第13話:勇者の完敗(※麦茶と精神解析)
一歩でも動けば、死ぬ。
『真理の神眼』が弾き出した【勝率:0%】という絶望的な数字を前に、王国最強の勇者アレンは、剣の柄に手をかけたまま滝のような冷や汗を流していた。
「あれ? お客さん?」
麦わら帽子の男が振り返り、呑気な声で話しかけてきた。
「こんな山奥までどうしたの? 畑、見に来たの?」
(……攻撃の前触れか!? 己の絶対領域(畑)に踏み込んだ愚か者を、嘲笑っているのか……!)
アレンの全身の筋肉が限界まで張り詰める。警戒度はすでにMAXだ。
しかし、男はアレンの殺気に全く気づいていないかのように、首に巻いたタオルで汗を拭った。
「すごい汗だね。顔色も真っ青だし、熱中症になっちゃうよ。ほら、麦茶飲む?」
男が縁側からコップを手に取り、無造作に差し出してきた。
琥珀色に透き通った、冷たい液体。
アレンの『神眼』が、その液体の正体を自動的に解析する。
【神眼解析:『世界樹の朝露・極』(全ステータス限界突破・万病平癒の超高級霊薬)】
(なっ……!?)
アレンは内心で激しく動揺した。
なぜ、敵である自分に神話級の霊薬を振る舞う? 毒か? いや、神眼は明確に『極上の回復薬』だと告げている。
「あ、ちょっと待っててね。この畝だけ終わらせちゃうから」
呆然とするアレンをよそに、男は再び畑に向き直り、滑らかな動作でクワを振るい始めた。
その大自然と一体化したかのような、一切の無駄がない完璧な身体操作。
アレンは、神眼の出力をさらに引き上げ、男の強さの『根源』を視た。
【神眼解析:対象の魔力回路が、背後の『ケルベロス』『フェニックス』『終焉の黒竜』と完全にリンク中。神話級魔獣の身体能力を、常時抽出し最適化しています】
(……そういうことか!!)
アレンは戦慄と共に、すべてのカラクリを理解した。
この男は、背後に控える神話の厄災どもの力を『己の手足』のように行使しているのだ。だからこそ、ただの農作業が『あらゆる武術の達人を凌駕する神業』へと昇華されている。
(物理的な隙は皆無。ならば、精神的な綻びは……!)
アレンは最後の望みを懸け、神眼の焦点を男の『精神と感情』へと切り替えた。
戦士であれば、必ず闘争心や傲慢さ、あるいは破壊衝動があるはずだ。
【精神解析結果】
敵意:0
殺意:0
世界への執着:0(※ただスローライフしたいだけ)
(……は?)
アレンの思考がフリーズした。
神眼がさらに、男の精神を占める感情の『内訳』を表示する。
【感情の内訳:作物への愛(40%)、ペットへの愛(40%)、平穏な生活への満足(20%)】
「…………ッ!!」
雷に打たれたような衝撃が、アレンの全身を貫いた。
アレンの人生は、ただ「強さ」と「戦い」のためだけにあった。世界を救う使命のために、すべてを切り捨てて剣を振るってきた。
だが、目の前の男はどうだ。
世界を滅ぼすほどの絶対的な力を持ちながら、その心は『ただ平和な日常を愛している』だけで満たされている。闘争も、支配も、何一つ求めていない。
(……最強でありながら、戦わない。これが……真の強者の姿だというのか)
自身のちっぽけな価値観が、音を立てて崩れ去っていくのを感じた。
ガランッ……。
勇者の手から、王国最強の聖剣が滑り落ちた。
アレンはそのまま、泥だらけの地面に両膝をついた。
「……私の、完敗だ」
「えっ?」
振り返ったタロウが、目を丸くする。
アレンは深く頭を垂れ、絞り出すような、しかし一切の迷いがない声で言った。
「あなたの剣は見えない。だが確かに存在している。あなたの境地は、私の剣の遥か先にある。……どうか、弟子にしてください、師匠」
「ええっ!?」
タロウが素っ頓狂な声を上げた。
「な、何事だ!?」
騒ぎを聞きつけ、ログハウスからエプロン姿のセシリアと、クワを持ったクロエが飛び出してくる。
「ゆ、勇者アレン!? 人類最後の希望が、なんで畑デビューしてるんだぁぁ!!」
「……もうダメだ。この世界は、完全にあの麦わら帽子に支配されたな」
セシリアが絶叫し、クロエが遠い目をして現実を諦める。
【右】『わーい! 仲間増えた!』
ポチが嬉しそうに駆け寄り、終焉の黒竜も「キュゥン」と尻尾をブンブン振って勇者を歓迎している。
「ええと……」
突然、重武装のイケメンに土下座されたタロウは、困惑しながらも頭を掻いた。
「まぁ、農業やりたい若者なら大歓迎だけど……とりあえず、草むしりお願いできる?」
その言葉に、アレンは顔を上げた。
そして、氷のように冷たい無表情のまま、真顔で力強く頷いた。
「了解しました、師匠」
次の瞬間、アレンは白銀の軽鎧のまま泥まみれの畑へとダイブし——
王国最強の剣は、人類最速の草むしりを始めた。
ザンッッッ!!
目にも留まらぬ白銀の閃光が、畑の畝を駆け抜けた。
アレンは剣を鞘に収め、無表情のままタロウの前に跪いた。
「……完了しました、師匠。害をなす雑草を完全に『殲滅』しました」
涼しい顔で報告する勇者の背後。
セシリアが恐る恐る畑を確認すると、雑草と一緒に、丹精込めて育てた野菜たちが音もなくスパンッと両断され、崩れ落ちていくところだった。
「畑が全滅してるーーーっ!!」
人類最強の勇者アレン。
彼は戦闘も、分析も、精神力もすべてが完璧だったが——『農業』だけは致命的にポンコツだった。




