第五章
(心配、させてしまってるかもしれないな……)
昼食の後の自室。
“スクール”指定の学生服を脱ぎ捨て、全身の各部位に異常がないか確認をしながら、カリヤはそんなこと考えていた。
動く歩道に乗っていた時、ライカがこちらを見ていたことには気づいていた。カリヤは一年少々とはいえ戦場に生きてきた戦士だ。あれほど分かりやすい視線に気づけないほど、まぬけではない。
だが、それに答えなかったのには、カリヤなりの理由があった。
(そもそも、昔のことがリフレインして夢見が悪いだなんて、相談した所でどうにかなる訳でもないしな……)
一番の理由が、これだ。
今の彼が精神的に落ち着いていないのは、かつての記憶が今の自分を妨げてしまうというのが大きい。
今更昔のどうにもならない記憶をほじくり返した所で何かが起きる訳でもないのに、人間というのはどうしても忘れられないものはどうあがいても忘れられないものらしい。
こんなことをあの三人に共有した所で、何にもならない。コウイチとアトリにはすでに話したことをもう一度話すことにしかならないし、ライカは彼女自身がまだ不安定なままだ。不安定な人間に自分が不安定な理由を話した所で、結局二人ともズブズブと沼に嵌っていく未来しか見えない。
なるべく心配をかけないようにはしているつもりなのだが……それでもライカにさえ見抜かれてしまっている。その現状に、溜め息しか出なかった。
(……とにかく、今はその事よりもまずはライカの初陣の方だな。どんな風にしてやればいいんだろうな)
自分の不安定さばかり考えていても、仕方がない。
それよりも後輩の初陣をうまく成功させてあげることを考えてあげた方がいいだろう。
そう思い至り、無理矢理に思考を入れ替える。
ライカは異能<獣因り:タイプ雷獣>の持ち主だ。
起動させることで常人の約二倍から三倍程度の身体能力と、天の雷すら操るほどの電気操作能力が現出する。
対人であれば十数人を同時に相手にしても無傷で蹴散らせるほどの強力な異能だが、対魔獣においては敵によって効果に非常にばらつきが出る。特に大型の魔獣相手だと、電撃は威力が非常に低下してしまう。
そのため、カリヤ達のサポートが必要になるだろうと彼は予測していた。
体に異常がないことを確認してから、戦闘用の服を手に取った。いつもは着ていることすら感じないのだが、今日に限ってはどうしてかいつもより重たく感じてしまう。
上着と無線仕込みのチョーカーも付け終わり、改めて戦闘服に違和感がないか体の各部位を屈伸させて確かめる。今回も、特に問題はなさそうだった。
腰にポーチを取り付けて、必要なものが揃っているか確認する。それも終わると、今回の任務に必要な準備は完了した。
「……いくか」
小さくつぶやき、最後に一つ伸びをする。
扉のノブに手をかけ、開けようとした所でちらりと部屋を見やる。いつも通りの、ある程度整理されたままの部屋。
今日も、ここに無事で戻ってこれることを祈ろう。
「行ってきます」
いつものように小さく挨拶し、部屋を出た。
「お〜。待ってたぞ」
「早いな。お待たせ」
部屋を出ると、コウイチが壁に寄りかかって待っていた。
カリヤが出てくる直前まで少し寝ていたのだろう、その口元にはよだれが垂れている。……立ち寝すら余裕で出来るようになっている辺り、この友人はどこまでこのスキルを伸ばしていくのだろうか。
「んじゃ、みんなも待っているだろうから、ターミナルに行くか」
「お〜。今回は三十八、だったか?」
「……コウイチがターミナルを覚えているなんて。明日は槍でも降るのかな?」
「ひで〜……」
そんな軽口を叩きながら、彼らはターミナルへと向かう。
「そういやさ〜」
「ん?」
珍しく、コウイチの方から話題を振ってきた。本当に、珍しいことがあるものだ、なんて内心で思いながら、目をそちらへ向ける。
「ライカがだいぶ心配してるぞ? お前、本当に大丈夫か?」
「……お前から見て、やばそうに見えるか?」
「おれから見ても、そこそこきつそ〜に見えるな」
「……そっか」
再び、ため息が出てしまう。
どうやら、自分で思っている以上に内に秘めた感情を抑えきれていないらしい。
「つ〜か、お前ちゃんと寝れてるか? 目の下、そろそろクマできそ〜だぞ」
「最近、夢見が悪くてな」
「前に言ってた子、ルイだっけか。あの子の夢か?」
「ああ。正直、ここまでくるとは思ってもいなかったんだけどな」
ヘラリと笑うカリヤ。その笑顔は、いつもの不敵で大胆なものではなく、どこか弱々しい、緩んだ笑みだった。
その普段とまるで違う笑顔に、コウイチは自分の内側の不安がわずかに膨らむのを感じる。
カリヤも今はある程度安定しているとはいえ、一年前は精神崩壊一歩手前の状態だった。彼なりの答えを見つけたのか、今は他のメンバーに心配りができる程度には回復したらしいが、それでも元は壊れかけだったことに変わりない。
その壊れかけた原因が、今も繰り返し繰り返し脳内にリフレインし続けているということは……。嫌な想像はいくらでも湧いてくる。
「それさ、誰かに相談したか?」
「……話せるわけないだろ。第一、どうやって相談するんだ。過去を変えられるわけじゃないんだから、結局俺の考え方次第でしかない。だろ?」
「ま〜、そ〜かな」
「なら、言う意味がない。ライカとアトリには、相談した所で心配させるだけだ。相談できるわけがないだろ」
「……ま、そ〜だな」
カリヤの言うことにも、一理ある。
アトリはかつてコウイチと共に話を聞いたことがあるし、ライカは今は安定状態にあるとはいえ、他人の荷物まで持てるほど回復したかといえば、そうとも言えない。
そもそも、このチームに所属しているメンツは、全員がかつて精神に何かしらの異常を抱えていた。他の人のお悩み相談なんて、できるとも思えない。……コウイチも含めて。
「ま〜、休める時に休めよ? 他の奴らもそ〜だが、お前も自分の限界を考えないで動き続ける悪癖があるからな」
「……そうだな。気をつけることにするよ。コウイチが今だけは羨ましいぜ」
「今度、寝る時のコツをこのコウイチ様が教えてやるよ。とりあえず柔らかい枕は必須だぜ」
「ははっ、いい枕があったら教えてくれ」
「任せとけ〜」
そんなことを言っている間に、彼らはターミナルに到着していた。
相変わらず、ここは補給棟並みに人が多い。若干寝不足気味なカリヤにとって、ここはいつも以上にごめんこうむりたい所だが……任務があるのだから仕方がない。
ため息を一つ吐き出しながら、彼は人ごみの中を歩いて行く。目的のターミナル三十八は案外近くにあるので、それだけが唯一の救いだった。
ターミナルまで行くと、ヘリの乗組員も女子陣もすでに到着済みのようだ。
「お疲れ。相変わらず、人ごみは苦手なんだね」
「仕方ないだろ、人が苦手なんだから。ライカ、準備は大丈夫か?」
「うん。アトリにも確認してもらったよ」
「なら問題ないな。それじゃ、お願いしようか。他、何か先に伝達しておきたいことはあるか?」
全員が首を横に振るのを確認してから、カリヤは小さく微笑む。
それはいつも通りの不敵で大胆な微笑み。……少なくとも、カリヤ自身はいつも通りだと考えて笑顔を作っている。
だが、実情を知っているコウイチからすればそれは強がりにしか見えなかった。
「さて、それじゃ行こうか」
されど、カリヤはいつも通りに振る舞う。まるで問題なんか何もないかのように。
共有しても何ら意味がないのならば、なかったようにするのが一番いいのだと、そう考えて。
それに三人が頷き、それぞれ待機中のヘリへと乗り込んで行く。
今日の任務が、始まろうとしていた。
◇
ヘリの中。耳を塞ぎたくなるような爆音の中、ライカは一人物思いに沈んでいた。
彼女の頭を悩ませる要素は二つ。一つ目が今回の初陣について、もう一つは不調に見えるカリヤに対する心配。その二つが彼女の中で交互に現れては、彼女の思考をぐちゃぐちゃにかき乱すのだ。
……初陣前に、他のメンバーの心配をしている暇はないのに。自分のことをこそ、心配するべきなのに。
(私がすべきこと……。わかってる、わかってるつもりなんだけど)
他人を守るより、まずは自分を守ること。それができないのに背伸びをしても仕方がない。そんなことは、わかっている。
頭の中では、きっちり理解しているつもりなのだ。だけど、止まらない。
ちらりと隣に座っているカリヤの方へ視線を向ける。彼は今、目を閉じていた。眠っているのか、意識を集中させているのか、どちらかはわからないけれど。
ターミナルで見せた笑顔は、いつも通りの笑顔に見えた。それを見てほんの少しだけ安心したけれど、その後のヘリに乗り込む時の彼の表情を見て、その安心は不安に塗り替えられた。
一瞬だけ見えたカリヤの顔は、疲れ切ったような顔をしていたのだ。まるで、ずっと重荷を背負い続けているかのように。
(きっと、カリヤは私達に心配させないように振る舞ってる、んだろうな)
特に、ライカの前ではそう言った弱い部分を見せないように振る舞い続けているような気がしていた。
カリヤの性格からして、周りにほとんど相談することはないだろうし、相談しないのなら不安を伝染させる必要はない。……多分、そんな風に考えているのだろう、きっと。
それに、今彼のことを考え続けていても、きっと意味がない。
カリヤが何を悩んでいるのか、その理由がわからない以上解決のしようがないのだから。
だから、今考えるべきは、どうやって今日の課題を乗り切るか、だ。
(魔獣を討伐して、無事に帰る。ただ、それだけの簡単な話。そうでしょ、ライカ・グルーエン)
そう自分に言い聞かせる。
何があっても動けるように、信じ込ませるように言い聞かせ続ける。
そして、そんなことをしている間に、ヘリはきっちりと目的地周辺まで彼らを輸送してくれたようだ。
「みなさん、そろそろ降下します!」
ヘリの乗組員から、そんな声がかかる。
そのかけ声に、ライカも含めたメンバーが全員反応した。
「じゃ、行くか」
「そ〜だね」
「ライカ、落ち着いた?」
「ん、まあ、大丈夫かな」
声が震えていなかったのは、ヘリに乗り続けている間暗示をし続けていた成果だろう。そんな彼女に、アトリは「がんばろっか」とニッコリ微笑みかけた。
そんな光景を目にして、カリヤとコウイチも小さく笑う。
「さて、それじゃ行こうか。今日も少しだけ世界を平和にしよう」
その言葉とともに、彼らの課題が始まった。




