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第4章 地球という鉄格子

 帰り道、夕暮れの街並みが違って見えた。


 雑踏を行き交う人々。ショーウインドウに映る光。車のヘッドライト。それらすべてが、実験という檻の中の風景に思えた。


「ねえ、佐伯さん」


 凪は静かに言った。


「人類は、本当に実験対象でしかないのでしょうか?」


「難しい質問だ」


 佐伯は空を見上げた。


「彼らにとっては、確かに実験かもしれない。しかし、だからといって、人類の存在が実験以上の意味を持たないとは限らない」


 その時、凪のスマートフォンが震えた。見知らぬ番号からのメッセージ。


『明日、午後3時。中央公園の古い噴水の前で会おう。――K-891より』


「また新しい記憶保持者?」


「ああ。彼女は……特別な存在だ」


 佐伯の声が、わずかに緊張を帯びる。


「彼女は、実験に反対する者たちのリーダーだ」


 夜。自室で凪は窓の外を見つめていた。


 新たに呼び覚まされた記憶の中で、ある画像が鮮明によみがえる。実験施設で見た、地球の設計図。


 この惑星そのものが、巨大な実験装置として造られていた。大気の組成、重力、磁場、すべてが精密に調整されている。そして、その中で人類は、魂を進化させる実験対象として存在していた。


「お姉ちゃん、晩ご飯だよ」


 妹のみおの声に、凪は我に返った。


「ありがとう、すぐ行くわ」


 階下に降りると、いつもの家族の風景があった。


 父は新聞を読んでいる。母は食卓の準備をしている。妹は宿題に取り組んでいる。


 その全てが、実験の一部だと思うと、凪は複雑な気持ちになった。


 * * *


 突然、別の記憶が蘇る。


 ヨーロッパの農家の母として生きていた時の記憶。幼い子供たちと、質素だが幸せな夕食を共にしていた。


 その時の感情は、決して「実験」などではなかった。確かな愛情があった。


 * * *


「凪、どうしたの? 食べないの?」


 母の声に、凪は微笑んだ。


「ううん、いただきます」


 実験だとしても、この瞬間の温かさは偽りではない。


 この、愛だけは。


 翌日、午後3時。


 中央公園の古い噴水の前で、凪は約束の人物を待っていた。


 そこに、一人の少女が近づいてきた。


 長い黒髪を風になびかせ、白いワンピースを纏った少女。しかし、その眼差しには、凪と同じ、数千年の記憶が宿っていた。


「はじめまして、K-617」


 少女は柔らかな声で言った。


「私は宮本かれん。K-891よ」


 かれんは噴水のそばのベンチに腰かけ、凪を促した。


「座って。たくさん話すことがあるの」


 凪がベンチに座ると、かれんは静かに語り始めた。


「私たち記憶保持者には、もう一つの使命があるの」


「もう一つ?」


「そう。それは……」


 かれんは空を見上げた。


「人類を、彼らの実験から解放すること」


 凪は息を呑んだ。


「でも、どうやって?」


「実は、私たちには特別な能力があるの。記憶を保持できるだけじゃない」


 かれんは手のひらを広げた。そこに、不思議な光の粒子が浮かび上がる。


「私たちは、彼らの技術を理解し、操作することができる。なぜなら、私たちは彼らによって特別に作られた存在だから」


「神は自分の形に似せて人を創った……ってこと?」


 かれんは微笑みながら頷いた。


 光の粒子が、様々な形に変化していく。


「この能力を使えば、実験システムそのものを変更することも可能なの」


「でも」


 凪は反論した。


「それは危険すぎるのでは? 実験システムが崩壊したら、地球そのものが……」


「その通り」


 かれんは光を消した。


「だから、慎重に進めなければならない。でも、もう時間がないの」


 彼女の表情が真剣になる。


「一年後。実験の終了と共に、彼らは結論を出す。人類という種を存続させるか否かを」


「佐伯さんから聞きました」


「でも、聞いていない話もあるはずよ」


 かれんは凪の目をまっすぐ見つめた。


「彼らの判断基準は、人類の魂の進化度。そして今の段階では、人類は及第点に達していない」


 凪の体が凍りついた。


「そう。このまま実験が終われば、人類は『失敗作』として処分される可能性が高いの」


 噴水の水音が、二人の沈黙を埋めていく。


「だから、私たちは行動を起こさなければならない」


 かれんは立ち上がった。


「実験システムを、人類に有利な形に書き換える。そうすれば、彼らの判断も変わるはず」


「でも、それは……」


「詐欺のようなものだと思う?」


 かれんは微笑んだ。


「でも考えてみて。そもそも、この実験自体が公平なものだったかしら? 人類は何も知らされないまま、実験台にされている。それこそ、倫理的とは言えないわ」


 凪は黙って考え込んだ。


 確かに、人類は実験の事実すら知らされていない。しかし、だからといって実験システムを操作することは……。


「決断を急がないで」


 かれんは優しく言った。


「でも、覚えていて。時間は有限なのよ」


 夕暮れの公園に、風が吹き抜けていった。


 その夜、凪は再び不思議な夢を見た。


 しかし今度は、ただの夢ではない。確かな記憶だった。


 実験施設での最後の日の記憶。


 彼らの一人が、凪に言った言葉。


「人類には、無限の可能性がある。その可能性を、君たちの目で見極めてほしい」


 その言葉の意味を、凪は今やっと理解し始めていた。

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