第三章
「……本日の訓練報告はこちらです。確認よろしくお願いします」
「おう、確認しておく」
夕方、すべての訓練行程を完了したカリヤは、報告のため教官事務室を訪れていた。
とはいえ、やることはいつも通り。今日行った訓練を書類にまとめて、彼らの教官であるセルティに渡せば終了だ。
報告書自体も任務がなければ、書くことはほとんど変わらない。始めた直後は色々と手間取ったが、慣れれば五分十分で済む。
日々舞い込んで来る依頼に比べれば、この程度は瑣末なことだ。
「しっかし、お前の字はきれいで助かる。アトリは異能のせいか元からか知らんが、だいぶ汚いからな。コウイチは論外だし」
「そうでもないですよ。アトリも丁寧に書けば、普通に綺麗ですし。……まあ、コウイチは否定しませんが」
教え子の淡々とした返答に、セルティはクックッと笑う。ただの事実ではあるが、カリヤがこんな話をするようになったのが、どうしてか面白くてたまらなかった。
「そんなに笑うことでもないでしょ」
「いや、お前がそんな風に言ってくるようになったことが、少し嬉しくてな。出会ってすぐの頃に比べれば、本当によく話すようになってくれた」
「そう、ですかね。自分では、よくわからないです」
少し照れたように頰をかくカリヤに、セルティはもう一つ笑みをこぼす。
本当に、あの人形一歩手前の状態から、よくぞここまで立ち直ってくれたものだと思う。
「どうだ、最近のあいつらは?」
「まあ、良くもなく悪くもなくってところですかね。コウイチもアトリも安定していますし、ライカも……まだ不安定な所はありますが、もうそろそろ戦力として数えられるようになるかと思います」
すっとカリヤの表情から感情が抜け落ち、任務時の人形のような無表情に変わる。
今はあの三人とのやりとりを繰り返してきたおかげで任務中であっても柔らかい表情を浮かべるようになったらしいが、セルティと二人きりの時はいつもこうだ。
ある意味で遠慮のいらない相手だと思ってくれているのかもしれないが……。
まあ、それはいつも通りのことだからどうでもいい。
「あの二人は、ある程度自分のスタイルが確立しているからな。出力そのものも普通の異能者に比べて文字通り桁が違う。その辺りは心配していないさ。ライカも“スクール”に馴染んできているようで、なによりだな」
「ええ。一人で来ていたら不安定だったかもしれませんが、ヴェインもいますしね。今も仲が良いようですし、彼女の支えになってくれているのかと」
(まあ、予想以上に安定している原因は、もう一つあるがな……)
淡々とそう報告してくる部下兼生徒に、内心で呆れながら先を促す。
過去が過去だから仕方ないのかもしれないが、こいつのこの鈍感さは後々面倒ごとを引き起こしそうで、地味にセルティの心配のタネになっている。
まあ、任務に影響が出なければ、当人たちの問題として放置しておくつもりだが。
「お前自身の方は、どうなんだ。他の奴らが、随分と心配しているようだが」
「僕は……まあ、変わりませんよ」
そう言って、カリヤは小さな笑みを浮かべる。
しかし、一年程度の付き合いとはいえ、その裏を見抜けないセルティではない。その笑みが作り物に過ぎないことは、すぐにわかった。
「こっちに来た当初は、以前の夢を見続けて眠れないなんて相談もあったが、そっちは大丈夫なのか?」
「…………」
「また、眠れていないのか」
「最近、あの夢の頻度が上がっています。直近一ヶ月くらい、ほぼ毎日見ています」
「そりゃあ、いつもより能率が落ちるわけだ」
すいません、と頭を下げるカリヤ。
全くだ、と答えながら、セルティは机の上に置いていたコーヒーを一口含む。
「どうする。任務に支障が出るなら、まとめて休みを取らせるぞ。まだ新兵が入ったばかりだ。そこまで無理に部隊を動かすような時期でもないしな」
「……いえ、そこまでのものじゃないです。なにより……」
「なにより、何だ?」
言い淀むカリヤに、先を促すセルティ。
カリヤは逡巡するように宙空を見つめていたが、少ししてから口を開く。
「あいつらに、心配をかけたくない……です」
「お前、やっぱり色々変わったな」
「そうですか?」
「ああ。少なくとも、ここに来てすぐの頃には聞くことができなかったセリフだよ」
そうですかね、と言いながら、首をかしげるカリヤ。
そうさ、と返すセルティ。なにせ、あの頃は何を言っても、何を言われても、死んだ魚の眼に無表情のままだったのだから。
「まあ、お前がそういうのなら、別に構わん。他の奴には、私の方からも一言言っておこう。その代わり、他の奴らに迷惑をかけるなよ」
「了解しました。ありがとうございます」
「ん、こっちからはそんなもんかな。お前の方からは、何か他に報告はあるか?」
「いえ、特には」
「そうか、なら戻って休め。ご苦労さん。……いや、ちょっと待て。一つでかいのを忘れてた」
「……何でしょうか?」
ニヤリと笑うセルティに、カリヤの頰が知らないうちに引きつったようにピクピクと動く。こういう表情をしている時のセルティは、何かとんでもないことを言い出す前触れだ。
はっきり言って、心境穏やかではない。
「そんなに警戒するな。なに、喜ばしい知らせだよ。正式に全員へ通達するのは、明日だがな」
そう言って、セルティはカリヤへ一枚の封筒を手渡す。
「中身を見ても?」
「見られて問題のあるものなら、渡さんだろう」
「失礼します」
封を開け、中身を取り出す。中に入っていたのは、書類数枚をホッチキスで留めたものだった。
書類の頭には、こう書かれていた。
『以下の者をCランクに任命する。
対象者:ジュン・カリヤ』
「そういう訳だ。昇格おめでとう」
「はあ……。ありがとうございます」
あまり、嬉しくない。
それが顔に出てしまっていたのかもしれない。セルティが苦笑していた。
「私もそれなりの数生徒を見てきたが、昇格の知らせが来て露骨に嫌そうな顔をするのはお前ぐらいだよ」
「……別に、昇進したくて戦ってる訳じゃありませんから」
「まあ、お前の性格だと、そうなるのもわかるがな。ちなみに、お前とアトリがCランクに入ったから、入ってくる任務も変わってくるぞ。詳しくは明日話すがな」
「それはいいですけど……。ちなみに、これ昇格拒否とかは」
「前にも言っただろう、無理だ」
小さくため息をつく。
“スクール”に在籍する学生、及び戦闘員は全員それぞれの実力と実績に合わせてランク振り分けされている。上はSから、下はFまで計七段階が存在しており、“スクール”全体の約六割がC、Dランクに在籍する。
Cランクから上は昇格するのにかなり時間実績実力の全てが必要になるが、裏を返せばCランクまでは実績をコツコツ積み上げてくれば、いつかはたどり着ける領域である。
……問題は、一年少々であっさりとたどり着けるほど薄い壁ではない、というところだが。
ちなみに、コウイチも実績次第ですぐに昇格するだろうと思われている。本人がやる気なしなせいで遅れているが……。
ライカはまだ実戦自体がまだなので未知数だが、周りが化け物ぞろいだ。すぐに実力も実績も追いついてくるだろう。
「まあ、そう言う訳だ。これからもよろしく頼むぞ」
「わかりました、お受けします。お伝え、ありがとうございます」
そう言い、カリヤは深々と頭を下げて退室していく。
振り返る直前に一瞬だけ見えた表情は、物憂げなままだった。
「……喜べと言って、喜べるはずもないか。そもそも、あいつは自主入学者でも何でもないしな」
退室していった生徒の生い立ちを思い浮かべながら、セルティは息を吐く。
とはいえ、本人が積み上げてきた実績と、その身に秘める異能のことを考えれば、これでもだいぶ遅らせてきた方だ。
“スクール”も人材が足りているわけではない。むしろ、使える人材はどんどん欲しい状況であることに変わりはない。実力がそこそこある者であれば、なおさらだ。
個人の感情だけで動けるほど、余裕はない。
セルティとしても心苦しいところではあるが、組織に所属している以上どうしようもなかった。
「うちのチームが根本的に不安定なのは、相変わらずか……。その辺も早めに対処しておきたいところだな」
コーヒーをもう一口飲みながら、こめかみをトントンと叩く。
頭痛は、すぐには治りそうになかった。