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第16話:深淵の魔石鉱山と、新たな征服への布石(前編)

 死の荒野『灰のヴェール・ガルド』に築かれた魔導の城塞は、今や完全なる難攻不落の絶対領域へと進化を遂げていた。

 城塞の最上階、広大なバルコニーに歩み出たエレナ・オルトリンデは、眼下に広がる信じられない光景に感嘆の吐息を漏らした。

 昨日まで城壁のすぐ外側に迫っていた死の灰の嵐は、今や数キロメートルも彼方へと押し返されている。その境界線を維持しているのは、彼女自身がセトの莫大なマナを動力源として展開した『絶対防護・白銀の聖域(イージス・オブ・アヴァロン)』であった。

 黄金色の豊穣の光と、純白の神聖な光が混ざり合った巨大な半球状のドーム。

 その内側には、一晩にして爆発的に増殖した『浄天の霊麦(クリア・ウィート)』が黄金の海のように揺らめき、果樹園からは甘く芳醇な生命の香りが風に乗って運ばれてくる。

「これが、私の……いいえ、セト様が私に与えてくださった力の結晶……」

 エレナは胸元に手を当て、自らの内にある魔力核の鼓動を確かめた。

 かつて王国で祈りと自己犠牲によって捻り出していた弱々しい魔力とは、根底から次元が違う。セトの圧倒的な生命力と深く交わり、子宮の奥底に直接その支配の刻印を撃ち込まれたことで、彼女の魔力回路(エーテル・ライン)は完全にセトの『聖地創生(セト・フィールド)』と直結していた。

 呼吸をするだけで、空間を満たす黄金のマナが体内を満たし、下腹部の奥から甘く熱い痺れが這い上がってくる。それは、自分がこの強大で傲慢な王の『所有物』であるという事実を、絶え間なく彼女の脳髄に叩き込み、抗いようのない服従の快楽をもたらしていた。

「おはよう、エレナちゃん! 朝からすっごくいい匂いがするね!」

 背後から元気な声が響き、銀色の狼耳を揺らすミリアがバルコニーへと駆け出してきた。

「おはようございます、ミリア様。ええ、本当に……この国は、命の喜びに満ち溢れていますわ」

 エレナが穏やかに微笑むと、続いてフィアナが分厚い魔導書とデバイスを抱えて姿を現した。

「お二人とも、朝から盛りがついておられるようで何よりですわ。セト様のマナがエレナの防壁システムと完璧に同期したおかげで、城塞内の魔力濃度はさらに十・五パーセントも上昇していますのよ」

 フィアナの言葉通り、三人の少女たちの肌は、内側から発光するような極彩色の艶を帯びていた。セトの与える規格外のマナは、彼女たちの過去の絶望や傷跡を完全に消し去り、最も美しく、最も強力な存在へと作り変えているのだ。

「朝の挨拶は済んだか、俺の愛しき伴侶たちよ」

 バルコニーの奥、重厚な扉を開け放って現れたのは、この絶対的な世界の創造主であるセトだった。

 その姿を見た瞬間、エレナの身体は条件反射のように甘く震え、彼女は床に膝をついて深く頭を垂れた。

「おはようございます、我が主(あるじ)、セト様。あなた様の盾は、今朝も万全の状態でこの国をお守りしております」

 王国の誇り高き第三部隊隊長であった頃の威厳は、今や主への絶対的な忠誠と、雌としての蕩けるような愛慕へと完全に書き換えられていた。セトは歩み寄ると、ひれ伏すエレナの美しい金髪を無造作に撫で、その顔を上げさせた。

「良い顔になったな、エレナ。お前が展開した結界のおかげで、俺の『開墾』は次の段階へと進むことができる」

「次の、段階……ですか?」

 セトの指先から伝わる熱に瞳を潤ませながら、エレナが問い返す。

 セトはバルコニーから、結界の向こう側――灰色の嵐がうごめく荒野のさらに奥、うっすらと黒い影を落とす険しい山岳地帯を指差した。

「フィアナ、昨夜の観測結果を報告しろ」

「はいっ、セト様」

 フィアナは魔導デバイスを操作し、空中に青白い光で構成された立体地図(ホログラム・マップ)を展開した。それは、結界が拡張したことによって新たに解析可能となった、周辺の地形データであった。

「エレナの防壁が死の瘴気を押し返したことで、北西に位置する山岳地帯の霊脈が観測可能になりましたわ。そこには、かつて王国が放棄したとされる巨大な地下施設……『深淵の廃鉱山』が存在していますの」

「深淵の……廃鉱山……っ」

 その名を聞いた瞬間、エレナの顔色が変わった。

 王国の中枢にいた彼女にとって、それは決して耳触りの良い名前ではなかったからだ。

「知っているのか、エレナちゃん?」

 ミリアが小首を傾げる。エレナは小さく頷き、忌々しげに口を開いた。

「ええ。王国が表向きには『枯渇した』として封鎖した魔石鉱山です。しかし実態は……政治犯や、王国が異端と見なした他種族の奴隷たちを送り込み、致死量の瘴気の中で魔石を掘り出させるための、非道な強制労働施設でしたわ」

「その通りですの。そしてわたくしの観測によれば、あの鉱山の奥深くには、いまだに極めて純度の高い『魔力結晶』の反応が眠っていますわ」

 フィアナがデバイスの数値を指し示す。

「現在、この城塞のインフラと防衛は、セト様の無尽蔵の農業魔術によって完璧に維持されています。しかし、これからわたくしがこの国に強力な『魔導兵器』や『自動防衛ゴーレム』を配備していくためには、セト様のマナを物質として固定化するための器――つまり、高純度の魔力結晶が大量に必要になりますの」

 セトは腕を組み、冷酷な王の笑みを浮かべた。

「俺の国は、ただ結界の中に引きこもって平和を貪るための箱庭ではない。俺を追放した愚かな王国を根本から喰らい尽くし、世界そのものを俺の畑として開墾するための拠点だ」

 セトの言葉に、エレナの心臓が激しく跳ねた。

 圧倒的な覇道。王国の腐敗を内側から正そうとして絶望した彼女にとって、セトの掲げる絶対的な力による征服は、恐ろしいほどに甘美な救済の響きを持っていた。

「ならば、次の標的はあの廃鉱山ですね。わたくしの構築機(アーク・ビルダー)の拡張のためにも、あそこの資源はすべてセト様の領地として接収いたしますわ」

「セトの役に立つなら、あたしもいっぱい頑張るよ! 悪い魔物が出ても、あたしが全部やっつけちゃうんだから!」

 フィアナとミリアが、躊躇うことなく絶対の忠誠を誓う。

 セトはゆっくりとエレナを見下ろした。

「どうする、元・王国の騎士よ。かつてお前が仕えていた国が作った非道の施設だ。そこをこの俺が力で蹂躙し、すべてを奪い取ることに異存はあるか?」

 試すようなセトの視線に対し、エレナは迷うことなく、自らの胸元にある黄金の魔力紋を強く押さえた。

「異存など、あるはずがありません。王国の腐敗した法など、今や私にとっては吐き気を催す塵芥に過ぎません。私の正義は、私の剣は……すべて、セト様のためにのみ振るわれます」

 エレナは立ち上がり、かつて見せたことのないほど冷徹で、そして主への狂信に満ちた妖艶な笑みを浮かべた。

「あの鉱山には、王国によって不当に繋がれた哀れな奴隷たちが、まだ生き残っているという噂もありました。もし生存者がいるのなら、彼らにも……セト様の絶対的な『救済』を与え、この国の新たな礎として再利用すべきですわ」

 かつての清廉潔白だった聖騎士は、今やセトの圧倒的な力と快楽によって完全に調教され、自ら進んで他者をこの絶対的な支配のシステムへと引き摺り込もうとする、冷酷で淫らな雌へと変貌を遂げていた。

「見事な覚悟だ、エレナ。お前のその変化、存分に俺の開拓に役立ててやろう」

 セトは満足げに頷き、遥か彼方にそびえる黒い山岳地帯へと鋭い視線を向けた。

「これより、俺たちのハーレム王国の初めての『侵攻』を開始する。目標は深淵の魔石鉱山。資源も、そこに遺された命も、すべてこの俺が喰らい尽くしてやる」

 灰の荒野に築かれた絶対の聖域から、追放された農業魔術師の反逆の刃が、ついに外の世界へと向けられた瞬間であった。

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