終章 永遠の先へ
凪の提案は、記憶保持者たちの間で大きな議論を呼んだ。
廃墟となった実験施設で、六人の記憶保持者が集まった。
「無謀すぎる」
「でも、これしかないかもしれない」
「人類は、真実を受け入れられるのか?」
議論は深夜まで続いた。
そして、夜明け前。全員が一つの結論に達した。
「やりましょう」
かれんが皆の総意を告げた。
「人類に、真実を伝えましょう」
計画は慎重に進められた。
まず、実験施設の存在を、科学界の信頼できる研究者たちに公開する。そして、記憶保持者たちの証言を、厳密な科学的検証の下で記録する。DNA鑑定や年代測定など、あらゆる科学的手法を用いて、彼らの主張の信憑性を裏付けていく。
そして、決行の日。
世界中の主要メディアで、同時に真実が公開された。
人類が実験対象であること。
地球が実験場として設計されていること。
そして、一年後に下される判断のこと。
最初の数日は、予想通りの混乱が起きた。
パニック。暴動。陰謀論。
しかし、その後に起こった変化は、凪たちの予想をはるかに超えていた。
人々は、真実を受け入れ始めた。そして、考え始めた。
人類とは何か。
魂とは何か。
生きるとは何か。
世界中で、哲学的な議論が巻き起こった。
宗教間の対話が始まった。
科学者たちは、魂の研究に新しいアプローチを始めた。
そして、人々は変わり始めた。
国家間の争いが減少していく。
環境保護の動きが加速する。
人権意識が高まっていく。
まるで、人類全体が一つの生命として、進化を始めたかのように。
決行から半年後。
凪は詩音と共に、桜の咲く公園のベンチに座っていた。
「不思議ね」
詩音が言う。
「世界が変わりつつあるのに、こうして桜を見ていると、なんだか普通の日常のように感じる」
「そうね」
凪は微笑んだ。
その時、また記憶が蘇る。
* * *
古代日本の僧として生きていた時の記憶。
山寺で、同じように桜を眺めていた。
檀家の娘が尋ねた。
「無常の世に、なぜ美しいものがあるのでしょう?」
その時、前世の凪は答えた。
「それは、有限を生きる人間が、永遠を垣間見るためかもしれませぬ」
* * *
「凪?」
「ああ、ごめん。また記憶が……」
「いいの。その記憶も、あなたの一部なんだもの」
詩音の言葉に、凪は深く頷いた。
空を見上げると、夕暮れの空に最初の星が瞬いていた。
彼らは、今も地球を見守っているのだろう。
実験の監督者として。
それとも、もはや違う視点で?
真実を公開するという選択は、実験そのものを変質させてしまったかもしれない。
しかし、それこそが人類の選んだ道。
偽りのない、真実と共に歩む道。
「ねえ、詩音」
「うん?」
「私たちの前には、まだまだ長い道のりがあるわ」
「そうだね。でも、一緒に歩いていけるでしょ?」
「ええ」
凪は懐から、小さな装置を取り出した。
記憶喚起装置だ。
「もう、これは必要ないかもしれない」
そう言って、凪は装置を桜の木の下に埋めた。
「新しい記憶は、これから作っていけばいいもの」
詩音も手伝って土を被せる。
その場所に、いつか新しい桜の木が育つかもしれない。
千年後も咲き続ける、記憶の花として。
実験の結果がどうであれ、人類は確実に変わり始めていた。
魂は、記憶を超えて。
時を超えて。
永遠の先へと。
桜の花びらが、夕暮れの空に舞い上がっていった。