プロローグ 旅の巡礼者 3
息を飲む声が、零の耳朶を掠める。
「キャバリアー? えっ!」
オクタヴィアンの暴挙に必死の形相を向けていたルナ=マリーが、この急場に相応しからぬ呆気にとられた表情を優美な面に浮かべていた。
顕わになった零のその面は、女性のような中性的な美貌がどこか非現実的で、静謐な纏まりが清廉な気となって男性であることを意識させた。見る者の関心を惹かずにはおかない、嫌でも無視できない容貌だった。
接敵する零は吠える。
「やってしまえば、今だけは昔に!」
未だその身が空中にある零は、己の内から溢れるヴィジョンに従い懐に入れていた手を引き抜いた。握られているのは、ダマスカス鋼製の軍用ナイフ。外した小型汎用攻撃機械兵ユニットはすぐさま零に照準を合わせ、今度は連射モードでイオン砲を放ってきた。既に秘超理力を纏わせたナイフは薄ら光輝を帯び、先ほど女頭目が使用した光粒子エッジの光粒子が伝導した刃同様、イオン砲の光線を受けてもびくともしない。どころか、光粒子エッジは軌道を逸らしただけだったが、零が振るうナイフはそれを受け止め消し去っていた。
それよりも驚くべきは、人が人工知能の演算に、この時代の予知とすら呼べる高度な未来予測により組み立てられた攻撃を防いでいるという事実。決して、人は人工知能の演算の上を行くことはできず、だからこそかつて戦場から追いやられた。兵士が生み出されるまでは。零が機械兵ユニットの演算の上を行くことができるのは、ソルダが有する未来予知だ。それによって、零は体感としてその機械兵の次の攻撃を既に知っていた。
そして、ただの人間にはあり得ぬその剣速。零が振るう軍用ナイフは、まさに徒人の目では追えぬものだった。超速で繰り出される軍用ナイフは、一太刀一太刀が精巧で、連射されるイオン砲を確実に消し去っていった。一体で人をそれこそ無数に屠れる機械兵ユニットの攻撃を簡単にいなす様は、ソルダといった存在をまざまざと見せつけた。
強化樹脂の床にブーツが着き様、零は秘超理力を疾風のイメージで尖らせた。床を蹴った瞬間、身体がその場から忽然と消え失せたように見えたとき、零は既に連射し続ける機械兵ユニットに迫っていた。速度や敏捷を秘超理力に応じて上昇させる、アジリティというソルダ技の基礎というべき基技だ。
そして、握る軍用ナイフが強い光を放った。瞬く間に間合いに入った零は軍用ナイフを振り抜くと、ハイメタルの装甲で覆われた機械兵ユニットは空中でぴたりとイオン砲の連射を止めた。遅れて筋が走り、真っ二つに割れ堕ちていった。ダマスカス鋼という材質もあるが、パワー・ブレードという武器伝導させる秘超理力を飛躍的に高め斬撃力を強化し瞬発的に使用者の力も強化する、秘超理力クラスⅢ以上を要求する上位者のみが使用可能な超技だ。
以上の二つを組み合わせた技を、脅威に満ちた口調で青年が告げる。
「コーヒット! あの巡礼者、ソルダかもなと思っていたが、錬技なんて使えんのか!」
言い様、青年の身体が薄らと光輝を帯びた。ベーシックな基技でウェアといい、身体能力を底上げする。青年は、パワー・ブレードを併用しバスターソードに強い光を宿す。
「手ー課すぜ、巡礼者!」
床を蹴ると機械兵ユニットを次々とガラクタへと変えていく零に迫る、外骨格スーツに身を固め高速で宙を横切るキャバリアーへと向かって行った。振るわれた雷光を纏う紫電ブレードを、青年は直前で斜め右へステップを踏み躱しパワー・ブレードを叩き込むと、敵の体を覆う外骨格を易々と切り裂いた。制御を失ったように壁に激突し床へ斃れると、その敵は動かなくなった。
目縁に捉えていた零は、内心賞賛した。
――ウェアとパワー・ブレードの併用。あの無駄のない剣技といい間違いなく上位クラス。それに、ウェアを接敵直前強化していた。秘超理力にはまだまだ余力がありそうだ。
最後の敵機械兵ユニットを二つの金属塊へと変えると、零の身体は残像と共に四つに分裂した。背後から零へ放たれた紫電ブレードの雷光が、零の身体と身体の間を擦り抜けた。
愉しげな口調で青年は、もう一人外骨格スーツに身を固めたソルダを倒しつつ語り掛ける。
「分身か。やっぱり、やるじゃねーか」
零が使用した技は、分身。秘超理力により架空の疑似体を作り出し、本体が紛れる超技だ。
それまでの機械兵ユニットを相手していた未来予知により敵の次の動きを感覚的に知る力は消え失せ、次の行動を零は己のセンスに委ねた。キャバリアー同士の戦いでは、互いに有する未来予知がその力を相殺するのだ。四つに増えた身体が一つに纏まると、零は突っ込んできた外骨格スーツへハイメタル製アーマーをものともせずに軍用ナイフを突き立てた。
急所は外したが、敵は床に伏した。振り向きつつ、零は青年に応える。
「そっちもな、用心棒。なんで、あんな女盗賊の腰巾着をしてるんだか、分からないな」
「盗賊じゃなくて、用心棒のお頭だ。そういうおまえは、なんで巡礼者なんてやってんだ」
「さーな。もう会うことのない人間に、話す必要なんてないな!」
応じつつ敵の動きを目と秘超理力を用いる感知能力・空間把握に連動した、一般用ではない汎用コミュニケーター・オルタナが装着者の脳とニューロコネクトを行い双方向情報投影することで作り出される仮想頭脳=架空頭脳空間に、オルタナに内蔵されたマルチスペクトルセンサが捉えた情報を加えマッピングした空間情報が零に自身の思考として認識され、両側の敵の動きを察知した。後方に飛び退るのと、紫電ブレードの雷光が走り抜けるのは同時だった。
青年が挙動と同時に叫び、手に持つバスターソードに紫電が迸る。
「本当の雷纏剣って奴を、教えてやるよ! そんな紛い物じゃないな」
まだ距離があるが振り抜くと、紫電が敵に向かって走り抜けた。慌て盾で防御しようと零の右側に陣取る敵はするが、防御範囲を超えて外骨格スーツを破壊した。零を挟撃した逆サイドの敵が青年へと迫り、紫電ブレードで攻防一体の攻撃を仕掛けるが機械仕掛けの擬製の技は、本物を越えることはできなかった。双方打ち合わせた刀身から雷光が迸り相手を喰らおうとするが、秘超理力により威力が変わる紫電ブレードのオリジナル技雷纏剣は一方的に雷光もろとも相手を飲み込み蹂躙した。今度こそ、零は驚きに目を見張った。
最初に雷纏剣を喰らい全体がボロボロになった外骨格スーツを纏った敵が立ち上がり、零は軍用ナイフが発する光を更に強め振り抜き、秘超理力の刃を飛ばし敵を仕留めた。パワー・ブレードの派生技、超技に属するスキャッター・ブレードだ。
青年を振り向いた零は、お世辞抜きの賞賛を送る。
「錬技まで使えるのか? その威力って、おまえどこでも第一級の戦力じゃないか」
「大したもんじゃねーよ。テメーだって、そうじゃねーかよ」
軽口を叩き合う間に殺到してきた敵を零と青年は、その圧倒的技量でもって蹂躙していく。
ルナ=マリーの伸びやかな声に、畏怖が混じる。
「二人とも強い。装備を調えた数で圧倒的に勝る敵を、あんないともあっさりと。きゃっ!」
短い悲鳴に振り向くと、ルナ=マリーがその場に残った外骨格スーツを纏った襲撃者に片腕を吊り上げられていた。苦痛に普段は清らかな面を歪め、ルナ=マリーはハイメタルの装甲で全身を覆ったソルダを睨み付ける。
「何をするのです1 放しなさい!」
「失礼、アレクシア猊下。これも大義のためなれば、ご容赦を」
「無礼な、くっ」
慇懃に一礼すると、オクタヴィアンはルナ=マリーの華奢なおとがいを乱暴に掴み、戦いを繰り広げる零たちへ呼びかけた。
「聞くがよい! 正義をわきまえぬ愚か者共! 大人しく武器を捨て恭順せよ。逆らうなら、アレクシア猊下は無事では済まぬぞ。そちらは、アークビショップ殺害の大罪を負う覚悟はあるのか! 銀河の反逆者、元十三騎士の一人秩序の破壊者・執行者ジョン・アルフォードのようなお尋ね者になり生きる世界を失いたいのか!」
一際声を大きくするオクタヴィアンに、青年は毒づく。
「何をむちゃくちゃなことを言ってる。猊下に危害を加えているのはそっちだろう?」
「死人に口なしだ。俺たちを始末して猊下も亡き者にすれば、奴にとっては全て丸く収まる。悪行に手を染める恒星貨物船の乗員の手によって、猊下は殺害された。力及ばず、オクタヴィアンは救えなかった」
姿が見えない船長の忌々しげな声だけが響き、零はぶすりと不機嫌に応じる。
「けど、その肝心の俺たちを奴に始末することはできない」
「そうだが、猊下を盾にされたら流石に……」
端正な面を、青年は苦しげにした。
下劣だが有効な手に零たちがざわめくのを、オクタヴィアンの喚き立てる声が遮る。
「そこの巡礼者! そちは、七道教の信徒であろう? 真っ先に猊下の身柄を心配すべきそちが、何を悠長に外野を気取っておる? もっと慌てふためいてしかるべきであろう?」
「んんっ!」
零の不信心を詰り腰に提げたやたら華美で優美な細剣スタイルの光粒子エッジを鞘から引き抜くと、オクタヴィアンはルナ=マリーの顔に押し当てる。残忍に面を歪めるオクタヴィアンの声音は、舌なめずりするようだ。
「刃に光粒子を伝導させるだけで猊下の美しいお顔が無残に焼けただれ、予が少し力を加えれば猊下のお命はない。そちは、何も感じぬのか。試してやってもよいのだぞ。それ、大人しく武器を捨て投降せよ。そちは見所ある故、心改めるならば予に仕えることを許そう」
「質の悪い冗談だな。一人漫才は大概にしておけよ。オクタヴィアン、猊下を放せ。そうすれば、生きてはいられる」
まるきりの茶番だがあの男なら暴挙に出かねないと、零は用心する視線をオクタヴィアンへと送り声音に恫喝すような韻を帯びさせた。
美貌を勇ましげにし菫色の双眸に力を宿すルナ=マリーは、きっぱりと零へ言い放つ。
「七道に庇護された従順なる子羊、旅の巡礼者よ。わたしに構わず、この者を捕らえなさい」
「いけませぬな、猊下。まだ、お立場がお分かりいただけないようで。誠に惜しゅうございますが、苦痛でお立場をお分かりいただかねばならぬようでございます。理解したならばこの者たちに命乞いをし、予に降れと命じるのです」
表面だけ残念そうにし、だが、語られる言葉が陰惨極まるオクタヴィアンに、流石に青ざめたルナ=マリーの面に恐怖と抗する勇気とが混じった。
咄嗟に零は秘超理力を微細にコントロールして身体速度を極限まで高めソルダ技による超速の跳躍を行おうとし、かけ声のように言葉を発しかける。
「止め――」
が、最後まで零が言い終えることはなかった。
外骨格スーツを纏った襲撃者の背後に黒い影が出現したと思った刹那、オクタヴィアンが吹き飛ばされていた。
苦痛の叫びを上げ、床に転がるオクタヴィアンは涎を垂らしながらのたうち回る。
「ぐぅっかっ!」
それから光と共に破砕音が響き、ルナ=マリーを吊り上げていた襲撃者の外骨格スーツが砕け散り膝を折り頽れ動かなくなった。
よろめくルナ=マリーを黒い人影が支え、零に聞き覚えのある淑やかな声が響く。
「ご無事で、猊下。これは貸しにしておきますよ、巡礼者」
「あなたは……」
呆然とこの救出劇を演じた人物をルナ=マリーは見詰め、零は女戦士を子細に眺める。
「礼は言っておくよ。この場では、俺がしなければならなかったことだから。やるね」
先ほどリニアで行きずりの老人と共に出会った、あの黒いゴシック風の戦闘服を纏った女戦士だ。女戦士の手に握られているのは、少々変わった科学兵装だった。基本はハイメタル製の片刃スタイルの光粒子エッジだが、刃の反対側が一見レリーフに見えるがそれも刃で水滴を零したような煌めきは創成金属ミスリルのものだ。棟側の刃に使用しされたそれは刀身を超えて柄まで伸び飾りのように巻き付いている。その創成金属を用いるキャバリアーは限られるが、あれは単に飾りにも見えた。そして、柄から刀身へ向けて細いプラズマ砲が覗けていた。
女戦士は、にこり整った面を笑ませる。
「ヘザー・ナイトリーだ。巡礼者。また会うこともないだろうから、覚えて貰わなくても構わないが」
「零・六合。こっちも覚えて貰わなくて結構だ」
ヘザーの名乗りが気に入り、零も名乗り返す。
支える手が離れると丁寧に頭を下げ、ルナ=マリーの屈託のない美貌がほっとなる。
「ありがとうございます。ヘザー様。お陰で、わたくしは無事で済みました」
斬撃音が鳴り響き青年が、零たちへ抗議する。
「まだ、終わっちゃいねー。和むのは後だ。さっさと片付けようぜ」
その後は、簡単に片がついた。青年とヘザーが一人ずつ。最後の一人は、紫電を敵に迫りつつ躱した零が跳躍し相手を擦り抜け壁を蹴り、背後から軍用ナイフを突き立て無力化した。十三名いた襲撃者側のキャバリアーは、もう一人も立っては居なかった。
それまでサーブマシンの影に隠れ様子を見守っていた船長が、厳めしい顔に喜色を浮かべ這い出て来る。
「おーし、おまえ等よくやった。敵は一掃。オクタヴィアンは無力化した。そして、ルナ=マリー猊下の身柄もオーガスアイランド号で保護した」
「ぶ、無礼だぞ。予を呼び捨てにするなど。貴様等、このようなことをしてただで済むと思っておるのか。予がボルニア帝国皇帝となったとき、困るのはそち等だぞ。今ならまだ、その罪を予の手足となることで贖えるのだ」
「黙れハイジャック犯! おまえの意見は聞いてない。金蔓は黙ってろ!」
人型機械兵ユニットに身体を拘束されたオクタヴィアンは傲然と言い放つが、船長が一喝し押し黙った。
七道教の庇護を受けた巡礼者である零に歩み寄りながら、ルナ=マリーは確認する。
「それは、わたくしをこの船に捕らえるという意味ではありませんね?」
「はい、猊下。可能な限り、猊下の意に沿うよう最善を尽くす所存」
腰を折って右腕を身体の前に回して畏まり、船長は見た目に似合わぬ優雅な所作でルナ=マリーに頭を下げた。
顔を上げると船長は、零へ向き直る。
「で、そこの巡礼者と女戦士に提案だ。襲撃者の掃討に一役買ってくれたわけだが、このテロリストの身柄はこちらでいただく。その代わり、船代はただでいい。返金する」
「新皇帝に、オクタヴィアンを売るのか?」
「当たり前だ。こっちにも損害が出てるんだ。死人だって出た。それなりに分捕らなきゃ割に合わん」
「構わないぜ、別に。ま、はした金だけど戻ってくるならそれでいい。巡礼の旅は、何かと金がかかるからな。尤も、今は先に進めなくて困っているわけだけど」
「わたしも構わない」
零とヘザーが同意すると、船長は嬉しげに頷いた。
戦闘で切り替わっていた気持ちが現状に思い至り、この周辺域で足止めを喰らっている状況に零が再び思い悩みかけたそのとき、ホログラムスクリーンが吹き抜けに投影されると軍服を纏った恰幅のいい男が映し出され威勢よく声を張り上げる。
「こちらボルニア帝国軍惑星ファル駐留軍より周辺域内の全艦船へ。悪逆なる前皇帝を討ち取り新皇帝となられた女帝ヴァージニア陛下は、帝国の新時代に広くキャバリアーを募集しておられる。本来、帝星エクス・ガイヤルドにて受け付けているが、卑劣なるトルキア帝国軍により惑星ファルは戦闘状態に陥っており亜空間航路が遮断され、増援が得られない。よって、駐留軍でも受け付けることとする。志ある者よ、栄達を望む者よ、疾く我らが門を叩け」
そのオープン回線の通信を聞き浮かんだ考えに零の面が苦渋に歪み、ぽつりと呟く。
「先を急ぎたいけど……俺はもうソルダとしての生き方は……」
「えっ……マジ? ボルニア帝国軍が」
青年はそれまでのぱっとしない表情を輝かせ、斃れた用心棒達に視線を送ると困った顔をした。骸と思えたそれ等の中で、血を流した女頭目が床に手をつき起き上がろうとし、まだ息があることを知った青年は駆け寄っていった。
ボルニア帝国民である老人が、驚きとも感嘆ともつかぬ表情を皺のある顔に浮かべる。
「何と。新皇帝となられたのは、ダイダス大公ヴァージニア殿下だったか。女帝というわけじゃな」
その声を遠のいた意識で聞きながら、生じた先に進める可能性に零は苦悩するのだった。
――俺はもう、元の世界には戻れない……戦いの世界には……。
いつの間にか、零の心中の声がわたしから俺へと変わっていた。ジレンマに零が襲われかけたそのとき、聞く者に若葉の緑林をイメージさせるような伸びやかな声が間近に響く。
「あの、旅の巡礼のお方」
「アレクシア猊下。ご無事なようで何よりです。申し訳ありません、肝心なときにお役に立てませんでした」
「零と仰るのよね。そう呼んでも?」
「はい。わたくしは、七道の子羊でございますので、アークビショップたる猊下にはいかようにも」
猫を被り胸に下げた十字架に手を置き聖印を切る零に、ルナ=マリーも聖印を返す。
「お願いがあるのです。わたくしは、ボルニア帝国に用があって、極秘裏に小型恒星艇で総本星セプテム・R.I.P.を発ったのです。追っ手にも追われてもおりました。残念ながらオクタヴィアンのお陰で護衛とははぐれてしまいましたが、目的を果たしたいのです」
菫色の瞳にルナ=マリーは、真摯なものを浮けべ零のそれをまっすぐ見詰める。
「零は、かなり上位のキャバリアーとわたくしの目には映りました。厚かましいことは重々承知しておりますが、このような頼み事をできるのは七道の子羊たるあなたを置いてここにはおりません。どうか、募兵に応じ亜空間航路封鎖解除に力添えをしていただけませんか?」