君には言えない(3)
流の様子が変だ。
理由はわかっている。私の、セーラー服姿を見たから。
あの日の流の呆然とした表情が、脳裏からずっと消えてくれない。
「宮司、その格好……」
「か、勝手に借りてごめん! すぐ着替える。そんで先生呼んでくる。足、怪我してるなら無理に動かさないほうがいいだろうし、折れてたら大変だし、三目にもちゃんと言っとくから!」
それ以上、何か言われたり聞かれたりするのが怖くて、早口に畳みかけながら隅っこのほうで着替えると、私は逃げるように駆けだした。
流の足は軽い青あざができた程度で、特に大事にはならなかったようだ。ようだ、ってのは、木崎に聞いたから。
あの後、流とはまともに口を聞いていない。元々こちらから流に話しかけることは滅多にない。だけど、最近は休憩時間になると、前の席の流がくるりと後ろを振り向いて話しかけてくるのが半ば日常化していた。それが一切なくなった。
話し相手が一人減った休憩時間は、少しだけ長く感じる。
「彰彦ー。映画行かね?」
そんな休憩時間の最中、私の隣にしゃがみこみ、机に肘をついて顔を覗きこませてきたのは、木崎だ。
彼が告げた映画のタイトルは、ちょうど吏一君と一緒に見に行く約束をしたばかりのそれで。
「ごめん。パス」
「えーなんでだよー。お前こういうの好きじゃん」
「好きだけど、ほかの奴と見に行く約束したから」
「えっマジ? 女? デート!? え、まさか、流と?」
「違う! つか、なんでそうなる……」
木崎は最後の名前だけ、一つ前の席の彼女に聞こえないよう、声を潜める。
「だってさぁ……」
木崎は何か言いたそうな顔をしていたけど、流がすぐそばにいるからか、それ以上は口をつぐんだ。
私も、聞かれなくてほっとしていた。いくら鈍い木崎でも、流と私の仲がおかしいことには気づいて、訝しく思っているのだろう。
だけど、その理由を尋ねられても、私には答えられない。
でも、流は――?
ふと思い至った想像に、一瞬だけ背筋が寒くなる。
流は誰かに――木崎に、話すだろうか。私がセーラー服を着ていたなんて聞いたら、木崎はどう思うだろうか。流と同じように、私の存在を無視するだろうか。
長い付き合いになる友人の反応はあまり想像できなかった。したくなかった。
「お前さ、やっぱり流となんかあっただろ?」
再び流の話が出たのは、その日の放課後、木崎の通う少林寺道場に向かう途中のことだ。
木崎は軽そうな見た目に反して少林寺拳法の使い手だったりする。詳しいことは私にはよくわからないが、小さい頃からやっているのでそこそこ上級者のようだ。私が道場の見学に行きたいと言うと、快くOKしてくれた。
「なにもない」
即答は、思いのほか冷たく響く。
木崎が怪訝そうな顔をするのも無理はない。さっき教室から出る時、扉のところでちょうど流とすれ違った。私と目が合うと、流は長いつけまつげをさっと伏せてしまった。木崎でさえ気づく、不自然な動作だった。
私はわりとこういうことに慣れているほうだと思っていたけど、前髪が短くなったせいで視界の広くなった世界で、はっきりと見せつけられる無視は結構ショックだった。
「嘘つけ。さっき無視ったのもおかしいし、本当は流のやつも映画誘ったんだよ。彰彦と三人でっつったら、あいつ行かないとか言い出しやがった。なんかあったんだろ?」
「だったら流と二人で行けばいい」
「そうだけどさー……や、そうじゃなくて、何があったんだよ」
「なにもないって言ってるだろ!」
語調はつい、強くなる。完全に八つ当たり。木崎はまだ釈然としない顔をしている。だけど、説明なんかできるわけがない。
「流のことだけじゃなくてさぁ、お前最近なんか変だよ。急に道場の見学来たいとか。今までぜんぜん興味なさそうだったじゃん」
「それは……」
変、なのだろうか。
言われてみると、そうかもしれない。前髪が短くなって視界が開けたような、そういう分かりやすい変化じゃなかったから、気づかなかっただけで。確かに私の心の中は、少しだけ変わったのかもしれない。
夏の間の出来事が引き金となったのは、間違いなかった。
「……俺だって、強くなりたいとか、思うんだよ」
吏一君が青柳紀元に連れて行かれたとき、助けに行った私は、実際のところ何もできなかった。
「運動神経悪いのはわかってるし、無駄かもしれないけど……」
セーラー服を着ていなかったら、流のことも助けられなかった。
セーラー服を着なくても、魔法が使えなくても、おジイや里中さんや美佳ちゃんや直登くんや多聞お兄ちゃんや堂本さんや吏一君を――近くにいる大事な人くらい、私の手で守れるように、強くならなくちゃいけない。
「よし、わかった! 俺がお前を男にしてやる!」
急に、木崎がバンっと力まかせに背中をたたくので、私はむせる羽目になった。何を思ったか知らないが、彼のやる気に火をつけてしまったらしい。
「強くなってかっこよくなって、そんで好きな子に告白するんだろ? 俺は応援するぜ!」
「は!?」
先走った木崎の思いこみを訂正するのに、道場までの道のりは短すぎた。「違う」と何度も否定したけれど、本当にわかっているのだろうか。いまいち不安だ。
それでも、木崎の気持ちは有り難かった。
魔法絡みの知り合いでもなく、そもそも友達と呼べる人の数が少ない中で、バカなことを言い合える唯一の友人が木崎だったから。
木崎には話していないことがたくさんあるけれど、話す必要はない、単純にバカをやって笑ってればいい、それが許される気がするから、楽なのだ。
その時、ふっと頭の隅をかすめたのは、吏一君のことだった。唐突といえば唐突に。
吏一君といるときは、木崎といるときに比べたらずっと、緊張する。出会ってからの月日の短さのせいかもしれないし、年上だからというのもあるだろう。
でもたぶん決定的に違うのは、私が、吏一君には話さないといけない、と思っていることだ。私のことを女の子だと思っているのを、いつかきちんと話して、誤解を解かないといけない。
もちろん、べつに話さなくても、当たり障りのない関係は築けるはずなのだ。これ以上、深入りしなければ。
それなのに、木崎相手のように、話さずに済ませればいい、とは思えない。
あ、そっか。そうなんだ。私、吏一君には、ちゃんと知ってほしいんだな。私のこと。
今までぼんやりと感じていたことが、初めてはっきりと意思となって見えた、そんな瞬間だった。