表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/15

scene_1 「嬉しいんだよ」

「ただいま、花ノ宮町──!」

 窓を開け放ち、野中ナノカは叫んだ。

 思い切り息を吸い込んで、ぜんぶを飲み込む。息を吐き出してしまうのがもったいない。嬉しさに足をばたつかせ、顔を左右に思い切り振った。ツインテールがぐるんぐるん揺れる。

「幸せ──!」

 とりあえず、思いの丈を叫ぶ。せー、せー、せー──住宅街に、声がこだました。まるで幸せのお裾分けをしたような気になり、ナノカは満足して鼻から息を出す。

「こら、ナノカ。ご近所迷惑だぞ。『ただいま』と『幸せ』はほどほどにしろっていっただろう。あとわざわざ窓を開けて叫ばない」

 フリルエプロン姿の野中ヒロシが、おたまを片手に小言をいう。ナノカはえへへと笑った。上目づかいに、親愛なる兄を見る。

「だって、嬉しいんだよ。今日から学校だよ? なんかもうね、頭のなかに楽しみが詰まってて、いまなら噴火できちゃいそうなぐらい」

 媚びているわけではなく、身長差からそういった目線になっただけだ。しかしヒロシは、額を押さえて頬を染めた。

「やばいな……! なんだそのかわいさは! ナノカは本当にかわいいな! ようしいいぞ、噴火でもなんでもすればいいとお兄ちゃんは思うぞ!」

 ヒロシは兄バカだった。微笑みとともにそう称される程度ではなく、完全に引かれるレベルだ。ナノカは兄が陰から表からなんと噂されているかよく知っていた。

 あの兄はヤバイ。

「お兄ちゃんのそういうバカっぽいところ、大好き!」

 そんな兄に向かって、心の底からナノカがいう。こっちはこっちで、重度ではないが妹バカといっていい。

 二人は右手をあげて、歩み寄った。ガシッと腕を組み、見つめ合って、うなずき合う。一呼吸分間を空けて、同時に天井を見上げた。

「愛!」

「こそ!」

「「正義!」」

 声をそろえた。二人が大好きだったヒーローアニメ、『ゴーストやっつけちゃーズ』の主人公たちが、毎回やっている掛け合いだった。二人の朝は、これがないと始まらない。

「いつまでもこうしていたいが、ナノカ、そろそろ準備を始めてもいいころだな。トイレは行ったか? ハンカチ持ったか? まあ、まだ出るには少しだけ早いが……──あ、待って待って、そのかわいい制服姿、写真に撮るから」

「もう、お兄ちゃん。あたし、余裕持って早く行きたいよ。なんでギリギリまで待つの?」

 一眼レフカメラで妹の写真をとりまくる兄にかまわず、カバンを肩にかけながら、ナノカが問う。

「いやあ、花ノ宮高校の制服はいいなあ。スカートもほどよく短く、それでいてお嬢様っぽさを損なわない……! 帰ってこれてよかったなあ、ナノカ」

 しかし、どうでもいい返答がよこされた。ナノカは頬を膨らませる。

「お兄ちゃん!」

「おお、いいぞ、いいぞ! その顔はポイント高いぞ!」

「変態」

 覚めた声で、ナノカは告げた。

 それはまるで、海岸ぎりぎりまで押し寄せようとしてきたテンションという名の波が、さーっと一秒で沖まで引いて、音もなく消えていくかのようだった。

 ヒロシは動きを止め、黙る。

 静かにカメラのレンズにカバーをはめ込んで、棚に置いた。

「悪かった」

 頭を下げた。ナノカはうなずく。

「ねえ、もう行っていいでしょ? 朝ご飯だって、まだ食べちゃダメっていうし。これじゃ、食べる時間なんてないじゃん。転校初日におなか鳴っちゃったら、恥ずかしいよ」

「わかってないなあ。いいか、もう少しだ。ギリギリまで、待て」

 ヒロシはニヤリと笑った。

「ギリギリアウトのタイミングで、食パンをくわえて走り出せ! 忘れるな、合い言葉は、『遅刻、遅刻ぅ』だからな!」

「ギリギリアウトなの? やだよ、そんなの!」

 ナノカは腕時計を見た。すでにギリギリだ。セーフなのかアウトなのか、慣れないナノカには判断すらつかない。

「お兄ちゃんの、バカ!」

「あ、待てナノカ、朝メシ!」

「もー!」

 ナノカはテーブルの上に用意されていた食パンをひっつかむ。これでは兄の思いどおりだと知りながらも、口にくわえた。革靴にニーハイソックスの足を入れて、ドアを開けて走り出す。

「行ってきます──!」

 アパートの階段を駆け下りると、全速力で高校へ向かった。

 五歳まで住んでいた、懐かしの町。以前から憧れだった、花ノ宮高校。

 やっと、そこの生徒になれる日が、やってきたのだ。

「遅刻、遅刻──!」

 意図せず、叫んでしまう。叫んでからしまったと思ったが、遅かった。走りながら振り返ると、ドアの前で、ヒロシがしっかりとこちらを見ていた。親指を空に向けている。その口が動いた。もはや聞こえないが、「グッジョブ」といっているのは明白だ。

「お兄ちゃんは、もう!」

 しかし、文句をいっている場合でもない。ナノカは腕時計を確認した。八時十八分。普通に歩いて、高校までは二十分ほどかかる。走ればその半分で着くのだろうか。走って行ったことはないので、わからない。 

 花ノ宮高校を訪れたのは、三回だけだ。転入手続きを目的としていたため、うち二回は母の運転する車だった。以前はこの町に住んでいたとはいっても、十二年も前のことではあてにならない。見慣れた景色があるような気もするが、気のせいだといってしまえばそれまでという程度だ。

 近道など、知るよしもなかった。ほかに方法はないものかと思いつつ、馬鹿正直に信号が青に変わるのを待ち、懸命に走る。

「あと少し!」

 ナノカは、全速力で走り続ける。

 最後の角を曲がり、正門前にたどり着き──

 ──足を止めた。

 がくりと、膝をつく。

 アウトだった。

 自分の背よりも高い門は、しっかりと閉ざされていた。

「ああ……」

 なんということだ。転校初日に、遅刻してしまった。

 兄を恨むしかない。

「どうしよう……」

 門を飛び越える。

 塀をよじ登る。

 どちらも不可能ではなさそうだが、そんなことをして良いものだろうか。

 絶望的な気持ちで、顔を上げる。いかにも片田舎らしい広い敷地に、どんと構える花ノ宮高校。門の向こうには、ドラマなどでよく見るような長い長い桜並木が続いている。さらに遠くに、古い校舎が二つ。レトロな時計台が、こちらを見下ろしている。

「あれ?」

 ナノカは、まばたきをした。まだ、八時二十分を少しまわったところだ。腕時計で確認するが、示している時刻は同じ。

 おかしい。家を出るときに、見間違えたのだろうか。まさか、五分かそこらでここまでたどり着けるわけもない。

 それに、門が閉まっているのもわからない。八時三十分までに着けば、セーフのはずだった。

「休校……?」

 そんなはずはないと思いつつ、つぶやく。

「そんなはずがないでしょう」

 しかし、第三者によってしっかりとつっこまれた。

 不機嫌そのものの、男の声。

「もう五月だというのに、まだこんな時刻に来る生徒がいたとは。八時二十分までに登校し、すみやかに一限の準備をすること。生徒会の定めた鉄の掟を、知らないとはいわせませんよ」

 男は、メガネを人差し指で押さえるようにして、高圧的にいった。門の向こう側から、冷ややかにナノカを見下ろしてくる。

 花ノ宮高校の制服を着ている。教師というわけではないようだが、教師よりも偉そうだ。

「知らないよ」

 ナノカは、正直にいった。事前説明の際にも、そのようなことをいわれた覚えはない。

「ねえ、入れてよ。これって、まだ遅刻ってわけじゃないんでしょ?」

「遅刻です」

 きっぱりと断言される。必死に走って、しかも時計を見る限りでは間に合っている分だけ、納得がいかない。ナノカは両の拳を握りしめた。

「なんで! 八時半までに着けばいいんでしょ! そういう決まりがあったんならあたしが悪かったけど、知らなかったんだからしょうがないじゃん!」

 怒りのままに、声を荒らげる。男は眉根を寄せ、手を顎に当てた。

「知らなかった?」

 不可解だといわんばかりに、じろじろとナノカを見る。それから、もしかしてとつぶやいた。

「あなたは、今日転校してきた……」

「こんなのって、横暴だよ! 正義の道に反するよ! 頭に、きた────!」

 男がなにかをいいかけたようだったが、ナノカの耳には届かなかった。完全に頭に血が上り、周囲が見えなくなっていた。

 ガシリと、両手で門をつかむ。

「ぐ──わ──!」

 冗談のつもりではなかった。どういうわけか、できるという気がしていた。

 いまなら、立ちふさがる鉄の門を、持ち上げて放り投げてぐしゃぐしゃにしてポイすることが可能だと、可能に違いないと、確信があった。

「強、行、突、破──!」

 ナノカが十人横に並んでも、まだ足りないのではないかという巨大な鉄門が、ぎしぎしと音をたてる。握りしめている部分は熱を帯び、指が食い込んだ。まるでマシュマロのように。

「ちょ……な、なにを……?」

 メガネの男が、数歩下がる。震える手でメガネを持ち上げた。おそらく、これからなにが起こるのかを察したのだろう。

 しかしナノカには、止まる気はなかった。時間内に校門を越えることが、いまの彼女にとってすべてだった。

「うりゃあ──!」

 とうとう、鉄門すべてが、レールから引きはがされた。

 ナノカはそれを、両手でえいやと持ち上げる。砂と、コンクリートのかけらのようなものが、ぱらぱらと落ちる。

「てい!」

 さらにそれを、頭上へ向かって放り投げた。ナノカは空を見上げ、タイミングを見計らって跳躍した。空中で、しかも片手で鉄門をキャッチして、手紙を書き間違えたときのように、ぐしゃぐしゃと丸めていく。正確には、ものすごい力での圧縮だ。空気の隙間を一切なくし、鉄そのものの密度を高め、できる限りに小さく。

「──は!」

 そして、最終的には、だれもいないグラウンドめがけて、ポイした。

 ズシン──地面が揺れる。

 ナノカは華麗に着地した。

 ツインテールが、ワンテンポ遅れてふわりと落ちる。

 時計を見た。八時二十五分。

「セーフ!」

 ごく機嫌良く親指を立てる。これでなんの問題もない。

「じゃ、あたし、行くね」

 もはや、ナノカの行く手を阻むものはなかった。ナノカは軽い足取りで、男の横を通り過ぎる。情けなくも、男は尻餅をついていた。メガネがズレている。

「ちょ……ちょっと、待っ……」

 男は手を伸ばしかけたが、結局は下ろした。

 ナノカはそのまま、カバンを前後に振りつつ、スキップで校舎へと入っていった。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ