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scene_8 「ヒーローって、なんだ」


 ナノカの頭はパンクしそうだった。

 昨夜は結局二時間しか寝ていない。一話だけといって『ゴーストやっつけちゃーズ』を見始め、おもしろいからあと一話だけ、気になるからもう一話だけ……明け方にナノカは寝てしまったが、ヒロシと、帰るタイミングを失ったらしい万太は、寝ずに見続けていたようだ。頭の中では懐かしのやっつけちゃーズのストーリーと、万太にいわれた今後の計画とがぐるぐるとまわっていた。要するにごちゃごちゃになっていた。

「あたしがやるべきことは……ゴーストをやっつける、だよね」

 重たい瞼をどうにか上げて、歩きながらナノカがいう。少し前までは寒い日が続き、昨日はちょうど良い暖かさだったが、今日はどういうわけか暑いほどだ。五月の気候は難しい。余計に頭がくらくらした。

 その隣で、寝ていないはずなのに背筋を伸ばし、まるで不調を感じさせない万太が、きっぱりといった。

「ちがいます。まずは竹ノ内先生の様子を探る……のは、あなたには無理そうなので僕がやりますが、あなたは悪将軍がだれであれ、敵を倒すことを第一としてください。昨日、向こうがわざわざいったぐらいですから、相手側の狙いはそこなんでしょう。どう転ぶかは別として、ですが」

「うーん」

 敵、敵……ナノカは昨日の話を必死で思い出した。

 竹ノ内が黒幕である可能性があるのだというが、昨日の彼はどう見ても操られていたし、目を覚ましたときには記憶がないといっていた。それが演技だということもあるだろうが……どうにも、釈然としない。

 ヒーローなら悪将軍をやっつけてくれる──なぜ竹ノ内は、そんなことをいったのだろうか。竹ノ内が悪将軍本人ではなく、操られていたのだとしても、あの言葉が悪将軍のものであることはまちがいないだろう。まるでやっつけて欲しいかのようだ。挑発か、それともほかに、狙いがあるのか。

 もしくは、「ヒーロー」「悪将軍」のほかになにかが……考え始めるときりがない。

「それと、心です。あなたがヒーローとしての力を手に入れた代わりに、なんらかの心を失っているのはまちがいありません。ヒーローをやめたいのならばそれを見つけだすことが最優先事項でしたが、そうでなくても逆の意味で、やはりわかっておいたほうがいい。これまでの十二年間を思い出して、考えておいてください」

 万太は、メモ用紙を渡してくる。ものすごく受け取りたくなかったが、仕方なくナノカは手を伸ばした。美少女アニメのタイトルロゴが入ったピンク色のメモ用紙だ。ヒロシのものを使ったのだろう。

「えーと……良心、慢心、猜疑心、関心、感心、歓心、出来心、邪心、無心、無関心、苦心、細心、愉快、痛快、鬱々、迷い、後悔、悩み……」

「喜怒哀楽、といった大きなものではないでしょうからね。思いつくものを、いくつかピックアップしておきました。最初は『心』のつく言葉を考えていたのですが、そうとも限らないでしょうから。まだまだ、あると思います」

「へえー」

 ナノカは心から感心した。いったいいつのまに。ずっといっしょにDVDを見ていたと思ったが──実際、ヒロシとともにやっつけちゃーズ談義に花を咲かせているようだったが──彼はしっかりと働いていたようだ。

 それに比べて、自分は。

 食べてシャワーを浴びてアニメを見て、ただ寝て、そしてまだ眠い。

「万太くんは、ほんと、偉いねえ」

「なんですか。当然でしょう」

 万太がメガネを直す。ナノカは首を振った。

「偉いよ。なかなかできないよ。かっこいいと思う」

「か……っ」

 万太が立ち止まった。

 つられて、ナノカも止まる。時間が止まったような、沈黙。

 腕時計に目をやった。まだ余裕だが、止まるほどではない。

「どうしたの?」

 顔を寄せると、磁石が反発するように、その分ぴったり遠ざかる。

「……あ、あなたにはいっておかなければならないことが、二つ、あります」

「うん、歩きながらでいいかな」

「もちろんです」

 万太はゴホンと咳払いをする。しかし動く様子がないので、ナノカは歩き始めてみた。そうすると、一定の距離を保ち、隣に並ぶ。

「まず、昨日の朝のことですが……転入生の話は聞いていたのですが、まだ制服が行き渡っていないという話だったので、そうとは気づかず、対応が不親切なものになってしまいました。謝るタイミングを逃してしまって、一日過ぎてしまいましたが。もうしわけありませんでした」

 淡々と、万太は謝罪を口にした。

 ナノカはまばたきをする。

 そういえば、門が閉められていた。そんなこともあったなあと、まるで遠い昔のことのように思い出す。

「いいよ、もう。勘違いなんでしょ。それにこの制服、お兄ちゃんが裏ルートで入手したらしいんだよね。初日から着たいだろうって。だから、学校で注文したのはまだもらってないんだよ」

「裏ルート……」

 つぶやくが、深くは聞いてこない。その気持ちはナノカにもよくわかった。

 兄から裏ルートという言葉を聞いたときには、ナノカだって心からつっこみたかった。が、やめた。だって聞くのなんか怖い。

「それで、もう一つは?」

 万太は二つといっていた。軽い気持ちで尋ねると、もう一度立ち止まってしまう。

 しかし今度はすぐに、歩き出した。斜め四十五度に顔を上げ、ナノカのいない方向に微妙に視線を避けている。

「その……昨日から、思っていましたが。あなたの言動は、あまりにも、誤解を招きます。それに昨夜、寝るときですが、ぼ、僕の膝に頭を……ゴホン、いやそれはまあ、意識がなかったのだと思いますが……とにかく、もっと警戒心を持って……──あ、警戒心? それが正解なんでしょうか。だとすると、警戒心を持ったらヒーローではなくなってしまう……いや、待て、そういうことなら、足りない心はまだまだありそうですね……」

「なにぶつぶついってるの。ほとんど聞こえないんだけど。あたしだって、警戒ぐらいするよ! 警戒!」

 ほらね、とナノカはファイティングポーズをとってみせる。ナノカの思う警戒心の表れだ。

 しかし万太は、それをごく冷淡な目で見た。

「そうですか」

 まるで伝わっていない。

 ナノカはため息を吐きだした。自分には足りない心があるといわれても、まるでピンとこないのだ。

 それに、どこか哀しい、寂しいような気持ちもある。

 五歳のころから、心が、欠けている。

 それはまるで、欠陥品だといわれているような……──

 とか考えるのは、実は一瞬だった。なぜならナノカは、この十二年間、とくに困ったこともなかったし不満もなかった。つまり欠けている心というものにまったく心当たりがない。まあいいかと楽観的に捉えている。

 考えてもよくわからないことは、考えない。

 とりあえず、進む。

 それがナノカの信条だ。

「ねえ、『変態』っていうのも、心の種類かなあ」

 ちらりとうしろのほうに目をやって、聞いてみる。万太は一瞬考えたようだった。

「……どうでしょうね。まあ、そんなような気もしますが」

「お兄ちゃん、ナゾ仮面に願い叶えてもらってさ、変態の心なくしちゃったらいいのに」

「すぐに取り戻しそうですけどね」

 たしかに、叶った願いは一瞬でなかったことになりそうだ。ナノカは眉根を寄せる。

 隠れているつもりなのかもしれないが、気づいていた。ビデオカメラを構えたヒロシが、しっかりとついてきているのだ。録画してどうするつもりなのだろう。

「まあ、さすがに仕事があるでしょうから、ずっとではないでしょう。そういえばお兄さんは、なんのお仕事を? いえ、ただの興味ですが」

「大学の研究員だよ。時間の融通が利くんだってさ」

 ヒロシが白衣を着ている姿はなかなかさまになっていると思うが、白衣を着てにやにや笑ってビデオカメラを構えている様子は怪しいことこのうえない。

 だってお兄ちゃんはナノカが大好きなんだ!

 と熱く語られても引くだけだ。

 ナノカももちろん兄が大好きだったし、愛されているのは嬉しくもあったが、ときどき、ああ本当に変態なんだなあと思うことがある。その矛先が第三者に向いて迷惑をかけるよりは良いと思うことにする。

「振り切るというわけではありませんが、もう少し急ぎましょうか。まだだいじょうぶですが、二十分には校門を閉めなければなりませんし」

「閉めるんだ」

 そこは譲れないようだ。ちゃんと気をつけなきゃと、ナノカは頭のなかの情報を改めて書き換える。学校は八時二十分までに行くこと。

 不意に、カバンに引っかけたケースのなかで、携帯電話がぶるぶると震えた。歩きながら、ナノカはゆっくりケータイを引き出す。

 メールかと思ったのだが、そうではなかった。三ッ山小亜羅と名前が出ている。慌てて通話ボタンを押すと、小亜羅の声が飛び込んできた。

「ナノカちゃん! 大変なことになってるの!」

 ひどく取り乱した声だ。声のうしろから、叫び声まで聞こえてくる。窓の割れる音や、なにかがぶつかるような音。

 ナノカはさっと血の気が引いた。昨日、女子生徒たちに襲いかかった男子生徒たちの姿が、頭に浮かんだ。またあんなことが──いや、おそらく、それ以上のことが。

「学校ですね?」

 万太の問いに、急いで尋ねる。

「こあらちゃん、そこ、学校だよね? どうなってるの? あたし、いますぐ……」

「来るな」

 応えたのは、小亜羅の声ではなかった。低い男の声だ。

「え、だれ?」

「来なくていい、野中さんは帰るんだ。今日は家から一歩も出るな。わかったな」

 その声には、覚えがあった。

「竹ノ内先生?」

 ブツリと、通話が切られてしまう。無機質な音が続く。

 ナノカは慌ててかけ直そうとして、思い直した。行ったほうが早い。来るなといわれておとなしく帰るわけにはいかない。

「あたし、行くから!」

「ちょ……っ」

 万太がなにかをいおうとしたが、悠長に聞いている場合ではなかった。ナノカは地面を蹴って、勢いよく走り出す。

 学校でなにが起きているというのだろう。

 気が気ではなかった。

 昨日、あんなことがあったばかりなのに、家でもその対策を皆で考えていたのに──といってもナノカはほとんど一方的に指示されただけだが──それでも、現実味が薄れていた。

 家のなかは平和で安全で、危機感はどこか遠い出来事のことのように、消えそうになってしまっていた。

 現実なのだ。

 悪将軍という敵がたしかにいて、ナノカはヒーローなのだ。

 立ち向かっていかなくては、ならないのに。

「許せない……!」

 情けないという気持ちよりも、怒りが勝った。風を切り、車をも追い抜いて、疾走していく。

 花ノ宮高校は、すぐに見えてきた。門まで回り込むつもりもなく、走り込んでそのまま塀を跳び越える。学校にたどり着くまでは、制服姿の生徒たちを何人か見たのだが、敷地内ではどういうわけかだれにも会わなかった。適当な昇降口でスニーカーを脱ぎ捨てて、校舎に入る。

 いやに、しんとしていた。

 全力で走ってきたナノカはすでに汗だくだったが、校舎内はひやりとしていて、汗が一気に冷えていった。上靴を履いていない足の裏は冷たく、嫌な予感とともに冷気が身体を浸食していく。

 電話で聞こえてきたような物音も、叫び声も、ない。

 ナノカは、階段を駆け上がった。とりあえずは2─Aで、小亜羅や竹ノ内に会わなければと思った。

 途中、とおりすぎる教室を覗くが、だれもいない。生徒は愚か、教師も。しかし、散乱したカバンや教科書、乱れた机やイス、割れた窓が、確実になにかがあったのだと伝えている。

「どういうこと……」

 鼓動がどんどん早くなる。手遅れ、という言葉が脳裏に浮かんだ。

 小亜羅やほかのみんなは、無事なのだろうか。

 もしかしたらどこかへ、連れて行かれてしまったのだろうか。

「──っ!」

 突然、背後から羽交い締めにされた。ナノカはとっさに腕を捻り上げて、身をよじって飛び退く。

 面をつけた男だった。縁日で売っているような、アニメキャラクターのものだ。男は痛がるそぶりもなく、すぐに体勢を立て直してくる。

 着ているのは、背広だ。

「先生……?」

 おそらく、そうなのだろう。転校したばかりのナノカには、だれなのかまではわからない。少なくとも、竹ノ内ではないことはたしかだ。

「操られてる……のかな。いまは、悪将軍の手下ってことだよね」

 両手を構える。やっつけてしまっていいものだろうか。ヒロシと万太が、悪将軍は指示書を持たせることによってひとを操るらしいといっていた。ということは、どこかに紙が貼り付けられているのだろうか。それを剥がせば良いのだろうが、内ポケットにでも入っていたらお手上げだ。

 しかし、そんなことを考えている場合ではなさそうだった。

 前方からも後方からも、ゆらゆらとひとが集まってきていた。全員が背広かジャージか、女性の姿もある。制服のものはひとりもおらず、例外なく面を付けている。

 ぞっとした。

 なんというセンス。

「悪いけどあたし……手加減しないからね」

 しかし、人数が多い。しかも全員が大人だ。

 大勢対一人、すぐに飛びかかっていかないといけない。ナノカは足に力を込める。

「野中!」

 どなりつけるような声が、響いた。

 面を付けた教師たちの間を縫って、走り込んできたのは竹ノ内だった。野中さんと昨日までは穏やかに名前を呼んでいた彼は、いまは鬼気迫る様子で、まったく余裕がない。ナノカの手をつかみ、そのまま走る。

「どうして来た、家にいろといっただろう!」

 力一杯怒鳴られて、ナノカは身を小さくする。どうしてそんなに怒られているのか、わからない。

「だってあたし、どうしても気になって! みんなはどうしちゃったの、こあらちゃんは?」

「風に攫われた。おそらく、あの城にいる。いまいたのは全員教師だ。暴力を振るうんじゃないぞ」

 ナノカはとっさに叫び返そうとするが、なにをいえばいいのかわからなくなる。小亜羅が城にいる。小亜羅だけではない、おそらくは、この時間までに登校してきていた全員がということなのだろう。

 竹ノ内に手を引かれるままに、階段を駆け下りる。操られた教師たちは追ってきていたが、走ってくる様子はない。

「ここから出ろ。逃げるんだ」

 足を止めずに、竹ノ内がいう。言葉の意味が、ナノカにはわからなかった。

「どうしてですか! だってあたしが、悪将軍を倒さないと……!」

「おまえは女の子だろう!」

 泣きそうなほどに感情のこもった、声だった。

 ナノカはますます混乱する。

 女の子だ。そんなことはあたりまえだ。

 それが、どうしたというのか。

「戦うとかそんな物騒なことは、先生に任せとけ。ただでさえ昨日は……悪いことしてしまったみたいだしな。走って帰って、家に閉じこもっているんだ」

「だって先生は、ヒーローでもなんでもないのに……!」

「ヒーローって、なんだ」

 竹ノ内は、立ち止まった。いつの間にか、外に出ていた。

 靴はない。しかしそんなことを、気にしているときではない。

 正門の向こう側で、あとから来たであろう生徒たちがこちらをのぞき込んでいる。門は閉められていた。万太が立っている。なにかがあったことを察知し、なかに入れないようにしているのだろう。さすがだなと頭の片隅で思う。

 しかし、ナノカの目線は、竹ノ内へと戻された。竹ノ内は、ナノカの両肩に手を乗せ、正面からナノカの目を見つめていた。

「野中。ヒーローっていうのは、なんだ。力のあるやつのことか。すごく強いやつのことか。変身したり必殺技が使えたり、そういうやつのことか」

「あ、あたしは……」

 答えられなかった。

 竹ノ内のいおうとしていることが、わかってしまった。ナノカは首を振る。そんなことを気づかせないで欲しかった。

「あたしは……──」

「先生だって、ヒーローだ。だから、任せとけ」

 竹ノ内が、笑う。

 その背後で、風が舞った。

「先生!」

 ナノカがとっさに飛び出そうとする。しかし風のほうが早かった。まるで意志を持っているかのように渦を巻き、飛びかかってくる。

 竹ノ内が、ナノカを突き飛ばした。

 ナノカがよろめく。その瞬間に、風が竹ノ内を捉える。

 叫び声も、聞こえなかった。

 風があっというまに竹ノ内を包み込み、上昇する。空の城へと舞い上がる。まるでそうなることが決まっていたかのように、真っ直ぐ伸びて、消えていく。

 静寂が、残った。

 ナノカは膝をつき、拳を握りしめた。







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