第1の男 寒河江卓也
1967年。昭和42年。2月14日。火曜日。
新潟県北江田村にある宿「えだむら荘」にギターを持った男が訪れる。
男の年齢は21歳。
クラシコ・イタリアのスーツファッション。
男の右眼は赤かった。
ヒビの入った机を受付にした所にいるまだ10代後半の少女に入室手続きをした。
少女は顔の良いその男に少し見惚れているようで、男の名前を何度も見ていた。
住所 東京都世田谷区■■■■■■
名前 寒河江卓也
男・寒河江卓也は部屋に荷物を置くと、ギターを持ったまま宿を出た。
「夕飯は頂きますか」
少女は卓也に訊ねる。卓也はふわりと笑うと「頼みてェな」とふわふわ答えた。
「わかりました。じゃあ午後の7時ほどに……」
「ありがとうなァ」
またふわふわと。
卓也はふわふわとした雲のような雰囲気のある男だった。ギターにも雲の模様がある。
「かっこいいギターですね」
「こいつかい? こいつはねェ、俺の親友が『お前に似合うから』って言うんで持ち歩いてるんだなァ」
「弾けるんですか?」
卓也は答えなかった。
卓也は答えなかった。
「そうだ。行くところがあるんだ。すまないけど、もう行っちゃうよ」
「はい。ごめんなさい引き留めて」
「大丈夫だよ」
卓也はえだむら荘を出ると、わきに停めていた改造オートバイ「旋風号」に跨る。
エンジンをかけて、「どこかな」と地図をひろげる。
この宿の近くに神社があったはずだが、道に迷ってしまって仕方がない。
「此処が此処だから此処からこう行って……んん~……フ……ン! おかしいなぁ。皆目見当もつかないぜ」
とりあえず人に聞きながらいけばいいか、とりあえず道をおぼえる為に歩きで行くことにする。
宿の敷地から出て、道路を歩いていると、ふと老婆を見かける。散歩中らしく、卓也は「この近くに神社はないですか」と訊ねた。
老婆は卓也に「此処を真っすぐ言って煙草屋のところで右に曲がって、公園から坂道を登ったところにある」と行き方を教える。
卓也は大変感謝して、足を速める。
此処を真っ直ぐ行って、煙草屋のところで右に曲がって、公園から坂道を登る。
「あった〜」
卓也は嬉しくなりながら、懐から赤いボタンと縦長の溝が入った金属製の棒を取り出した。
「では」
赤いボタンを押すと、カシュッと排出される音がして、溝から刃のような物が立ち上がって飛び出した。
折りたたみ式のナイフか?
おそらく何も知らない者が見ればそう言ったろうが、「界隈」に生きている人間が見れば、「それ」の正体がすぐに分かり、口に出す程のことでも無かった。
怪奇エンバー。
人間の体内にある「霊能」の本領を発揮するのに必要な鍵のようなモノである。
「霊能異理」
それを唱える。すると、風が吹く。
突如目の前に現れた大きな蛆虫のようなものは、一度地面でぐるりと回転すると、ビーンと天に突き昇る形で真っ直ぐ伸びた。
頭頂高はおよそ10メートル。
てっぺんには禿頭の男の頭があり、賑やかな笑みを浮かべて「ちちゅうじへん」と言った。
「ありがとうございます」
これは儀式のような物だった。
これを行い、この界隈に暮らす人間──祓い屋──は異理という「この世のものではない理で動く異能」を得る。
「はげみなさい、寒河江の子よ」
卓也は怪物が消えるまで頭を下げていた。
「──困った話だなぁ」
夕方になって、宿の自室で煙草をふかしながら外を眺めて、不満を吐露する。
「何処へ言っても俺は『寒河江の息子』ってね」
ギターを弾きながら。
外で花壇に水をやっていた受付の少女はその音を聞いて、顔を明るくして見上げた。
「弾けるんじゃないですか」
卓也はそれに手をひらひらと舞わせて答えた。
(いつか絶対みんなに認めさせるぞ!)