魔法使いなんていない(3)
『おはよう(^-^)
昨日はメールの返事送れなくてごめんね_(._.)_
気がついたら寝ちゃってた(>_<)
窓開けたままだったから、寒くて起きたよー↓↓↓』
『おはよ。たぶんまた寝るけど。
風邪ひかないように気をつけて。
学校いってらっしゃい!』
『いってきまーす(^^)/
おやすみ~☆』
車を発進させる前に、あきちゃんからのメールを確認する。メールですらかわいい。にやけそうになる口元に手をあてて――誰が見てるわけでもないが。メールの返事をうつ。ここ最近、あきちゃんとはほぼ毎日メールをやりとりする仲だ。
『おはよう(二回目) 今からジイさんち行ってくる』
道すがら多聞の店の前を通ると、店の扉には珍しくCLOSEDの看板がかかっていた。定休日はない、といつだったか店主は言っていた。自称出不精の店主はたいていの買い物をネットですませてしまう。食料や日用品もすべて、だ。出不精っつーかほとんど引きこもりだな、あれは。
しかし今日は違った。店の前を通りすぎ、数十メートルもいかないうちに道脇を歩く多聞のうしろ姿を見つけたのだ。追い越したところで気づいてブレーキを踏み、運転席の窓を開ける。狐のような細い目をした男が顔を上げ、こちらに気づいた。
「めずらしいな。どこ行くんだ? 駅くらいまでなら乗っけてくぜ?」
九月とはいえ、まだ日差しは強い。影をえらんで歩いていても、外は暑そうだった。
「ありがとう。でも、いいよ。たまには動かないと体がなまる。君は今日もまたバイトかい?」
「いや、今日はちょっと野暮用」
実のところバイトも夜から入っているのだが、言うとまた毎日それしかないのかと笑われそうだからやめておく。
「なにか心配ごとでもあるのかい?」
唐突といえばあまりにも唐突に、多聞は尋ねてきた。
心配ごと、か。ジイさんの容態やジイさんを騙るメール、それから、あきちゃんのこと。心配ごとがないと言ったら嘘になるが、指摘されるほど顔や態度に出しているつもりはなかった。
「そういう顔してる」
にこりと目を細めた糸目はあいかわらずどこか胡散臭い。
「読むなよ、かってに。心配ごとっつーか、しょうに合わないことするもんじゃねーなーって。隠しごととか苦手なんだよ」
事情を知らない多聞にはなんのことかわからないだろう。ひとりごとみたいに言ったら、思いのほかグチっぽくなった。
「ああ、確かに苦手そうだな。君みたいに言ってることと腹のなかで考えていることが大体一致する人間と一緒にいると安心するよ」
「あんたは腹んなか真っ黒って感じだよな」
「ありがとう」
「ほめてねぇんだけど」
後続車にクラクションを鳴らされて、会話もそこそこに俺は車を発進させた。バックミラーに映る多聞が軽く手を振っているのが見えて、窓の外に片手を出してひらりと振り返す。
実は、あきちゃんに話していないことが一つだけある。これ以上心配ごとを増やしたくなくて言えなかったことが。
ジイさんの見舞いに行ったときのことだ。何かわかるかもしれないと思って、俺はサイドテーブルに置いてあったジイさんの眼鏡をかけてみた。俺の魔法は不安定で、こちらがほしい情報がかならずしも手に入るとはかぎらない。だから、ジイさんの眼鏡をかけて俺が見たものが、今回の件に関係あるとは断言できないのだ。
眼鏡をかけて見たものが――あきちゃんの泣き顔が――答えだとは思いたくない。俺が見たのは、セーラー服ではなかったけれど確かにあきちゃんだった。半パンにサンダル、半袖のシャツという涼しげな格好だったから、きっと夏なのだろう。だから彼女に、ジイさんに夏休みに会ったかと聞いたのだ。さすがに、泣いたかどうかは聞けなかった。
あきちゃんはジイさんに会っていないと言う。ジイさんがぬすみ見でもしてたのか? なんのために?
里中さんから聞いたジイさんの家は、町の南側、俺の住む住宅街からは駅をはさんでちょうと対角線上にあった。車で三十分の距離を走るあいだにいろいろな可能性を考えてみたが、答えには辿りつけない。
やがて、古びた平屋の前で待っている里中さんの姿が見えた。ひらひらと手をふる里中さんの誘導に従って車を停め、一緒に家のなかに入る。
部屋は質素なリビングとふすまで仕切られた和室の二部屋だけだった。ジイさんのデスクトップパソコンは和室のほうに設置されていた。電源を入れるあいだに、里中さんがキッチンでお茶の用意をしてくれる。古い型だからか、立ち上がるまで妙に時間がかかる。冷たいお茶を入れてくれた里中さんに礼を言い、やたらと動作の遅いディスプレイと向き合った。ジイさん、よくこんなマシン使ってたな。ウイルスにでも感染してんじゃねぇのか。重すぎて、メールソフトすら起動できない。
念のためにウイルススキャンをかけてみることにする。待つあいだに後ろを振り向いて、
「里中さん、ジイさんの家のことを教えてくれないか? ジイさんは堂本家から縁切られてるって聞いたけど、今回のこととその辺のお家事情は関係ねぇの? ジイさんにうらみ、とかさ」
本当なら本人に尋ねるべきなのだろうが、当の本人の意識がないのだからしょうがないと納得させて、俺はこの際だから聞いてみた。たぶん、これから俺がジイさんの傍で魔法を使い続けるならば、いずれは知ることになるだろう。
「新沼君は、治一郎さんが誰かにあんな目にあわされたんじゃないかって、思うの?」
里中さんはやわらかい視線を向けてきたが、試されているような気分だった。答えもおのずと慎重になる。
「そうじゃないといいな、と思ってる。ジイさんが倒れただけならそんなこと思わなかったよ。俺と大外内さんにきたジイさんからのメールのせいだな。あのメールはどう考えても変だ。それに、堂本家の当主は誰かに狙われてんだろ? とばっちりがジイさんに来てるってことはねぇのかな」
あきちゃんから聞いた、狐の面をつけた男の話――彼女自身も巻き込まれた夏休みのあの事件が今回のことと関係しているかもしれない。あくまで可能性の話だ。確かなことなどひとつもない。
「そうね……。ねぇ、新沼君は月並町の魔法使いが二つの派閥に分かれてるってことは知ってる?」
俺は首を横にふって答える。もともと俺の家は旧家でもなんでもない。親戚に魔法使いがいたって話も聞いたことがないので、この町の魔法使いの系譜からは外れた人間なのだろう。
「一つは堂本家ね。基本的な考え方は、若いころに治一郎さんが提案したのと同じ――魔法使いはひっそりと暮らしていくべきだ。しかしわれわれの力が誰かの役に立つのならば、その力の行使を決して惜しみはしない」
その言葉はジイさん本人から聞いたことがある。JYMで魔法を使ってみるかと問われたときに、教えられた理念そのままだ。
「だけど一方で、魔法使いの力をもっと有益に、ビジネスに利用しようと考える人たちもいるの。それが、青柳家」
どこかで聞き覚えのある名前だとすぐに思った。ああ、あれだ。
「青柳……って、アオヤギグループとなにか関係あんの?」
「大ありよ。そこの取締役が青柳家の現当主だもの」
アオヤギグループといえば、月並町のとなり町に本社を持つ地元屈指の大企業だ。この辺りだとアオヤギグループと関わらずに商売することのほうが難しい。俺がバイトしているカフェバーも確かアオヤギグループの傘下企業の手がける事業だったはずで。
「堂本家と青柳家の対立は魔法使いに対する考え方のちがいね。それでも昔に比べればずっとおだやかになったものよ。一時期は道ですれ違うだけで一触即発なんて時代もあったんだから」
「里中さんちは堂本家の分家?」
「そうよ、待っててね。古いものだけど、系図を見せてあげる」
そう言って古いたんすの引き出しを開けた里中さんは、丸く巻かれた大きな一枚紙を畳に広げた。ほとんど一畳分の大きさだ。二枚重ねの紙の一枚目は、堂本家を中心に里中、宮司、熊谷、大外内などといくつもの分家が一目でわかるような図が描かれている。
二枚目は青柳家のものだった。こちらも同じように、芝原、木崎、三島と、月並町にいまも存在する分家が並ぶ。知っている名字もいくつかあった。
「いまの若い子には家同士の対立なんてほとんど関係ないみたいだけどね。自分の家が魔法使いの分家だってことを知らない人もたくさんいるし、時代は変わるものよ。でもね、本家はそういうわけにはいかないの。堂本家と青柳家の対立は私たち分家の人間が思っているよりもずっと根が深い。――なのに、治一郎さんは、あるとき青柳の人間を助けた。どういう経緯で助けたのかは私にはわからないけど、そのせいであの人は堂本家と縁を切られてしまった。本家には本家の事情があったのでしょうけど、あんまりだと思ったわ。だから私は勝手に治一郎さんのお手伝いをしているの」
すべてを話し終えて、里中さんは手につかんだコップの中身を勢いよく空にした。
「その辺の事情を全部知ってる里中さんは今回のことどう思ってんの? 青柳家の話をしてくれたってことは、少なからずそいつらがあやしいとは思ってんだろ? ちがう?」
コップをテーブルに置くのを待って、俺は意見を請う。正直なところ、たったいま事情をかいつまんで聞いただけの俺に判断できることとは思えなかった。
「……難しい質問ね。治一郎さんは人にうらまれるような人ではないけれど……。青柳家のいまの当主なら、治一郎さんのことを邪魔だと思えば、なんらかの手段をとってくる可能性はゼロとは言い切れないわ」
「ジイさんは青柳家の人間を助けたのに?」
「青柳家の当主を助けたわけではないから……。青柳家の当主はね、ことビジネスに関しては手段を選ばない。っていうのは私も人の噂で聞いたことだけど。ただ、青柳家は魔法使いの力を使って大きな事業をしようとしているみたい。本家の人間ならもっとくわしいことがわかるかもしれないわね」
それとなく聞いてみようかしら、とつぶやいた里中さんが、不意に思い出したように付けくわえた。
「そうそう、青柳家の人間はみんな魔法使いなの」
その瞬間、背後のデスクトップパソコンが悲鳴のように警告音を鳴らした。画面を振り返ると、スキャンが終わっている。案の定、検出されたウイルスが画面に示されていた。
「やっぱりだ、ウイルス感染してる」
「ウイルス? ……それって対策していてもかかるものなの? 治一郎さん、パソコンが感染すると自分の体調も悪くなるから、ウイルス対策だけはしっかりしておくんだって言ってたのよ」
「新しいやつがどんどん出てくるから、絶対安全とは言えねぇんだ……あ、そうか。ジイさんが倒れた原因ってこれかもしれない。パソコンはジイさんの魔法の道具だから、こいつが攻撃されたらジイさんの体調も悪くなるってのはおかしい話じゃねぇし」
ということは、ウイルスを駆除してやればジイさんが目を覚ます可能性だってあるわけだ。この思いつきは試してみる価値があると思った。
「ジイさんが倒れたのってここに座ってたときだろ? ほかに考えられねぇよ。持病もねぇんだし。ウイルスに警戒してたのに感染したってのが引っかかるけど、たぶんうっかりメールでも開いて……」
俺がほとんど勝った気分で、ウイルス説を説明していたときだ。クリックもしていないのに、パソコン画面に自動的にメーラーが立ち上がった。
俺は大事なことをいくつか忘れていた。ジイさんが倒れたあとにも送られてきたメール。あれは、このメールアドレスから送られたんじゃなかったのか。気づいたときにはもう遅かった。いくらキーボードを叩いてもマウスを操作しても、パソコンはこちらのいうことなど一切きかない。
「遠隔操作……?」
立ち上げられたメーラーのなかから、一通の既存メールが勝手にひらく。差出人不明。件名なし。本文なし。添付ファイルあり。なんでこんな見るからに怪しいメールを開いちまったんだよジイさん。
その答えはすぐにわかった。
マウスポインタが添付ファイルをクリックしてダウンロードを始める。俺はただ黙って見ているしかない。やがて、画面いっぱいに写真が何枚も何枚も何枚も、何十枚も開かれる。全部同じ写真だった。俺はその写真を知っていた。見たことがあったんだ。
ジイさんの眼鏡をかけたときに。
一緒に画面をのぞきこんでいた里中さんも気づいて、あっと声をあげる。
「これ、あきちゃん……!?」
川に足をつけて、すずしげな格好をしたあきちゃんが、写真のなかで静かに泣いていた。
「里中さん! あきちゃんって、この時間だとまだ学校?」
部屋のかべにかかった時計を見上げると、時刻は午後三時をすこし回ったところで。
「どうかしら、休み明けテストがあるって言ってたから早く終わってるかもしれないわ」
あきちゃんの携帯電話を鳴らす。すぐに留守番センターにつながって、通話を切った。電源が入ってないってことはテスト中か、そうじゃなければ――。
「ジイさんの病院に行ってるのかもしれない」
「待って、待ちなさい新沼君。ちょっと落ち着いて。そんなに慌てて飛び出したら事故しちゃうわよ。あきちゃんがあぶない目に遭ってるわけじゃないんだから」
「だけどこれは立派な脅しだぜ? しかも、このパソコンをどっかで勝手にいじってるやつは電源が入ったことを知ってまた同じ写真を見せつけるようにして開きやがった。次にねらうのはあきちゃんだって言ってんのと同じじゃねぇか!」
気づいたら、ほとんど怒鳴るようにして叫んでいた。完全に頭に血がのぼっていることを自覚して、熱を冷ますようにしてかぶりを振る。あきちゃんが危ないかもしれないと焦っているからって、里中さんに怒鳴ることじゃない。
「……すみません。でも、あきちゃんには早いところ警告しといたほうがいい気がして。俺、ジイさんの眼鏡かけたときにあきちゃんの泣き顔を見てて、だけど心配かけないほうがいいと思って黙ってた。あれはジイさんが見たこの写真だったんだと思う……」
もっと早くにジイさんのパソコンを調べに来ればよかった。そうすれば、あきちゃんにも説明してもっと詳しい話を聞けたかもしれないのに。写真を撮られた覚えはないか、撮ったやつに覚えはないか、そもそもこれは本当にあきちゃんの写真なのか。合成とか方法ならいくらでも考えられる。
後手後手に回ってる気分だ。早くしないとあきちゃんのことも手遅れになるんじゃないかと、気ばかりが急いて。
「大丈夫よ。あの子は強い子だし、夏休みの事件のことがあったから念のために堂本家のガードが近くについているはずよ。……そんなに心配なら、見てみましょうか」
里中さんは俺をはげますように肩を叩いてから、べつの紙をたんすの引き出しから引っ張ってきた。これまた大きな紙だ。広げると、月並町とその周辺全体が見わたせる白地図だった。
「私の魔法、まだ新沼君には見せたことがなかったわよね。手を貸してくれる? よく見ていてね」
里中さんが差し出す左手を俺はわけもわからず軽く握る。そのまま、彼女は右手の人差指で、白地図の端のほうにゆっくりと指先を落としていく。ほとんど垂直に。目指す先はジイさんの入院している病院だ。ぴたり、と里中さんの指先と地図とが触れあったとき、目の前に病院の屋上が広がった。
「なんだ、これ……」
「これが私の魔法。治一郎さんは『鳥瞰図』と名づけてくれたわ」
なるほど。地図の上から眺めるこの感じ。鳥の気分といえなくはないが。視点だけが病院の上空にありながら俺自身が座っているのは相変わらず畳のうえなので、感触的には視界をはみ出すほどの大きなスクリーンで映画を見ているのに近いのかもしれない。
画面が急にぐんと近づいて、病棟の廊下を上から見る形になる。「もう少し右かしら」と里中さんが微調整をするたびに目ん玉を引っ張られるようで気持ち悪かった。いくつかの病室をさまよい、やっと見つけたジイさんの部屋。その部屋の天井から見下ろす形に視点が固定される。病室のなかに見えたのは、ベッドに眠るジイさんの顔。そのかたわらにたたずむ、私服姿のあきちゃんの小さな頭のつむじ。
それから、そのとなりに並ぶ頭がもうひとつ。真上からでは顔が見えない。肩幅からして男のようだが。みすずさんがすこしばかり二人の顔が見える位置へと場所を移動させた。ななめ上から見下ろす形で、あきちゃんの隣に立つ男の顔を確認した俺は、思わず息をのんだ。知っている顔だったからだ。それも、ここに来る前に見たばかりの。
「多聞……?」
俺は同時に思い出した。とういか、どうしてもっと早くに思い出さなかったのが不思議でしょうがない。キツネのような面をした、愛想だけはいい椅子屋の店主――青柳多聞。
昔、月並町に住んでいて、一月ほど前に戻ってきたとあの男は話していた。そして起こった夏休みの事件。次にジイさんが倒れて、そして今度はあきちゃんが――。
ただの偶然と思うにはあまりにも出来すぎたタイミングに、俺は今度こそみすずさんの手を振り払い、家を飛び出して車を発進させていた。