第四章ー2
「フ……!」
右の男に肘打ちを入れて倒し、左の女の首に殺さない程度に弱めた蹴りを叩き込む。後ろから羽交い締めにしようとした少年に後頭部をぶつけて、近くにいた少女と老女の二人組の方に放り投げた。
これで倒したのは二百人強といったところだろうか。この村には六百人ほど住んでいるらしいので、三割近くをすでに殴り倒した事になるのだろうか。そう考えると少し心苦しい気もするが、今はそれについて考える余裕はない。
(数が、多すぎる……!)
表にこそ絶対に出さないものの、なかなかに厳しい状況だった。
彼らはただ操作されているだけでなく、1・5倍から二倍ほど身体能力が強化され、さらにある程度ではあるが知能も残されているようだ。少しずつこちらの動きに全体で対応するようになってきている。
アトリの異能は〈護騎士〉というもので、単純に肉体や反応速度などを強化する能力なのだが、デメリットもある。この異能を発動すると肉体と密接な関係を持つ魔力も強化されるのだが、魔法というのは機械と同じで回路に大きすぎる動力が流れ込むと上手く起動してくれない。
しかも、彼女は元々魔力の細かい制御が苦手なのも重なって、全く魔法を使えないのだ。
純粋な肉体強化だけを見れば約250倍まで引き上げられるのだが、それをやると歯止めがきかずに村人を皆殺しにしてしまいかねない。なるべく傷付けないように、と考えると出せたとしても五倍が限界といったところだろうか。
(全く、面倒な命令出してくれるわよねぇ……)
そう思いながらも、その顔に浮かぶのは笑み。込み上げてくるのは、信頼されて任された事への喜び。
カリヤは、アトリとコウイチの戦闘スタイルをほぼ完璧に理解している。その上で彼女がここに配置されたというのなら、彼はアトリならこの場を制圧できると思ってくれたのだろう。
そう考えるだけで、まだ倒れる訳にはいかないと身体の底から力が湧き上がってくる。
「はぁ……。これ、使うしかないかな」
一度息を吐き、周りの数人を一気に仕留めてから誰にも反応できない速度で家の上まで飛び上がって屋根から屋根へと飛び移っていく。
さすがにこれには対応できなかったのか、他の人間達を置き去りにして二百メートルほど引き離してから地面に降りる。少し離れたところに近付いてくる土煙が見えるが、これだけ距離があれば充分。
振り向きながら、左手に装着した籠手に手を添えて、呟く。
「起動」
言葉に応え、籠手が動力源たる彼女の魔力を一気に吸収・エネルギーに変換していくが、魔力も増大しているのでたいした問題ではない。必要量をあっという間に補充した籠手が一度わずかに振動し、光を放ちながらその形を変貌させていく。
肘までしかなかった装甲が左肩まで覆うようになり、背の左側から銀色の翼が展開される。無骨なイメージを抱かせる外形も、腕や身体の形に合わせて変化し、生物のようなフォルムとなる。
前述の通り、彼女は一切魔法を使えない。制御はおろか、式の組み立てさえもろくに出来ないだろう。
ならば、彼女が無理にする必要はない。
人が膨大な計算をこなす為にパソコンを使うように、空を飛ぶ為に飛行機を開発したように、出来ないなら出来るようにする為の道具を手に入れればいい。その道具さえないならば、作ればいい。
その理念の元、三年もの時を経て生み出されたアトリ専用武装がこの銀色の籠手。
魔術補助系汎用型装身具、『変異装甲』。
彼女の体内に秘められた魔力と接続し、リアルタイムでアトリの思考を読み取る事で状況にあった最適な魔法を、最良の出力で発動させるという半自立型装備。
また、その形を自由に変えられるので剣にも槍にも変えられる、まさに膨大な力を持ちながらもそれを操る事が出来ないアトリの為に作られた、凶悪兵器。
展開完了したその異様な装備を前に、しかし操られた人々は全く躊躇することなく突撃してくる。その動きは速く、また絶対に逃さないようにする為か屋根の上からも何人かが飛び降りてきている。
さっきまでなら一度後ろに下がる人数差。しかし、今のアトリにはその程度では届かない。
「チェンジ、バスタードソード」
呟くと同時、籠手の一部が両手用長剣へとその姿を変え、彼女の右手に音もなく収まる。
瞬間、裂帛の気合いと共に、剣を左から右へと思いっきり振り抜く。
それは、まさに暴虐の嵐だった。斬撃は、視認どころか音さえも置き去りにする速度で軌道上の物体を薙ぎ払い、衝撃波だけで数十メートルは先の家屋の壁に深い傷跡が刻み込まれる。
余波に触れるだけで重傷は免れない、直撃しようものならまず間違いなく死に至る威力。
にもかかわらず、彼女の前に死体は一つとして出来なかった。さらに言えば、痛みから発される呻きさえも聞こえない。
彼らの能力が強化されていたから、ではない。これこそが、彼女が『変異装甲』を展開した最大の理由である。
何もしていない状態ならば、彼女自身が意識的に手加減をしなければならない。しかし、それでは何か想定外の何かが起きた時に誤って全力で対処しかねない。一度同じ事をして人を殺した事のある彼女にとって、それだけは避けたい。
(……うぅ、もうあんな事はいやだな)
嫌な過去を思い返し、わずかに顔をしかめた。
だが、『変異装甲』を展開している今なら話は別。彼女の思考をスキャンしてそれを実現するこの装備は、全力で剣を振り抜きながらも敵の全てを気絶だけで留める、なんて矛盾した願いさえも可能とする。
むろん、それを実現する為に彼女は魔力を消費しているのだが、費用対効果で言うなら、圧倒的に安い買い物だ。
「カリヤに髪飾り選んでもらう約束してるし、」
ギュッと右手の剣を強く握りながら、アトリは鋭い笑みを浮かべる。不敵で、大胆な、どこかの誰かによく似た力強い笑みを。
「悪いけど、まとめて寝てもらうわよ」
◆
それと同じ頃、コウイチは暴走したライカと、壮絶な能力戦を繰り広げていた。
雷と炎が宙を駆け巡り、閃光と轟音が炸裂したかと思えば、それを塗り潰すほどの爆発と衝撃が辺りの全てを抉り取っていく。
(いや〜、参ったね。強ぇ〜)
相手の隙を探りながらも、内心で嘆息する。
強いなんてレベルではない。アトリが手加減をしなければならないのに対し、コウイチは常にフルパワーで彼女に向かわなければならなかった。
攻撃力も速度も半端無く上昇しているのに加えて、この三日間の経験もあってか攻撃と攻撃の間隙が少なくなっている。前回は真正面から突撃してくるだけだったのが、牽制やフェイント、さらには異能と体術のコンボまで織り交ぜてくるのだから、たまったものではない。おまけに身に纏うヴェールの防御力も上がっており、半端な攻撃では弾かれるのがオチだった。
ここまで全てのパラメータが高い相手と戦うのは初めてだ。
ドン! という爆発じみた音と共に、ライカが飛び込んでくる。目で追っていては絶対に追い付けない。カンと経験則で横に飛ぶが、獣と化した少女はその動きにさえ的確に対応してきた。
紫電が弾け、全身を強力な電流が駆け巡る。意識が明滅するところを、まるでボールのように宙に蹴り上げられ、ギヒィという裂けた笑みと共に、胸に手刀が突き立てられた。
少女の細腕が、少年の身体をいとも容易く貫く。それで止まらず、二・三度と放電をその身に受けた時、コウイチの瞳からは光が失せていた。
心臓を貫かれ、脳まで灼かれたのだ。人間が生きていられる道理はない。そう考え放り捨てようとした。
その時。
「それは、前にも、やったろ〜が……ッ!」
ライカの左手を、誰かの右手が掴む。いや、普通に考えれば目の前にぶら下がった少年の手なのだが、しかしその状況がすでに普通ではない。
視線を上げれば、死んだはずのコウイチが凄絶な笑みを浮かべていた。あまりにあり得ないその光景に少女が目を見開く。それと同時、牙を剥いた彼が右手から炎を放つ。
零距離での豪炎に、さすがのヴェールも貫通されてしまった。無理矢理に振り払って後ろに引き下がりながらも、目の前の現象について必死に頭を働かせる。
だが、考えても考えても答えは出ない。前回戦った時は心臓を潰しただけだったのでまだ復活の余地はあろうが、今回はそれに加えて脳も壊しているのだ。人間の最も重要な器官を二つも壊したのに、それでも生きているという状況が、彼女の知識では理解できない。
「あ〜、ライカ。おれさ、お前に謝んなきゃ〜いけね〜わ」
相も変わらず間延びした口調でコウイチが言う。
「おれさ〜、お前に〈破邪〉と〈救世〉の二つがおれの異能だって言ったけどさ、アレも実は本質じゃ〜ないんだわ」
構わずに接近して右手を振るう。少年の左手が肩から吹き飛ぶも、彼は薄い笑みを浮かべたまま一歩後ろに下がる。すると、切り離された側の腕が炎に包まれて消失し、身体の断面から炎が伸びて腕に変化する。
再生。
その二文字が脳裏に浮かんだ瞬間、右から紅蓮の翼が襲いかかる。再び後退するが避けきれずにわずかにかすってしまい、衣の一部が削り取られた。
しかし、そんな事よりも、今目の前で起きた現象の方が重要だった。
腕が一瞬で再生した。回復力を引き上げる異能というものがあるとは聞いているし、実際コウイチの〈救世の炎〉もそれに近いものだったから、警戒もしていた。
だが、今のは明らかに規格外だ。この三日間彼女はコウイチと何度か手合わせをしていたが、腕が失われるレベルでの傷を負った時、彼は常に回復魔法を使っていた。自分の異能で回復できるのなら、そんな手間はかける必要がない。
ならば、何故?
(何故、回復量ヲ抑エル必要ガアッタ……?)
「あ〜、訓練の時は〈救世〉オンリーで回復してたからな。今のと違和感があるのは当然だ」
「コレ、トハ……?」
その質問に、コウイチはいつも通りの、いつも通りすぎるふにゃけた笑顔を浮かべて、言う。
「おれの異能の真の名は、〈不死鳥〉。端的に言えば、絶対不死って〜ヤツなんだよ」
軽い口調で、そんなとんでもない事を言い出すコウイチ。あまりにも突飛すぎるその言葉を否定しようと、ライカの思考がフル回転する。
だが、と記憶がそこに口を挟んでくる。コイツは以前もそうだったんじゃないか、と。思い返せば、最初に戦った時この少年が心臓を潰されてもケロッとしていたのは、〈救世の炎〉で回復したから、ではなく脳を残していたから、でもなく。
コウイチ自身が、そういう存在なのだとしたら、どうだろう……?
ライカは心の底から恐怖が顔を覗かせるのを感じた。自分の身体が震えているのがわかるのに、それを止める事が出来ない。
もしも、今の想像が本当だとして、真に彼が不死の人間であるとするならば。それは、ライカなどとは比べ物にもならない、本当に本物の化け物なのではないのか……?
「クソ、コノ化ケ物メ……ッ!」
「今のお前にゃ〜言われたくね〜し、そう言われるだろ〜から普段は隠してんだよ。ま、俺としては今の場所に満足してっからこれでい〜んだけどな」
あのバカが戦っているのであろう場所を見やり、化け物は優しい微笑を浮かべた。こんな、人として分類しても良いのかさえわからない怪物を、アイツは普通の人間として接してくれるのだ。一人の友達として、頼ってきてくれるのだ。
それに、少しは応えてやるのが筋ってものだろう。
「アイツがお前らを助けたい、って言ってんだ。アイツが力を貸してくれ、って言ってんだ。そんな事言われるなんてさ、化け物冥利に尽きるってモンだろ〜が!」
吼え、全身に力を込める。その身体から呼応するように深紅のオーラが迸り、まるで第二の太陽のように煌めく。
そんなコウイチを見て。
化け物でありながら、人に必要とされ、人を必要とするその姿を見て。
ライカはそれをまぶしく思った。同時に、とてもうらやましく感じる。
(ワたシモ……こンな風にナレるノか、な……?)
力強い輝きを放っていたヴェールの光に、一点の陰りが宿る。それは、少女が自らが歩むべき道を見つけた瞬間だった。
◆
「オォオオオオオオオッ!!」
気合と共に、ショートソードを振るう。速度も威力も申し分ない袈裟懸けの一閃。
「フッ!」
しかし、横から剣の腹に叩き入れられた一撃のせいで、攻撃の方向自体がずらされてしまった。そこを狙って、ロングソードが突き入れられる。横に反らされた勢いのまま身体を地面に転がして、突きを避けながらも距離を取る。
息が上がっているのを隠しきれない。この三年間、いろいろな場所を回り、様々な戦闘を経験してきた。体力はかなりあるし、技量もそれなりについているはずだ。
なのに、この男には一撃もクリーンヒットさせられない。剣で向かえば剣で、体術で挑めば体術で、魔法でかかれば魔法で、異能を使えば異能で向かい打たれ、押し返される。
全ての分野で圧倒的に負けている。大人にあしらわれている子供のような感じ。
「どうしたよ、こんな程度か?」
手の中で剣を回しながらカリヤが言う。その余裕の態度は先ほどから一ミリも動かず、それが彼のいらだちをさらに掻き立てる。
「う、るさいっ!」
落ち着いて考えれば、ここで彼が突っ込む理由はどこにもない。ヴェインが第一に考えるべきなのは援軍が来るまでいかに時間を稼ぐか、であり、どうやってこの男を倒すか、ではない。
頭ではそれを理解していても、心がそれを納得しない。相手にさっきのように意図的に戦意を昂ぶらされているのもあるが、それよりもむしろ……。
「焦ってる、だろ?」
全力の踏み込みを流され、耳元で囁かれる。追撃で二度、三度と襲ってくる猛攻に耐えながらも声を絞り出す。
「誰が、焦ってるって……?」
「この戦闘が始まってから少なくとも十分は経っている。これだけ経てば、どちらかから援軍が到着してもおかしくないのに、未だその姿も見えない。つまり、少なくともとんとんかこっちに有利に進んでいるって事だ」
攻撃の合間に一撃ねじ込むも、あっさりと受け止められ、鍔迫り合いの形でカリヤは顔を近づけてさらに言う。
「口では強がっていてもな、太刀筋や体捌きで何となくわかるんだよ。不安を感じ始めてる、って事がな!」
剣を押し込まれてこちらの体勢が崩れた所に、一瞬引いた切っ先を突っ込んでくる。どうにか受け流したものの、脇腹を掠った。鋭い痛みと共に、血が宙を舞った。
そこで、形勢は決した。
そのまま後ろに押し倒され、鳩尾の上にのしかかられる。息苦しくなって一気に狭まる視界の中、ロングソードの切っ先が煌めいた。反射的に目をつぶるもそれで何が出来る訳もなく、剣が風を切る音が聞こえ、
首元に鋭い痛みが走った。
なのに、数秒経ってもわずかな血が流れるだけで激痛や血が大量に溢れ出すといった事は起きない。刃は、首を少し刺した所で止まっていた。
「……んだよ、その顔」
そんな低い声が聞こえた。怪訝に思って目を開くと、そこには憤怒に表情を歪ませたカリヤがいた。
「何でお前、この状況で笑ってんだよ……?」
「え……」
口元に手をやると、本当に満足そうに頬が緩んでいた。しまったと思うも、もう遅い。
「何でそんな風に……。待てよ、お前もしかして……!」
何かに気付いたようにカリヤが目を見開いた瞬間、ヴェインは彼の刃に手をやり、自らの首に向かって思いっきり突き刺そうとした。だが、カリヤもそれに反応して握る手に力を込めた。ギリギリと危うい拮抗の中、剣が少年の首を貫く一歩手前で止まる。
「お前、何考えてんだ……!」
「うるさいな、とっととその手をはな、せ……!」
「ざっけんな! 自殺なんてさせねえぞ!」
言うも、膝で鳩尾を踏まれて力が抜けた瞬間、手から剣がすっぽ抜けた。そのままカリヤは剣を鞘にしまい、左手でこちらの右手を、左手でこちらの首を、身体と足でこちらの左手を抑えてしまう。
「クソ……」
「クソ、じゃねえよ。ヴェイン、お前何考えてる? 何で死のうとしてるんだ?」
「うるさいな、アンタには関係ない」
「言わないと、首の骨を折る」
「やれよ」
答えると、首元に置かれた手に力が込められた。が、そのまま手が離れる。それどころか、彼はそのままヴェインの上からもどいてしまった。意図が読めずに、ヴェインは思わず尋ねる。
「おい、殺さなくていいのかよ?」
「ん? ああ、大分わかったからもう良い。悪いな、痛くして」
「何がわかったって……」
「お前、ライカに罪悪感を抱かせない為に死ぬつもりだったんだろ」
そんな何気ない一言で、しかしヴェインの思考が一瞬確実に止まった。唇が震え、目線が思わず泳いでしまう。その反応で、カリヤは自分が立てた仮説が大体当たっている事を確信した。
この村で、最初に生まれた自然覚醒の異能者は、ヴェインだった。
最終的なトリガーが何かまではわからないが、理由は十中八九ライカの拒絶と彼女が精神的に疲弊していくのをずっと見続けていた事だと思われる。
ずっと一緒にいた少女が歪んでいくのを見る事に耐えきれなくなった少年は、その苦痛によって異能を発現。人の精神を操作する能力、〈人形使い〉を手に入れた。それによってライカの異能に干渉、発現と共に暴走させて彼女が恨んでいた者達に復讐させ、それを止めに来た三人も歯車に組み込む為に彼女の親友として接触。
そして今日、この事件を起こして自分が殺される事で、ある程度の情報だけをライカに届く状況を作り出し、
結果、ライカの暴走がヴェインのせいであるというオチを付けて、彼女の負担を全て無くそう、というそんな計画。
死んでなお恨まれる事を知りながら、それでも全ては彼女の為と考えて起こしたのだろう事件。
「……何で、わかって」
「この状況で殺されそうになって笑う理由なんてそれくらいしか思い浮かばなかった。やっぱ本当にすごいよ、お前。少なくとも、俺には絶対に出来ない方法だ」
誰にでも手を差し伸べるが故に、たった一人の特別な存在というものがないカリヤとは全く逆の、他の全てを切り捨て利用してでも、特別な一人だけを助けたいと行動するヴェイン。
カリヤは、そんな少年を羨ましく思う。自分にはない輝きを持つ彼に、嫉妬さえ覚えそうになる。
だが、それと同じくらいに彼のやり方を認められない。
「それじゃ、ダメだろ……」
ヴェインに、真っ向から言い捨てる。
「それじゃ、あの子は救われない」
その一言で、移ろっていた少年の視点が定まり、目が細められた。
「どういう意味だよ」
「そんな方法じゃ、ライカは解放されない。今抱えてる負債が消えたとしても、あの子はそう遠くない未来に気付いてしまう。ヴェインは、もしかしたら私の為に死んだのかもしれないって」
そうなってしまったら元の木阿弥だ。……いやもっと酷い事になるだろう。人間は都合の悪い記憶を切り捨てられると共に、納得のいかない記憶を改変する機能も持っている。
この場合、「ヴェインがライカを助ける為に死んだ」という記憶が、「ヴェインが私を助けたせいで死んだ」という記憶になりかねない。
それは少年にも想定できていたのだろう。悔しそうに表情を歪め、それで止まらずに視線が地に落ちる。
だが、
「それがどうした」
俯いたまま発されたその一言は、少年のそれとは思えないほど低く、疲労に満ちていた。
「その時には、アイツの隣に支えてくれる誰かがいるさ。そこのカバーはそいつに任せるよ」
「お前はそれで良いのかよ? 大切な人の事を、他人に任せるなんて……」
「うっせえよ、さっきからグジャグジャと……。大体!」
カリヤの胸ぐらを掴んで引っ張り、全力の右ストレートを打ち込む。とっさの事で対応できなかったのか、面白いくらいにあっさりと顔面に入り、さすがのカリヤも二、三歩よろめいた。
「テメエにわかるのかよ! 好きな子が苦しんでるのに何も出来なくて! 隣で励ます事も、原因を突き止めて解決してやる事も出来なくて! 使えるモンなんてこの身体しかねえ、助けてくれるヤツもどこにもいねえ! そんな状況で、手段なんて選んでられるのかよテメエは!」
叫びながら、ふらついている彼に飛びかかってもう二回全力で殴る。もう一発、と拳を引いた所で反撃の蹴りが腹に突き刺さった。酸素が全て吐き出され、吐き気さえ込み上げてくる。
「ついに本音が出たな……」
そういうカリヤの表情は再び怒りに歪んでいる。今のヴェインの顔も似たり寄ったりだろうが。
「結局、自分が辛いからじゃないのか! それが彼女の為って誤魔化して! お前が解放されたいだけじゃないのかよ!」
一歩でこちらの懐まで潜り込んで、腹・顎と的確に拳を振るってくる。直後、ハンマーで叩かれたようなすさまじいインパクトがヴェインの脳を揺さぶった。
問答無用、手加減抜きの威力に、一瞬意識を持って行かれそうになる。
だが。
地を揺らさんばかりに足で地面を踏みつける。それで意識は戻ってきた。
ここで倒れる訳にはいかない。そんな拳と、その程度の言葉で砕かれるような、生ぬるい思いなどではないのだから。
後ろに飛ばされかけた頭を振り戻し、カリヤの顔面に叩き付け、そのまま左のローキック、右のストレートとつなげ、一気に崩しにかかる。だが、相手もローキックを受けた勢いのまま頭を振ってストレートをかわしタックルをかましてくる。
後退という言葉は二人の中になかった。ただひたすら、殴る殴られる、蹴る蹴られる、それだけを繰り返していた。
「何でだよ……!」
不意に言葉が口からこぼれ落ちた。一度こぼしてしまったら、後から後から止めどなく溢れ出てくる。
「何でもう少し早く来てくれなかったんだよ! あともう少し来るのが早けりゃ、アイツもあんなにボロボロにならなかったし、俺だってこんな事しなくて良かったんだ! 誰でも助けてくれるんなら、アイツだって助けてやれってんだよォオオオオオオオオ!」
腹の底に溜め込まれた黒い感情を次から次へと吐き出しながら、さらに苛烈な攻撃を仕掛けていく。
止まらない。
タガが外れた感情は、もはや理性などでは収まらない。
「こんな風にしかできなかったんだ! ただのクソガキが、アンタみたいに人を救える訳がないだろうが! なのに、誰もいなくて、俺一人でどうにかしなきゃならなかったんだ! テメエが救えるなら救ってやれよ、俺みたいに半端で無意味な方法じゃなくて、誰もが納得いく方法で救って見せろっつうんだよォ!」
吼え、飛びかかろうと体勢を低くして足に力を込めた。だが、意志に反して、身体が動かない。見れば、足が小刻みに痙攣してるのがわかった。
(動け……まだ、終わってねえんだ……!)
全身に無理矢理力を込めていくも、体中が激痛を発して動かす事さえままならない。何とかして攻撃しようと身体を動かしていると、それを見ていたカリヤがポツリと呟いた。
「無意味なんかじゃ、ないだろ」
その一言に、少年は目を見開いた。
「無意味なんかじゃない、絶対に意味はあった。いつか無駄になってしまう努力かもしれない、たった一人でやるには無謀な計画だったかもしれない。でも、無意味なんかじゃない」
カリヤは真剣に、慎重に言葉を選びながら伝えていく。独りでもずっと暗闇の中で戦い続けた少年へ、同じような経験を持つ者として。
「お前は、ライカを助けたいんだろ? その思いと行動に意味はあるよ。でも、お前が死んじゃダメなんだ。少なくとも、今あの子はお前を必要としているんだ」
「そんな事わかってるよ……。でも、じゃあどうしろって言うんだよ! これ以上の事なんて俺には……」
「だから!」
今度は、カリヤがヴェインの胸ぐらを掴んで引っ張り寄せる。その剣幕に、ヴェインはたじろいだように視線を逸らすが、右手でこちらの目を見るように固定する。
「何で一人で抱え込んでるんだよ! よく考えろよ……? 今、アトリが誰も殺さずに、大ケガもさせないように戦ってるのは誰の為だと思ってる!?」
「え……?」
ライカの為、という答えが一瞬で弾き出されたが、それだけではない。そんな事ならこの男はこんな話はしないだろう。そうヴェインの思考は告げている。
「コウイチが、ライカを命がけで食い止めてるのは何の為だよ!?」
「……それは」
もしかして、という想像が一気に頭の中で広がっていく。今の今まで、全く考えもしなかった可能性。
考えてみれば、おかしな点はいくつもあった。なぜ、さっきの殴り合いでカリヤは鞘に収めたロングソードを抜かなかったのか。なぜ、さっきロングソードをヴェインが自分に突き刺そうとした時ああまで必死に止めたのか。
そして。
力量差はハッキリとしていたのに、何度も殺せるチャンスも、気絶させてさっさと終わらせるチャンスもいくらでもあったのに。
なぜ、今もなお、ヴェインはこうして呼吸をしているのだろうか。
(コイツら、もしかして……?)
頭に浮かんだ想像に、あり得ないと首を振る少年に、カリヤは優しく問いかける。
「俺は今、どうしてお前の前に立っていると思う?」
その一言が、ヴェインの想像を肯定した。もう間違いない。
「助けて、くれるのか……?」
そんな質問に、カリヤはニイッと微笑んで答える。
「当たり前だろ。一人で頑張りすぎてる自然覚醒の異能者を助ける事が、俺たちの今回の仕事だからな」
その答えを聞いて、こいつらは本当にバカだと思う。とどのつまり、カリヤが今ここに立っているのは、ライカを助けるためでもあり、ヴェインを助けるためでもあるのだ。
そう一片の迷いもなく言いきるカリヤに、ヴェインは一つ大きなため息を吐いて左手を軽く振った。すると、今の今まで禍々しい蒼光を放っていた紋章が、全て失せて消える。
「やれやれ。そんな風に言い切られたら、一人でうじうじ考え続けてた自分がばからしく見えるじゃないんですか。……まさかこんな形でひっくり返されるとは思いませんでしたよ」
言いながら頬を緩ませて、目の前の恐ろしく強い男に深々と頭を下げて懇願する。
「助けたい人がいるんです。どうか、力を貸していただけませんか?」
それに、カリヤはいつもの不敵で大胆な笑みで答える。
「もちろん」
◆
戦闘終了から二十分ほどが過ぎたろうか。
目を覚ました村長に、『スクール』の敵対組織からの攻撃で村人全員が一時的に操作され、それを撃退する過程でヴェインも異能に目覚めたと伝えた。少しは驚いていたものの、彼がついた嘘に、何の疑問も抱く事はなかったようだ。
全身ボロボロになったコウイチと、手加減のために魔力をかなり使って疲労困憊しているアトリに、ヴェインがすいませんでしたと深く頭を下げる。コウイチは彼の頭を軽くはたくだけですませ、アトリも「気にしないで。これが私たちの任務だから」とカリヤと似たような事を言った。
さて、とコウイチは彼の後ろにいた少女に目をやる。少し離れた所で俯いて待っていたライカが、困ったような表情でこちらへ歩いてくる。が、困った、というより緊張しているのはこちらの少年も同じで。
「ホラ、行ってこい」
固まっていた少年に小さく言い、その背中を押す。ヴェインはよろめくように一、二歩前に出て、覚悟を決めたように顔を上げてまっすぐに少女に近付いていった。
「ライカごめん。……君にずっと黙っていた事があるんだ」
そう切り出して、彼は全てを話していった。異能を手に入れた事、それを使ってライカを暴走させて今の状況から助けようとした事……。
最初から最後まで、何一つ隠さずに語る。ライカは、何を考えているのかいまいち読めない不思議な表情で、その話を聞いていた。少年が、最後は死ぬつもりだった、と話した時も彼から一瞬も目を離さずに。
「……これが、今回僕が君にした事の全てだよ」
そう言って締めくくったヴェインに、ライカは尋ねた。
「それはヴェインが望んでやった事なの? 本当にヴェイン自身が考えて、納得してやったの?」
その問いに、彼は一瞬も迷うことなく即答する。
「もちろん」
「どうして?」
「……ライカの事が、好きだから」
少女はその答えに目を伏せて、そっかといって小さく嘆息した。
「バカだね」
「かもね。自分でもそう思うよ」
「……わかった。ヴェイン、目つぶって歯食いしばって」
オイ、とカリヤが止めようとするが、ヴェインがそれを手で制して、目を閉じる。ライカは左手でその顔を固定し、右手で慎重に狙いを定め……。
鼻の頭に、思いっきりデコピンをかました。
ただのデコピンと思ってはいけない。わずかではあるものの能力を使っていたので、バギン!! という凶悪な音と共に、ヴェインの頭から爪先までを一瞬で電流が駆け巡った。痛みと瞬間的なショックにフラフラと腰から崩れ落ちる。
「ま、これでチャラにしてあげる」
目端に涙を浮かべながら見上げると、目の前に手が差し出された。掴み、引っ張ってもらう形で立ち上がるも、さっきの戦闘のダメージに加え今の電撃で限界を迎えた足は上手く動いてくれず、木にもたれかかってようやっと安定した。
「チャラって、こんなんで良いの?」
「ん? もっと強いのしてあげようか?」
「いや、そういう意味じゃなくって……」
「良いのも何も、私のためにやってくれたんでしょ? 結果として助かったからそれで良いのよ。私は村を出て行く事になったんだしね。……ただし!」
グイッと顔を近づけ、凄味をきかせながら言ってくる。
「また今回と同じような事を、相談もなしにやったら、今度はこれじゃあ済まないからね?」
「わかってるって……。その代わり、ライカもしんどい事があったら相談してくれよ? 僕じゃなくても、カリヤさんでも良いから」
「うん、わかってるよ」
ニッコリと微笑む彼女を見て、ヴェインは自分の頬も自然と緩むのを感じた。全然思い通りの結果にはならなかったけど、この笑顔がもう一度見れたのだからそれでよしとするか。
そんな風に考えながら、彼はその笑顔を噛み締めるように眺めていたのだった。
そんな二人を少し離れた所で見ながら、カリヤは小さく息を吐いた。少年少女に気を遣ったのか忍び足でこちらへやってくるアトリとコウイチに、右手を挙げながら質問する。
「……これでいいんだよな?」
二人は顔を見合わせて、何も言わずに右手を掲げた。
そして。
パシン! と爽やかな音と共にハイタッチが交わされ、カリヤは万感の思いを込めて呟いた。
「これにて任務終了……だな」




