プロローグ 旅の巡礼者 2
零の口から、警戒を含む呟きが溢れる。
「下から……」
足下を見詰める零の目が、睨み付けるようにキツくなった。そして――、
ゴゥッ、ドドドドドドドドドドドドドドドド、ゴゥッ、ドドドドドドドドドドドドドドド
轟音が、響き渡った。一度ではなく、数度。地震のような震動は、今や明確な衝撃となって零がいる場所を伝った。周囲の風景が、出鱈目に視界を横切る。否、零の身体の方がその場から投げ出されたのだ。叩き付けられそうになった欄干へ咄嗟にブーツで接地し、軽く屈伸したバネで蹴りつけた。重力制御された空間で真横に近い角度で打ち付けられた零の身体は、力学に逆らい十メート以上空中を通り過ぎ揺れの収まった強化樹脂の床に着地した。常人ではあり得ない跳躍力を零が発揮したのは、彼が徒人ではないからだ。
ソルダ……十万年を超える遙か昔に生み出された、兵器として完成してしまった機械を上回るため、戦力で劣る人類がそれまで戦いの主役から追い立てられていた人間をベースに遺伝子改良等を行い開発した戦士。尤もそれも人間の手で作り出されたインテリジェンス・ビーングに、生み出させたのだが。強力なソルダを有する十二国が、それまでの人類の理解の範疇を超えて進化を遂げてしまった古代のインテリジェンス・ビーング群に飼われるような支配から、銀河を血で血を洗う戦乱を生み出した代わりに人類を解放した。
あちこちで阿鼻叫喚の悲鳴や叫びや呻き声が上がり、管制エリアは酸鼻に満ちた。人がばらまかれたそこは、人体が物のように転がり一瞬で惨事の後だった。運がよかった者は、壁面に身体を少しの距離で打ち付けられるか、それで身体を支えることができた者。更に運がよい者は、行儀よく座席に必要もないのに身体を固定していた者だ。運が悪い者は、天井に打ち付けられ衝撃が収まると床に叩き付けられた者。長い距離身体を飛ばされ、壁に激突した者。更に運が悪い者は、空間デザインの吹き抜けに身体を投げ出され落下した者。その者は、重傷を負うか即死だ。最も運が悪い者は、大して飛ばされてもいないのに、エリアにある様々な物の角に頭を打ち付けられたり突起に身体を貫かれ死んだ者。
耳をつんざく警報の不快にフードから覗く口元から、不機嫌な声で呟きを零は落とす。
「何が起きた? 今どき航宙船の航行中の事故なんて滅多にあるものか。積み荷はアダマンタインの創世核鉱物、爆発物があったとは思えない」
夜空を映したフードから覗く零の双眸に、青い筋の煌めきが不意に走った。鋭い視線を放つ双眸だけが煌々と、陰りがちな面に浮かび上がる。もし、その奇怪を目にした者があれば、およそ人にはあり得ぬその異様に叫びを上げたかも知れない。
――勝手に発動する。あの刑で身についてしまったこいつを、まだ使いこなせていない。
少し離れた場所から、がなり立てる声が響き渡る。
「おい、AI! いかれてねーな」
「はい、船長」
女性のややハスキーな声が答え、固定卓を片手で掴みうずくまった茶系のスカートスーツを纏った秘書ふうの美女が、完璧な挙動で立ち上がった。
秘書風の女性へ視線を注いでいた零は、軽く目を見張る。
――よく出来てるな。あの揺れを片手だけで自身を支えていなければ、人間とは区別がつかなかった。金がかかっただろうに、あのがめつい船長にしては気前のいい。
この恒星船の制御汎用人工知能が、対人コミュニケーターとして使用しているヒューマノイドだ。自然な歩調で、船長へと歩み寄る。
「わたしの本体も、このボディも無事です」
「なら、何があったか報告しろ。AIだけじゃねー。分かる奴は誰でもいい」
「爆発は船の下部船倉で起きたようですが、センサのエリア外の増設部で残念ながら詳細は不明です。既に、自律軽量斥候を飛ばしました。それ以外に一部のセンサが不通となって、船内モニタリングも一部不明となっています」
「よし。動ける奴は動け!」
顔から血を流しはしていたが元気そうな様子の船長が指示を飛ばし、応じて何人かがよろよろと立ち上がった。
先ほどの用心棒の女頭目の声も、鞭のような発破をかける。
「あんたら、無事かい? 無事だったら船長のとこに集まんな」
「おい、AIから連絡が入り次第何人かで貨物室を見に行くんだ。どんな状態なのか――」
女頭目の声に振り向いた船長が命じる最中、管制エリアに通ずる下部からの気密扉が爆音と共に吹き飛び、五十センチメートルほどの灰色をした楕円のボディの両端にイオン砲を備えた小型汎用攻撃機械兵ユニットが、管制エリア内に複数機飛び込んできた。
船内放送で直接耳と汎用コミュニケーター・オルタナのヴァーチャル音響システムで、オーガスアイランド号のAIの内保安を司る副汎用人工知能が女性の知的な響きのある声で、警告と共に戦闘開始を告げる。
「敵性個体による攻撃を確認、迎撃を開始します」
同時に管制エリアの随所から、黒色の侵入したそれより幾分大型の灰色の円筒型をした小型汎用攻撃機械兵ユニットがそれぞれの格納スペースから飛び立ち、控えていた部分部分をアーマーで覆った機械構造が垣間見えるミスと色の人型機械兵ユニットがぞろり進み出て忽ち交戦を開始した。迎撃側のプラズマ砲と襲撃側のイオン砲の火線が飛び交う。機械兵の性能はほぼ同等だが、数で勝るオーガスアイランド号側が押し始めたとき轟音と共に紫電が走り抜け、撃墜された船側の汎用攻撃機械兵ユニットが次々と堕ちていき人型機械兵ユニットの手足がばらけ頽れた。
女頭目が、声を張り上げ叱咤を飛ばす。
「キャバリアーだ! 新入り、船長を守れ! 新入りを除いた全員突破された扉へ。あたいについて来な!」
人間にはおよそあり得ない跳躍を見せ、抜き放っていた光粒子エッジの刃に赤い輝きを宿し下部から通ずる経路から新たに侵入してきた、暗緑色の外骨格スーツを纏った一二の人影へと女頭目は向かって行った。外骨格スーツを纏った侵入者等の腕が上がりマウントされたイオン砲が、次々と青白い光線を放った。女頭目は、科学兵装の赤く輝く光粒子の筋をエッジに宿すブレードで受けると、ビームの軌道を逸らした。続く他の用心棒は、左腕のブレスレットから光粒子の半透明な円形の膜を展開し防ぐ間に距離を詰めた。が――、
ズガァ、ヒュロロロロロロロロロロロロロロ、ズガァ、ヒュロロロロロロロロロロロロロロ
大気を切り裂く音と共に雷光が閃いた。
空間を走り抜けた紫電の先にいた用心棒の幾人かが雷撃を全身に浴び、煙を引きながら強化樹脂の床に叩き落とされた。
船長の傍に止まったダマスカス鋼の武器を持つ青年が、緊迫した様子で敵に切り込んだ用心棒たちに注意を喚起する。
「雷纏剣! 錬技を使える奴が敵にいるぞ。気をつけろ!」
外骨格スーツを纏った襲撃者に視線を走らせた零は、己の内で泉のように湧き出るそれを感じながら注視した。襲撃者が手に持つ武器を、零の眼は子細に捉える。科学的な補正無しに、距離があるので人間では到底不可能な細部を零は観察する。現代の戦士たるソルダ――キャバリアーが強化された肉体面以外で徒人と分かたれる決定的な力、一種の念動力である秘超理力によって可能な技の一つ、鷹の目によって遙か遠方を細部に渡り視認しているのだ。
零が観察したそれは、通常の光粒子エッジとは異なった科学兵装だった。柄から刀身の上部にかけて、アーマーが施されそこから粒子圧縮器に似た一部が覗けていた。見覚えがあるそれに、零は咄嗟に叫ぶ。
「違う! 紫電ブレードだ。アウグスタ社で五年前に作られた、錬技のコピーアイテム。紛い物とはいえ、錬技の一つ――武器に雷を纏わせる{雷纏剣を科学的に再現した武器だ! 全員がそいつを持ってる」
「本当か? 巡礼者!」]
先ほどの攻撃に距離を取っていた女頭目が声の方へ視線を向けそこに立つ零を見ると、怪訝な顔を一瞬した後問う。
「ああ、間違いない。まともにやり合うな」
「そんなの、敵に言っておくれよ!」
重力制御と汎用推進システムで急速に迫り一瞬で距離を詰めた襲撃者に、女頭目は光粒子エッジで斬撃を放った。が、外骨格スーツはさすがに一般的なキャバリアーの強化された肉体による力をも上回る。中身はキャバリアーなのだから、反応速度も徒人が纏ったものとははまるきり違う。本来なら、先に仕掛けてきた襲撃者の紫電ブレードと打ち合わせ流せる筈が、押し切られた。ように見えたが、さすがは太鼓持ちの青年に――零が思うにその話は嘘だが――歴戦の勇士と称えられた技量を見せ、剣舞のように身体を回転し刺突を見舞っていた。
襲撃者は外骨格スーツのアーマーに守られた上に、ハイメタル制フィールド発生エネルギー伝導硬化型の縦長の物理タイプの盾でガードしている。刺突は楽々と盾で受け止められ、簡単には崩せない。襲撃者の右手に持つ紫電ブレードに雷光が迸った。
青年の切迫した絶叫が、響き渡る。
「危ない! 姉さん!」
無造作に振るわれた紫電ブレードは、打ち合わせた光粒子エッジを越えて稲妻が女頭目を襲った。紫電に身体を舐められた女頭目は、それでも飛び退いたが苦悶の叫びを放つ。
「うぅ、わぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
絶叫と共に、女頭目は身体を燻らせ強化樹脂の床に倒れ込んだ。
あちこちで、同様の叫びが上がりオーガスアイランド号の用心棒は制圧されていった。いかに外骨格スーツを装着していたとはいえ、人数では勝っていた船側のキャバリアーをいとも簡単に蹂躙してのけた圧倒的なまでの差を生んだのは、キャバリアーの上位技を模倣した紛い物の武器。
わなわなと身体を震わせよろめく船長は、絶望に満ちた声を絞り出す。
「な、ぜ、全滅。う、嘘だろう。こんな、こんなことがあってたまるか。こんなどこにでもある恒星貨物船に、あんな奴らが……」
「船長、お気を確かに。まだ、俺が残ってまっす」
へたり込みそうになる船長を、女頭目から護衛を命じられた青年が支えた。
オーガスアイランド号のキャバリアーを一掃した襲撃者等の背後から、どこかしら勿体ぶったバリトンの音域の低い芝居がかった声が響く。
「あらかた、片付いたか。大義であった」
中年の太ったその男は、場末のついでに客を乗せる貨物船には不釣り合いな、古代を現代風に取り入れた流行よりも時代がかった、ルネサンスふうの大昔の美的感覚が違った貴族が着る団子が連なったようなある意味滑稽な骨董品の衣装を纏い、羽根つきのテューダー・キャップまで被った古代であれば華美で贅沢な身なりをしていた。横柄な態度と口調で続ける。
「この船は、予とその軍勢が制圧した。恒星貨物船オーガスアイランド号は、予が接収するものとする。船長以下乗組員は予の統制下に入り、AIの優先権コードを予に明け渡せ」
「な、ハイジャック風情が偉そうに! この船を接収だぁ? 巫山戯るな!」
雇っていた用心棒がほぼ全滅し茫然自失だった船長が、襲撃の首謀者と思しき男の言葉に息を吹き返したように気色ばんだ。
船長が怒るのも無理はない。AIの優先権コードとは、このオーガスアイランド号を統括する制御汎用人工知能の優先度を書き換える生体認証キーだ。それを渡してしまえば、船長はこの船の船長ではなくなってしまうのだ。少なくとも、今までのように船中での最上位権限での命令は出来ない。
十二国時代の終焉と共に発足した銀河憲章によって、人類の手を離れていた技術の進歩を取り戻すため制定された自動進化制御法に基づき、汎用人工知能の設計と製造には国際機関テンブルムが統括するインテリジェンス・ビーング管理局への申請を必要としており、申請が許可されると汎用人工知能へ強制的に影響を与える共通のフォーマットのデバイスを組み込むことが義務づけられている。尤も、ロボティクス法によって権利が保障された知的存在であるそれを意思に関係なくコントロールは出来ないが、それでも優先権コードは汎用人工知能の中に存在する命令を聞きたいと欲する優先順位を強制的に変更が可能なのだ。
滑稽なほど飾り立てた中年の男は、軽蔑した視線を船長へと向け同様の口調で嘲る。
「ふん。何が、巫山戯るな、だ。それは、こちらの台詞ぞ。この状況が見て分からぬのか。武力によって、そちたちは無力化された。最早、手も足も出せまい。予の命じるまま従うしかないのだぞ。光栄に思え。このようなボロ船を、ボルニア帝国皇帝の正当なる後継者たる予の凱旋に使うてやろうと言っておるのだ。よいか、このアンペラール号が今より予の居城ぞ」
「オーガスアイランド号だろう? 皇帝様」
小声で零はぼそりと呟き胡乱そうな視線を、道化よろしい笑いを誘うような埒外な格好の男へ走らせた。
船長の隣に立つ青年が、あからさまな不審を顕わにする。
「はぁ? 皇帝の後継者だぁ?」
「うむ。ボルニア帝国皇帝アイロス陛下が外遊なさったおり我が母を見初め、予オクタヴィアンを身ごもった」
「オクタヴィアンって面かよ……」
得意満面で滔々と語り出す己に悪態をつく青年に、オクタヴィアンがそれまでの低声と打って変わった甲高い声でキーキーがなり立てる。
「聞こえたぞ、身分をわきまえぬそこの下郎! このような船に雇われておるような底辺のキャバリアーの分際で。相手の高貴さも見抜けぬとは、何とも品性下劣なことよな。見よ、つまらぬことを申すから話が逸れてしもうた」
息を吸い感情の高ぶりを抑えようとしている――艦内放送によれば既に前皇帝だが――その遺児だと名乗るオクタヴィアンを眺めやり、零はポカンとしつつも意地悪く思った。
――これはこれは、何とも品行方正なお方でいらっしゃる。見ていて面白いけど。
周囲の思いを余所に、気を取り直しオクタヴィアンはいかにも英雄譚の下りでも口にするように再び語り出す。
「反乱を企てた卑劣なる簒奪者の手によって、父上たる皇帝アロイス陛下がお敗れになったと先ほど知った。その生死も知れぬ辺境にあって、もとより合流を果たし親子の名乗りを上げるつもりでおったが、その御身の無事を確かめるため居ても立ってもおられず決起した次第。父上がご無事か知るためにも、父上の意を汲むトルキア帝国軍と合流を果たす。父上がご無事であれば御前に馳せ参じ、遅まきなるときには新皇帝を僭称する賊から帝国を正当なる後継者たる予の手に取り戻す。希望は抱けぬ。予は悲しみと孤独に耐え、暴虐なる敵と戦わねばならぬであろう」
「何と、前皇帝の御落胤とは……」
その声に振り向くと行きずりのあの老人が、やや足下が覚束ない様子で皺のある面に困ったような表情を浮かべ立っていた。
成り行きに零は、狂言を眺めるような気分を味わいつつも、自分も当事者であるという認識に苛立ち切羽詰まっている状況を意識した。
――トルキア帝国軍に合流? 冗談じゃない。それじゃ、帝星エクス・ガイヤルドにあるエクス・ガイヤ大聖堂にいつまで経っても辿り着けないじゃないか。
老人の言葉が聞こえたらしいオクタヴィアンが、昂然と胸を逸らす。
「いかにも予は、皇帝アロイス陛下の子オクタヴィアンよ。待たせたな、我が民よ。案ずるがよい。賊徒共を討ち果たし、帝国に安寧をもたらそうぞ」
「はぁ……それは……なんと申しますか……」
気のない返事を返す老人は、甚だ迷惑そうだった。
前皇帝への老人の憤りを聞いたばかりの零は、その心情を察し同情する。そのとき、オクタヴィアンの背後から外骨格スーツを纏った襲撃したキャバリアーの仲間が、聖職にある者の格好をした一人の少女の腕をやや強引に引き、破壊した機密扉から姿を現した。少女の姿を確認したオクタヴィアンは、一つ慇懃に頷く。
「そして、予の皇帝即位を承認する猊下は我が手にある。セントルマ地方の国は七道一助のいずれかのグランド・ビショップかアーク・ビショップから、皇帝や王に任じられ即位するが習わし。承認を受けた正式な戴冠もせず皇帝を僭称しておる賊徒の首魁が偽物であると、予が即位することで知らしめることができよう。ボルニア帝国に向かう途中賊徒に追われるルナ=マリー・アレクシア猊下を、偶然お救いすることができた。こうしてみると、まさに天の采配。わたしに、帝位に就けとの」
「嘘を仰い! 確かにわたくしは、手勢に追われていました。が、無事振り切り安心と思っていたところを、あなた方が襲ったのではありませんか。お陰で、わたくしは護衛を申し出てくれた勇気あるキャバリアーとはぐれてしまいました」
「何つーか、罰当たりだな」
「本物かよ。まさか、雲の上の存在の猊下をこの目で直に拝めるとはな」
「こともあろうに、七導教のアーク・ビショップを拉致するなど前代未聞。あり得ぬ」
青年は呆れ、船長は物見高そうに、老人は面を羞恥に染めた。
零は、ソルダに腕を掴まれオクタヴィアンの隣に引き立てられる少女を観察した。雪のような白い髪をセミロングにした屈託なさそうな面立ちの、通常の聖職者より豪奢な格好をした。
――確かに三月前俺が七道教の信徒となったとき、教会で見せられたアーク・ビショップのフォトグラムと同じ顔。アレクシア猊下。
七道教に庇護された旅の巡礼者として、微妙な立場となったと零は吐きたい溜息を堪えた。本来なら信仰の対象である宇宙の律動と同義とも言えるアーク・ビショップを目にできたことに感動し、オクタヴィアンの暴挙に怒るところなのだろうが、零の信仰心は少々怪しい。
宥めるような口調でオクタヴィアンは、ルナ=マリーに語り掛ける。
「猊下は、誤解なさっておられるのだ。せっかく、我々が保護したというのに」
「わたくし達が乗った小型恒星艇に、海賊戦法さながらグラディアートを搭載した小型運搬艇で奇襲を仕掛けておいて。今もこうして民間船を襲撃している無法者が!」
澄んだ菫色の瞳で睨み付けるルナ=マリーから顔を逸らし、オクタヴィアンはムキになって言い放つ。
「そのように猊下が捉えられるのも、予が未だ野にあるからだ。勝てば官軍。反乱者共を打ち払えば予はボルニア帝国の皇帝となる。そうなれば、予の行動がいかに尊く正しいものであったか、猊下も納得なさるはず」
無理のある理屈に、零は白い目をオクタヴィアンへと向けた。
――何が、天の采配だ。始めから、自分が皇帝になる気で乗り込んできたんじゃないか。だから、どうやってか同行を掴んだ猊下を捕らえた。前皇帝の生死は分からないが、たとえ敗れず皇帝のままであったとしても、敗れても尚生きながらえていても、この愚息と再会し無事でいられるかどうか。
言い立てるオクタヴィアンの声が、零の意識へ流れ込み心をざわつかせる。
「力こそ全て。一二の超大国が銀河にもたらした惑星が惑星を砕くが如き空前の動乱と道を踏み外した進化に立ち向かい武により道を切り開いた先祖と同じく、我も武によって我が道を切り開く。どんな強大な敵が立ち塞がろうとも。怖じ気づき、剣を捨てて逃げ出す臆病者とは、予は違うのだ」
昔の零であれば何とも感じないだろう痴れ者が叫ぶその言葉が、奥底に沈めた筈の敵の姿を幻視させた。そこから湧き上がった感情は、明らかな、紛れもない、恐怖。身体がぐらつき、両の手が震える身体に回ろうとした。
絡みつく己を捉えようとする闇を振り払うように、あの敵に精神ではなく己が捕らえられてしまわぬように、戦いを放り出し逃げ切れるように叫ぶ。大声で。敗北者であるが故の怒りでもって。
「粋がるな!」
「ほぇ?」
演説を遮られ、きょとんとした顔をオクタヴィアンは零へと向けた。怪訝な表情が、青年とルナ=マリーのそれぞれの面に浮かぶ。
「おいおい、どうした? 何か気に入らなかったか? ま、分かるけどさ」
「その姿、旅の巡礼者の方ですね。この者を刺激してはなりません。先ほどからの言動、明らかに精神の病を煩っている様子」
「ぶ、無礼な!」
ルナ=マリーへ紅潮した顔を向けるオクタヴィアンに、零は声音に険を滲ませる。
「脳天気だな、皇子様。どんな強大な敵にも立ち向かう? 知らないのか? 世界には、決して逆らってはいけないもの、決して抗えないものが存在する。戦いは、何も解決したりしないんだよ。その内負ける。無駄なんだ。他国頼りのあんたなら、すぐに負けそうだけど」
「な、な、な、な、なんたる侮辱、屈辱、暴言! えーい、許せぬ。その者を、血祭りに上げよ! 行け、我が精強なる騎士たちよ。その力をもって我が武威を示すのだ!」
「お止めなさい! あの者は、七道教に保障された巡礼者、わたくしの庇護下にある者です」
ルナ=マリーの制止も虚しく、襲撃者は零へと既に動き出していた。向かってくる敵をフードの奥の双眸で睨み、湧き上がる逡巡と幻視するかつての敵への恐怖を無理矢理押さえつけようと務める。
「ちっ! 俺は何を敵の気を引いてるんだ! これじゃ、自分で戦いに飛び込んでるみたいじゃないか! せっかく巡礼者になったのに」
悵恨を短い叱咤で己に刻み、零は強化樹脂の床を蹴った。高速で向かってくる小型汎用攻撃機械兵ユニットが、イオン砲を放ったからだ。元いた場所を青白い光の筋が撃ち抜き、跳躍した零の目深に被ったフードが勢いと風圧で外れ紐で纏め左肩に垂らした黒髪が溢れ落ちた。