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セーラー服を脱がさないで(4)

 平日の夕方、町の片隅にある小さなカフェバー『ムーン&リバー』に訪れる客はまばらだ。真新しい椅子に腰かける客から見えない位置で、店長とバイトがお喋りに興じる暇が十分にある程度に。

 現時点での客入りの程度でいえば、喫茶またたびにさえ負けている。夜の時間帯は多少増えるとはいえ、経営が心配になってくる。

 当の店長はというと、呑気に自分で入れたコーヒーを啜っている。俺の話を聞いているのかいないのか、曖昧な相槌を打ちながら。

 で、話を聞き終わっての最初の一言が、

「ロリコンだな」

 客が少なくて本当に良かった、と思った。事実ではないにしても、いらん誤解をしてもらっては困る。

「どこがロリコンだよ」

「だって、高校生だろ? お前、今いくつだっけ?」

「二十一。余裕だろ」

「六つ差か。際どいな。考えてみろよ、お前が高校生の時、その子はまだ小学生だぜ? ロリコンだろう」

「そりゃその年齢で考えるとそうだけど、俺は今もう二十一なわけで、あの子も高校生だし、つか、過去を見るな。未来を見ろ! 俺が三十の時にはあの子は二十四だぜ? いいじゃん。大体、あきちゃんの好きな先生なんか二十五歳だ」

「あー、あの年頃の子って年上好きだよね。若い先生とか一番手っ取り早いんだろうね」

「だろ?」

「でもな、俺は問いたい」

 急に、店長は改まって俺に顔を向けた。雇われ店長――川岸幸助かわぎしこうすけは、童顔だ。そりゃもう、スーツを着ていても高校生と間違えられるくらいに。実年齢は俺よりも、佐々倉先生よりもさらに上のはずだ。前に聞いたけど忘れた。男の年齢になど興味はない。

 で、その童顔が真面目くさった顔で言うのだ。

「お前、その子のこと好きなくせになんでわざわざ告白すすめるわけ? どうせ先生は結婚しちまうんだろ? 待ってりゃいーじゃん。もし、まかり間違って先生が女子高生にクラっとしちまったらどうすんの?」

「先生は揺らがねーよ」

「婚約者、美人だった?」

「いや、まったく俺の好みじゃねーけど、先生は相当惚れてた」

 なんで分かるかって? 先生の眼鏡で見たからだ。先生のフィルターを通して見る彰子さんはびっくりするほど綺麗だった。

 もちろんそんな説明を川岸にはしない。彼に話して聞かせたのは、あくまでも当たり障りのない部分だけだ。

「お前はロリコンだからな。大人の女の良さは分かるまい」

「自分こそ高校生みたいな顔しやがって」

「知らないだろ。俺の顔は年上受けいいんだぜ?」

 勝ち誇った顔を向ける川岸を無視して、俺は店内の時計を見上げた。時間が早く過ぎればいい。バイトが終わったらすぐにまたたびに行って、あきちゃんと一緒に先生の家に行く。彰子さんがいなければいいのだが。

 あきちゃんと彼女を会わせてしまうのは、まずい。彼女はあきちゃんの学校の先生だし、一応口止めもされている。何より、あきちゃんのショックを考えると、鉢合わせは避けるべきだ。知っていることと目の当たりにすることは違う。

「ま、成功することを祈ってるよ」

「おう。……いや、成功したらダメなんだけどな」

「違う。お前が、失恋した女子高生が弱ってるところに付け込んで上手くモノにできることを祈ってる」

「……」

 そんなつもりはない、と言ったら嘘になる。だけど、決してそんな邪な気持ちだけじゃないんだ。

 あきちゃんのため。それだけじゃない。あの先生にもきっと、あきちゃんの告白は力になる。先生の赤チョークの魔法をセーブする鍵にもなるかもしれない。

 その辺りの事は、先生の眼鏡をかけた自分だから分かることだ。魔法で得た感覚を、川岸にうまく説明できる気がしない。

 だから、いいさいいさ。俺のためにも、あきちゃんの恋を終わらせることが必要なのは、間違いじゃない。

 


 

 そうは言ってもなかなか上手くいかないのが現実だ。

 結論から先に言えば、俺の恋は始まらなかった。

 バイトをさっさと上がって、またたびにあきちゃんを迎えに行った俺は強引に彼女を説得して車に乗せ、先生の家へ。時刻は八時半を回っていた。

 事件はそこで起こった。いや、起こっていたと言うべきか。

 先生のアパートに着いた俺とあきちゃんが目撃したのは、黒服の厳つい顔をした男どもに両脇を固められ、強制的に路地裏へと連れ込まれる先生の姿で。

「なんだあれ……」

「吏一、くん。今の、先生だよね……?」

 助手席に座っているあきちゃんの顔は可愛そうなくらいに真っ青だ。

 先生は眼鏡をかけていた。ということは、家に居たところを連れ出されたのか。彰子さんは大丈夫だろうか。

 車から降りて先生の様子を見に行くべきか、迷った。情けないことに。

 会話だけでも聞こえないかと運転手側の窓を少しだけ開けてみる。

 響いてきたのは男の怒号。先生の声ではない。脅すような声音に、不穏な空気を感じとる。分かってはいたが、どう考えても友好的な関係ではない。

 窓を開けたのは、完全に俺の失敗だ。

「あきちゃん!」

 居てもたっても居られなくなったのか、ドアを開けて飛び出したあきちゃんを俺は止められなかった。俺も後を追う。ちくしょう、相変わらず足はえーな。

 先生が連れ込まれた細い路地に、あきちゃんは迷わず飛び込んでいく。

「危ないから、待てって!」

 俺の制止の声なんか、あきちゃんはちっとも聞こえてないようだった。あきちゃんの向こう側、胸倉を捕まれている先生の姿が見える。

 鈍く、嫌な音がした。黒服の一人、背の高いスキンヘッドの男が、先生を殴ったのだ。

 眼鏡が吹っ飛ぶのが見えた。

「先生っ!」

 あきちゃんの悲鳴みたいな高い声が、響いて。

 黒服がこちらを見た。なのに、あきちゃんは怯むことなく突っ込んで行く。

 スピードを緩めるどころか加速して、男たちの数メートル手前で、飛ぶ。

 翻るセーラー服のスカート。

 真っ直ぐに伸びた細くて綺麗な足。

 男の顔面にめり込む、茶色のローファー。

 かろやかな飛び蹴りが、目の前で炸裂する。

 これは現実なのだろうか。

 あきちゃんが飛んで、黒服の男を一人、蹴り倒してしまった。

 セーラー服の可愛い女の子が、だ。

 頼む、誰か夢だと言ってくれ。

 倒されたスキンヘッドは意識こそあったが呆然としていた。背の低いもう一人の男も、だ。

 殴られた左頬を少しはらした先生も。

 そして、こうして状況説明をしている俺も、正直なところ何がなんだか分からない。

「先生に酷いことしないでよ!」

 呆然としてばかりの男どもの意識を引き戻したのは、あきちゃんの力強い声だった。

 眼鏡をかけなければ。

 なんでか分からないが、そうしないといけない気がした。たぶん、見なければいけないものがある。

「関係ねぇガキは引っ込んでろ!」

 男たちもさすがに女子高生相手にやられっぱなしはまずいと思ったのだろう。立ち上がったスキンヘッドがあきちゃんに凄む。

 胸ポケットから取り出した眼鏡をかけた俺は、あきちゃんの背に、青い炎を見た。

 やばい。これは、目がやられる。

 焼けるような痛みを目の奥に感じて、たまらず眼鏡を外す。なんだ、今のは。

「関係なくなんかないわ! だって、だって私は……」

 あきちゃんは急に勢いをなくしてしまう。そりゃそうだよな。なんで見知らぬおじさん経由で先生に告白せにゃならんのだ。そんなのは可哀想だ。かと言って今の状況を俺がどうこうできるかというとちょっと難しい。情けねぇな。

 俺がただ突っ立っている間に、スキンヘッドがあきちゃんに近寄る。薄ら寒い笑みを浮かべて。

「ああ、そうか。分かったぞ。お嬢ちゃんは先生の生徒か。先生、まずいなぁ。ダメだろ、教え子に手ぇ出しちゃあ」

「え?」

 これぞ悪党のテンプレみたいな奴だな。

「何言い出すんだ。関係ない子を巻き込むのはやめてくれ」

「関係なくないってこの子は言ってたぜ? なあ、先生」

 ああ、こりゃヤバいかな。

 俺は胸ポケットから眼鏡を取り出して掛ける。

 あきちゃんの周りだけ、空気が青い。しかし今の彼女のその色は酷く不安定だ。薄くなったり緑がかったり。その色の不安定さは、そのまま彼女の魔法が不安定になっていることを意味する。

「……やめてよ! 先生は、私なんて相手にしてないんだから!」

 自分が傷つく言葉をあきちゃんは自ら口にして、泣きそうな顔をしていた。

「だから、先生なんか、だいっきら、い」

 とどめを刺す。自分の心に。

 すっかり気迫の消えたあきちゃんの手首を、男が掴んだ。

 あ、こら。あきちゃんに触ってんじゃねぇ。

 俺が動こうとしたときだ。

 タイミングの悪いことに、思わぬ台詞が飛び込んできたのだ。

「何やってんのよ兄貴!」

 聞き覚えのある強い口調。

 路地の反対側の入り口から現れた彼女を見て、俺は大体のことを理解した。

 俺が、先生の眼鏡を掛けたときに分かったこと3つ目。

 先生は悩んでいた。

 自分からはちゃんと彼女にプロポーズをしていないことと、彼女の兄に結婚を反対されていることを。

 つまり、このあきちゃんに見事な蹴りを入れられたスキンヘッドの男が、彰子さんの兄貴というわけだ。顔をよく見れば似ていなくも……いや、似てない。

「なんてことしてるの! 結婚に反対するのは勝手だけど、この人を傷つけたら許さないわよ」

 凄みは彰子さんの方が格段上だった。女の啖呵ってなんでこんなに怖いんだろうな。

「こんな男、お前にプロポーズもしてないっていうじゃないか」

「されたわよ! ちょっと遅かったけど、でも、ちゃんとしてくれたわ」

 答える彼女は心なしか嬉しそうだ。

 先生、ちゃんと言えたんだな。やるじゃん。

 ここで先生がもう一歩、前に出た。

 あきちゃんと、スキンヘッドとの間に入るようにして。

「お義兄さんには、ちゃんと認めてもらえるように頑張りますから、だから、今日のところは……」

 黙って頭を下げる。

 少し、腰は引けていたが、それでも言葉には有無を言わさない強さがあった。

 先生が顔を上げる。スキンヘッドはまだ渋い顔をしている。

「それに、この子は私の生徒です。生徒を傷つけるような真似は、教師として見過ごすことができません」

 今度はしっかりと相手の目を見たまま、先生が告げる。教師の顔で。

 そう言った方が、スキンヘッドの男も身を引きやすい、と先生がそこまで考えたのかは分からないが、義弟の言葉を大人しく聞くよりは生徒を守る教師の言う事の方が良かったのだ。結果的に。

「そういうことなら、分かった。……お嬢ちゃん、悪かったな」

 スキンヘッドは、あきちゃんにだけ謝罪する。

 しかし、あきちゃんには男の声など聞こえていない。焦点の定まらない目で、のんやりとスキンヘッドを認識して、微かに頷いたようだった。

 多分、今の状況がまだ飲み込めていないのだろう。

 こんなことになるなら、ちゃんと先に話せば良かったな。

 先生には、婚約者がいるんだってことを。相手のことは口止めされた手前、言えなかったのだが、結果的にはこうしてバレてしまったわけだし。

「ほら、行くわよ。兄貴。――佐々倉先生は、その子をお願いしますね」

 彰子さんが先生に向けたのは、そんな他人行儀な台詞。

 先生は一瞬戸惑った様子を見せたが、すぐにハイと返事をした。

 あきちゃんは、いまいち焦点の定まらない目でゆっくりと先生の顔を見上げる。

 やがて、決意したようにきゅっと唇を結んだ。



 さて、多分もう気づいている人も多いと思うけど、俺は今、完全に蚊帳の外である。ああそうさ。一ミリたりとも噛んでない。

 俺がこの話を続ける必要はまったくもってないわけだ。

 これはあきちゃんの失恋の物語だからな。俺の出番はその後。もう少しの我慢だ。


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