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君がいない夏(6)

 俺の夏休み前半は結局、ほぼバイトで消えた。

 これでいいのか、新沼吏一。いやよくねぇだろ。

 幸いにも、もうすぐ八月が終わる。高校生の夏休みが、終わる。

 つまり何が言いたいかってーと、あきちゃんが帰ってくる。

 この味気ない生活にもようやくうるおいが戻ってくるわけだ。自慢にもならないが、ここ数週間の俺の規則正しい生活っぷりはどこかのジイさん並みだ。

 飲み会もない。夜出歩くこともない。デートの約束もない。バイト先と家とを車で往復するだけの毎日。変化といえばたまにコンビニに寄ってマンガを立ち読みするくらいで。

 さすがに身体がなまってきたので朝の涼しい時間帯のランニングを日課にした。まったく、健全すぎて嫌になる。

 これだけ健康生活を続けてると、溜まるもんも溜まんなくなるもんだ。

 もともと筋トレなんかは毎日やってるけど、くたくたになるまで身体をいじめてやれば頭で余計なこと考えずに済む。

 いつものコース。いつものスピード。いつもより少しだけ気温の低い朝。秋が近づいている、と言うにはまだ残暑の存在感が強すぎる。

 そういう日だった。あいつに出会ったのは。

 見慣れた道に、見慣れない看板。

 どこにでもある住宅街の中で、その店構えはよく目立った。両脇に並ぶのが旧家だったからかもしれない。鮮やかな緑の吊り看板に金の横文字は、この古い田舎町では浮いてしまう。

 なんでこんなところに?

 思わず、店の前で足を止めた。

 白壁に、これまたシャレた木のドアには「本日オープン」の張り紙がある。

 それにしても……毎日走ってたのに、気づかなかった。

 不思議だ。

 しかしこの町の中では、こういう不思議なことがわりとよくある。

 深く考えないほうがいい。

 でも、なんか、気になるんだよな。

 そうだ。

 もともとここには何があった?

 子供の頃、遊び場にしていた空き地だったはず。

 唐突に思い出した。

 そうだ。おばけの木が――。

 ぼーっとして見ていた木の扉が急に開いて、身構える。出てきた男と目が合ってしまって、妙に気まずい。こんな早朝に、何事かと相手も思ったのだろう。

 沈黙が落ちる。一拍置いた後、男はともすれば人相の悪くなりそうな細い目をさらに細くして、思いのほか人好きのする笑みを浮かべた。

「いらっしゃいませ?」

「いやっ俺は……」

「ああ、大丈夫。さすがにこんな早くから店を開ける気はないから」

 とっさに上手い言葉が出てこなかった俺に、男は気安い調子で話を合わせてくる。

 歳は俺よりも十近く上だろうか。だけど、くだけた口調は若さを感じさせる。柄の入ったシャツに細身のジーパンというラフな格好も、その辺のサラリーマンと比べれば、男の容姿をある程度、若く見せているんじゃないかと思った。

「ここ、でかい木がありませんでした?」

 男のフランクな態度につられるように、気になっていたことを尋ねてみる。

「ああ、柿の木? あれなら庭に残してあるよ。見るかい?」

「え、いやそこまでは別に、いいです」

「べつにかまやしないさ。君は、あの木の秘密を知ってるのか?」

 まるで既知の友人を誘うみたいに、男は自然に中へと招き入れる。

 店の中には、ずらっとありとあらゆる形状の椅子が、ところ狭しと並べられていた。家具屋なのかと思ったが、違う。ここにあるのは椅子だけだ。タワーみたいに積み上げられたやつもあれば、天井からぶらさがってるものもあった。

「……知ってるっつーか、あれですよね。夏なのに実ができる」

 店内を見回しながら、問いに答える。

 秘密というほどのものだろうか。確かに、不思議ではあるが。

 本来なら秋に生るはずの柿が、まだ日差しの暑い夏のうちに、おいしそうな濃いオレンジに色づくのだから。

 子供の頃からそれを見てきた俺は、柿が夏の果物だとずっと思い込んでいた。いつだったかリュウさんにバカにされた覚えがある。

「そう。もう、生ってる」

 店の奥側は、明るい日差しの入り込む一面のガラス窓。その向こう側に、老獪な枝ぶりの柿の木が見えた。確かに、実はすでに鮮やかに色づいている。

 男は窓を開けて庭に出る。どこからか脚立を出してきて足場にすると、高いところに生っていた柿を一つもぎ取って戻ってきた。

「よかったらどうぞ」

「あ、どうも」

 小振りな柿を受け取る。走って熱くなった自分の手のひらの中で、それはひやりと冷たい。

「まだ少し堅いけど、皮が薄いからそのままでもいけるよ」

 じいっと柿を見つめていた俺に、男がすすめる。喉も乾いてるし、それじゃあ有り難く。

「いただきます」

 その場でかぶりついて、

「……う」

 口の中に入れた瞬間、広がる渋味。思わず地面に吐き出したが、舌に残る嫌な感じは消えない。

 渋柿じゃねぇか!

 口の中の不快感と戦う俺の目の前で、さっきまで営業スマイルを浮かべていた男は一転して悪魔の笑みを見せて、

「渋柿だってことは知らなかったのかい?」

 コノヤロウ、白々と!

「知ってたら食わねぇだろ!」

「そりゃそうか。ま、待ってな。お詫びに冷たいお茶でも入れてくるから」

 親切なのか何なのか、男は一度店に入って右手に引っ込むと、やがて盆にグラスを乗せて戻ってくる。

 間仕切りの一角に手招きされて行くと、小上がりの小さな畳間があった。突然に和の雰囲気を醸し出すテーブルと座布団に、違和感を覚える。変な店。

 ここは椅子じゃねぇのか。

 テーブルに麦茶の入ったグラスを置いた男は、どうぞ、と愛想の良く笑う。まさか渋いお茶じゃねぇだろうな。

 靴を脱ぐのが面倒だったので、端っこに腰掛けてグラスに手を伸ばす。早くこの渋味をなんとかしたくて、冷たい麦茶を一気に半分ほど喉に流し込んだ。良かった、普通の麦茶だ。

「あーくそ。ひでぇ目に合った」

「悪かったな。あの木を知ってる人に会えたのが嬉しくて、つい」

「ついって、なあ!」

 つい、で人に渋柿を食わすのか。

「まさか本当に食べるとは思わなかった」

 肩をすくめて言われると、食べた俺の方がバカだったみたいじゃねぇか。確かに、思い出してみればガキのころにも一回食べてみて同じ経験をした覚えがあるので学習をしてない点ではバカかもしれない。

「この辺に住んでるのかい?」

「ああ、すぐ近く……そっちは? わざわざこんなとこに店構えるために引っ越してきたんだ?」

 酷い仕打ちを受けた分、口調も遠慮のないものになる。

「静かでいいとこじゃないか。俺は出戻りなんだ。昔、この町に住んでた」

「へぇ、この辺……? じゃねぇな。近所だったら知ってるだろうし」

「うん、前住んでたのはもっと山手。名前は? 俺は多聞たもんだ。青柳多聞あおやぎたもん

「た、もん?」

「そう、多くを聞くと書いて、多聞。よろしく」

「珍しい名前だな。俺は新沼吏一」

 それほど変わった名前なら、子供の頃に一度でも聞いたことがあれば覚えていそうなものだ。……いや、正直あの当時の自分の記憶力ほど当てにならないものはないけれど。

「新沼……」

 その名前に聞き覚えがあるのか、多聞が何かを思い出すように視線を遠くに向ける。糸のように細い目が途端に鋭さを増す。

 しかししばらくすると何事もなかったかのように再び弓なりに微笑んだ目を向けて、

「また、いつでも遊びに来なよ。帰ってきたばかりで知り合いいなくて暇なんだ」

 気安く誘う。

「おう。渋柿はもういらねぇけどな。ごちそうさま」

 空になったグラスをテーブルに返そうとして、ふと、そこに敷いてあったコースターに気づく。

 店にありそうな紙製のコースターだ。つか、すげぇ見覚えがあると思ったら、これって……。

「うちの店で使ってるやつと同じだ」

 青空に浮かぶ雲のイラスト。オレンジのアルファベット。描かれている文面は――

「Are you a wizard ?」

 流暢すぎて、なんて言ったのかすぐには聞き取れなかった。

 俺の視線の先を追って、多聞がコースターに書かれた英文を読んだんだ。

「カフェでもらったんだ」

 たぶん、そのカフェは俺のバイト先の店のことではない。

 今や月並町のあっちこっちの店がこのコースターを使っているらしい。川岸が言うには。

「町おこしだよ」

 俺はそんなもんには興味がなかったから深くは聞かなかったけど、それにしても、この文面はなんだ?

 メッセージに意味はないのかもしれない。

 だとしても、なんだか気持ち悪い偶然だった。




 俺の夏の物語はこれで終わりだ。

 バイト、元カノとの再会、変な椅子屋との出会い。なんだこの面白味のない夏は。

 のん気なもんだと呆れるだろう。あきちゃんに近づく男の存在も、魔法使いに迫る危険も、全く知らずに。

 ああそうさ。また蚊帳の外だよ。

 だけど思い返せば俺は、この時もっと味わっておくべきだったんだ。蚊帳の外にいられる幸せってやつを。


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