第3話:強敵(畑の畝)に敗北した姫騎士に、冷えた麦茶を出すスローライフ
重々しい空気が漂う王城の円卓会議室。
国王は玉座で顔面を蒼白にさせ、ガタガタと震えていた。
「レ、レオナルドよ……それは真か? かの『死の森』に、新たな魔王が降臨したと……」
「はっ……。身の毛もよだつ巨大な魔王城(※犬小屋)に、神話の厄災ケルベロス。さらには黒竜の翼を広げ、羽ばたき一つで森を半壊させる絶対者が……我が騎士団は、手も足も出ずひれ伏すしかありませんでした」
王国最強の『白銀の盾』騎士団長の絶望に満ちた報告に、大臣たちは頭を抱え、会議室は「世界は終わった」と完全なお通夜状態になった。
だがその時、一人の女騎士が円卓をバンッと叩いて立ち上がった。
彼女の名はセシリア。王国が誇る気高き姫騎士であり、正義感と使命感の塊のような女である。
「陛下、嘆くのは早すぎます! このセシリア、刺し違えてでも魔王の首を取ってまいります!」
「ま、待てセシリア! 単騎など犬死にだ!」
国王やレオナルドの制止を振り切り、セシリアは悲壮な覚悟で単騎、死の森へと向かった。
一方その頃。俺は首にタオルを巻き、麦わら帽子を被って、畑で大根を抜いていた。
背中には黒い翼がパタパタと生えたままだが、どうやら俺が力を入れない限りはただの大きな翼らしく、日差し避けにちょうどいいので放置している。
「ふぅ……農作業ってけっこう腰にくるな。でも、上司に怒鳴られながら徹夜するより100倍マシだ」
横では、トラックほどの巨躯を持つポチが、日向ぼっこをしながらくつろいでいた。
ポチの三つの頭は、それぞれまったく別の自我(性格)を持っている。
【中央】『ねえねえ主様! こっち撫でて! もっとワシャワシャしてぇっ!』
【右】 『なぁなぁ、その白い根っこ(大根)美味えのか!? 血の滴る肉がいい! 早くお肉食おうぜ!!』
【左】 『ええい、貴様ら少しは静かにせんか! 偉大なる主の御前であるぞ! いつ外敵が来てもいいように周囲の警戒を——』
神話の厄災同士による、大気を震わせるほどの高度な念話が交わされていたが、俺には、ただ、三つの頭が好き勝手に鳴きながらじゃれ合っている、ちょっと賑やかで可愛い大型犬にしか見えなかった。
「あはは、お前たちは本当に仲がいいな」
俺が一番懐いている中央の、丸太のように太い顎を撫でてやっていた、その時だった。
「そこまでだ、魔王!!」
突然、背後から凛とした声が響いた。
振り返ると、全身を白銀の甲冑に包んだ美しい女騎士が、剣を構えて立っていた。
その剣先は一切のブレもなく、正確に俺の喉元を捉えている。しかも、いつの間にここまで近づいたのか、俺はまったく気配に気づかなかった。
その瞬間、ポチの左の頭がピクリと動いた。
【左】『主よ、注意を。かなりの手練れが接近していたようだ』
どうやらポチですら、完全には察知できなかったらしい。
銀色の髪をなびかせた女騎士は、研ぎ澄まされた殺気を静かに放ちながら、険しい表情でこちらを睨んでいる。
(うわぁ……また甲冑の人だ。しかも剣抜いてるし、めちゃくちゃ怒ってる。俺、何か悪いことしたっけ……?)
前世の社畜根性が顔を出し、俺は思わずクワを持ったままビクッと肩を揺らした。
だが、セシリアの目には全く別の光景が映っていた。
(な、なんだこの男は……! 至近距離で剣を突きつけられながら、驚くどころか少し肩を揺らしただけだと!? 圧倒的な死のオーラ(※ただの疲労感)を放ちながら、隙だらけの農民の姿で畑を耕しているのは、やはり私を油断させるための盤外戦術……!)
生真面目すぎるセシリアは、タロウの「ただのビビリ」を「底知れない余裕」だと完全に深読みしていた。
「貴様の真名を明かせ! 歴史の闇に葬られた絶対的魔王よ!」
「えっ、俺? いや魔王じゃないし。俺はただのタロウだけど」
タロウ。そう名乗った瞬間、セシリアの顔からサァッと血の気が引き、カチカチと奥歯が鳴った。
(タ、タ・ロウ……!? 古代神話で『すべてを無に還す破滅の音』と恐れられる忌み名! まさか、自らその真名を口にするとは……!)
恐怖で膝がガクガクと笑い、今すぐこの場から逃げ出したい本能が警鐘を鳴らす。
だが、セシリアは震える足にグッと力を込め、使命感を限界まで燃え上がらせた。
ここで私が引けば、王国が滅びる。ならば、この命に代えても我らが祖国を護り抜く! やるしかない!
「我が命を刃に変えて……秘剣・『閃光』ッ!! 覚悟ぉぉぉッ!!」
セシリアは裂帛の気合と共に、タロウへ向かって猛然とダッシュした。
——しかし、彼女は重大なことを見落としていた。ここは王城の大理石の床ではなく、**「ふかふかに耕された畑」**であるということを。
「あっ、そこ足元——」
「えっ? あぐっ!?」
タロウが注意するより早く。
セシリアは見事に畑の畝に足を引っ掛け、顔面から泥の中へ派手にすっ転んだ。
ズザァァァッ!! と泥を滑り、タロウの足元でピタッと止まる。
(ば、馬鹿な……!?)
泥まみれになったセシリアは、戦慄していた。
剣を振り下ろそうとした瞬間、視界が反転した。物理的な攻撃の予備動作すら一切見えなかった。
(まさか、私が反応すらできない速度で、地の底から引力を操作した(※ただ転んだだけ)というのか!? これが魔王タ・ロウの力……ッ!)
絶対的な力量差を前に、セシリアは即座に己の死を悟った。
彼女は泥だらけの顔を上げ、気高く、誠実に叫んだ。
「見事だ魔王……! くっ、殺せェェェッ!!」
「……うわぁ、すっごい勢いで転んだ。大丈夫ですか?」
俺はドン引きしていた。
一人で勝手に突っ走ってきて、何もない所で派手に転んで、いきなり「殺せ」と叫び出す。
最近の騎士様は、よっぽど過酷な労働環境にいるのだろうか。心が完全に病んでしまっている。昔の俺を見ているようで、なんだか涙が出てきた。
「ぐきゅるるるるるぅぅ……」
さらに、セシリアのお腹から盛大な音が鳴り響いた。
顔を真っ赤にして震える彼女を見て、俺は確信した。この人、ただの腹ペコで行き倒れ寸前なだけだ。
「まあまあ、そんな物騒なこと言わないで。ほら、日陰で休みましょう」
俺は丸太の椅子にセシリアを座らせると、井戸水でキンキンに冷やした麦茶と、さっき握ったばかりの塩むすびを差し出した。
「魔王の施しなど受けるものか! それは精神を汚染する呪いの——んっ!? な、なんだこの美味さはぁぁ!?」
セシリアは一口食べた瞬間、目を見開いてむしゃむしゃと塩むすびを頬張り始めた。
女神の恩恵を受けた畑で採れた米は、疲労を瞬時に回復させる効果があるらしい。
「あはは、美味しいですか。ゆっくり食べてくださいね」
泥まみれで涙を流しながらおにぎりを食べる騎士様を見て、俺はほっこりした。
俺のスローライフは、今日も平和(※人類最強の騎士、完全餌付け)だった。




