに紫電がほとばしる。
少女とも獣とも見分けの付かないソレは、自らの領域であるこの森に何者かが侵入するのを感じ取った。さっき空を飛んでいたとてもうるさい巨大な影と何か関係あるのだろうか……? そう思考を巡らせるが、首を左右に振って中断する。
敵か味方かわからないものよりも、目の前に迫ってきている敵の方が先だ。
そう結論づけて走り始める。それは文字通り雷光のごとく。言葉よりも数段わかりやすい敵意と殺気を振りまきながら、ソレは侵入者に牙を剥いた。
◆
「ん、来るぞ!」
意識を集中させて、周囲を索敵していたコウイチが叫ぶ。アトリもカリヤも、どの方向から敵が来ても良いように腰を落として辺りを見回す。
刹那、人間の形をして獣のように駆ける、どちらとも見分けの付かないソレが森の中から躍り出た。ソレの行動は単純で、木の間から走り出て標的に向けて爪をふるう。動作としては恐ろしくシンプル、しかし瞬間的に音速に届くほどの速度と威力でそれを行えばどうなるか。
ゾブリ! と音を立てて、振るわれた爪がコウイチの胸を的確に貫いて、背中へと突き抜けた。
「かぁ、はっ……!?う、嘘だろ……!」
コウイチは信じられないと言うように顔を歪め、そのまま地面に崩れ落ちた。その時すでに他の二人は動いている。カリヤは全力で後ろに下がりながら、左手で抜いた拳銃の引き金を引く。多少体勢は崩れていたが、何発か狙い通りに飛んでソレの手足を喰う、
ハズだった。
「グ、ガァアアアアアア!!」
「なっ……!」
咆哮とともに、ソレの周囲を雷撃が駆けめぐり、集団や周囲の障害物を灼き落とす。その光景に気をとられた一瞬の隙を突いてソレが雷撃の槍を放った。光速で放たれた一撃の前に、カリヤが出来たのは左手を前に突き出す事だけ。吸い込まれるように雷撃の槍は左手に当たり、弾けた。
轟音とともに全方向へ余波の火花が舞い、閃光を放って霧散していった。土砂が舞い上がっているのできちんと確認は出来ないが、今の一撃を受ければ普通の人間なら動く事はおろか、心臓が機能しているかも妖しい。
二人は潰した、あとはもう一人。そう考えて、視線を動かした時だった。
一陣の風がソレを後ろから殴りつけた。
「グア……ッ?」
威力自体は大したことはない。問題は風が吹いてきた方向。そこに立っていたのはさっき雷撃を受けたハズの少年だった。その前に出された左手には、いつの間にか妖しいオーラを放つ黒の籠手が現出していた。
不敵な笑みを放つ少年を見て、ソレは自分の推測に誤りがあった事に気付く。
ソレが操る雷は、確かに普通の人間が受ければ死ぬだろう。だが、自分だけが特別だと誰が言った? ソレはこれまで何十・何百もの人間や魔獣を一蹴してきた。だが、自分が最強だなんて誰が言った?
ソレは全身を妙な感覚が襲うのを感じた。思考が正常に機能していれば、その正体が不安から来る震えだとわかっただろう。しかし、異常の中で正常でいられるのは、芯から異常に浸かりきった者のみ。
そして、ソレとカリヤ達の差はそこに集約していた。
「フッ……!」
「……!?」
ソレが気付いた時には、カリヤの握られた左拳が目前に迫っていた。必死に首を振ったが、避けきれずに顔の右半分に鈍い痛みが爆発する。同時、拳が触れた瞬間に雷光の衣が掻き消えた。
痛みと、絶対的なモノと半ば信じていた能力が壊されるという不可思議な現象に混乱しながらも、必死に後ろに下がる。
「させると思う?」
しかし横から静かな声が囁きかけた。あわててそちらを向いた瞬間、冷静な表情でアトリが拳を打ち込んでくる。雷で迎撃しようとするが、音すら置き去りにして放たれた拳打はそんな暇すら与えない。顔、胸、腹に次々と激痛が走り、高速で世界がブレる。不思議な浮遊感を覚えたとたん、背中が大木と激突した。
咳き込むと、口の端からドロリとした液体が零れるのを感じた。手の甲で拭うと、そこには血が付いていた。
「フゥ、グアガハアアアアアアアア!!」
これまでに出会った事の無いほどの強さを持った敵。不安と高揚を乗せ、天へと吼える。呼応して、空高くから本物の稲妻が降ってきた。雷がソレに直撃すると同時、これまで以上にヴェールが光り輝き、髪や瞳の色がさらに金へと近付く。
「〈獣因り(クラウディス)〉、タイプ雷獣か。まあ、コイツで干渉できたんだから、まだ間に合うだろ」
左手の籠手に触れながら、自らの内に宿る異能にこれまでよりも強く語りかける。
「〈生き抜く者〉、俺の声に応えろ!」
言葉と同時、籠手から放たれるオーラが増大し、複雑にカリヤの身体に絡みついていく。手の甲にあたる部分にはめ込まれていた宝玉が更に強い光を放ち始めている。
「これでよし、と。さて、そろそろ行くぞ?」
カリヤは両手を前に出し、空間に光をーー魔法を描いていく。ソレはその行動を阻害しようと体勢を低くした。と、足を熱い何かが通りぬけ、力が入らずにこけてしまう。
「グギ……?」
足を見れば、太ももの部分に一センチにも満たない穴が空き、血が流れ出ている。それを知った途端に脳が足に感じた反応を神経に伝達した。そこに追い打ちを掛けるように三発の弾丸が飛んでくる。左足だけで思いっきりその場から飛び退いたが、一発を肩に受けてしまった。
痛みに呻きながら銃弾が飛来した方を睨む。左手に雷を集め、そこへ放った。
「うおわっ!」
叫びながら飛び出したのは、さっき心臓を貫いたはずのコウイチだった。心臓を潰せば人は即死するはず。にもかかわらず、彼は元気に動き回っている。
知らない間にあの女が何かしたのか? いや、ありえない。即死してしまえば、人を生き返らせる術なんて魔法や異能が存在するこの世界にだって存在しない。動き回る死体程度なら作れるが、状況に応じて的確に動けるレベルのものは存在しないはずだ。
ならば、なぜ? どうして殺したはずの人間が動いて、生きている?
目の前の不可思議な状況に気をとられたソレの動きが、一瞬だが確かに鈍る。それを見逃さず、アトリが跳んでいた。
「ガ、ナッ!?」
矢のごとく突っ込んできたアトリの拳がソレの腹に深く突き刺さる。完全に隙を突かれた打ち込まれたダメージに、ソレの集中が完璧に途切れた。全身のヴェールが現れては消え、を繰り返す。アトリがもう一度、と拳を握った。
しかし、その瞬間ソレが天に吼える。同時、黒雲から比喩抜きの稲妻がアトリを貫いた。
「く、うはぁ……!」
一応三人が着ている戦闘服には対雷撃の処理と魔法を施してはいるものの、さすがに雷を防げるレベルではない。力が抜けて、全身を痙攣させながらアトリが地面に堕ちて倒れた。
「アトリ!」
コウイチがサブマシンガンを肩に戻し、回復の魔法を展開しながら走り寄る。それを援護するようにカリヤは右手で完成させた魔法を解き放つ。
「咲け:>紅花!」
炎の弾丸がいくつもソレに向かって放たれる。対してソレは雷を何本も迸らせてその全てを爆散させた。返す刀でカリヤが左手の魔法を発動させる。
「響け:>天雷!」
雷撃が空中で激突し、閃光と轟音を撒き散らしながら、火花とともに消失した。二人に目をやればアトリが回復されて立ち上がるところだった。着地したソレはアトリとコウイチの二人と、カリヤに挟まれる形になった。アトリは青白い顔をしているものの、構えは解いていない。コウイチも油断泣く銃を突きつけている。
「ガギュ、グゥウウウウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
追い詰められたソレは、一声上げて、カリヤに飛びかかる。二人を同時に相手にするよりも、一人を叩いた方が良いと踏んだのだろう。実際、それは間違えてはいない。そもそも、彼の実力はアトリ一人にすら届かないのだから。
ただし、それはイコールしてソレがカリヤに勝てるという訳ではないのだが。
「死天」
一言呟くとカリヤの身体が一瞬煌めき、動きが加速する。雷光を纏った右手はかすりもせず、逆にカリヤの肘がソレの鳩尾に突き入れられていた。黒の宝玉が一際強く輝き、ソレの雷光が消え去る。
「グギ、ギャァアア……」
反撃しようとしているのか、ソレが足を動かす。だが、その数倍の速度でカリヤが逆の足を払い地面に押し倒していた。その衝撃で限界ギリギリだったソレの意識が完全に断ち切られる。
「ふう、これでとりあえずおしまいかな?」
時折、異能者が気絶してもオートで敵を迎撃する異能も存在するため、警戒しながら左手を放したが、特になにも起こらないようだった。と、そこでカリヤはある事に気が付く。
「うおっとっと。何でコイツ裸なんだよ……」
そう、雷のヴェールが霧散したソレーーいや、少女は何故か一糸も纏っていなかったのだ。慌てて目をそらすと、アトリが少し苦笑しながらバックパックから取り出した上着で少女をくるんでくれた。
サンキュ、と言いながらカリヤはその子を改めて見る。
年は十四、五くらいだろうか? カリヤ達よりも少し小さい。身体の線も細く、本当にこの腕がコウイチの胸を貫いたのかと思うほどだ。異能が収まったからか、髪も金色から茶色になっている。
こうして見れば、本当にただの少女だった。ソレ、なんて言葉が似合わないほどに普通の女の子。そして、彼女の頬の部分にはとても大きなアザが、右の太ももには銃弾の穴が空いている。少女の暴走を止める為とはいえ、自分がもっと強ければこの子も仲間達も傷付かずに済んだんじゃないか。
そう考えていると、ぽんと肩を叩かれた。
振り向くと、コウイチがいつもの眠たげな柔らかい笑顔でこちらを見ていた。
「やったじゃん、カリヤ。手柄だよ」
「いいや、まだまだだよ。この程度じゃ、まだ足りな……」
「カリヤ」
言葉を遮られる。コウイチの瞳には、いつもと違う真剣な光が宿っている。
「ま〜たバカな事考えてんじゃね〜だろ〜な。俺がもっと強ければ、とか誰も傷付かなかったんじゃないか、とか」
「……」
図星だった。何も言えずに、目を逸らすとコウイチがため息を吐くのが聞こえた。
「あのさ、カリヤ。俺には悩みがあるんだ」
「は?」
突然のカミングアウトにカリヤは目を丸くした。そりゃそうだろう。あのいつもなにも考えずにボーッとしているコウイチが、何か考えているかと思えば、どうすれば毎日部屋で寝ていられるかしか考えていないあのコウイチが、悩みがあるというのだ。
これは軽く事件と言えるのではないだろうか。……いや、ここまで言うとカリヤのコウイチに対する認識は酷すぎないか、と言う声が聞こえてきそうだが、ようはそれほど驚いたという事である。
「悩み?」
「そう、悩み」
「コウイチが、悩み……?」
「コウイチが、って酷くね〜か?」
「なあ、頭は大丈夫か?」
「思った以上に扱いがひでえ!」
ガーン! と言う効果音が似合いそうな顔でコウイチが頭を抱えていた。が、カリヤとしてはそれにどうして良いのかわからず、一番最初に思いついた言葉をろくに考えもせずに口に出した。
「い、いやそうでもないぞ! そうだよな、コウイチが夢を持っていても別におかしくないよな!」
「グハァッ!」
しかし、その一言にコウイチは真正面から袈裟懸けに斬りつけられたように身体を仰け反らせ、そのまま俯いて体育座りを始めてしまった。ブツブツと何かを小さな声で呟きながら、地面にのの字を書いているのが何とも言えず怖い。
あれ? と頬をかきながら、救いを求めてアトリの方を見るが彼女はわざとらしく目を逸らして少女の事を介抱し始めた。その背中は言外に語る。
自分で撒いた種は自分で刈れ。
引きつりそうになる頬の筋肉を無理矢理に動かしながら、コウイチに笑いかける。
「お、おいコウイチ。悪かったって……。そ、それよりさお前の悩みって何なんだよ。おれでも聞いた事無いぞ?」
「ブツブツブツブツ……へ、なに?」
数秒ラグを置いてから答えてきた。どうやら今の今までマイワールドに引きこもっていたらしい。少し虚ろな瞳でこちらを見てくる。その死んだ魚のような目に若干、いやかなり引き気味なカリヤだがせっかく応答してくれたのだ、これを逃す手はない。
「そ、何か悩んでんじゃないのか? 何が出来るって訳じゃないけど、話してみろよ」
「え〜、あ〜うん。そ〜だな〜……」
立ち上がって、視線を空中に彷徨わせるコウイチ。少ししてから、考えがまとまったのか腕組みをして胸を張りながら話し始めた。
「おれにはさ、夢があるんだ。何物にも代え難い、夢があるんだ」
「…………」
「お〜い、どうしてそこで黙るんだ〜?」
「純粋に驚いてるんだよ。お前が夢とか希望なんて前向きなものを持ってる事に」
「酷い言われよ〜だが、ま〜一度置いておく。とにかくアレだ、俺の夢って言うのはさ……」
「ふむふむ」
「一日中寝て日々を過ごしたいな〜、ってゴフゥ!?」
「ハァ……」
嘆息しながら、握った拳を開く。何が一番辛いかって、コイツが何故かこの夢にだけは常に真剣で目を離したら速攻寝始めてしまうところだ。これさえなければ結構良いヤツなのだが……。腹を両手でガードしながら、若干青い顔でコウイチが言う。
「そ、それでだ……。でもなかなかその夢が叶わなくてさ〜」
「そんな夢、今すぐドブにでも捨ててしまえ」
「相変わらず一刀両断だな〜……。でもよ、お前もそんな事考えた経験無いか?」
「……否定はしない」
確かに考えた事はある。というか誰もが一度は考える事だろう。だが、普通に考えればその夢は実現不可能だとすぐにわかるだろう。生きる為には食事を摂らなければならない。そして、食料を手に入れるには金がいる。金を手に入れる為には働かなければならない。
ただ、コウイチはカリヤ以上に特殊なのでその辺りの普通が通用しないフシもあるのだが……。カリヤの返答に、コウイチはほらな、とでも言うようにフフンと鼻を鳴らした。
「ほらな、やっぱあるんじゃん」
「まあ、な……。だがその夢は……」
「ん、実現すんのは難しい。そりゃ〜そ〜だ。そ〜でなきゃ、わざわざその夢を大事に抱えてる必要なんて無いだろ?」
「おい、何が言いたいんだ……?」
話が全くまとまらない。コウイチが何かを伝えたいかがボンヤリとしたままで形になってこない。コウイチが頭を掻きながら、苦笑する。
「よ〜はさ、現実って俺らが考えてる以上に難しいし、厳しいワケじゃん。どんなに努力してても、一人で予想できる範囲なんてしれたもんだし、たった一つの誤算で積み上げたものが全てブチ壊れる事もある。だからさ……」
そこで一息つく。その目はいつものように半眼ではなく、真剣な光が宿っていた。カリヤは冗談抜きの話と見て、正面からその鋭い視線を受け入れる。
「一人で何もかも頑張る必要はね〜し、たとえ一回や二回ミスッたからって思い詰めんな。それとも何だ、お前は神様にでもなったつもりか? お前がいれば、世界中の全ての人間が救えるってか?」
それにカリヤは首を横に振る。そんな訳はない。そもそも、自分が関わらなければ消える事の無かった命をカリヤはいくつも知っている。自分が触れなければ壊れる事はなかった日常を何度も見てきた。
『スクール』に加入したのも、それを少しでも減らしたいと思ったからだ。それまでは外と干渉するのも、されるのも嫌で引きこもっていた。そんな自分が、神のように誰も彼も救う事が出来る訳がない。
カリヤの反応を見て、コウイチは面倒くさそうに息を吐いた。
「な? だからいちいち一人でぐだぐだ悩むな。何の為におれとアトリがいると思ってんだ。お前がミスッてもフォローできるよ〜にだろ〜が」
いちいちンな事言わせるな恥ずかしい、そう言ってコウイチもカリヤに背を向けて少女の傷を治す為の魔法を展開し始める。
「……そうだな」
ぽつりと呟いた。全くもってコウイチの言う通りだ。また目の前の結果にだけ目を奪われていたが、大事なのはそこじゃない。前回は失敗した。今回は、成功こそしたものの納得のいく結果ではなかった。
では、次回は? 次こそ、納得がいく結果をたたき出せるように尽力すればいい。反省する事も、悔やむ事も良いだろう。だが、そこで留まっていては、それはただの自己完結にすぎない。
成功も、失敗も、自らの糧にしてこそ意味がある。
目を上げて、前に出る。そこにいるのは、ようやっと能力の暴走から解放された少女。ケガはコウイチの魔法ですでに癒えたものの異能を酷使し続けたせいで体力を消耗しているのだろう。瞼は深く閉じられ、寝息も深い。少しの事では起きそうにもなかった。
両手を使って抱き上げても、まるで反応しない。それに少し笑みを漏らして、背後の二人に言う。
「対象の保護を完了。……とりあえず村に戻って、この子が起きるのを待とうか」
『了解』
背後の二人も、わずかながら達成感の籠もった笑みを浮かべていた。




