scene_4 「冗談や遊びじゃないんだ」
ナノカは教室に戻ってすぐに、ノートを開いた。
前の学校のものを使っては混乱すると思い、今日持って来たのはすべて真新しいノートだ。そのなかで一番気に入っている、ピンクドットのノートにペンを走らせる。
☆ お城 わかってること ☆
一番上に、タイトル。
教室に来るまでの間に、万太と話したこと──そして、頭の中にあることを、まとめ始めた。
☆出現 五月一〇日 朝八時三五分ごろ。
☆大きさ すごく大きい。お兄ちゃんの好きなゲームに出てきそう。
☆実在? さわれるかどうかわからない。
☆
四つ目の☆を書き、ペンを取り出す。☆をえいやと塗りつぶした。重要事項だ。
★お城が出てきた時に校内にいたひとにしか、見えないっぽい。
・クラスのみんなも、ほかのクラスの子も、見える。
・先生たちにも見える。
・今日休んでる佐橋くんには見えないみたい(電話で呼び出して見てもらった!)。
・九時に来た用む員さんにも見えない。
・お兄ちゃんにも見える(学校関係者じゃないけど、そのときいたから?)
つまり、
敵は学校内にいるだろうって、万太くん(生徒会長!)がいってた。
「うーん。敵……、敵かあ」
ナノカは「敵」に赤ペンでぐるぐると丸をつけた。
黒板を見る。
二-Aのみんなが一致団結して、知り合いに電話をかけたりインターネットの質問版に書き込んだり、あの手この手で調べたことが、書き出されていた。他の地域でも似たような現象が起こっているのではないか、過去にもこういったことがあったのではないか──そして、高校の外からは、どう見えているのか。
結果、わかったことは、主にはナノカがノートに書き出したようなことだった。過去にも現在にも、どうやら類例はないらしい。
ナノカは、黒板に並ぶ文字のなかで、幽霊という二文字に目を留めた。
幽霊を見た、という証言があったのだ。まだ名前と顔が一致しないが、いったのは水無月という背の高い女子生徒だ。黒板に書かれていることを、そのまま写す。
☆教室で幽霊を見たような気がする──水無月景子(ちょうど城が出現したころか、その前後)
「じゃあ、敵……が、幽霊、とか」
もちろん、関係ないかもしれない。そもそも水無月景子の気のせいかもしれない。
ほかにも、朝から腹が痛いだの、鼻炎を発症しただの、胡散臭い情報も雑多に書かれている。さすがにそれは、書き写しはしないが。
ナノカは、ペンの尻で、顎をいじった。
そもそも、なぜ、敵がいるのか。
丸をつけた「敵」の文字から、矢印を引く。
あたしがヒーローだから?
付け加え、それから考えた。
どうして自分がヒーローなのかといえば、ヒロシのいっていたとおり、幼いころにそう願ったからなのだろう。いわれてみれば、そんなお願いをしたようなしなかったような──実のところ記憶は曖昧だったが、当時ヒーローに憧れていたのは間違いない。
昔は、無敵なんだぞとかなんとか、調子に乗っていたような覚えもある。だがそのあたりのことは、はっきりとはわからない。五歳のころのことなど、なんとなくしか覚えていなかった。
それに、超人的な力がなかったとしても、幼い子どもが自分をヒーローだということに、なんの不思議があるだろうか。時々会う四歳の従兄弟も、オレは最強のヒーローだとかなんとか叫んで、おもちゃの剣を振り回している。
「じゃあ、あたしのことも書いとこうかな」
☆ ヒーロー? ☆
☆力 怪力になるみたい。強くなる?
☆足 すごく速く走れた。たぶん。
☆空 飛べない。
★いつも使えるわけじゃない。よくわかんない。
書き出してみるものの、たいした情報ではなかった。
ナノカはため息をついて、ノートから視線を外す。
クラスメイトたちは、ああでもないこうでもないと、城についての議論に花を咲かせている。それは二-Aだけではなく、どうやらほかのクラスでも同じようなことになっているらしい。
教師たちも混乱しているのか、未だに現れない。緊急会議でもしているのかもしれない。一応黒板には自習の二文字が書かれていたのだが、あっというまに消されてしまった。
「ナノカちゃん、熱心なのね」
楚々とした身のこなしで、三ッ山小亜羅が近づいてきた。
だれもが席を立ち、移動し、好き勝手にやっている。ナノカの前のイスも空いているのを見て、小亜羅はそこに腰を下ろした。
「お城のことでしょう?」
ノートを覗いてくる。ナノカはわけもなく、泣きそうになった。
せっかく、また小亜羅と一緒に、楽しい高校生活が始まると思っていたのに。どうして、こんなことになってしまったのだろう。
「どうしよう、こあらちゃん」
具体的な感情は自分でもわからいままに、弱音を吐く。小亜羅は目を見開いて、何度もまばたきをした。長い睫毛が揺れる。
「ナノカちゃんったら、らしくないわ。お空にお城が出てきて、ナノカちゃんはヒーローで、こんなに楽しそうなことってないじゃない? どんな敵が出てきても、ナノカちゃんがやっつけちゃえばいいんだわ」
「敵?」
あれ、と思って聞き返す。たしかその話は他言無用だと、万太にいわれたはずだ。
「えと……敵?」
「敵、でしょう?」
小亜羅は、赤マルのついた「敵」の部分を指さした。それはそうだ。ノートに書いてしまったのだから、口に出さなくても、見られればそれまで、一目瞭然だ。
「それって、素敵だと思うわ。そうよ、ヒーローには敵がいるものだわ。正体のわからない、謎の敵……しかもこの校内、もしかしたらお友達かも……? とっても、浪漫! あとは……そうね、囚われのお姫様がいたら、完璧ね。想像するだけで、わくわくしてしまうわね」
両手を組んで、小亜羅がうっとりと空想の世界にふける。ナノカを慰めようとしているのかもしれない。
しかしナノカは、それどころではなかった。急いで首を回す。羽島万太はどこだろう。ぐるりと見回すと、右側直線上、廊下側の端に、羽島万太はすわっていた。しっかりとこちらを見ている。というか睨んでいる。
ゴメン!
口の動きでいった。
バレちゃった!
両手を合わせる。
でもいいよね!
てへ、と舌を出す。
「いいわけがないでしょう」
「え、テレパシー?」
「見ればわかります!」
思わず聞き返すが、万太はあっさり否定した。憤然とした足取りで近づいてきたかと思うと、ナノカのノートを取り上げる。無言でざっと見て、すぐに閉じる。
「ふん」
鼻で笑った。
ナノカの拳に力が宿る。しかし我慢する。
「預かっておきます」
絶対零度の目で見下ろして、そのまま持って行ってしまった。
律儀に自分の席に戻って、イスにすわる。教科書を開いて、どうやら本当に自習しているようだ。
「うう、持っていかれちゃったよ……」
返してと食い下がってもいいのだが、約束を破ってしまったのは自分だ。ナノカはがっくりとうなだれる。
「かわいそうなナノカちゃん。横暴ね、生徒会長」
小亜羅が、よしよしと頭を撫でてくる。ナノカは甘えて抱きつきたい気分だった。なによりも自分が情けない。
「せっかくの、かわいいノートだったのに。取り上げるなんて、ひどいと思うわ。ねえ、そうだわ、今度学校の帰りに、お買い物に行きましょう? わたし、素敵なノートをたくさん差し上げたいわ」
「いいよう、自分で買うよ。でもお店とかわかんないから、一緒に行こう」
「ええ、もちろん」
幼いころと同じように、小亜羅が柔らかく笑う。美人だなあと口には出さずにしみじみと感心しながら、買いに行くなら今度ではなくて今日がいいなと、ナノカは提案しようとする。
「こあらちゃん……」
「席につけー!」
しかし、登場した担任教師竹ノ内の怒声が、それを遮った。
「じゃあ、またのちほど」
小亜羅が席を立ち、戻っていく。ナノカはひどく残念な気持ちでそれを見送った。もっと話したかったのに。
「まったく、自習だといったのに」
白髪交じりのナイスガイ、竹ノ内がそういって、黒板を消していく。しかしその声は、呆れてはいるが真剣に怒ってはいないようだった。生徒たちも萎縮している様子はなく、ごめんなさーいと軽く返す声まで聞こえる。
慕われてる先生なんだろうな──ナノカはぼんやりと、そう思った。新しい教室、新しいクラスメイト、新しい先生。しかもカッコイイ。
城や力のことは気になるが、学校生活自体は普通に行われるはずだ。とりあえずは気にしないでおこうと、二番目にお気に入りのオレンジドットのノートを取り出す。
「まあ……いろいろあって遅れてしまったが、授業を始める。それぞれ気をしっかり持って、空を見ずに、取り組むように」
ハスキーボイスで、淡々という。いわれてしまえばよけいに、ナノカは空を見上げた。
やはり、城が見える。
「もしも降ってくるようなことがあっても、まあおそらくは、ちょうどグラウンドに収まるだろう。念のため、グラウンドでの体育は中止だ。休み時間にも、行かないように。城のことは気にしない、以上!」
それは、クラスでも話題になったことだった。だが、そもそも、人によっては見ることすらできないのだから、実体があるのかどうかも疑問だ。
ナノカは、指先でくるくるとツインテールをいじった。
とりあえずは、授業。自分にそういいきかせ、できるだけ考えないようにする。
「では、数学の問題集を出して。一七ページの……」
ナノカは、慌てて問題集を取り出した。ページを開いて、手のひらで折り筋をつける。周りを見ると、ノートを出しているもの出していないもの、まちまちだ。直接書き込むか否かは、自由なのだろうか。
聞いてみたほうが良いだろうかと、顔を上げる。
「……?」
眉をひそめた。
竹ノ内の様子が、おかしかった。
まっすぐよりも、少しだけ左──どこかを、だれかを、見ていた。
あるいは、その瞳にはなにも映っていなかったのかもしれない。
動きが、完全に止まっていた。
「先生、一七ページの、どれですかー?」
一番前の生徒が、もっともな質問を投げる。
しかし、答えはない。
竹ノ内は、ゆっくりと、首を動かした。
まるでさび付いたねじのように、ぎこちなく、目線が移動する。その目がたしかに、ナノカを見る。
「全員、問題集を閉じて」
静かな声で、そう指示を出した。
生徒たちは不思議そうながらも、やれといわれるよりはやるなといわれるほうがいいのか、文句もいわずに閉じていく。しかしナノカは、動けずにいた。
竹ノ内から、目が離せない。いま、間違いなく、目が合っているのだ。
「えっと……先生?」
こちらに注意を向けていることは明白だった。おそるおそる、呼びかけてみる。
竹ノ内の唇が、両側につり上がった。
「特別授業を行う。空の城についてだ」
何事もなかったように、その目がナノカから外された。ナノカはほっと胸をなで下ろす。いくらナイスガイといえど、教師から凝視されるのは良い気分ではない。
「城のこと気にするなっていったじゃん」
「なにかわかったんですか?」
質問が飛ぶなかで、竹ノ内は力強く、拳で黒板を叩いた。
しん、と静まり返る。
ナノカは息をのんだ。皆が戸惑い、怯えているのがわかる。普段はそんなことをしない先生なのだろう。
「あの城は、悪将軍の城だ」
ワルショウグン……教室内がささやかにどよめいた。
「悪将軍は、世界征服をたくらんでいる。手始めにこの花ノ宮町、花ノ宮高校を手中に収めようとしている。悪将軍に逆らえば、君たちの命は保証されない」
まるで、兄の好きなヒーローもののような話だ。ナノカは、竹ノ内をじっと見た。
先ほどまでとはまるで別人だ。なぜ突然、そんなことをいいだすのだろう。
「しかし、心配することはない」
竹ノ内は、さわやかな笑顔を生徒たちに向けた。
「このクラスには、ヒーローがいる! だいじょうぶだ、きっとヒーローが、悪将軍をやっつけてくれるさ! なあ、野中!」
クラス中の全員が、ナノカを見るのがわかった。
ナノカは硬直する。
自分が無関係ではないのだろうと、薄々気づいてはいた。万太に指摘されただけではなく、偶然にしてはできすぎだろうと、自分でも感じていた。
しかし、これほどまでに、ダイレクトにいわれるとは。
「あ、あたし、ですか?」
「もちろんだ、野中ナノカ」
竹ノ内が笑う。奇妙な笑みだ。どうしてこの状況で、それほどまでに爽やかに、笑えるのだろう。
「おまえは、ヒーローだからな。どんな敵にも打ち勝つと、信じているぞ」
「きゃあああっ!」
甲高い悲鳴が、こだました。
最初は一つ、しかし一人によるものではなかった。2─Aの女子生徒たちが、口々に悲鳴をあげていた。
「ちょっと、なにするの!」
「やめて!」
襲いかかっているのは、男子生徒だ。彼らは一様に無言で、うつろな目をしていた。女子生徒を羽交い締めにするもの、上にのしかかるもの、まさに殴りかかろうとしているものもいる。
それはナノカも例外ではなかった。隣の席にすわっていた、見るからにおとなしそうな小柄な男子生徒が、両手を降り上げて飛びかかってきたのだ。
「わわ!」
とっさにかわし、竹ノ内を見る。彼は笑顔で、教室内をただ観察している。
ナノカはぞっとした。どういうことだろう。どういうつもりで、彼はこの状況を傍観しているのだろう。
「さあ、野中! 戦わないと、クラスメイトのピンチだぞ。これは冗談や遊びじゃないんだ」
まるで、はやく跳び箱を跳べとでもいうかのような口調で、当然のようにいい放つ。
ナノカは拳を握りしめた。
しかし、ためらう。敵ではないのだ。どう見ても、自分の意志ではないというのに、クラスメイトになったばかりの彼らを、殴り倒せというのだろうか。
「ナノカちゃん!」
小亜羅の悲鳴が聞こえる。彼女もまた、男子生徒に襲われていた。机の上に押し倒され、首を絞められようとしている。
「ナノカ、ちゃん……!」
「こあらちゃん!」
考えるよりも先に、身体が動いた。
「こあらちゃんを、離せ!」
身体をつかみ、むりやり引きはがす。そのまま持ち上げて、頭上でぐるぐると回した。
「悪、即、斬──!」
叫んで、投げ飛ばす。数人の男子生徒にクリーンヒットし、団子のようにまとめて壁に激突する。
しかしナノカは、止まらなかった。
「あたし、怒ったからね……!」
ゆらりと両手をかまえる。武道の経験などない。しかしどうすればいいのか、本能で理解していた。
つかんで投げる。
それしかない。
「女の子たちから、離れなさい!」
床を蹴った。男子の制服だけを目標に、次々とつかみかかる。振り回して投げつけて、の繰り返しだ。彼らも一応は抵抗したが、それはほとんど形をなさなかった。圧倒的なパワーと、スピードの差。まるであらかじめそうなることが決まっていたかのように、男子生徒たちはなすすべなく、放り投げられていく。
「野中さん!」
「ナノカちゃん、がんばって!」
女子生徒たちの、応援の声。しかしナノカには、それすらほとんど聞こえてはいなかった。
「てりゃ──!」
あっというまに、山ができた。
倒れ重なった、男子生徒の山だ。
ふう、と息をつく。
額の汗を拭った。
「まだ立てるやつは、かかってきなさい!」
机の上に仁王立ちする。女子生徒たちが歓声をあげた。
「かっこいい──!」
「ナノカ──!」
それほど、悪い気はしない。ナノカはえへへと頬をかく。
「あなたは、馬鹿ですか……」
積み上げられた山の、下の方から這いだして、弱々しい声がいった。
「あ、万太くん」
どうやら序盤で投げ飛ばしていたようだ。万太は激しくせき込んで、転がっていたメガネをかけ直す。それから、教卓の向こう側、腕を組んで様子を見守ってる竹ノ内を、指さした。
「まだ、終わりじゃないでしょう……!」
「え。あ、先生?」
しかし、それで終わりだった。
竹ノ内は、まるでゼンマイが切れたかのように、足下から崩れ落ちた。顔から床に激突し、がつんと重い音がする。
そしてそのまま、動かなくなってしまった。
「せ、先生……?」
ナノカが近づこうとしたが、それを制して万太が慎重に近づいていった。復活したほかの男子生徒が、さっと箒を差し出す。万太はうなずいてそれを受け取ると、箒の先で、竹ノ内をつついた。
反応がない。
ナノカが竹ノ内の脇に座り込み、うつ伏せに倒れていた彼をえいやと仰向けにさせる。
白目を剥いていた。気を失っているのは明らかだ。
「彼が黒幕というよりは……だれかに操られていたと考えるのが、自然ですね」
ごく冷静に、万太がいう。
「開いた! どうしたの、いったいなにがあったの!」
けたたましい声と同時に、ドアが開け放たれた。2―Bの担任福原夏美が、ずっとドアを開けようとしていたらしい。
彼女は、2―Aの惨状に、息をのんだようだった。
それはそうだろう。イスや机はめちゃくちゃに倒れ、男子生徒のほとんどは未だ山となっており、竹ノ内は気を失っているのだ。
「どういうこと?」
そういわれても、どう説明すればいいものか。
2―Aの面々は、それぞれ不安げに顔を見合わせた。