第2章 犠牲の軍隊前編 3
二艇の強襲降下ユニットに分かれて乗り込んだ決死隊五三四名と零にエレノアは、省スペースを心がけた人型機械兵ユニットや外骨格スーツ装着者を搭載することを前提にされたペイロードベイで、天井から伸びたアームに固定されていた。まるで自分が機械兵ユニットの一つと化したかのような錯覚に襲われ、零は物扱いされているみたいで不快だった。
隣に固定された今は零同様バイザーを下げ顔が見えないエレノアが、注意を促す。
「陽動のグラディアート群二百万と敵グラディアート群が、接敵したぞ」
架空頭脳空間の空間認識戦術マップがリアルタイムに伝える戦域情報の一つを零は閲覧モードへ変え、惑星フォトー高高度上空で繰り広げられるAR環境で映像を映し出した。幾つもの光点が煌めき撃破された敵味方のグラディアートが惑星へ降り注いでいく様に、敵が上手く食い付いたと零は憂鬱になった。作戦は決行されるだろう、と。
途切れることなく、赤い不吉な煌めきが惑星上から無数に様々な角度で走り、だがそれを喰らうグラディアートはなかった。キャバリアーから生み出される未来予知を利用したオルタナアライメント・プレコグニション・サイバニクスシステムにより、グラディアートはその攻撃を既に知っておりキャバリアーの戦闘を表現する超高度なロボティクスによって楽々と回避してのける。たとえその赤い光が、キロメートル級以上――巡航艦クラス以上の恒星戦闘艦のフィールドと重装甲をすら貫く、殲滅の光弾であろうと。
誰にともなく、それでもエレノアに聞こえるよう零は呟く。
「そろそろ、出番か。撃ち落とされないことを、願うしかないな」
「宇宙の律動の加護があらんことをって、祈らないのか? 巡礼者」
「運やジンクスを否定するつもりはないけど、戦いで神頼みなんて趣味じゃないんだよ。ソルダの道からきっぱり足を洗ってから、宇宙の律動が俺たちにどう関係あるのか考えてみるよ」
「ははははは。それで、よく巡礼に旅立ったもんだ。わたしたちと共にある宇宙の律動に感極まって、旅立つものだろうに。全く、零は世俗の脂っ気が抜けてないな。素直にボルニアニ仕えていればいいだろうに」
ひとしきり笑い踏み込んでくるエレノアに、零の心にあの日から振りほどけぬ闇が過る。
「……俺は、もう戦士じゃない。世の中には、逆らってはいけないもの、決して抗えないものが存在するんだ。それを知っちまった俺は、心が折れたのさ。そんな人間は、とっとと剣を捨てて廃業しちまうのが一番なんだよ。無理して続けても、すぐに死ぬだけだ」
「……ふん、深刻になるんだな。戦いは、一人一人別のもの。己以外に分からぬそれを、わたしじゃおいそれと否定はできない。その戦いは、その敵は零のものだ」
「っ――、そうだ、俺のものだ。だから――」
エレノアの奥深さを一瞬透かし見せるその言葉に零は心を衝かれ言葉を探したが、ユニットAIが告げる声に漠然とあった零の驕りのような矜持が形となりそうだったが霧散した。
「カウントダウン。十、九、八、七――」
殲滅の光弾の射ほどギリギリまで移動した大小三千隻を超える艦隊から、擬装のための機械兵ユニット群やミサイル射出が開始された。それらが高速で間断なく、惑星フォトーへ向かう。敵防衛システムが有する物理的処理能力の飽和を、零は期待した。
「三、二、一、射出」
ユニットAIの声と同時、強襲降下ユニットが地上攻略本兵団群のベルジュラック大公国領邦軍の兵団群や囮を務めるモリス兵団群の五兵団と零たち懲罰部隊をそれぞれに乗せ、同時に各艦から射出された。強襲降下ユニット外を映し出していた零の外骨格スーツの補助モニタが、弾丸のように重戦艦ポトポリからユニットが発進する一瞬を伝えた。刹那の内に映像は宇宙の深淵に切り替わり、周囲に擬装の機械兵ユニット群やミサイルの群れが並ぶ。その少し先の巡航艦ほどの艦影が、決死隊二艇の強襲効果ユニットをカバーするように惑星フォトーに向かいつつ位置をずらした。その巡航艦クラスの艦艇は、重装甲防御艦だ。
重装甲防御艦は、臨時中継ポイントの防御などに用いられる。それが、八隻今回の作戦に投入されていた。艦表面の八割がエネルギー伝導フィールド発生硬化型シールド装甲に覆われていて、殲滅の光弾すらも数発ほど度なら耐えることが出来る。その撃沈されることも考慮された任務から、汎用人工知能は搭載せず自律特化型AIによる制御の無人艦だった。
と、赤い煌めきが近くを掠め、射線上にいた擬装の機械兵ユニット群やミサイルを一瞬で消し去った。殲滅の光弾は、その道筋にあるものを何であれ蹂躙する。
流石に、零も死神の息吹を感じずにはいられなかった。
――あれに冗談でも捉えられれば、悲運を嘆く間もなく俺は世界から消える……。
それでも、惑星フォトーの高高度上空で敵グラディアート群と交戦する味方グラディアート群。途切れることなく惑星フォトーへ送られる、機械兵ユニット群にミサイル。様々な脅威度が存在するそれら全てに対応しきることは、惑星地表に設置されている数千の殲滅の光弾砲による防衛システムにも無理があった。ことにグラディアートは、その必殺の一撃を回避する。射ほどに捉えれば直線的に貫通可能な恒星戦闘艦や機械兵ユニット群やミサイルとは、未来予測と機動性が違うのだ。惑星地表に近づきすぎなければ、回避可能だ。惑星フォトーに接近中の囮に回される殲滅の光弾は殲滅するには数が少なく、防衛システムは飽和しかかっている。襲来するその脅威が数に紛れる強襲降下ユニットを、死を招く赤い光で撫でることは希だ。
が、再びの赤い数条の煌めきが零たちを搭載した強襲降下ユニットの前で重装甲防御艦を直撃するが耐え、近くの間隔を開けて進む機械兵ユニット数艇を一瞬で消し去った。
接続重要度を低くしてある決死隊の面々が装着する外骨格スーツのデータリンクを通して、環境雑音のように動揺した響めきが零の耳朶を打った。
あまり意味をなさないそれらの声の中でたまたま一つの声をスーツの人工知能が強い伝達意志を認識し、フォーカスする。
「キャバリアーでもないわたしが、こんな物を着たところで何になる」
「何だって?」
看過できぬ言葉を聞き咎めた零に、答えたのはエレノアだった。
「嫌なことを知ったな。決死隊の半数は、キャバリアーじゃないんだよ。只の人間でも外骨格スーツを着用すれば増強されるが、ま、グラディアートは冗談でも与えられないし、機械兵ユニットの相手にもならないおよそ戦場ではお荷物だ。未来予知を持たぬ徒人では、人工知能の判断と速度に太刀打ちできないからな」
「戦場で死なせることが目的の、懲罰部隊。勝つことなんて、端から期待されていない。今回の内乱で粛正対象となった大勢の者の中で処刑される者が決死隊となった。少し考えれば分かることなのに……戦いの世界、ソルダとしての生き方とはおさらばしたと思ってた俺は、どうも焼きが回ってるらしい。これ以上はないほど不味い状況なのに、楽観していた」
恐怖、悲痛、怒り、絶望。様々で雑多な幾多の声が、外骨格スーツのスピーカーを通して街角で埋もれる雑踏のように零に響いた。
だがそれらの嘆きをよそに首筋を死の息吹が幾度か撫でることがあったが、零たちは惑星フォトー大気圏へと間近に迫り、どうしても降下地点が広大な惑星といった規模では集中してしまうため軌道コースが似通う他艦から射出された強襲降下ユニットが外部映像を通して間近に纏まって見えた。当然、偽装の機械兵ユニット群やミサイルも何割かは攻撃飽和の為同行するが、どうしてもこれまで以上に殲滅の光弾に捉えられるリスクが高まった。
悲鳴が、雑踏の怒号のように外骨格スーツのスピーカーに満ちた。
今まさに、赤い煌めきが離れた位置で降下を開始した強襲降下ユニットの一つを飲み込み、この世界から一瞬で消し去った。中には、三百名のキャバリアーが少なくとも搭乗していた筈だ。スーツ内は装着者の身体モニタと連動した空調が完璧に温度を適切に保っているので、背に汗が伝うことなどなかったが、冷たい手で心臓を鷲づかみされたみたいに架空の痛みが走った。
部下として与えられた決死隊に、零は同情を覚える。その置かれた過酷に。只の身から出た錆とは思えない。前皇帝派貴族が主立った人員だが、貴族としてこれまでいい思いをしてきたツケとも。彼らが今ここに居るのは、忠誠心の結果でもあるのだから。ただ、情勢でその有り様が決しただけだ。嫌な奴も当然居るだろうが、そんなのどこにでもいる。新皇帝とその体制にとって粛正対象となっただけだ。その人物が個人的にどんな人物かなど関係ない。
――おまえたち、運がなかったな。俺と同じだ。悪と断じられれば……。
近くを赤い煌めきが走る頻度が上がり嫌でも高まる緊迫感に、零は内心弱音を吐露した。
――ちゃんと辿り着けるのか……こんなの初陣の時乗艦していた戦艦を吹き飛ばされたとき以来だ。グラディアートにたまたま搭乗してて助かったけど、こんな棺桶の中じゃ逃げ場なんてない……。
それまで決死隊が分譲している二艇の強襲硬化ユニットを守っていた重装甲防御艦が、連続で殲滅の光弾の直撃をくらいその堅固な防御が限界に達し船体を幾度も貫かれ制御を失い重力の井戸へと堕ちて行く。
小さな、補佐として接続重要度を高く設定していたエレノアの声が零に流れ込んだ。
静かで澄んではいたが、聖句を呟くエレノアのメゾソプラノには切なる響きがある。
「宇宙の律動よ、どうか我の旅路を見守り給え」
「儘よ。こんなときの死だけは平等だ。誰もが助けてくれと祈るなら、死ぬ筈の誰かの願いと相殺されて意味なんてないさ。頼まれた方は、矛盾してフリーズさ」
勇猛なエレノアが吐露した生の感情を、戦場を間近にして零は己にある惰弱と共に打ち砕いた。ソルダとしての生き方を捨てても、これから臨むのは紛れもなく死地。生き残るには、己の意思で己に問いかけ死力を尽くさなければならないから。
騎士甲冑のハンサムな面を向けてくるエレノアの声は、呆れたものだった。
「……零、おまえは……」
再び赤い煌めきが強襲降下ユニットの幾つかを飲み込み、ペイロードベイ内に緊張が高まり理性を失った叫びがあちこちから上がった。
「もう駄目だ、もう駄目だ」
「ああ、くそっ! どうして帝国に千年以上仕えた侯爵家のわたしがこんな目に」
「わたしは、まだ何もできてなかったのに」
あちこちから上がる呪詛はどれもこれも悲痛に満ち、絶望に染まっていた。
外骨格スーツのセンサがペイロードベイ内の異音を捉え、そちらへ視線を向けると誰かが天井から伸びるアームの固定を外し出口を求め暴れているのが目に入った。
怒声を怨嗟の呟きに変え、零も外骨格スーツの固定を外す。
「こんな時に……手間のかかる」
互いに密集した場所であるにも関わらず、汎用推進機関の推力を用いた巧みな機動で躱しつつすぐさま辿り着いた。が、先客がいた。いかにも外骨格スーツを着慣れた巧みさで、暴れている彼か彼女をまさに組み伏すところだった。技だけでなくそれなりに戦闘訓練をこなしたキャバリアーだと分かるその手並みに感心しつつ、零は床に押しつけられた錯乱者のスーツの首元にあるスウィッチを押した。フェイスマスク状のバイザーがヘルメットの上半分ごと背後にスライドし、髭の生えた中年の男がそこには居た。
零は、やや低めの声を冴え冴えとさせる。
「自らの失態で死ぬつもりか? 全滅必死のポイントに配置された懲罰部隊。楽に死にたいのは分かるが、そうでない者もいる。少なくても、俺は生き残るつもりだ。巻き込むな」
男が答える前に、外骨格スーツのスピーカーに響いた声は零にとってやや意外だった。
「ご立派。勇敢ですこと。与えられた部下を部下とも思わぬ、物言い。お一人で戦われるつもりかしら?」
その声は若い女のもので、それが男を組み伏す外骨格スーツの装着者が発したものであることが、フォーカス音声と連動したマーカーから読み取れた。
挑戦的で道義的な物言いに、条件反射のように零は反発する。
「いきなり与えられた混成部隊でどうしろって? それに、俺たちに与えられた戦場に名誉なんてない。ただ、磨り潰されるだけ。生き延びて元の世界へ戻るしか、俺には希望がない」
「……あなたは……」
音律のある若い女の声が憤りに満ち、だが、その後を継いだのはエレノアだった。
「そうだが……。彼らはそれすらも希望にはならないんだ。わたしだって、本当は彼らと同じ立場だった」
「それは、どういう?」
憂いをメゾソプラノに乗せるエレノアを怪訝に思いつつ零は問おうしたが、エレノアが先んじる。
「着くぞ。先ずは、生き延びた」
零たちを搭載した強襲降下ユニットは、渓谷地帯を目指す本体のユニット群から軌道を逸らしつつ、岩場が目立つ地上へと接近した。殆ど落下速度のそれは、地表に激突する寸前ユニット下部から燐光を派手に散らし制動をかけた。殆ど衝撃もなく、惑星フォトーの地表へと着地した。
外骨格スーツのバイザーを背後にスライドし麗貌を晒すと、零は貨物室の扉へと向かう。
「決死隊、下乗。さぁ、愉しい愉しい、鬼ごっこの時間だ」
ペイロードベイの開閉スウィッチを押すと、零は凶悪が漂う笑みと共に振り返った。バイザーをスライドさせた幾人かの確認できる決死隊の顔は、血の気が既に失せていた。




