第5話:少女は目覚める
ガチャ……と、ローラの部屋に使用人のメイドが静かに入る。
今日も今日とて、シュバリエ家の問題児であるローラのお世話に来たのだ。と言っても、ローラは数日前に屋敷から飛び降りて今は昏睡状態である。
「死にたがり令嬢に恥じない奇行ぶりよね……」
当人が眠っているのを良い事に、メイドはローラの顔を見てそう鼻で笑った。
シュバリエ家の使用人達は、昔からいる者以外はローラの事を良く思っていなかった。好青年の兄やしっかりした弟と違って、暗くオドオドとした姿はとても貴族には見えず、こんな小娘に仕えないといけないのかとメイド達は常にローラに落胆していたのだ。
だから世話も最低限だし、たまにローラを雑に扱った。だが、雇い主である公爵や夫人は何も言わない。兄や弟もだ。みんな見て見ぬふり、だから次第にローラはシュバリエ家から完全に見放されている存在だと、メイド達は嘲笑い、執事達も蔑んでいた。
そんな状態で、懲りもせず屋敷から飛び降りて自殺未遂をするのだから、本当に使えない小娘だとメイドはさっさと身体を拭いて着替えさせようとする。
そうして視線を水桶からローラに向けた時。
「ヒッ!?」
黄金の瞳と目が合った。
ローラだ。
メイドが一瞬目を離した隙に、ローラは音もなく目を覚まして起き上がったのだ。
「ろ、ローラ、お嬢さま……」
まさか急に起きるなんてと、メイドは姿勢を正す。
しかし、メイドの意に反してローラはただただじっとメイドを見つめるだけで、何も言わない。
「えーっと、起きられたのですね。すぐに公爵様に……」
「貴方、名前はなんていうの?」
「え?」
気味が悪いと思い、早々に部屋から出ようとしたメイドを、ローラがやっと口を開いた。
名前?今更何を言ってるんだこの小娘は。
「私はアウラですよ、お嬢様。ああ、頭を打ったせいで私のことをお忘れになったんですか?」
ついそう強めに言い返したメイドことアウラ。こう言えば、ローラはすぐに「ごめんなさい」と俯いて謝ってくるのが通例だ。
しかし、目の前のローラはアウラから視線を外さない。
「ええ。そうみたい。寝たきりの主人の身体をお湯じゃなくて、冷たい水で拭くようなメイドの事なら忘れないはずなんだけど……」
「なっ……」
「ねぇアウラ、貴方は私でも分かるような事が分からないのね?メイド長に私から進言しておくわ。教育が行き届いてないって」
そう言われたアウラは、ワナワナと肩を振るわせた。今まで自分が嘲笑していた小娘が、自分の事を馬鹿にしてきたのだ。
「あら?どうしたの?顔を真っ赤にして……ああ!間違いを指摘されて恥ずかしいのね!大丈夫よ。間違いは誰にでもあるもの。“最近”入ったばかりの使用人なら無理もないわ」
遠回しに、長年仕えてるクセにこんな事もできないなんて、新入りからやり直したらどう?と言われたアウラは、ついムキになって水桶を引っ掴んだ。そして勢いのままローラに向けて水を浴びせた。
バシャッ!と派手な音がして、アウラはハッと我に返った。
目の前には、水浸しになったローラがいた。長い金髪からポタポタと水滴が落ち、枕もシーツも濡れてしまっている。
「あ……おっ、お嬢様が悪いんですからね!?私はただ──」
「キャァアアアアアアアッ!!!!!!」
間髪入れず、アウラが何か言いかけた瞬間にローラが急に甲高い悲鳴を上げた。ビクッとその声に驚いたアウラがつい黙ってしまった瞬間、バタバタと足音が聞こえてきた。
「何事だ!」
勢い良く扉を開けたのは、この屋敷の執事長クロークだった。その後ろにはメイドが数人いる。
部屋に入ったクローク達は、眠っていたローラが起きていることに驚き、そして彼女が水浸しなのに気付いた。
「執事長ッ!なんなのこのメイドは!?」
「ローラお嬢様、いったい何が……」
「そこのメイドが、私に水をかけてきたのよ!見て分からないの!?そのメイドの手に水桶があるでしょう!」
顔面蒼白なアウラを押し退けるように、今にも泣き出しそうなローラがそう言うと、クロークはローラの珍しい剣幕に驚きつつも頭を下げる。
「それは大変申し訳ありませんでした。この者には、私からメイド長へ再教育の申し出を」
「解雇して」
「……え?」
ローラからの突然の申し出に、クロークは顔を上げる。そして目を見開いた。そこには濡れた髪の隙間から、人を殺せるのではないかと思うくらい鋭利な視線を向けるローラがいたからだ。
「聞こえなかったの?公爵家の人間に危害を加えるようなメイドは解雇してって言ったのだけど」
「お、お嬢様……それは」
「なに?再教育すれば大丈夫だって言うの?そのアウラってメイドは、私に水をかけてきたの。分かる?ただの使用人が、公爵家の令嬢に対して水をかけたの。これ以上言わなくても貴方なら分かるでしょう?」
「…………」
クロークは、いつもと様子の違うローラに驚きながらも、アウラがやったのは明白なので改めて頭を下げる。
「分かりました。この者は解雇致します」
「そ、そんなっ!」
「ありがとう。これで少しは安心できるわ」
クロークの言葉にアウラが抗議の声を上げるが、それに被せるようにローラが礼を言う。
「それにしても、アウラ以外のメイドにも今一度再教育はいるんじゃないかしら?執事長」
「そんなことはないと思いますが……」
「あら?私の事を小娘だなんだと呼んでいたし、身の回りのお世話も最低限じゃない。公爵令嬢に対してする態度なの?これが」
「……いいえ」
「じゃあ、あとはよろしくね。メイド長に再教育をしろと伝えておいて。もちろん、執事長も他の執事達の再教育をした方が良いわ。あんな状態じゃ、いつかシュバリエ家の名に泥を塗るような事をするからね」
「はい。そう致します」
淡々と行われるやり取りだが、クロークだけでなくその場にいる全員がローラの話振りに驚いていた。今まで使用人に対して大きく出なかったというのに、目覚めて数分でこんなにも威厳のある物言いができる人だっただろうかと。
「クローク、何があった」
「公爵様!」
すると、ローラの部屋に公爵──ローラの父であるラグナ・シュバリエがやって来た。騒ぎを聞きつけたのか、母親のエリーラ、兄のレオン、弟のルイもいる。
「ローラ、目が覚めたのか」
「……はい。すみませんお父様。起きて早々にそこのアウラというメイドが私に水をかけてきたので驚いてしまったんです」
「なに?」
ギロリと、ラグナの眼光がアウラへと向けられた。ヒッと小さな悲鳴を上げて怯えるアウラに、ローラは冷めた目を向けながら、ラグナに向き直る。
「なので、今クロークに頼んで解雇してもらうようにお願いしました。シュバリエ家の者に害を成す可能性がある存在は、早めに対処しておくべきです」
ニコリと笑いながらローラがそう言うと、ラグナは表情こそ変わらなかったが、妙な違和感を感じていた。それは、他の者も一緒だ。
「……そうだな。クローク、直ちにそのメイドを連れて行け。他の者は、ローラに着替えと別の部屋を。ベッドが濡れたままでは寝れないだろうからな」
「お、お待ち下さい!公爵様!私は……ッ!!!!」
「黙りなさい。公爵様、失礼致します」
公爵に縋ろうとするアウラをクロークと数人の執事が取り押さえながら連行する。部屋の外からもアウラの悲鳴じみた声が聞こえるが、ローラは気にも留めずメイドに髪を拭かれている。
「ローラ、大丈夫?」
「はい。お母様」
「まさかメイドが水をかけるだなんて……大怪我をした後なのに災難だったわね」
「そうですね。ところで、お母様達はいつまでこの部屋にいるおつもりですか?」
「え?」
ローラの言葉に、ローラを心配して伸びたエリーラの手が空を切った。レオンとルイも、その言葉に眉を顰めた。
「私はこれから着替えます。なので、人がいると着替えることができません」
「あっ……え、ええ、そうね。じゃあ私達はこれで……」
「はい。おやすみなさいませ」
そう笑うローラに、エリーラは少し胸騒ぎを覚えた。なんだか、いつも見ていたローラと違う気がしたのだ。
「全く人騒がせな……行きましょう。お母様」
「お母様……」
「そうね。それじゃあ、また明日ね。ローラ」
「はい」
ローラの淡々とした態度に、兄であるレオンは呆れたような顔をし、ルイは眠たいのかエリーラの服の裾を引っ張った。だが、そんな兄弟を見ても、ローラは冷たい返事のみ。
「起きたら話がある。いいな、ローラ」
「はい。おやすみなさいませ。お父様」
ラグナがそう言うと、ローラは目を伏せたままそう言った。その姿に、ラグナはローラがここまで毅然とした態度を見せた事があっただろうかと、違和感は少しずつ大きくなっていく。
だが、今はそれを聞く時でもないと、ラグナはそのまま部屋を出て行った。
全員が出て行ったのを確認したローラは、着替えを早々に済ませ、メイドに案内された別室のベットに横になる。
「…………これなら楽勝かもね。ローラ」
誰もいなくなった部屋で、ローラ──カンナはそう零すのだった。




