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My silly days  作者: 高空天麻
懊悩
15/18

第二章

 それは、かつては普通の少年だった、化物のお話。

 その少年は、何の変哲も無い家庭で生まれた。

 厳しいけど、とても優しい両親がいて。生まれてきたことを心から祝福してくれる親戚がいて。そして、何よりも一緒に遊ぶことのできる友達が何人もいて。何の疑問を抱くこともないまま、彼は少しずつ大きくなっていった。


 ……あの事件が起きるまでは。


 事件の内容自体は特筆するようなことじゃない。食い詰めた男が金目の物を得るために、家に侵入してきて、それを見つけた両親が運悪く殺されてしまった。

 不運だったかもしれないが、この世界じゃどこかしらで日常的に起こっていることだ。そのうちの一つに、運悪く遭遇してしまっただけ。それだけなら、まだ普通の人間として生きることができていたはずだ。

 不幸な出来事に、偶然巻き込まれてしまった不運な少年。他の人よりも厳しい人生を送ることになるかもしれないが、それでもまだまともに生きていくことができていたはずだ。


 けれど、彼にまとわりつく不幸はこれが始まりに過ぎなかった。


 両親ともに亡くなってしまった少年は、以前から親交のあった親戚に引き取られることになった。しかし、引き取ってくれた親戚は、みんな何かしらの不幸に襲われた。

 新しい環境で、一緒に遊ぼうと誘ってくれた友達たちがいた。けれど、そうした気のいい友達達は、みんな何処かしらに消えない怪我を負った。

 その事実を知って、それでも尚少年には何の関係もないと言って、少年の傍にいようとしてくれた親友は、彼の眼の前で死んだ。


 数えるのが嫌になるほどの不幸が彼の周りで渦を巻いて、数えるのが恐ろしくなるほどの血が流れ続けて、いつしか少年は化け物になった。

 かつては親愛の感情を込めて呼ばれた名前は、畏怖と嫌悪の感情と共に呼ばれるように変わり、いつしかその名前すらも呼ばれなくなっていく。

 彼に与えられた新しい名前は、“化物”。

 

 誰かに近寄ろうとすれば、「近寄るな、化物」と罵声を浴びせかけられる。

 誰かと触れ合おうとすれば、「触れようとするな、化物」とその手を払い落とされる。

 寂しくて悲しくて誰かに手を取ってほしくて手を伸ばせば、返ってくる言葉は畏怖と嫌悪の籠った罵倒。

 少年を庇い、少年を守ろうと傍に立ってくれる人も、何人かはいた。けれど、その人達は一人の例外もなく一つの特別もなく、“不幸”に飲み込まれ、彼の側を離れていった。


 そんな事を何度も繰り返していく内に、幼い少年でもいつしか悟る。

 ああ、自分は化け物なんだと。そう、悟ってしまう。

 自分にとっては理不尽にしか思えないけれど、思い当たる理由なんかこれっぽっちもないけれど、それでも自分は他人と触れ合う事なんか出来ないんだと。

 そう、結論を出してしまった。


 理解してしまった化物は、人と触れ合うことをやめた。

 どうしようもなく悲しくても、どうしようもなく寂しくても、そうすることが自分にとっても、他者に取っても最善策だと気づいてしまったから。

 そして、誰も一人でいることを選んだ化物元へ近付きはしなかった。

 触れれば自分に災厄が降りかかるとわかっているのに、誰がそんな厄病神へ手を差し伸べるだろうか。

 たとえそれが小さな子供の姿をしていても、彼に関わったものは例外なく“不幸”に晒されるのだから。

 そうして、化物は独りを選んだ。

 他の子供達が楽しそうに過ごしているのをほんの僅かに羨ましく感じながら、けれど自分には手の届かない世界のことだと切り離して、化け物は孤独に生きることにしたのだ。

 誰に触れることもなく、誰かに触れられることもないまま。

 けれど、それがこの世界にとって最も素晴らしい結論なんだと、そう信じて。


 そうして、数年が過ぎた。



「……誰、あんた」


 化物は、ぶっきらぼうに言った。

 その視線の先では、化物と年頃が同じくらいの少女が、バレちゃったとでも言うかのような表情で固まっている。

 ちなみに、ここは彼の家の庭先だ。

 つまり、彼女がやっているのは不法侵入なわけで。

 幼いと言えど、罪の意識があるということは確信犯なわけで。


「……これ、通報しても問題ないよな」

「わあ、ちょっと待って待って!!」


 半眼でポツリと呟いた彼に、少女は必死で止めようと近づいてくる。

 その声が、あまりにも必死な上にうるさくて、彼は思わず耳を塞いでしまった。そもそも、誰とも関わりを持っていないのだ。通報するもしないも、できるわけがない。


「うるせえ……だいたい、ウチに何の用だよ?」

「あ……ええっと、今度から隣の家に引っ越してきた、ルイ・ミナヅキって言います。よろしくね」


 にっこり笑顔で、ルイと名乗った少女はそう言ってきた。そこで、化け物は自分の表情が露骨に嫌なものになるのを感じる。

 引っ越してきた、と彼女は言わなかったか。しかも、彼の隣の家ときた。となれば、面倒事が増えるのは自明なわけで。

 とりあえず、最初にやるべきは釘差しだろうか。


「お隣さん、ねぇ……ちなみに、この町で何か妙な噂を聞いたりしたか?」

「噂? ……ああ、町のはずれに化物が住んでいるって話?」

「そうそれ。それ、俺の事だから」


 だから、あんまり近付かない事をお勧めするよ。

 それだけを言って、彼は少女に背を向けた。

 それ以上の接触は、意味がない。何を言っても聞かない奴は聞かないし、別にそんな奴に時間を割いてやらなくても、こっちが無関心でいればあちらも諦めていく。

 必要なのは、無関心でいる事。決して興味を示さない事だ。何か反応を返してしまったら、そこから関わりができてしまう。それだけは絶対に避けるべきだった。

 だから、必要以上には関わらない。たとえ、相手がどんな反応をしてきても無視をする。それが、化物の出した答えだった。

 そうすれば、誰かが死んだりはしないと、この数年間でわかったから。

 少なくとも、彼はそのやり方を貫くつもりだった。


「ちょ、ちょっと待ってよ! それって、どういう意味?」


 だが、この少女は珍しいことに、何にでも興味を示す好奇心の強いタイプのようだ。

 その証拠に、彼女の右手は彼の肩をがっちりと掴んでいる。その力はなかなかに強くて、振りほどくのにはなかなか難儀しそうだ。

 溜め息を一つ吐いて、化け物は振り向いた。


「何か用?」

「いや、さっき言ってたのって、どういう意味?」

「そのまんまの意味だけど。さっさと手を離してくんない?」

「いやだって、さっきの話って……」


 信じられない、とその顔には書いていた。

 そうだろうな、と思う。彼だって、信じずにいられるなら、そのままでいたかった。

 人を不幸に導く化物。そんなの、どうやって生きる価値を見いだせというのか。どうやって誰かを幸せにすることができるというのだろうか。でも、実際に自分がそうなのだから、仕方ない。

 少女の顔からは、未だに疑念が消えない。良い事だ、きっと今までそんな摩訶不思議には出会わなかったんだろう。

 魔法がある世界とはいえ、そんな呪いじみた現象にはなかなか出会えない。

 けれど、だからって彼には説明するつもりもない。説明して、何になる? 第一、自分にだって原因がわかっていないのに。


「別に、信じないなら信じないでいいさ。ただ、俺の邪魔はしないでくれ。……死にたくないなら、な」


 力が緩んだ隙をついて、彼は少女の手を振りほどいた。

 そのまま何も言わずに家の中に入る。


「お隣さん、ね……興味ないな」


 自分に言い聞かすように呟く。

 そう、関係ないのだ。周りの人間が何を言おうが、何をしようが。それが彼に関わってこない限りは。彼の人生に干渉さえしなければ、どちらにとっても不幸にはならないのだから。

 家の中は必要最低限の物しか置いておらず、殺伐としていた。彼一人しか住んでいないのもあって、四人も住めば手狭に感じるであろう家もやけにだだっ広い。

 それを寂しいと感じていた時期もあった。

 けれど、人は案外慣れてしまうものだ。たとえそれが、マイナスの感情であっても。

 時間は、誰にでも平等に流れていく。良いものであれ、悪いものであれ、時間は平等に陳腐化させてゆく。

 願わくは、あのお隣さんとやらがさっさとこちらから興味を失くしてくれるとありがたい。そんなことを一瞬だけ考え、化け物はその思考を打ち切った。




「その辺りは、前にカリヤから少しだけ聞いたかな」


 コウイチの口から語られた物語に、うつむきながらライカは呟く。

 ライカとは違う、しかし重い過去だ。同じような立場に追い込まれたら、きっとライカも同じように人に近寄ることを諦めるだろう。

 自分に重ね合わせてため息をつく後輩に、コウイチはいつも通りのゆるい笑みを浮かべていた。

 コウイチは、カリヤがその経緯を初めて話してくれた時のことをよく覚えている。何かを諦めたような微笑で、どこか遠くを見るような目で。それを横目で見てしまった時、自分の胸がひどく苦しくなったのを覚えている。

 

 ライカが暴走したときは、カリヤ達がいた。ヴェインも、アトリも、コウイチも、自分を今の状況から救い出すために全力を尽くしてくれた。

 けれど、彼にはそんな人がいなかった。

 あったのは、生まれてきた事を呪う怨嗟の声と、それを巻き起こした自責の念だけで。

 そんな中で生きていれば、誰だって人と繋がる事をやめてしまうだろう。そう考えると、自分がどれほど恵まれていたのかが良くわかる。

 そう思い耽るライカに、コウイチは相変わらずヘラリとした笑みを浮かべながら口を開いた。


「ま〜、その辺までは多分知ってるだろ〜と思ってた。……逆に言えば、あいつが普通に話すのは、その辺までだ」

「……え?」


 いつも通りの調子で言われた言葉。けれど、ライカはその一言で自分の心がひどく揺れ動くのを感じた。


「それってどういう……」

「この先をあいつがおれ、アトリ、セルティ以外に話したことはない。多分だけどな〜。話したのも、あいつが相当参っている状態でおれ達が無理やり聞き出したからだ。あいつからは、基本的に話そ〜とはしないと思う」


 カリヤが自らの内に抑え込んだ、誰にも見せたがらない過去。

 親友であり、何よりも信頼しているコウイチとアトリにさえ、易々とは見せようとしなかった、傷。


「……ちなみに、さ。今の私がカリヤにその話を聞こうとしたら、カリヤは話してくれると思う?」

「……傷付くなよ? 思ったこと、そのまま言うからな?」


 その返答だけで、ほとんど答えを言ってしまっているようなものだが……。しかし、聞いておかないと、きっと後悔する。


「うん、言って欲しい」

「は〜……。ま〜、難し〜んじゃね〜の、多分だけどな。いつものあいつなら、触りは話すけど、深いところまでは話さね〜と思う」

「……まあ、そうだよね」


 ライカにとってカリヤは特別でも、カリヤにとってライカはまだ特別たり得ない。それは、出会った時から今に至るまで、まったく変わっていない。

 多分、彼にとっての特別な存在はアトリとコウイチしかいないんじゃないだろうか。

 不思議なことに、あまりショックはなかった。助けられてチームメイトになっただけで、特に何か進展したわけでもなかったし、ある意味では当然と言える。


「わり〜な、も〜少し良い言い方が思いついたら、そうやって言えたんだが……」

「気にしないで。大丈夫、自分でもわかってるから。まだ、カリヤに寄り添うには早いんだ、って」


 そう、ライカはまだまだ未熟な自分の実力に思わず小さなため息をつく。

 今のままでは、カリヤにとってのライカが守り導く後輩でしかない。そして、これは一ヶ月の間カリヤを見ていて思ったことだが、カリヤにとって守るべき存在は、特別になることはほぼ確実にない。

 カリヤが求めているのは、傍に寄り添い立つ者だ。守るべき者は、彼にとってはそれ以上たり得ない。

 だから、今よりも強くならないといけないのだ。彼に守られ続けるだけの存在でい続けるのではなく、彼の隣で立ち共にあり続ける存在にならなければならない。


「私は、まだまだ足りない所が多すぎる。カリヤの隣に立つことなんて、まだできないもの。だから、あの人に意識してもらえていなくても、構わない。……今は」


 そう言い放つライカの顔には、笑みが浮かんでいる。何処かの誰かに似た、不敵で大胆な笑みが。


「……だから、その話は今聞かないでおこうと思う。カリヤが自分から話してくれるまで、自分から話しても良いと思ってくれるようになるまで、私は私にできることをやろうと思う」


 もっと強くなる。好きな人を、守れるように。

 もっと知識を得る。好きな人が悩んでいる時、相談に乗れるように。

 もっと綺麗になる。好きな人が、私から目を離せなくなるように。

 やれることを、目一杯に。

 そう決めて、ライカは“スクール”に参入することを決めたのだから。


「まあ、まだまだ色々と足りないから……相談はさせてね、先輩?」

「お前、都合のい〜時だけそうやって……ま〜、い〜けどよ」


 なんともあざとい発言をかましてくる後輩に、コウイチは苦笑をこぼす。

 まあ、彼女の中でどうするのか決めているのなら、コウイチとしては何もいうことはない。

 ライカの選択が、ライカにとってもカリヤにとっても良い方向につながることを祈るだけだ。

 ……まあ、約一名凄まじいライバルがいるので、その道のりは決して簡単なものではないだろうと、予測は立つが。


「さて、そんじゃ〜訓練の続きと行こうか。これ以上サボってると、またセルティに締められちまうからな」

「了解。それじゃ、行くよ!」


 そう高らかに吼え、ライカは力を解放した。





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