君には言えない(1)
文化祭に突撃したりデートに誘ったり、少しずつあきちゃんとの距離を縮める吏一。そんな中、あきちゃんの秘密がバレてしまって!?
「今さら嫌だなんて通じると思ってんの?」
「なんでそんなに……」
「だって約束でしょ?」
ほら! と強い口調で詰め寄る同級生、樋川流の手には、よく切れそうなハサミが握られている。
「そうだけど……この格好だけでもう勘弁して」
「なおさらでしょー? 絶対、前髪切ったほうがかわいいって!」
「かわいくする意味がわからない!」
「メイドはかわいいいほうがいいに決まってんでしょ!」
「俺もメイドさんはかわいいほうがいいなー」
「よねー? 三目委員長!」
文化祭準備の最終チェックに訪れた学級委員長は、流の後ろからニヤリと人の悪い笑みを向ける。誰のせいだと思ってんだと言ってやりたかったが、元をただせば自業自得なので私は口を噤むしかない。
すでにメイド服を着込んだこの状況では何を言ってもからかいの対象になるだけだ。
文化祭の出し物でメイド兼執事喫茶をやることになった我がクラスは、流を筆頭に女子が手作りの衣装でかわいらしく着飾っている。
三目委員長の陰謀でメイド役を割り振られた私も例に漏れず、黒のワンピースにフリルのついた白いエプロン、頭にカチューシャまでつけられて、女子生徒の中でひどく居心地の悪い思いをしているのだ。
「にしてもやっぱり宮司で正解だなー。女子ん中まざっててもぜんぜん違和感ないよ」
「そんなわけないだろ」
「前髪切ったらもっと違和感なくなるよー」
でもやっぱり、私は男なんだ。いくらセーラー服を着慣れていても、本物の女子に囲まれた中では場違いだとしか思えない。
「ちょっと前髪切ったくらいで変わるわけ……」
「ばかっ! 女の子はね、髪型やメイクひとつでいくらでも変われるんだからね!」
拳を握りしめて今日もばっちりメイクの流の剣幕に、「俺は男なんだけど」と抗議する声は小さすぎて届かなかった。
文化祭がスタートした直後は冷やかしにきた男子たちも、忙しくなってくるとそれどころではなくなったようだ。
私も、完全にとまではいかないが、慣れてしまえば気にならなくなった。要はセーラー服を着ているときと同じ。少し高い声を出す方法も、お客様にかわいらしく笑いかける術も、ほかの男子よりは心得ている。
ただ、予想外だったのは、裏方オンリーで、と言い張っていたものの、盛況ぶりにそんなことも言ってられなくなってきたことだ。
「宮司ごめん! 次のお客さん出てくれない?」
今までまともに会話などしたことのないクラスメイトの女子に懇願されれば、無碍に断ることはできない。流相手ならまだ強く言えるのに。
「――いらっしゃいませ……っ!?」
仕方なく対応に出た私はしかし、客の顔を見た瞬間、心底後悔した。
「吏一君!?」
「あ、いた。会えてよかった。佐々倉先生のクラスってことしかわからなかったから……メイド、喫茶なんだ」
「え、あ、っうん。そう、なんだ……。あんまり見ないでほしいんだけど。わざわざ、探してくれた、の? なんで……?」
「えーあーそれは……」
あまりのことに私はひどく動揺していたが、予想しなかった質問なのか、吏一君も同じくらいにしどろもどろだ。
「俺が連れてけって言ったんだよなー? ほら、こんなときでもないと学校に入ることも女子高生と触れ合うこともないじゃん?」
「黙ってろよ」
ひょいと後ろから顔を覗かせたのは、私も知っている人物だった。だけど、私にとっては決して気安い相手ではない。むしろ、敵だ。
「ごめん、あきちゃん。こいつ川岸って言って、俺のバイト先の店長」
吏一君の紹介に、知っている、と心の中だけで返事をする。
「はじめまして、アキちゃん」
「……どうも」
どういうつもりなのだろう。
川岸は、コウと名乗って私の目の前に現れ、写真をチェンメで回した張本人であり、おジイにウイルス攻撃をしかけた青柳の協力者でもある。吏一君はそのことを知らない。私が吏一君に川岸の正体を明かすならば、川岸は、私が男だということを吏一君にバラすと言ったのだ。
私がにらみつけるのを、川岸は薄く笑ってはぐらかす。
「いらっしゃいませー。立ち話もなんなので、奥のお席へどうぞー」
入り口でお客を立ちっぱなしにさせていることを見かねたのか、割って入ったのは流の明るい声で。正直、助かった。
「ごめん、あと任せた。――吏一君、楽しんでいってね」
これ以上、川岸の前で素知らぬ顔をしていることも、吏一君にメイド姿を晒していることにも耐えられそうにない。流にバトンタッチして、奥へと引っ込んだ。
せっかく来たのに、吏一君に校舎内を案内すらしてあげられないことに罪悪感も覚えたが、どこでぼろが出るともかぎらない。誰かに「彰彦」と呼ばれたらおしまいである。
もしかすると、いっそバレてしまったほうがいいのかもしれない。そうすれば、川岸のことも黙っている必要はなくなる。彼に近づいてはいけないと警告もできる。
だけど、怖い。吏一君の反応が怖い。
どう思われてもいい、と割り切れるほど強くはないし、吏一君ならきっと受け入れてくれる、と信じられるような保証はどこにもないのだ。
あれこれ考えていてもしょうがないのだが。
手持無沙汰にぼうっとしていた私を、三目が呼んだ。
「宮司。木崎が体育館の巨大迷路の攻略行くから来いって呼んでたぞ。客も落ち着いてきたし、行ってこいよ」
やっとメイド服が脱げる。ほっとしたのもつかの間、今度は学ラン姿を吏一君に見られないようにしないといけないことに気づいて、うんざりした気分だった。
吏一君たちが教室から出て行くのを確認した後で、木崎のもとへ行こうとしかけた私を今度は別の声が呼びとめた。
「宮司! ちょうどよかった、ちょっと手伝ってよ。三目が倉庫から脚立持って来いとか言っててさー。つか、力仕事を女子に頼むとかひどくない? 着替えに行こうと思ってたのにさ」
メイド服姿のままの流は不満げに右手に持った紙袋を振り回しながら歩き出す。つられて、私も後に続く。確かに女子一人で脚立を運ぶのは重労働だろう。
「たぶん、流なら自分で無理だって思ったら、周りの……男子とか巻き込んで、できるって、思ったからじゃない?」
三目だって馬鹿じゃないから、フォローするような気持ちで口にしたら、
「でも、宮司しか見つからなかったんだよね」
痛い言葉が返ってきた。
たぶん、流に悪気はない。体育祭とかクラスマッチでもいつも運動のできなさ具合を露呈している私が、非力すぎて頼りにならないと思われているのは無理もない。
「脚立くらい持てるよ」
「ごめんごめん、頼りにしてるって」
少しだけムッとして言うと、流はカラッと笑って肩を叩いた。
「ここ、勝手に扉閉まるからさー、適当に重しで扉押さえとかないといけないんだって。脚立どこだろ?」
軽い足取りで降りてきた階段の一番下。ひっそりと隠れるようにして、倉庫の扉がある。
三目から教わったのだろう。流は近くにあったパイプイスを重し代わりに扉に立てかけ、暗い倉庫の中へと踏み込んでいく。私も後に続いて中に入った直後――ギギギと不吉な音がして、まずい、と後ろを振り返った時にはパイプイスはすでに重しの役割をしていなかった。重い扉が閉まり、あっという間に、倉庫のなかは暗闇に包まれる。
「ええっ!? ちょっと、なんにも見えないんだけど」
「待って。今扉開けるから……う、結構重い……」
「えーどこどこー? 開くー?」
奥のほうにいる流は手探りで動いているようだ。
「危ないから動かない方が……」
言いかけた時だ。奥の方で重たいものが崩れる音がした。同時に、流の小さな悲鳴も。
「大丈夫!?」
「……いったぁ、い」
「流、何があった? 平気?」
「なんかわかんないけど倒れてきてー……やっばい、なにこれ。足の上になんか乗ってるしー重いしー痛いしーも、やだぁ」
こんなに弱々しい流の声を聞くのは初めてだ。
「待って、今そっち行く」
重たい扉を開けることを一度諦め、ポケットから携帯電話を取り出す。液晶画面の明かりを向けると、床にうつ伏せに倒れた流が今にも泣き出しそうな顔で見上げていた。
「宮司……」
めくれたスカートから覗く太股の上に、組み立てテントの太いパイプが何本も折り重なるようにして倒れている。
どうしてこんな重たいものを立てかけておいて置くのか、と憤りが生まれたが、今はそんなことを言ってる場合ではない。
「大丈夫。誰かに電話して来てもらう」
再び携帯電話の画面を見た私は、思わず「えっ」と声をあげた。
「な、なに……?」
「圏外だ。……流の携帯は?」
「教室、置きっぱ」
不安げな流の顔がますます曇る。
「扉が開くよ」
なんでもないことのように言って、私はもう一度ぴたりと閉じた扉のところに歩いていく。
「……無理だよぉ……三目が、扉壊れてて内側からは開かないから、ちゃんと押さえとかないとダメって、言ってたもん」
三目がわざわざ注意したということは、それが事実なのだろう。それでも、万が一ということもあり得る。
体重をかけて押しても開かないなら、体当たりを試みる。しかし、私の肩は頑丈な扉にあっさりと跳ね返されて終わった。
数回体当たりをしただけで息の切れている自分の体力のなさも恨めしい。力の強いほかの男子だったら、こんな扉くらい開けられたのかもしれないのに。
息を整えながら、携帯電話を手に狭い倉庫の中を歩いてみる。電波の入る場所がないだろうかと期待したが、望みは叶いそうもなかった。
「ごめんね……私がちゃんと扉止めとけばよかった」
「流のせいじゃない」
思ったよりも冷たい言い方に聞こえたことに気づいた時には遅い。薄暗い中で、流の顔がゆがんだ。
そうじゃない。流が悪いんじゃない。苛立ちを、ぶつけてしまったんだ。
「ごめん、流は悪くないよ。ただ、俺がなんにもできないのが……」
情けないだけ、と口に出してしまうと、本当に格好悪いだけのような気がして、口を噤んでしまう。私にだって、同年代の女子に対して格好くらいつけたい気持ちはあった。
「そんなの、仕方ないよー。ま、そのうち三目が気づいて来てくれるでしょ」
私を励ますように、流が明るく言った。痛い思いをしているのは、流のほうなのに。本当は私が、流を元気づけないといけないというのに。
確かに、三目ならきっと気づいてくれるだろう。だけど、今日は彼も忙しい。脚立の到着が遅ければ、男子を肩車させるなりなんなりしてさっさと代替案で仕事をこなすだろう。すでにメイドの仕事を終えた流と私を、彼はもう必要としないはずだ。流の友人は彼女を探しているかもしれないが、携帯電話のつながらない状況で、誰が倉庫にいるなどと思う? 文化祭のざわめきからも遠い、校舎の隅で、誰が倉庫に閉じ込められているなどと、思う?
「う……」
しんと静まりかえった倉庫の中で、かすかに流のうめき声が聞こえた。
「痛むの?」
「んんー……大丈夫、ちょっと重いけど」
携帯画面の光に照らされた流の顔は、無理して笑みを作っているように見えた。いつもはくっきりと綺麗に弧を描く眉毛も、薄く消えかかっている。目の縁にはアイライナーが滲んで少しばかり黒くなっていた。
流は見られていることに気づいたのか、気まずそうに顔を隠してしまう。
彼女の顔から視線をそらした私は、床に転がった紙袋を目にとめた。メイド服から着替えるために、流が持っていたショップ袋だ。
袋口から覗く制服の襟に、私の目は引き寄せられてしまう。
セーラー服だ。あれを着れば、流を助けてあげられる。
魔法を使えば、重たい骨組みを退かすことも、扉を開けることも簡単だ。
セーラー服を着れば――きっと。
だけど、もしも流にそんなところを見られたら? 彼女はいったい、どんな反応をするのだろう。
怖い。
でも、吏一君に秘密を知られることに比べたらそんなのどうってことないんじゃないかって、不思議なことに、そんな風に考えたら、自ずと心は決まっていた。
「ちょっと、目をつぶってて。絶対、いいって言うまで目を開けないで」
「えっ? なんで?」
この宣言は必要なかったかもしれない。携帯電話の液晶の光が消えれば、辺りは真っ暗だったから。
借ります。本人には言えないから、黙って学ランを脱ぎすてて、セーラー服に袖を通す。自分のセーラー服を着たときとは少し違う。女の子のにおいがした。
「なにやってんの?」
私がごそごそと動く気配を察して、流が不安げな声で尋ねる。
「動かすよ」
見えないので手探りでの作業だったが、セーラー服を着ている私に不安はなかった。流の足の上に倒れている鉄の骨組みをまとめて抱え上げ、邪魔にならない場所へと苦もなく移動させる。
「えっうそっ! あれ持ち上げたの!?」
流が、足の上の重しが消えたことに気づいて声を上げる。
「足は? 動かせそう?」
「うん……大丈夫っぽい。ありがと」
「もう少し目を閉じてて」
私は扉に肩を当てると、足を踏ん張り、上半身を前へと倒すようにして体重をかけた。きゅっと上履きの底が鳴る。
鈍い音を響かせながら、扉はゆっくりと、外側へと動いていく。明るい外の光が徐々に倉庫の中を照らしていく。
人が十分に通り抜けられる程度まで押し開け、今度は絶対に動きそうにない重たい箱を扉のストッパーにして、私は倉庫の中を振り返った。
「ぐう、じ……?」
倉庫の床に座ったまま、まぶしい光に細められた流の目が驚きに見開かれていくのを、私はただ、硬直して見ていることしかできなかった。