第九十三幕
——後日。
辺りも暗くなり、人々が寝り始める時刻。
「まったく…… せっかく、この私が見舞いに来てやったというのに、なぜ一言も喋らんのだ。……もう帰るぞ? 良いのか?」
司書が、そう言うと姫は、特段気にする素振りも見せずに聖書のページをめくった。
「構わない。そもそも誰も呼んでいない。早く部屋に戻れ。もう時期、消灯の時間だ」
「"キィィッーーーー!" 貴殿まで、この私を軽んじるか! 太々しい顔をしよって! 貴殿の様な人間を何というか知っとるか!」
「"なんだ"」
「…………あっ。いや、なんだ、知らんのか? 私にも分からん」
男は、深々と溜息を吐くと腕を組み、司書を見下ろした。
「それで、結局なんの用だったんだ? お前が、見舞いなんかの為にわざわざ図書館を離れるとは思えない。姫様に何か伝えたいことでも?」
「だから見舞いだと言っとるだろ。……まあ、そうだな。どうせなら顔だけでも見てやろうかと思ってな。次、いつ会えるかもわからんからな」
そう言うと、司書はベットに横たわる姫に詰め寄った。
「なんだ、聖書を見とるのか? 残念だが、聖書に挿絵は無いぞ? それとも、リアナ皇女も神頼みをする様になったのか? まあ、そうだな。私からのアドバイスとしては、まずは泣くことだな。神は泣いている者から救いの手を差し伸べるものだ。なあに、フリだけで良いさ。ちょこっと涙を見せれば神も気を利かせて助けてくれる。ほれ、やってみろ!」
姫は、平然と話を聞き流した。
「おいおい、いつまでそうしとるつもりだ。もう明日なのだろ。何か打てる手は無いのか? 私としてもリアナ皇女とこんな形でお別れになるのは寂しいぞ」
司書は、ベットに腰掛けると姫の瞳をじっと見つめた。
正直、私にも分からない。本当にこれで良いのかも。あの日からミーシャは一度も私の部屋には来なかった。上手くやってくれているのかも。分からない…… でも、もう待つしかない。下手に動けば邪魔になるだけ。
「そうだ! リアナ皇女よ。初めて会った日のことを覚えとるか? 確か、十年ほど前だったか? ……私が、まだ司書見習いだった頃だ」「まだ、見習いだろ」
「"うるさいッ!"」
司書は、思わず口調を荒げた。
「そんなことはどうだって良い。ほれ覚えとるか。リアナ皇女が初めて図書館に来た日だ。このくらいちっこかったな。いや〜 昔は何かある度に泣いとったわ。私の母上に挨拶をするだけでもすぐに泣きよって。困ったものだった」
姫は、聖書を閉じると眉間にシワを寄せた。
「すぐに、オルディボ殿の後ろに隠れとったわ。懐かしいの〜 ……まあ、なんだ。あまり偉そうなことを言うつもりは無いのだがな。困ったら泣いても良いのだぞ。きっと誰かがリアナ皇女を助けてくれるさ。ほれ私なんて、ちょっとしたことでもすぐに泣いてしまうが、何も困ったことなんて無かったぞ?」
司書は、何故か誇らしげな態度を見せた。その姿を前に姫は、思わず口を開いた。
「ならどうして…… 自分の母が死んだ時には、涙一つ見せなかったの」
司書は、笑顔を辞めた。
「リアナ皇女よ………… "誰が我の話をしろと言った"」
姫は、目を見開いた。
「まったく…… 話せるではないか。やれやれ、そういう年頃というわけか。このくらいの歳頃は、余計なことばかり口にしたがる…… 少し長居し過ぎたな。また会えることを祈っとるぞ。では失礼する!」
司書は、そう言うと颯爽と部屋を後にした。
 




