魔法使いなんていない(1)
夏休みが終わるころ、ジイさんが消えた。再会した俺とあきちゃんのまわりで起こる事件。そして次に狙われるのは? シリーズ第三弾。夏の続きがいま、始まる!
今、俺の目の前にはあきちゃんがいる。
使っていない古いコンポとこの春に買ったばかりのノートパソコンがなかよく同居する机のとなりに、あきちゃんがいる。脱ぎ散らかした服に占領されたベッドを背にして。あきちゃんが床に転がった骨董品みたいなバイクのヘルメットをけげんそうに見るから、車を買ってからバイクには乗らなくなったんだと、俺は聞かれてもいないのに説明する。
セーラー服からのぞく細い足を体育座りでかかえて、あきちゃんはすこし泣きそうな顔をしていた。たぶん、本当に聞きたいのはそんなことじゃないんだろう。
「吏一君……」
心細そうに、あきちゃんが俺の名前を呼んだ。今すぐ抱きしめたくなる衝動を、右手をにぎってやりすごす。
「大丈夫だよ」
俺はあきちゃんの不安の正体などさっぱりわかっていないくせに、無責任な言葉をかけた。
「ほんとうに?」
うるんだ目で見あげられたら――やべ、かわいい。にぎりしめた手につめが食いこむ。どうしろってんだ。直視してられなくて視線をわずかにずらしたら、ベッドの上に投げっぱなしのエロ本を見つけた。
どうか、あきちゃんがうしろを振り向きませんように。
「吏一君は私を、受けいれてくれる……?」
急に立ちあがったあきちゃんは、向かいに座っていた俺を見おろす格好になる。すらりと伸びた生足のなめらかなひざ小僧を目の前にして、俺は目のやり場に困ったりしたわけだが、そんなことより。急にどうしたの? とたずねるよりも先に、あきちゃんは胸のまえで交差させた両手をセーラー服の白いすそにかけ、ゆっくりと持ち上げていく。脂肪のすくない白いお腹が見えて、ごくりとつばを飲みこんだ。
そんなことしたらダメだ、あきちゃん。一体どうしたんだよ!?
止めないと、と理性は叫んでいるのに、俺の頭は、いかにしてエロ本に気づかれずにベッドにうまく押し倒すかってことばかりを考えていた――ところで目が覚めた。
天井に貼ったKREVAのポスターが、まるでファンタジーだと笑っていた。
ですよね。ハハ。かわいた笑いがむなしく響く。
つか、どうせ夢ならさっさと押し倒せよ!
汗だくのシャツを脱いで、ベッドの足もとに転がるエロ本に向かって投げつける。部屋の温度は三十度を軽くこえていた。残暑だ。照りつける日差しはまだ強い。九月に入ったからといって、今日から秋ですとはいかないのだ。俺が未だあきちゃんに会えないままずるずるとバイトの日々を続けているのと同じように。
さすがにもうセミのうるさい声で起こされることはなくなったものの、だからといってあんな夢を見たあとの寝覚めがいいわけがない。だるい体にムチをうって午後からのバイトに出掛ける準備をしながら、パソコンメールをチェックする。受信メールは一件だけ。差出人は「魔法使いのジイさん」。内容にざっと目を通して、了解、とだけ返事をして部屋を出る。
たっぷりと日差しをあびて熱くなった車のなかをエアコンで冷やすあいだ、フロントガラスに降参ポーズで転がったセミをそっと木の根元に移しておいた。ぴくりとも動かない。妙に感傷的なきぶんになっているのは、夏の終わりのせいだ。大学の夏休みはあとひと月残ってはいたが。
冷房をガンガンに効かせた車で、近所の椅子屋のまえを通りすぎようとしたときだ。しゃれた店の前に店主の姿を見つけ、あいさつ代わりのクラクション二つ。こちらに気づいたきつねのような面が振り返り、愛想よく片手をあげる。こちらに手のひらを突き出した椅子屋の唇が「ちょっと待って」と動いた気がして、ゆるやかにブレーキを踏んだ。
一度店のなかへと引っこんで戻ってきた多聞は、手に持ったものでこつんと運転席の窓ガラスをたたく。開けた窓からぬるい風とともに多聞の声が聞こえた。
「これ前に話してたCD」
「ああ、サンキュ」
前に俺が貸してくれと頼んでいたものだ。この男に関しては初対面の印象こそ最悪だったが、音楽の趣味は不思議とよく合った。店の奥の一部屋がレコードやCDのコレクションでいっぱいになっていることを知ってからは、こうやって発掘されたCDを貸してもらう間柄だ。大学を中退してしばらくヨーロッパを転々としていたらしい椅子屋は洋楽には特に強い。英語が話せるならTOEICの試験を代わりに受けてくれっつったら断られたけど。
「今からバイト? 働くね。大学生はまだ夏休みなんだっけ?」
「そう、九月まで。そっちは暇そうだな」
「大学生よりはね」
椅子屋は涼しい顔をして、いやみをさらりとかわした。実際のところ本当に暇なのだろう。この椅子屋に客が入っているところを俺は一度も見たことがない。そりゃそうだ。こんな住宅地の真ん中で、いったい誰がわざわざ訪ねてくるんだ? これで経営が成り立つのかと聞いてみたら、販売はもっぱらWEBショップ経由らしい。たぶんそれだけじゃないんだろうけど。
多聞に別れを告げ、俺はバイト先の「ムーン&リバー」へと向かう。九月に入ったばかりの最初の土曜日というのは、世間的にはまだ夏休みの延長線上らしい。若い奥さまの集団や派手なギャルのグループ、暑くるしいカップルの注文を聞きながら、魔のスイーツタイムはあっという間にすぎた。こういう忙しい日にかぎって店長である川岸が休みをとっているのはいやがらせだろうか。
ようやく、涼しげなノースリーブの女性客で目の保養をする程度の余裕ができたころには、夕方の休けい時間になっていた。
「新沼さん、お客さんからご指名ですよ。中学生かなー。将来有望って感じ。初めて見る子ですけど、またアレっすかね。」
奥に引っ込んで早い夕飯を食べていた俺を、もう一人のバイトが手招きする。言われてもすぐにはぴんとこない。モテモテですね、とからかうバイトの後輩を適当にあしらいながら食べかけのカレーを置いてフロアに出る。カウンターの隅に、一人で心細げに座っている女の子がいた。
俺はまた、夢か幻でも見てるんじゃないかと思ったんだ。だって将来有望どころか、
「吏一君……」
なんでそんな不安そうな目で見るんだよ。これじゃまるで夢と一緒じゃないか。困ったことに俺は、夢であんなことをしてしまった罪悪感で彼女を直視することができない。幸いにも場所と、彼女の着ている服はちがったけど。
「久しぶり、あきちゃん。セーラー服じゃなかったから、ちょっとビックリした」
「あ、うん。休日だから」
そうだよな。なんでそんな当たり前のことしか聞けないんだろうな。たぶん、あまりにも久しぶりすぎて舞いあがってるんだ俺は。落ち着け。
「どうしてあきちゃんがここに?」
「吏一君に会いにきたの」
ちょっと待ってくれ。俺はまだ夢でも見てるんだろうか。あまりにも都合が良すぎないだろうか。一度落ち着かせたはずの心臓をいとも簡単に乱してくれる今日のあきちゃんの攻撃力はハンパではない。
「『またたび』で待ってても会えないから、マスターにここの場所聞いたの。お仕事中なのにごめんなさい。どうしても吏一君と話がしたくて」
あきちゃんは、俺の返事がないのを気にしたのだろう。申し訳なさそうに説明を加える。
「いや、大丈夫。忙しい時間は過ぎたから。俺も、あきちゃんに会いたかったから九月になったら『またたび』にも顔だそうと思ってたんだけど、毎日バイト入ってて。八月中は、あきちゃん来ないって俺もマスターから聞いてたし」
「そうなんだ。会いにきてくれてたんだね。ごめん。夏休み中は小学生のお世話の手伝いをしてて……」
なんだか回りくどい会話だ。会えなかった一カ月の間を必死に探って、埋めるような。少なくとも俺はそんな気分で。その上、あきちゃんも俺のことを気にしてくれていた。うれしい。つか、かなりいい感じなんじゃねえの? このままの勢いでデートに誘えば、と切り出すタイミングを計っていた俺に、あきちゃんは意を決したように顔を上げて、
「あのね、吏一君。おジイがいなくなっちゃった、の……」
ひどく悲しげに言ったのだ。うるんだ目で俺を見上げて。不安でたまらないって感じで。こまかいドット柄のシャツに包まれた華奢な肩を震わせて。抱きしめたい衝動を俺は現実でもこらえなければいけない羽目になった。なのに、なんでそこでジイさんが出てくるんだ!
ため息をつきたくなるのをこらえてから、
「ジイさんなら今朝ちょうどメールがきたよ」
「えっ本当!? でも、またたびには一週間以上きてないんだよ。家に行っても留守だし」
くもっていたあきちゃんの表情がすこしだけ明るくなったのも束の間、ふたたび声が深く沈む。
「家にもいないのは、変かもな」
あきちゃんはこくりと静かに頷く。
ジイさんはパソコンを扱う魔法使いだ。それも、デスクトップ専用の。ノートパソコンもタブレット端末もスマートフォンもダメなんだと。もし、ジイさんが本当に家にずっといないのだとしたら、俺に送ってきたメールは一体どこから? それこそ喫茶またたび以外に、俺はジイさんの出没場所を知らない。
「家族はなにも言ってなかったの?」
俺が思いつくのはこの程度。しかしあきちゃんはすぐに首を横にふって
「おジイは一人暮らしなんだよ」
「あの歳で?」
確かに九十にしては元気なジイさんだけど、驚いた。ジイさんの家は聞くところによると町内では有名な旧家だ。てっきり、孫にかこまれて気ままな隠居生活を送ってるものだと思っていた。
念のため、スマートフォンでスカイプを確認する。ジイさんはオフラインだった。
「ねぇ、おジイからのメールは? どんな内容だったの?」
あきちゃんはカウンターから身を乗り出すようにして尋ねてくる。
「ああ、ただの依頼メールだよ。ときどき、ジイさんからの頼みごとを引き受けてんの」
あきちゃんの件で呼び出されたときも同じだ。ジイさんが俺の魔法が役立つと判断したときに、お呼び出しがかかるってわけ。
「どんなお願い?」
あきちゃんの追及には、答えるかどうか一瞬迷った。
「ネットで月並町に爆破予告してる魔法使いがいるから、念のため行って見てくれって」
「爆破予告!?」
あきちゃんの声が急に大きくなる。接客中の後輩がなにごとかと振り向いたのを、なんでもないと手で追い払って、
「よくあるイタズラだよ」
「危なくないの……?」
「ジイさんが持ってきた話だから大丈夫だろ。あの人は本当は全部わかってんじゃないかってたまに思うよ」
ジイさんは、インターネット回線につながっているデスクトップパソコンのなかに入り込める。具体的にどうやって入り込むのかは知らないが――俺が眼鏡をかけたときに見えるものやわかってしまうことを上手く他人に説明できないのと同じで――、ジイさんがその気になれば、ネット回線につないであるほかのパソコンの中身を丸ごとのぞき見することだってできるらしい。セキュリティの効かない、やっかいなハッカーみたいなもんだ。
だから今回の爆破予告犯のことも、危険がないことをたぶんジイさんは知っている。もしくは、俺になら止められると判断しているか、だ。俺に振られる依頼なんていつも大したことないものばかりなので、どちらにしても身の危険を感じる必要はないだろう。
「でも、もしもおジイの身に何かがあったとして、吏一君までいなくなっちゃったら……」
あきちゃんはまだ不安そうな顔をしている。好きな子に心配されるのは悪い気分ではない。ジイさんの行方のことまでは俺にはなんとも言えないが、自分のことは大丈夫だと胸を張って言える。
「あきちゃん、俺は」
「そうだ、私も行く!」
「え?」
カッコイイ台詞で頼もしく決めようとしていた言葉はあっけなく破壊されて、
「私も、吏一君と一緒に爆破予告犯を捕まえにいく!」
「それはダメ。あきちゃんまで危険な目にあわせるわけにはいかないだろ」
「大丈夫。危険はないんでしょう? それに私、吏一君よりも強いよ。もし犯人がいたら捕まえるのに私の力が必要だと思うの」
ぜったい。と断言されて、情けないことに俺はなにも言い返せなかった。脳裏によみがえるのは、あきちゃんの華麗な跳び蹴りに、吹っ飛ぶスキンヘッド。現実に、彼女の力を一度目の前で見てしまったら。「それで、いつ行くの?」と食い下がる彼女に、俺は力なく「明日」と答えるしかなかったのだ。
日曜日だというのに、タイミングよくバイトは休みだった。だからジイさんからのメールにもすぐオーケーが出せたんだけど。
町内唯一の映画館の前で、はやりの邦画のチケットを二枚買って待つシチュエーションだけを見れば、完全にデートだ。
「ごめんなさい、遅くなっちゃった!」
セーラー服の彼女が小走りに駆けてくる。
「いや、俺も今きたとこころ」
こんなベタな台詞のやりとりをしてみても、残念ながらデートの中身は所詮、爆破予告犯の様子見でしかない。ジイさんのメールに添付されてきた爆破予告には、爆弾を仕掛ける映画館だけでなく、上映作品と時間帯まで指定されていた。おかしな話だ。ここまで具体的な予告なら、ジイさんが警察や映画館側に注意くらい呼びかけていてもおかしくないのに、館内にはそんな様子はまったくない。何か、事を大きくできない事情があるのか。かぎられた情報のなかでは予想を立てることくらいしかできない。
それに、この爆破予告がどこのネット掲示板に投稿されたものか知らないが、もうすこし話題にのぼっても良さそうなものだ。検索もかけたし、ツイッターやフェイスブックでもそれらしい情報を探してみたが、一切ヒットしなかった。
あきちゃんが心配している、とジイさんにあてて送ったメールの返事もこない。あきちゃんの言うとおり、ジイさんを取り巻く何かがおかしいのは確かなのかもな。
この爆破予告がジイさんに連絡がつかないことと関係しているのかはわからないが、映画館にくること以外に今のところ俺がジイさんやあきちゃんにしてやれることはなさそうだった。
「恋愛ものだね」
最後列、真ん中の席についてから、あきちゃんは映画の半券を見てぽつりと言った。俺はその言葉の意味を深く考えずにあいまいに頷く。これがあきちゃんとの初デートと呼べるのかはわからないが、好きな子と初めてとなりに並んで見る映画はいつも落ち着かなくて、内容など頭に入らない。
それに今日は大事な仕事がある。劇場内の照明が落ちたあと、映画の予告が始まる前に眼鏡を準備する。レンズ越しの目に真っ先に飛び込んできたとなりの青い光は、あきちゃんだ。セーラー服に身を包む体全体が、水の中にいるみたいに青く揺らめく光のなかにある。明るさに目が慣れるまでには、すこし時間が必要だった。できるかぎりとなりを見ないようにしながら会場内を見渡してみる。それらしい魔法の光はどこにもない。やっぱりただのイタズラだろうか。ジイさんのメールには「念のため」と書いてあった。爆破予告犯がいないのならば、俺は気がねなくあきちゃんとのデートを楽しむだけだ。
そんな目論見もつかの間、映画の三分の一が終わったころに、それを見つけてしまった。その光はあまりにも薄すぎて、最初はただの見まちがいかと思った。眼鏡をかけ直し、もう一度見てみる。
右手前方にぼんやりとした膜のようなものが揺らめいた。あきちゃんの色やスクリーンが明るいせいもあるかもしれないが、それにしても頼りない光だ。色も、白か灰色か判然としない。すこし目を離すとすぐに見失ってしまう。幸いにも、魔法使いらしき光の主は席を立つ様子はない。視界のはしに光を監視しながら、俺はスクリーンへと目を戻した。
「あきちゃん、前から四列目の右から五番目だ」
映画がクライマックスに入るころ、そっと耳打ちする。ちいさく頷いたあきちゃんの目尻にうっすらと涙がたまっていることに気づいて、俺は動揺した。映画の内容なんか正直、ほとんど気にしてなかったのだが、スクリーンのなかでは恋人同士が別れ話の真っ最中で。お互いに好き合っているのに、いろんな大人の事情が重なってどうしても別れなければいけない。そういう話だった。
好きなだけでは、一緒にいられない。
ほんの一カ月半前に失恋したばかりのあきちゃんは、どんな思いでこれを見ているのだろう。しずかにエンドロールが流れるなか、ぼんやりとした淡い色が、客席から動いた。
「あきちゃん、動ける?」
泣いているのかと思ったけれど、あきちゃんはすぐに立ち上がった。未だスクリーンに見入っている人々の邪魔をしないよう、背を屈めて光を追う。
劇場を出て入り口へと早足に向かう背を追う。魔法使いらしき人物は、スーツ姿の小柄な男だった。落ち着かなげにあたりを見まわす様子は、あきらかに挙動不審だ。
「なあ、ちょっとあんた」
俺がうしろから声をかける。驚いて振り返った男は俺を見て、ひっと小さく悲鳴を上げた。失礼なやつだ。
「ちょっと聞きたいことが……」
逃げられないように捕まえておこうと手を伸ばす前に、男の腕が動いた。このクソ暑いのにきっちりと首もとまで留めたシャツのボタンを、自らの指先で、強く、押した。男の指先とボタンをとりまく灰色の光。ぼんやりとしていたはずのその光は、指先がボタンに触れた途端、強い銀色に変わって、眼鏡をかけた俺の目だけを焼く。
ほとんど同時に、火災報知器の音が映画館の建物いっぱいに鳴りひびいた。
「……てめぇっ何しやがった!」
観客が一斉に劇場から出てくる。その混乱に乗じて男も逃げようとした。が、俺のとなりでセーラー服の襟がひるがえるほうが早い。あきちゃんの右ストレートは、軟弱そうな男のみぞおちに綺麗にきまった。たのもしすぎるぜ、あきちゃん。うめき声をあげ、倒れ込みそうになる男を支えながら人の流れに乗って外へと出る。
火災報知器は相変わらずやかましく鳴っていたが、小さな映画館に火事の起きた気配はない。
誤作動か、と周囲の誰かが呟いた。
そうじゃない。
「この人がやったの?」
あきちゃんの視線はスーツの男に向けられている。男は意識こそ失っていないものの、俺に支えられてようやく立っているような状態だ。
どんだけ弱いんだよ。……もしくは、あきちゃんが強すぎるのか。
「ご、誤解だ! 僕は、ただ……」
「なにが誤解だ。爆破予告とか物騒なことしやがって」
「え……ええっ!? 爆破予告! そ、そんなことしない、僕じゃないっ」
男は大げさなくらい首を横にふって否定する。演技にしては、小心者っぷりが板につきすぎていた。黒目がちな両目は視線が定まらず、まるで敵に狙われた小動物だ。これでは自分のほうが悪者な気分になってくる。
「でもあんた、魔法使いだろ?」
「ど、どうしてそれを!?」
過剰反応。嘘をつく余裕などなさそうだ。
「ボタン。押すんだろう……?」
にやりと不敵な笑みを見せて、カマをかける。男の首もとを締めつけるシャツの第一ボタン。そこを指先で弾いて指摘してやると、
「う……はい」
男はあっさりと白状した。いいのかよそれで。
「火災報知器を鳴らしたんだな」
「……はい」
思ったとおりか。男が自分のボタンを押したのと、火災報知器が鳴り出したタイミングは、偶然と呼ぶにはあまりにも出来すぎていて。
「遠隔スイッチみたいなもんか。で、爆弾もここ押せば爆発する仕掛けなわけ?」
「ち、違う! そ、そそそそそんなこと僕には無理だ!」
「……確かに。そんな大それたことできるようには見えないんだよな」
「でも、どうして逃げようとしたの?」
あきちゃんに顔をのぞき込まれた男は、あろうことか頬を赤く染めて顔をそらした。おいおい。
「そ、それは……」
「……もう一回、やっちゃう?」
しかし笑顔で左手で拳を作るあきちゃんもなかなか、なんつーか……可愛いからしょうがないけど。
男は男で今度は青くなっちまって。忙しいな。
「わ、わかった。話すよ。そういう指示があったんだ。あの映画を見た後でもし誰かに声をかけられたら火災報知器を鳴らして全力で逃げろって、さ」
「なんだそりゃ」
「誰がそんなこと言ったの?」
あきちゃんは優しい声で重ねて尋ねる。拳は握ったままだったけど。
「君らも月並町の人間なら名前くらい聞いたことあるだろ。堂本の家の、長老だ」
ある人は長老と呼び、またある人は魔法使いのおじいさんと呼ぶ。あきちゃんがおジイと呼び、俺はジイさんと呼ぶ。その呼び名はすべてただ一人の人物――堂本治一郎を指していることを、俺やあきちゃんが知らないはずはなかった。
なあ、こいつは一体どういうことなんだ。ジイさん。