第5章 選択の時
それから数日が過ぎ、凪の日常は大きく変化していた。
表面上は、いつもと変わらない女子高生の生活。しかし、放課後になると、佐伯やかれんとの秘密の会合が続いた。
「これが、現在の実験データよ」
かれんは小さなデバイスを取り出した。そこには、複雑なグラフと数値が浮かび上がる。
「人類の魂の進化度を示すデータ。ご覧の通り、及第点には遠く及ばない」
佐伯が眉をひそめる。
「しかし、このデータ自体が適切なのか。彼らの基準で人類を判断すること自体に、問題があるのではないか」
「その通りです」
新しい声が響いた。振り返ると、榊原が立っていた。
「私も、かれんの計画に賛成だ。実験システムの書き換えは、必要悪として認めるべきだろう」
凪は黙って画面を見つめていた。そこに映し出される冷たい数値の中に、人類の運命が詰め込まれている。
「でも」
凪は静かに言った。
「これは、本当に正しいことなのでしょうか」
その瞬間、激しい頭痛が走った。そして、新たな記憶が蘇る。
* * *
古代中国の賢者として生きていた時の記憶。
弟子たちに語りかけていた。
「真実を偽りで覆うことは、たとえ良き意図であっても、必ず禍根を残す」
* * *
「凪?」
かれんの声で我に返る。
「ごめんなさい。ちょっと、記憶が……」
「無理もない」
佐伯が言った。
「君の記憶は、まだ完全には統合されていない。葛藤があるのは当然だ」
その時、凪のスマートフォンが鳴った。画面を見ると、詩音からのメッセージ。
『凪、最近どうしたの? 心配だよ。放課後、ちょっと話がしたい』
「現世の親友……ってところ?」
榊原が覗き込んだ。
「ええ。でも……」
「会ってきなさい」
かれんが優しく言った。
「この話は、また明日続けましょう」
放課後の教室。
夕陽が差し込む窓際で、凪は詩音と向かい合っていた。
「凪、本当に大丈夫? 最近、まるで別人みたい」
親友の眼差しには、純粋な心配が浮かんでいる。
「ほんとごめんね、心配させて」
「何かあったの? 話してくれてもいいんだよ」
凪は詩音の顔をじっと見つめた。
そこに、千の記憶の中の友人たちの顔が重なって見える。時代も、性別も、立場も違えど、変わらない友情があった。
そして、凪は決意した。
「詩音、信じられない話かもしれないけど、聞いてほしいの」
「うん」
「私は、実は……」
凪は、すべてを語り始めた。
実験のこと。
魂の記憶のこと。
人類の運命のこと。
話し終えると、教室には重い沈黙が流れた。
詩音は、しばらく黙って机の上の自分の手を見つめていた。
「信じられないって思うよね」
凪が苦笑いを浮かべると、詩音はゆっくりと顔を上げた。
「ううん、あたしなんだか信じられちゃう」
「え?」
「だって、最近の凪の目は、すっごく深い光を持ってたから。まるで、ほんとにたくさんの人生を生きてきた人みたいな」
詩音は微笑んだ。
「それに、私も何だか分かるの。凪が言ってた、魂の記憶って」
「どういうこと?」
「時々、不思議な夢を見るの。知らない時代、知らない場所での記憶みたいな。そして、その夢の中にはいつも、凪に似た人がいるの、ううん、凪の魂に似た人って言えばいいかな」
凪の胸が高鳴った。
記憶を持たない一般の人々も、深層意識の中には、前世の記憶を持っているのかもしれない。
「詩音……」
「だから、凪の話、信じる。そして、力になりたい」
詩音は凪の手を握った。
「それに地球が実験場だとしても、私たちの友情は本物だもん」
その言葉が、凪の心に深く響いた。
そうだ。たとえ実験であっても、この絆は偽りではない。
この、深い友情は。
そして、その夜。
凪は一つの結論に達していた。
かれんたちの計画は、確かに人類を救うための選択肢かもしれない。しかし、それは新たな偽りを生み出すことになる。
ならば、別の道があるはずだ。
人類の真の可能性を示す、正しい方法が。
翌日、凪は佐伯に電話をした。
「新しい提案があります」
「聞こうか」
「実験データを偽装するのではなく、人類に真実を伝えるのはどうでしょう」
電話の向こうで、佐伯が息を飲む音がした。
「それは、実験規定違反だぞ」
「でも、考えてみてください。人類は何も知らされないまま、判断されようとしている。それこそ、公平と言えるでしょうか?」
短い沈黙の後、佐伯が答えた。
「続きを聞こう」
「私たちには、記憶という証拠がある。そして、実験施設という物的証拠もある。それを世界に公開すれば……」
「しかし、パニックが起きる可能性が高い」
「それでも」
凪は強く言った。
「人類には、真実を知る権利がある。そして、自分たちの運命を、自分たちの手で切り開く機会が与えられるべきです」
長い沈黙。
そして、佐伯が静かに言った。
「分かった。他のメンバーにも相談してみよう」
電話を切った後、凪は夜空を見上げた。
星々の間に、彼らの監視衛星が光っているのかもしれない。
しかし、もう恐れてはいない。
これこそが、人類の真の可能性を示す道。
たとえ結果がどうであれ、真実と共に歩む道を。