魔法使いなんていない(9)
『あきちゃんが来たよ』
多聞から電話でそんな話を聞かされたのは、拉致の一件があった三日後のことだ。
あきちゃんとは、ずっと連絡をとっていない。心配してくれているのは知っている。だけど、追及されたら上手く誤魔化す自信がなかった。ばれることを恐れて電話を拒否したら、メールまで返しにくくなって放置という悪循環。心証は最悪だろう。
それでも、気になって尋いてみる。
「……あきちゃん、なんて?」
『吏一君なんか何考えてるのかわかんなくて大っきらい! って』
「まじかー……」
わかっていても、へこむ。予想以上にへこむ。
でも、これ以上、あきちゃんを巻き込むわけにはいかない。青柳紀元のねらいは、俺だ。
受話器の向こう側で、忍び笑いの気配がする。
『嘘だよ』
俺は問答無用で電話を切った。
数秒後に再び着信音が鳴る。
「なんだよ、嘘つき野郎」
スマートフォンの画面も確認せずに応答したら、予想外の高い声がスピーカーから聞こえてきた。
『誰が野郎ですって?』
「えっ、……彰子さん!?」
『酷いわねぇ。連絡くれって留守電に入ってたから、わざわざ連絡したのに』
「すみません」
俺はこの人のことが少しだけ苦手だ。たぶん、教師だからという以上に、気の強い女だから。だけど、事情をある程度知った上で、協力してくれそうな数少ない知人でもある。
「教えてほしいことがあって。簡単に他人に言っていいことじゃないってわかってるんですけど、お兄さんの魔法がどういうものなのか教えてくれませんか?」
『そんなの、教えられないわよ』
想定していた答えだったが、彰子さんの声にはわずかな躊躇いがあった。
「お願いです。正直けっこうピンチでして、聞いて役に立つかっつーと微妙だし、それでも知らないよりはマシなんじゃねえかと。……佐々倉先生のことと交換条件でもいいです」
俺は、たぶん少しだけ焦っていた。
具体的に、青柳紀元が俺をどうしたいのかはまだわからない。それでも、自分の将来が大きく変わってしまうことはきっと避けられない。多聞のようにいいように使われて、性格が歪んでしまうかもしれない。やりたくもないことをやらされる羽目になるのかもしれない。
そんな実感の伴わない不安のようなものを、胸の隅の方でずっと持てあましていた。だからきっと、多聞のくだらない嘘一つ見抜けなかったのだ。
『何よ、それ』
彰子さんの声音にはちょっと怒気が混じっている。すでに怖気づきそうだ。
「佐々倉先生本人に、魔法使いだってこと教えてやろうかと」
あの穏やかそうな先生がどういう反応を示すかはわからないが、彰子さんにとってはきっと嫌なことだろう。分家とはいえ、三島家のように魔法使いの血の濃い家に生まれていればなおさら。
ため息が聞こえた。
『下手くそな脅しねぇ。吏一君、そんなことできる子じゃないでしょ』
「……すみません」
あっさりと見抜かれたら、降参するしかないじゃないか。
『わかった。いいわよ。吏一君には佐々倉のことで助けられたのは本当だし、教えてあげる。どうせ大した魔法じゃないのよ。兄の魔法はね――』
彰子さんからの電話を切って、さらに数秒後。
三度鳴りだした着信音。きちんと確認したスマートフォンの画面に表示されたのは、見覚えのない番号で。
嫌な予感に、すこしの覚悟をもって応答する。
「三島だ」
彰子さんではないほうの。すぐに、一度見たら忘れられないスキンヘッドの顔が浮かんだ。
突然呼びだされた場所は、三日前に拉致されたのと同じマンションだ。
駐車場のエレベーター前で、三島大貴とリョウさんが並んで待ちかまえていた。わざわざお出迎えとはご苦労なこった。
「逃げずに来たか」
「また拉致られるのは勘弁なんで」
乗り込んだエレベーターは最上階まで一気に上昇する。さらに階段を数段上って、扉を開けて屋上に出た。雨上がりの夜空は、塵を洗い流しすっきりとした空気に包まれている。何もない屋上の端の方に、背広の男の姿が見えた。スキンヘッドの後に続いて男に近づくにつれ、顔立ちがはっきりと見えてくる。
「新沼吏一をお連れしました」
「ご苦労だったな。――夜に呼びだしてすまないね、新沼君」
思いのほか気安げに男は話しかけてきた。薄暗い明かりの下、細い目はにっこりと笑うとますます糸のようになる。年齢を重ねた皺や太い首、背格好こそは違ったが、その顔立ちは誰かさんととてもそっくりで。
「初めまして、私は青柳紀元。青柳家の現当主を務めている」
多聞の父親であり、アオヤギグループの社長という肩書を持ち、力を増幅させる魔法を使う魔法使い。ジイさんを眠らせるよう指示した張本人。こいつが、正真正銘のラスボスだ。
「……どうも。一応聞いておきたいんですけど、いいですか」
「どうぞ。私で答えられる事ならば答えよう」
「ジイさんを――堂本治一郎を眠らせたのはどうしてですか?」
「三島に聞かなかったかな。私だってそんなことはしたくなかったよ。この月並町には、新しい風が必要なんだ。新しいものを恐れ、古い考えに固執するばかりが良いことだろうか? 過去を踏襲していては、進化はあり得ない。そう思わないかい?」
「それなりの経験があるから、現状維持がベストだと判断してるんじゃないんですか。それに、ジイさんが古いもんに固執してるとも俺は思わない。どっちかっつーと新しいもの好きだし」
いつだったか3Dテレビを買おうかどうか真剣に悩んでいたような人だ。新しいものを恐れているようには思えない。結局買わないことに決めたみたいだったが。
「そうだろうか。新しいものに興味があっても、いざ導入となるとどうだい? その豊富な経験を踏まえたうえで、出した結論が現状維持なら、それは退化だ。その場で足踏みをしていることは必ずしも安定ではない。周りは常に前へと進んでいるのだからね。時代は変わる。君のように若い人は、長く生きた者の言うことは間違いないと信じがちだが、それこそが大きな間違いだ」
青柳紀元が朗々と語る。
彼の言っていることは、正しいのかもしれない。確かに、彼の生きているビジネスの世界では、変わらないことは退化なのだろう。常に挑戦をし続けなければ、勝ち残っていけない。アイデアを生み、改善し、周りを出し抜き、すこしでも上へ行かなければいけない。同じ場所でくすぶっていれば、ほかに追い抜かれ、あっという間に落ちてしまう。
でも、そうじゃない、と反論したかった。
「俺は別にジイさんが絶対間違えないなんて思っちゃいねぇよ。あの人のタイプミスは酷いしな」
結局、社会に出たこともない俺には上手く言葉を見つけることができなくて、そんなつまらない反撃しかできない。
青柳紀元は鼻でわらった。
「ついて来なさい」
促されるまま、屋上のフェンス近くまで歩み寄る。
小高い山の中腹にあるこのマンションの屋上からは、月並町をほぼ一望できた。町の中心を横断する線路と、駅の小さなロータリーから真っ直ぐに伸びたアーケード。その向こう側は小さな温泉街へと続く。
決して華やかとは言えない夜景。
「眼鏡をかけなさい」
渋々胸ポケットから取りだした黒フレームのそれを耳に引っ掛ける。すこしクリアになった視界の隅に、薄い紫色の光がかかる。それが並び立つ青柳紀元のものだとすぐには気づけなかった。夜の闇にほとんど溶け込んでいたせいだ。
「私が魔法使いだと分かるかね? どう見えるんだ?」
「……なんとなく分かるだけです」
嘘をついた。青柳はハッと軽く笑っていなす。見抜かれているのだろう。かといって素直に教えてやる気はなかった。
「まぁいいさ。今、この町には何人ほどの魔法使いがいると思う?」
「さあ?」
青柳紀元は見渡せるかぎりの町をぐるりと指差し、尋ねてくる。いくら眼鏡をかけていたって、分かるわけがない。遠すぎるのだ。
「すぐに分かるさ」
そう言って、彼が左手を気安く俺の肩に乗せてくる。骨ばった手の薬指に、光る指輪が見えた。軽く乗せられただけだというのに、ひどく重い。――変だな。周りが妙に明るく――
「見てごらん」
青柳の指差す先、再び月並町へと視線を転じる。
「あ――」
それっきり、声が出なくなった。
「見えているか? さあ、教えてくれ。月並町には魔法使いが何人いる? 数えきれないほどかね?」
期待の眼差しを向ける青柳の言葉が、俺には半分ほどしか聞こえていなかった。だってこれは、俺が見ているものは――どう、答えたらいいのか。どう、伝えたらいいのか分からなくて、
そのときだ。大きな音がして、俺と青柳は同時に後ろを振り返る。屋上の扉が開け放たれていた。一番近くにいたリョウさんが、「あっ」と声を上げた次の瞬間にはもう、カエルの潰れたような声を上げて倒れ込む。
「お前っどうやって!?」
すでに逃げ腰のスキンヘッドは、体当たりを食らってやはりその場にうずくまる羽目になる。そして、邪魔者たちを打ち倒し、真っ直ぐにこちらへと向かってくる彼女――セーラー服を着たあきちゃんは、
「吏一君を返して!」
ヒロインのピンチに駆けつけるヒーローばりに格好良かった。
「あきちゃん……なんで……!?」
「吏一君と話をするためだよ。電話には出ないしメールも無視するし、だからこうやって直接会いに来たの。そいつがおジイをあんな風にしたんでしょう? 私がやっつけるから、吏一君はどいてて」
あきちゃんは怖い顔で、セーラー服を着た少女には似つかわしくない台詞を堂々と口にする。頼もしすぎて、俺は泣きそうだ。男としてのプライドが、などと言っている場合でもないのだろうけれど。
凛と顔をあげたあきちゃんは青い炎のような光に包まれている。俺自身の魔法が増幅されているせいか、その光は一層強い。
「君は、宮司家の子だね。申し訳ないけど、これはそういう方法で解決できることではないんだよ」
青柳紀元があきちゃんと対峙するように前へと進み出た。男を取り巻く紫色の光の源を、俺の目は勝手に見つけだしてしまう。強くまばゆい魔法の力は、左手の薬指にはめた指輪から発せられていた。
それだけじゃない。その力がどう効力を発するのかも、すべてわかってしまう。見るだけで。魔法の光を視界の端に捉えただけで、頭のなかに一気に情報が流れ込んでくるのだ。これが正しいのだとしたら、俺が、月並町を見渡したときに見たものをどう説明したらいい。
「交換条件だよ。堂本治一郎を目覚めさせる代わりに、新沼君が私に協力してくれる」
「卑怯だ!」
「そうかな。私にとって堂本は邪魔な存在だからね。このまま眠ってくれていたほうが楽なんだよ。それをわざわざ起こしてあげようと言うんだ。十分にフェアだと思うがね」
「おジイは私が目覚めさせる!」
「どうやって?」
「それは……」
痛いところを突かれ、あきちゃんが急に勢いを失くす。おっさんが女の子相手に大人げないことだ。今は俺がしっかりしないといけない。
青柳紀元が力を増幅してくれたおかげで、色んなものが見えた。これを利用しない手はないだろ。
「あきちゃん、俺は大丈夫だから」
すでに臨戦態勢のあきちゃんを制するように言葉を投げてから、俺はとなりの男に向き直る。
「一つだけ。ジイさんを目覚めさせるという約束が本当かどうか、それだけ確かめさせてくれませんか。約束を守ってくれると証明されれば、俺はあんたに協力します」
「吏一君! ダメ! その人は自分のことしか考えてないんだよ!? 吏一君のこと利用したいだけなんだよ!」
「彼女は納得しないと思うが?」
「俺が説得します」
「ふむ。で、私は君にどうやって証明すればいいかな」
「あいつ――三島大貴の魔法を使います」
未だ屋上に倒れているスキンヘッドを指さして、俺は促した。
「なるほど。三島の魔法は、君のその魔法で見破ったのかね」
そうだ、と答える俺に、青柳紀元は納得したように一つ頷いた。それを了承ととって、俺はスキンヘッドに近づきその体を揺り起こす。
「あんたの魔法を使って青柳紀元が嘘つきじゃないってことを証明してくれ」
事態を把握していないスキンヘッドは、ずれたサングラスをかけ直しながら眉を潜めた。
「魔法の道具を準備しないといけないんだろう。俺も一緒に取りに行く。――あきちゃん、そいつのこと見張っててくれる?」
「えっ……うん。吏一君……」
あまりに心細げに彼女が呼ぶから、できるかぎり頼もしく見えるように胸を張って親指をぐっと立てみせると、俺はスキンヘッドと一緒にいったん屋上を後にした。
さてと、ここまでは成功だ。
彰子さんが教えてくれた、三島兄の魔法――『相手の言っていることが嘘か本当か見破る魔法』
便利なものを持っているもんだ。ただしそれは、三島兄をこっちの味方につけなければ使えない切り札だ。彰子さんには「本当にもしものときには私の名前を使って脅してもいいわよ」などと言われていたが――あの人もつくづく強い女だ――どうやらその必要はないみたいだ。
だって、俺にはわかってしまった。
三島大貴の魔法の『仕組み』が、見えてしまった。
屋上の扉を閉め、先に階段を下りようとする三島を呼びとめる。
「なぁ、三島さん。あんた、青柳紀元のこと裏切ってんだろ」
振り返った男の、サングラスに隠れていない片眉がぴくりと動いて、俺はかましたはったりが外れていないことを確信する。
「なんのことだ?」
「とぼけるなよ。なんで多聞のやつが青柳紀元から逃げていられるのか、ずっと不思議だったんだ。ジイさんの協力だけじゃ不可能だ。あんたが多聞を匿ってんだろ」
「どうやって、俺が青柳多聞を匿うんだ?」
サングラスの向こう側で、感情を押し殺しているはずの三島の目が驚きに見開かれているのがわかる。俺が言うのもなんだが、あまり嘘が得意なタイプではないとみた。
「もちろん、魔法を使って、だ」
三島大貴は器用に口元を歪め、なおも否定する。
「お前がさっき言ったように、俺の魔法は嘘を見破る魔法だ。そんなものがなんの役に立つ?」
確かに、俺が彰子さんから教えてもらった三島兄の魔法は、『嘘を見破る魔法』だ。だけど、それだけじゃない。
「もう一つあるだろ? 便利な魔法がさ」
再び、スキンヘッドの片眉が神経質に持ちあがる。
こいつも俺と同じだ。、一つの魔法の道具で二つの魔法が使える。
俺の魔法が、『眼鏡越しに見た人が魔法使いかどうかわかる』と『人の眼鏡をかけると持ち主のことがすこしだけわかる』の二種類あるように。今はその魔法が青柳紀元によって増幅されているせいで、眼鏡越しに相手を見ただけで魔法の中身までわかってしまうようになってんだけど。
そのおかげで、三島兄のもう一つの魔法が見えた。青柳紀元にも、たぶん、彰子さんにも知られていない魔法なのだろう。
そして、三島兄がこの魔法を使って多聞に協力しているのならば、どうして多聞が青柳紀元から逃げ続けられるのかが、簡単に説明できてしまう。
「その魔法で、俺に協力してくれねぇかな。正直なところ、あきちゃんは頑固だから俺は彼女を説得する自信がねぇし、かといってあんたのことをバラして多聞を売るような真似もしたくねぇんだ。だから、助けてほしい」
真っ向から頼んでダメなら彰子さんの名前を出すつもりだった。だけど、三島大貴は「わかった」と頷いたのだ。
「へ? マジで? 案外あっさりだな」
「多聞にも彰子にも、できれば助けてやってほしいと言われていた。そんな義理はないから様子見してたんだが、あの子にまた蹴り飛ばされるのは御免だからな」
そう言って、三島兄はニヤリと口の端を持ち上げた。
あきちゃん、ありがとう。
多聞のやつは俺を助けられるやつはもういないとか言いやがったが、どうだ。そんなことはなかっただろう。俺には、セーラー服の美少女がついている。