そうですか
駐車場に出ると、旋風号はさっそく消え、そこには去年の1月に販売を開始した車がある。勿論、超改造はしてあるのだろう。
「…………」
「どうしました。鍵は預かっていますよ」
「いや、なんでもないよ。乗ろう乗ろう」
「車の運転は……」
「出来るよ」
「そうですか」
卓也が運転席に座ると、旭は観察してみる。
少し真顔になった後に、ふわふわした笑顔に戻ってそしてだらしなく下がっていた前髪をあげる。
預かったギターを撫でて「宿は何処ですか」と訊ねる。卓也は口に煙草を咥えながら「えだむら荘だよ」と優しげな口調で答えた。
煙草に火はつけなかった。
「本当に申し訳ないね」
「なにがです」
唐突に卓也が言うので、旭は訊ねた。
「君はきっとこれから『寒河江卓也』の付き人になるだろ。『寒河江吉之助の息子』『寒河江卓司郎の弟』という事で少し期待しただろうけど……ほんとうの『寒河江卓也』はこんなにだらしのない男で……君にギターを持たせてる。後ろに置けばいいのにさ」
「理由があるでしょう」
旭は答えた。
……ギターをわざわざ人に任せる理由?
「あるけれど、それは俺の……ま、人からしたらくだんないこだわりだからね。君なんかには関係のない話だしね。本当に、申し訳ねェな……」
気が弱いのかな、と旭は思う。
祓い屋をやっていてこんなに気の弱い人間というのも珍しいもので、大抵は頭がおかしいかとんでもないくらい自己主張が強いかだった。
生きづらいだろうな、とも思う。
「でもまぁ、仕事が入ったら頑張ろう! その時はたくさん頼ってしまうかもしれないけど」
「かまいません。それが私の仕事ですので」
「頼もしい!」
この出会いから、ふたりはともに行動をともにすることになる。祓い屋と付き人という関係だったが。
毎朝5時頃に世田谷区にある事務所に伺えば、卓也は起きトレーニングをして身体を洗った後だった。
7時には朝食を取る。飯は卓也の手作り。
卓也はいつも「君も食べるかい」と旭に訊ねるが、旭は「食べてきました」と断る。
8時にはギターを弾きながらなにか歌を口ずさむ。「白鳥は何処に」という題の曲らしい。
それ以外には「アランブラの思い出」を弾く事が多かった。大した腕前だった。
仕事が入る。
「うちの日本人形、髪の毛が伸びるんです」
「呪われてるんですよ!」
「そうです、呪われてるんです。祓ってください!」
「日本人形ですね。実物はお持ちで?」
「はい」
「ハハア、これは」
「悪い霊ですが」
「霊は取り憑いていないんですが。日本人形ってねぇ、少し時間が経ってくると髪の毛が抜けてくるんですね。埋め込み方が特殊なんで、それで抜け始めてもなかなか落ちない。そんな物だから、よく『伸びてる』って勘違いしてしまう。修理に出すと良いですね。今回はお代は結構ですよ」
仕事が入る。
「この家に悪霊が取り憑いているんですよ!! パキッ、パキッと……誰もいないのに物音がする!」
「家鳴りですね。木造建築でしょう? 木ってのは膨張したり収縮したりするんです。その時に音が鳴っちまう。室温を調整したりするといい。今回はお代は結構ですよ」
仕事が入る。
「寝ていると高確率で金縛りにあうんです。起きているのに、動けないんです。これって、悪いおばけが悪さしているんでしょう!? 前にお祓いしてもらったのに、よくならないんです、つよいおばけ!」
「見たところ霊の仕業ではないらしいですね。疲労でしょうか? 働きすぎたり精神的に疲れることとかはありませんでしたか? ちゃんと適度に休むといいですよ。今回はお代は結構ですよ。おやすみなさい」
そして、金が無くなる。
「貴方は」
馬鹿なのか?
そう言いかけて、口を抑える。
「何をしているんですか、無給で働いて」
「何もしていないのにお金を受け取る事など出来ようはずもなく」
この男は人がよすぎる。
旭がそう悟るにはあまり時間はかからなかった。
付き人になる研修で10人の祓い屋の仕事を見たことがあるが、霊の仕業ではないのに霊の仕業だとして、違法に金をぼったくっている奴ばかりだった。
10人中10人がそうだった。
傾向としてそういう祓い屋は寒河江卓也のような性質の祓い屋を嫌悪している。
「貯金はあるんですか」
「学生時代と20歳の頃に働いて貯めた金がある。今はそれを使って生きている」
「寒河江吉之助様は貴方に金銭の援助は」
「試してみた事なんか無いけど……きっとしないだろうよ。兄さんならともかく……出来損ないの俺には」
「難儀ですね」
「でも君の給料を俺が祓う形式じゃなくて良かった。君の給料って総本部が払ってるんだろう?」
「はい。しかし、それが何故『よかった』になるのか」
「何故って……そりゃ決まってるよ。君は俺の偽善行為に巻き込まれなくて済んでるじゃないか」
卓也はふわふわ笑う。
「…………」
こんな人間はきっと生きるのが難しいだろうな、と思ってしまう。幼少期からいろいろな祓い屋を見てきたがこんな人間はなかなかいない。
「難儀ですね」
「難儀だね」
旭の言葉の意味も真にはわかっていないだろうに、卓也はふわふわな雰囲気のままに頷いた。
「何日食べてないんですか」
「かれこれ7日くらいかな。それがなんだい?」
「そうですか」
何かを言おうとして、代わりに「そうですか」と追加でもうひとつ。