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君には言えない(7)

「彰彦、今日も道場行くだろ?」

 いつもの放課後、机のそばにやってきて、顔をのぞき込むのは木崎だ。ここ最近は放課後、木崎と一緒に少林寺に通うのが定着しつつある。週に三回だけだけど。

 先生が気さくな人で、運動神経の悪い私のことも快く迎えてくれたので、今のところ自分のペースでなんとか練習についていっている。みんなで合わせるというよりも、手の空いている人が年少者に個々に教えるという自由なスタイルで練習させてくれるのも救いだった。

 それに、少林寺は人と競わなくていい。型を何度も繰り返し、ひとつひとつ体に覚えさせるのは、英語の単語をノートに繰り返し書く作業と似ていた。翌日に筋肉痛というおまけはついてくるけれど。

「え、宮司も少林寺やってんの?」

 耳ざとく聞きつけ、前の席から身体をくるりと反転させたのは流だ。

「うん。最近始めた」

「へぇー運動嫌いじゃなかったっけ? なんでまた?」

「別に……」

「そりゃあお前、聞くのは野暮だろ」

 にやにやと意味ありげな笑みを浮かべる木崎は、まだ誤解したままなのだ。木崎は、私が流のことを好きだと思い込んでいる。そして流のために、私が強くなろうとしているんだと勘違いしている。

「違うからな」

「わーかってるって。秘密、だろ?」

 全然わかってない。

「えーなに男二人で秘密とか気持ちワルー」

「あ、でも今日はパス」

 これ以上不毛なやりとりは勘弁なので、話を軌道修正する。

「なんで?」

「なんか、身体がすごいだるい。痛い」

 話を変えるための方便などではない。本当のことだ。

 昨日の夜から妙に体が強ばっている感じはしていたが、きっと眠れば治ると思っていた。実際のところ朝には余計にひどくなっていたのだが。

「まだ筋肉痛なのかよ」

「うーん、筋肉痛とはなんか、違うんだよな……。こう、骨が痛い。みしみしいってる感じ。体も熱いし」

「ふーん、熱でもあんの?」

 そう言って、躊躇いなく額に手を伸ばそうとしてくるのが流だ。

「う、いや、熱は、ない。大丈夫」

 私は反射的に頭を後ろにそらせて、流の手を避ける。そういう女子とのスキンシップは慣れてないからやめてほしいと言うのに。

 流はあからさまに不本意そうな顔をしたが、なにも言ってはこなかった。

「骨って、関節も?」

「あーうん。わりと、そうかも。足首とか肘とか膝とか」

「それってあれじゃね? 成長痛」

「え?」

 木崎の口から飛び出した単語に、私はちょっと首を傾げる。

「えー成長痛って、あれでしょ。身長が伸びる時に痛くなるやつ? でもそんなめちゃくちゃ痛くはなんないっしょ」

「甘いな。俺、中学んとき一年間で身長10センチ近く伸びたときは眠れないほど痛かった」

「そうなのー? 男子ってそんなもん?」

「本当に? 俺、背ぇ伸びるの?」

 木崎と流のやりとりを聞きながら、私は半信半疑に尋ねる。成長期なんて、もう終わったものと思っていた。

「わかんねぇけど、三目の兄ちゃんは高校ん時に急に伸びたっつってたぜ。バスケ部だったからかもしんねぇけど」

「宮司って今、身長何センチ?」

「4月に計った時は164センチだった」

「マジで? 私と同じくらいかと思ってたー」

 流は157センチと自己申告する。いくらなんでもそれはない。「華奢だから小さく見えんのかな」と勝手に納得する流に、

「父親が180くらいあるからまだ伸びるかも」

 ささやかな抗議。母親の身長が155センチしかない事実は伏せておく。

 姉はたぶん165センチくらいだろう。だから、セーラー服のサイズも私にぴったりなのだ。

 いつだったか、お姉ちゃんに言われたことがある。

「すぐに似合わなくなるわよ、セーラー服なんか。あんた男なんだから」と。

 その時が、案外もうすぐそこに近づいてきているのかもしれない。少し前までは、まだずっと先のことだと思っていたのに。

「少林寺やってたら筋肉もつくし、もうちょっとたくましくなれるかもな」

「えーそんな宮司は見たくない。可愛くないよ」

 不満そうに口をとがらせる流に、木崎は理解不能とばかりに眉をひそめる。

「可愛くなくていい」

 思いのほか強い口調で、きっぱりと言う私に流は目を見張って

「あー……もしかして、かわいいって言われるのイヤ?」

「あんまり、嬉しくない」

「そっかー。男子はそうだよねー。ごめーん」

「謝らなくても、いいけど……」

 言いながら、自分でも矛盾していると思った。吏一君にメイド姿を「可愛い」と言われた時は、くすぐったいけど嫌な気分にはならなかったのに。

 吏一君は私を女の子として見ているから。

 きっと、そうだ。

 あきちゃんを、可愛いって言われるのは嬉しい。

 じゃあ、彰彦は? ここにいる宮司彰彦は、吏一君にどう思われたいんだろう。

 本当のことを話すにしても話さないにしても、あきちゃんのままでいられなくなったとき、私は彰彦として吏一君に会えるんだろうか。

 学ラン姿の私が吏一君と話しているところなんて全然想像がつかなくて、そっと息を吐いた。



 私は部屋の中でベッドに寝転んで、夕飯までのぽっかりと空いた時間を持て余していた。朝よりはマシになったとはいえ、成長痛はまだ続いている。

 携帯を片手に、壁の時計をちらりと見る。午後6時。

 もしも吏一君がバイトのある日だったら、今メールを送っても返事は期待できない。たぶん、返事を待って、バイトの終わる時間まで落ち着かない気分になる。

 そんなことがわかっているなら、さっさと送ればよかったのに。でも今さらなんて送ったらいいのかわからなくて、

「うーあー……!!」

 うだうだと手の中で携帯をにぎりしめている時に、それが不意に震えはじめた。驚いて思わず手を離すと、ベッドの上に携帯がぽんと跳ねる。

 光る液晶画面に踊る名前。少しだけ期待して覗くと、

「多聞にぃ……?」

 メールの文面はなんてことはない。「明日、学校が終わってからちょっと遊びに来ないか」っていう誘いの返事で。少林寺に行く日でもないし、二つ返事でオーケーを出す。放課後に寄るから、と書きかけて、多聞兄の店が吏一君の家の近くにあることを思い出した。一応着替えてから行ったほうがいいだろう。私服ならともかく、学ランを着ていたら言い訳ができない。

 往生際が悪いな、私も。

 いっそバレてしまえば楽になるのに。

 そんなことを思いながら、そんな展開を自分が全く望んでいないこともわかっていた。



「多聞兄、お邪魔しまーす」

 CLOSEDの看板がかかったお店の扉を少しドキドキしながら開けてみる。店の中は西日の強い外に比べると、ひんやりしていて気持ちいい。椅子ばかりが並ぶ店内はひっそりと静かで、妙に響く自分の声を聞きつけた店の主はほどなく奥のほうから現れた。

「久しぶり。外は結構暑かっただろ? なにか冷たいもの飲む?」

 頷く私を奥のほうへと招き入れながら、多聞兄はにっこりと笑みを向ける。

 前に来たとき、私は喧嘩腰だった。吏一君の居場所を聞いても、多聞兄は教えてくれなかった。後で聞いた話だと、多聞兄は三島さんに手をまわして吏一君を手助けしようとしてくれてたみたいだけど。正直なところ、怖い――って思ったんだ。普通に接している時はそんなことないけど、あの時の多聞兄は怖かった。やさしい多聞兄しか知らなかったからびっくりしたのもあるけど。私みたいな子供じゃあ相手にもならない。

「実はあきちゃんに話したいことがあって」

 通された畳みの部屋のテーブルの上に冷たいオレンジジュースの入ったコップを置きながら、多聞兄はさほど改まった様子もなく口を開く。ありがたくコップを手に取ったところで、となりに座った多聞兄は私の顔を見ながら続けた。

「あきちゃん、俺と一緒に海外で暮らさない?」

「……え? どういうこと? なんでいきなり!?」

 唐突な申し出に混乱する。だって私、学校もあるし。

「もちろんすぐにという話じゃない。あきちゃんが高校を卒業してからでいいよ。ただ、話すのは早いほうがいいと思って。考える時間はたっぷりあるしね」

 私の疑問を汲みとって、そんなことは大した問題じゃないみたいに多聞兄は笑ってみせる。

「え、でも、なんで……多聞兄、また外国に行くの?」

「保険、みたいなものかな。青柳紀元がいつ思い出すとも限らないし、それまでになんとかできればいいけど、長期戦も覚悟しておかないといけない。月並町にいたら、彼の影響はどうやったって避けられないし、逃げ場所は用意しておきたいんだよ」

 するすると答えられても、私の中の疑問符はまだ消えない。

「でも、なんで……」

 なんで、私も一緒に?

「一人だと寂しいじゃない」

 さらりと紡がれる言葉は、あまりに本気のようには聞こえなかった。こっちは真剣に尋ねているというのに。

「だったら彼女でもつくれば?」

 少しむっとしながら言った言葉は、軽く笑って流されたので、そこで終わりだと思っていた。

「わからない?」

 覗き込むようにして、多聞兄の顔が近づく。

「なにが?」

「俺が連れて行きたいのはあきちゃんなんだよ」

「……え?」

 間近で見る多聞兄の目はいつもみたいに笑ってはいたけど、眼差しはあんまり優しくなかったから、真っ直ぐに見つめていられない。思わず横を向いたら、耳元に近づいた唇から小さく言葉が紡がれる。

「俺とずっと一緒にいてくれないか」

 プロポーズみたいな台詞だ、と妙に冷静なことを思う一方で、頭の中は真っ白で。

 どうしよう。何か言わないと。返事を、しないと。

「……で、でもっ、俺が男だってこと多聞兄は知ってるだろ!?」

 切羽詰まってやっと出てきた言葉はそれだった。

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