scene_3 「敵がいるはずです」
それはたしかに城だった。
城としかいいようがない。
外観はヨーロッパに現存する古城を思わせるが、しかしそれにしてはあまりにも真新しい。テーマパークに建設された城、といったほうが近いかもしれない。
いずれにしても、異常なのは、その姿形ではなかった。
場所だ。
花ノ宮高校上空に、浮かんでいるのだ。
羽島万太は、人差し指でメガネを押さえた。
朝から超人的な力を持つ転入生を間近で見て、今度は空に浮かぶ城。
夢、かもしれない。
だったらいいなと切に思う。
「本当に、まったく、心当たりがないというのかね?」
花島校長が、重々しく問いかける。
万太は、野中ナノカと共に、校長室へ呼び出されていた。授業どころではなかった。上空に城が浮かんでいる状態で、さすがに教科書を読んでなどいられない。
「だから、お城のことはぜんぜん知りません、ってば。ヒーローがどうのっていうのも、よくわかんないし」
ナノカがはきはきと答える。彼女の気持ちに呼応するように、ツインテールが跳ねた。
「あたしだって、混乱してるんですよ。ねえ、万太くん」
突然話題を振られる。万太は咳払いをした。
本当は、ナノカの兄がこの場にいればと思う。しかし彼は、ナノカに破廉恥な衣装を押しつけたかと思うと、そろそろ戻らないとヤバイといい残し、さっさと姿を消してしまった。
「彼女をフォローするつもりもありませんが……、見る限り、彼女がなにも知らないというのは本当のようです。城が出現した際には驚いていましたし……それに、校門を持ち上げた力も、一時的なもののようでした。クラスメイトにいわれ、教室でも様々なことを試みていましたが、まったく常人と同じでした」
「そうなんですよ、机を曲げてみろとか空飛んでみろとか、いろいろいわれましたけど。なにもできませんでした」
しきりにナノカがうなずく。だから早く解放しろといわんばかりだ。転校初日に校長室に拘束されるのは、喜ばしくない事態だということは理解できる。
しかし──万太は、横目でじろりとナノカを観察した。
本当に、無関係なのだろうか。
彼女が驚異的な力を発揮してすぐに、あの城が出現したというのに。
「たとえ自覚がなくとも、彼女となんらかの関わりがあるというのは、充分に考えられるでしょうね」
思ったままにそういうと、ナノカが驚いたように万太を見た。
「なんで! だから、知らないっていってるじゃん!」
「あなたが知る知らないに関わらず、ということをいっているんですよ」
「ええ?」
それほど難しいことをいった覚えはなかったが、ナノカの許容量を超えたようだ。それ以上噛みついてくることもなく、眉間に皺を寄せる。言葉の意味を考えているのだろう。
「校長先生も、そうお考えなんですよね?」
万太がそういうと、花島校長は肯定するでも否定するでもなく、ううむと唸っただけだった。
しかし、万太はある程度のことは理解し、そして推理していた。城が出現してから、校長室に呼ばれるまでの数十分、調べられることはたくさんあった。あんなものを目撃して、興味を持たないほうがおかしい。花ノ宮高校の生徒たちは、それぞれ協力し合い、情報を集めようとしていた。
「なんのために、彼女と僕をここへ呼んだのか、わかっているつもりです。僕は生徒会長として、彼女が誤った行いをしないよう、常に監視します。それが、花ノ宮高校を守る僕の使命です」
「常に監視!」
ナノカが甲高い声をあげる。しかし万太は無視を決め込んだ。
「ですから、先生方、どうぞご安心ください。あの城がいったいなんなのか、今後どうすべきなのか。彼女が関わっているのだとすれば、監視することで解決の糸口が見えてくるかもしれません。全力で、問題解決に努めます」
「う、うむ。君がそこまでいうのなら……。わかった、では彼女のことは、君に任せよう」
花島校長が、重々しくうなずく。万太は深く一礼し、踵を返した。長居は無用だ。
ちらりとナノカを見る。ついてこいと目で告げる。アイコンタクト。
しかしナノカは、まったく気づかなかった。
「校長先生。あのお城のことなんですけど、クラスのみんなで……」
「野中さん」
少々荒々しい声で、呼びかける。ナノカは驚いて、大げさに首をすくめた。
「え? なに?」
「校長先生はお忙しいんです。行きましょう」
「あ、そっか。はあい。失礼しました!」
びしりと敬礼し、ナノカも校長に背を向ける。できるだけゆっくりと歩を進め、万太は扉を開けた。
「それでは、失礼します」
最後に振り返り、頭を下げる。
「失礼しました!」
わざわざ大声で、ナノカも繰り返した。そっと扉を閉め、深呼吸。
じろりと、ナノカを見た。
「馬鹿ですか」
いわずにはいられなかった。いってしまってからすぐに後悔する。馬鹿だということはいちいち問うまでもなく明白だというのに、なんと愚かな質問をしてしまったのだろう。
「なんで! どうして……校長先生に、いっちゃいけなかったの」
おや、と思った。万太の評価では、野中ナノカという女はもっと馬鹿にランク付けされていた。しかし彼女は、万太の言葉の意味を正確に理解し、声をひそめたのだ。
「訂正しましょう。馬鹿というのは失礼でしたね。やや馬鹿、ということに……」
拳が飛んだ。
万太のすぐ隣の壁に、ナノカの拳がめり込んでいた。
「つ、使えるんじゃないですか、その馬鹿力」
「知らないよ、ちょっとムカっとしたら手が出ちゃったの」
「なんて危険な……!」
万太は息をのむ。ちょっとムカっとさせた程度で命が危険にさらされるとは。
「教室行きながらでいいから、ちゃんと教えて」
ナノカはふいとそっぽを向いてしまった。ツインテールをなびかせて、さっさと歩いて行ってしまう。
先に行かれてしまったのでは、教えるもなにもないではないか──そうは思いながらも、万太は長い足を武器に、走ることなくナノカの隣に並んだ。
「僕がこれから口にするのは、推測です。推測ですが、第三者に話すのは危険ですので、あなたの心にだけ、しまっておいてください。たとえばあなたのお兄さんや、三ツ山さんにもです」
「よしわかった、任せて」
あまりに軽々しい返答に、万太の脳に不安がよぎる。しかしここは彼女を信じることにしようと、腹を決めた。どのような形であれ、彼女が当事者であることは間違いないのだ。
「あなたはこの町のヒーローだということですが……では、倒すべき敵は、だれなのですか。単体なのか、組織なのか、そしてなにを目的としている相手なのか。なにか、心当たりが?」
「へ?」
ナノカは大きな目をまたたかせた。
「敵……この町の敵、だよねえ。えっとー……町の平和を乱すちんぴらとか、んー、横暴な教師とか?」
「あなたの判断でやっつけるんですか? そんなことをすれば、あなたが犯罪者になるだけです」
万太は息をつく。思ったとおりの反応だった。思ったとおり、彼女の脳は残念な作りらしい。
「いいですか、古来から、ヒーローといえば絶対の正義、倒すべき悪がいなくてはいけません。それは戦隊と名の付く前から、そう、スーパー戦隊と呼ばれる前から、ましてやスーパーヒーロータイムが始まる前から、決まっています」
「……え、え?」
「僕としては、リアルロボットより断然スーパーロボット、正義がいて悪がいて、悪者を倒して解決という爽快さを重要視します。まあ一概にはいえませんが……ロボットでいうのならば、そうですね、エルドランや勇者はすばらしかった。サンライズはもっと、ああいった夢のある……」
「万太くん?」
万太ははっとした。口元を押さえるが、もう遅い。
いったい自分は、なにを口走ってしまったのだろうか。ヒーローという言葉に我を失い、語ってはいけないなにかを、語ってしまったような。
「あ、いえ、いまのは、あくまで一般論を……」
「好きなんだねえ、そういうの」
ごまかせる気がしない。しきりにメガネを直す。
ナノカは足を止め、まじまじと万太を観察していた。万太はいたたまれなくなり、目線を逸らす。
堅物、校長のイヌ──等々の言葉なら、慣れている。
だがもしかして、これは……オタクとかそういったことを、いわれてしまうのだろうか。断じてオタクではないというのに。自分程度のものがオタクなどと名乗っては、世のオタクたちにもうしわけないというのに。
いやそうではなくて、そういう方面のことは、いままでひた隠しにしてきたのだ。万太は咳払いをした。
「と、いうようなことを、あなたのお兄さんならいいそうではないですか?」
完璧だ。心の中でガッツポーズ。なんという完璧なごまかし術。
「うん、いいそう、いいそう。万太くんも好きなんだ。なんか、意外だねえ」
しかし、まったく通じなかった。万太は必死に頭を巡らせる。どうにかしなければ。
「でも納得したよ!」
しかし、続く言葉は、万太の予想とは異なっていた。
「生徒会長ってだけで、そんな徹底して頑張れるもんかなって、ちょっと不思議だったんだ」
「はい……?」
話の展開が読めず、万太はおそるおそるナノカに目を向ける。
どきりとした。
ナノカは、まるで満開の花が咲いたような笑顔で、万太を見ていた。
「万太くんは、花ノ宮高校の、ヒーローなんだね」
「……っ!」
万太は、心臓を押さえた。
得体の知れない衝撃。
「……?」
制服の上から、心臓をつかむ。形を確かめるかのように、慎重に。
おそろしく派手に、波打っていた。
あまりにも速い鼓動。
いったい、どうしてしまったというのか。
「い、いや、僕は……」
そんなことをいわれたのは、初めてだった。ヒーローなどではないと否定したいのに、上手に舌がまわらない。彼女をじっと見つめたのでは不審に思われるとわかっているのに、目が離せない。
なんという無防備な顔で、笑うのだろう。
どこも取り繕っていない、それがあたりまえであるかのような、眩しい笑顔。
万太にとっては、未知の生物だ。
これが、ヒーローとしての資質というものなのだろうか。
「それで、万太くんの推理は……んーと、あたしがヒーローなんだとしたら、悪者もいるはずだ、ってこと?」
万太は我に返った。慌てて自身の胸を数回叩く。落ち着け落ち着けと、何度も念じながら。
「そ、そういう、ことです。あなたがヒーローとしてこの高校へ現れて、すぐに城が出現した……つまりあの城は、悪の城ということなのでしょう。ヒーローには──少なくとも女子高生ヒーローには、城は必要ありませんからね」
「なるほど。よくわかんないけど、そういうもんなんだ」
素直に、ナノカがうなずく。万太はメガネを光らせた。
「ですから、敵がいるはずです。おそらくは、この学校内に」
「ふんふん。だから、校長先生も?」
「敵ではないとは、いいきれませんからね。まあ、僕たちが調べた程度のことはすぐに向こうも調べられるでしょうが、敵かもしれないのにわざわざ馴れ合う必要もないでしょう」
万太は、教室へ続く階段を上ろうとして、足を止めた。思いついたことがあった。
この時刻なら、もういるはずだ。
まっすぐ突き当たりまで廊下を進み、中庭へ続くドアを開ける。
そこには、竹箒で掃除をしている用務員の男性がいた。
「おはようございます」
「やあ、おはよう」
にこやかに、返される。慌ててついてきたナノカも、おはようございますと声を張り上げる。
「ちょっと、いいですか。空の城のことなんですが……」
万太はそう切り出した。唐突とも思ったが、この状況で遠慮することもないだろう。生徒でも教師でもなく、彼にこそ、聞いておく必要があった。
注意深く、反応を見守る。
用務員の男性は、掃除の手を止めた。おかしそうに──というよりも、いっそ呆れたように、笑い出す。
「またそれか、なんの遊びだい? よってたかって担ごうったって、そうはいかんよ。生徒会長も参加するなんて、よっぽどだねえ」
「ええ?」
ナノカが、素っ頓狂な声をあげた。空に浮いている城を指さす。
「お城だよ、お城。ほら、あの……」
「いえ、それじゃあ。お掃除、いつもありがとうございます」
よけいなことをいいそうなナノカの腕をつかんで、万太はさっさとドアを閉める。
ナノカが物いいたげにこちらを見ていた。説明を求めているのだろうということはわかったが、慌てて手を離す。
「あの人は?」
「ここの用務員さんですよ。出勤は九時。城が出現したのは八時三五分ごろなので、それよりあとにこの学校へ来たということになります」
簡潔に説明する。ナノカも、ひらめいたようだった。
「ということは……」
「情報を、整理しましょうか」
万太はメガネに手をあてると、にやりと笑った。