魔法では叶わない夢だから(仮)(1)
あきちゃんの秘密を知った吏一。多聞に思いを告げられたあきちゃん。そして再び青柳紀元の魔の手が迫る。魔法使いたちの最終話。二年ぶりに再開!
大学の後期授業が始まって三週間。
夜にシャツ一枚でふらふらするには肌寒い気温になってきた。
アルコールが多少入っている体でも、夜風が吹けばわずかに身震いするほどに。寒くなると人肌が恋しくなるのは、本能的な習性なのかもしれない。普段ならば行かない頭数合わせの飲み会に、ついOKの返事をしてしまったのも、きっと寒くなったせいだ。
頭上で切れそうな電灯がちかちかと瞬く。いつのまにか、馴染みの商店街のアーケードにさしかかっていた。
電車の時間があるからと女の子みたいな理由で二次会を断って――駅からの道のりを漫然と歩く。五時にはどの店もシャッターを閉めてしまう商店街に、今や人の気配はない。赤い屋根の喫茶店も、明かりを消している。
うっかりすると頭に浮かびそうになるこの店の常連客たちの顔を打ち消そうと、今日出会ったコンパの相手の顔を思い浮かべてみる。学部は違うが同級生で、ノリのいい子たちばかりだった。
かわいい子もいた。
だけど――あきちゃんほどじゃない。
胸の内にするりと滑り込んできた本音は、どうしようもない。
「でもさぁー……男の子なんだよ」
酔っぱらいの声量で、アーケードに独り言が響く。
ずっと考えていた。
多聞の店で、あきちゃんが本当は男の子だという事実を聞かされてから、ずっと。
あれっきり、連絡もとっていなければ顔を会わせてもいない。もう一度あきちゃんと会って、男の子だってことを確信できれば、また気持ちも変わってくるかもしれないけれど。
――変わらなかったら、どうしよう。
そこまで考えて、ぞっとして、やめた。
ずっと、この繰り返しだ。
酔っぱらった頭で考えるとなおさら思考はループする。それを止めてくれたのは、メールだった。
こんな時間に、といってもまだ23時をまわったところで。
取り出した液晶画面に表示された差出人の名前は「ジイさん」
年寄りにしては夜更かしだな、などと毒づきながら、中身を確認して俺は頭を抱えたくなった。
『件名:JYM指令
本文:月並高校1年生・木崎和典が魔法使いかどうか見定めよ。
あきちゃんと一緒に行くんじゃよ(ハートマーク)』
「ハートなんか使ってんじゃねぇ!」
スマートフォンを地面に叩きつけそうになるのを寸でのところで思いとどまるも、やり場のない感情は口に出た。
このタイミングで、このメールである。あのジイさん、どこかで見ているとしか思えない。
すぐに思い直して、「了解」とメールを打った。
今の俺では、こんなきっかけでもなければ、連絡をとることもできないだろう。
俺の魔法は、先週、唐突にまた使えるようになっていた。バイト代が入ってコンタクトを買うことができた後だったので助かった。運転中に対向車線の車の運転手の身体が光っていたらただの目つぶしだ。危険この上ない。
ジイさんにはすぐに報告した。
魔法復活おめでとう。早速お仕事ですよってか。
あきちゃんとのスケジュール調整はジイさんが全部やってくれた。俺のバイトがない日と、あきちゃんが放課後に都合のいい日を照らし合わせる簡単な作業だけど。
待ち合わせはいつもどおり、喫茶店で。
セーラー服のあきちゃんは息を切らしながらやってきた。
「ごめんなさい。一度家に帰って、荷物置いてきたから」
遅くなっちゃった、と謝るあきちゃんは久しぶりだけれどいつもどおりだ。ただ、少しだけ印象が違った。長袖のセーラー服の上に、濃紺のカーディガンを羽織っている。
大きめなのか、袖のあたりがほんの少しだぼっとしているのが、かわいい。ああそうだ、かわいいんだ。
男の子だって知ってるのに、かわいい女の子にしか見えない俺の目は節穴なんだろうか。
そもそも、ジイさんやマスターはこのことを知っているのか?
背後を振り返ると、ジイさんは半月めがねの奥で好奇心たっぷりの目を向けてくるし、マスターは髭面でにやにやと笑いかけてくるしで、俺の苦悩は伝わらない。
あきちゃんのほうに顔を戻すと、不思議そうに見上げてくる目とかち合った。
「ごめん、なんでもない。行こうか」
不自然なほど思いっきりそらしてしまう。自分で気づいておきながら、どうしようもない。
移動中の車内もひどく気まずくて、俺は先日のコンパの話をした。かわいい子がいたのだと、心にもないことを言いながら、助手席を盗み見ていた。
どう比べても、あきちゃんのほうがかわいいとしか思えないのに、どうしてこんな嘘をつかなければいけないのだろう。
「コンパに行かなくても、吏一くんに告白する女の子はいっぱい、いそうだよ」
俺の勘違いでなければ、お世辞で言っているようには聞こえなかった。ちらりとこちらを見たあきちゃんと目が合いそうになって、俺は運転に集中するフリをして前に向き直る。
「いっぱいかはわかんねぇけど、いるよ。いるけど、こっちが相手のこと好きになれるかどうかは別問題だから」
「……そっか」
あきちゃんの声のトーンが心なしか低い。
そういえばこの間、あきちゃんは多聞に告白されたんだった。
自分のことでいっぱいいっぱいで完全に忘れていた。たぶん、あきちゃんはそれを思い出しているのだろう。
「あきちゃんは、まだ先生のことが好き?」
俺は知らないことになっているので、多聞の話を振るわけにはいかない。代わりに尋ねた。
「……好き、だと思うけど、もう前みたいに、先生を見つけても苦しくならない。これって、ちゃんと諦められたってことなのかな」
あきちゃんはゆっくりと、自分の気持ちを確かめるみたいに、答える。
「かもしれねぇし……それか、ほかに好きなやつでもできた、とか? 失恋から立ち直るには新しい恋って、」
隣でびっくりしたように、あきちゃんが俺のほうを振り向いたのがわかった。
ちょうど目の前の信号が黄色に変わった場面で、俺はそのままアクセルを踏んで突っ切ってしまうか止まるべきか判断に迷って、結局停止線を大きく越えて停車した。
急ブレーキで前につんのめる体をシートベルトが押しとどめる。同じように助手席もシートベルトをしているのはわかっているけれど、彼女を載せているときの癖で、つい、左手を隣の席へと伸ばして前のめりになるあきちゃんの体を押しとどめる。
と、肩あたりに触れたつもりの手はとっさに狙いをはずしていて、胸と言えなくもない微妙な位置で、「ごめん!」とすぐさま手を引っ込めたけれど、あきちゃんの顔は、横から見てもわかるくらい赤くなっていた。
その頬から下へと何気なく視線を移動させる。セーラー服の襟のカーブの終着点。結ばれたリボン。起伏のないライン。
あまり、胸の大きさを重要視しないので気にしてなかったが、貧乳だとしても……なさすぎる。ふれた手の感触も、あまり残っていない。
胸がないのは当然だ。
男の子だから。
だけど、そうしたら、胸を触られて顔を赤らめているこのまるっきり女の子な反応は、どう解釈すればいい?
とにかく、あきちゃんに胸があろうとなかろうと、恥ずかしい思いをさせていしまったことは事実だ。その瞬間、ものすごい勢いでこみあげてきた罪悪感をごまかすように、俺はアクセルを踏んだ。信号は青に変わっていた。
なんの話をしていたっけ。
思い出せなくて、他愛のない話でお茶を濁して、だけど一度ざわついた気持ちはなかなか落ち着かせることができなかった。
前にきたときと同じように、学校近くに車を停めて、俺とあきちゃんは月並高校へと潜り込んだ。
校舎を背にすると、あきちゃんのセーラー服姿はますますしっくりとくる。
あきちゃんが男の子なら、本当の制服は学ランのはずだ。まさか学校でも女の子で通しているわけではないだろうし。
少し周囲の様子をうかがいながら、あきちゃんは迷いのない足取りで校舎の裏手へと回っていく。
俺もそのあとを追いながら、初めてあきちゃんと出会った日のことを思い出していた。あの時もあきちゃんはセーラー服で、一緒に学校に忍び込んで、三島先生に見つかったんだっけ。あきちゃんが普通に男の子としてこの学校に通っているなら、セーラー服姿が先生にバレるのはまずい。慌てて逃げたのも頷ける。
腑に落ちる、というのはこういうことか。
あれからまだ半年も経っていない。
俺は、あきちゃんのことを何も知らなかった。
「木崎、今日は補習受けてるはずだから」
ここ、とあきちゃんが指さす教室を、そっと窓から覗いてみる。数人の生徒がだるそうにイスに座って、机とにらめっこしていた。
「どいつ?」
『木崎』とどこか乱雑な呼び捨てには親しげな響きが感じられて、思いのほかそれに動揺している自分がいる。
「教室の真ん中あたりの、ちょっと髪の毛にパーマ入ってる感じの」
「ああ、あのわりとおしゃれなイケメン君な」
「うん」
あきちゃんがあまりにもあっさりと肯定するので、本当に、もうなんだかな。つまんねぇ嫉妬だ。
そんで嫉妬してるってことは俺は……。
「さっさと見て終わらせるか」
「うん、お願い」
メガネをかけると、視界が淡く染まる。すぐとなりにあきちゃんがいるからだ。彼女の色は今日もさわやかに青い。
そのままもう一度、窓から教室のなかを覗く。木崎和典は、
「ノーマルだ」
「本当?」
「ま、分家だからって必ずしも魔法使いになるってわけじゃねぇしな」
そう、木崎は堂本家の分家にあたる。ただ、昔から魔法使いがあまりいない家で、本家とも今は疎遠だ。今回は、ジイさんが木崎和典の祖母から依頼を受けたらしい。念のため、と。
この結果で、木崎の祖母は安心するのだろうか。落胆するのだろうか。
「行こうか」
メガネをはずして、くるりとあきちゃんのほうを振り返ったときだ。校舎から出てまっすぐこちらへと歩いてくる一人の女生徒が、俺たちを見ていることに気がついた。あきちゃんも彼女に気づいて、おそらく目が合ったんだろう。あ、と一瞬かたまった。その顔に、まずい、と描いてある。
知り合いだろうか。
だとすれば、あきちゃん、ではなく、宮司彰彦の、だ。
女子高生はどんどんこちらとの距離を詰めてくる。近づくと結構メイクの濃いギャルだ。あきちゃんとは正反対のタイプ。つまり俺の好みではない。ただ、どこかで見た顔だった。
彼女のほうも、俺の顔を見て、あ、と声をあげる。
「文化祭にきてたおにーさん?」
下からのぞき込むように、ギャルがなれなれしく話しかけてくる。
「そうだよ。あきちゃんの友達?」
「うん、そう。同じクラス。ね?」
答える彼女の口調も、セーラー服のあきちゃんに対する態度も、ごく普通の同級生に対するそれで。俺はますます混乱する羽目になる。男の子がセーラー服を着ているはずなのに、彼女はこれといって驚きもしない。
ああでも待て、確かあきちゃんは文化祭でもメイド服を着ていた。この学校では女装くらい日常茶飯事……なわけがない。
「流は、今帰り?」
「うん、今から他校の子とカラオケ。木崎も行くっつーから待ってたけど補習終わりそうにないからもういいや、先行くー……あきちゃんも、来る?」
「あ、いや、私は……」
「そっか、デートか。ま、見つからないようにしなよー」
流と呼ばれた女子高生はちらっと俺のほうを見てから、意味ありげに笑う。
「ちがっそんなんじゃない!」
「明日、じっくり話聞かせてよね!」
バイバーイ、と流が明るく手を振って去っていくと、あきちゃんはほっとした顔をした。どこからどう見ても、無邪気な女子高生同士のやりとりだった。
「ごめんね、吏一君。私たちも早く帰ろう」
早くこの場を離れたそうなあきちゃんの顔を、俺はまじまじと見ながら、もしかして、と思ったんだ。
いやむしろ、どうして今までその可能性に気づかなかったんだろう。
俺は、騙されたんだ。
あのうそつき野郎に。
俺があきちゃんから手を引くようにと多聞のやつが謀ったんだ。もちろん、綾もグルだ。あきちゃんは、多聞からあらかじめあの台詞を言うよう指示されていたのかもしれない。
きっとそうだ。そうでなければ今のやりとりの筋が通らない。
そうでなければ、俺の気持ちの行き場もない。
「あきちゃん」
「ん?」
あきちゃんは、女の子だよな?
振り返って首を傾げている彼女に、さらっと聞いてしまえばいい。
「なに言ってるの、吏一君」そう言って笑い飛ばしてくれるだろう。
だけど、もし、もしも答えが返ってこなかったら? 泣きそうな顔で、俯くだけの答えだったら?
「吏一君? どうかした?」
心配そうに見つめるその目が、悲しくかげってしまったら。
「ごめん。なんでもない」
いろんな考えを振り払うように、車へと向かって足早に歩いた。
俺はいつからこんな臆病になったんだろう。