六幕
日が沈み庶民達が眠りにつく中、宮廷内は夜の街を照らす月光の如く輝いていた。屋外に停泊する馬車の数からも、この集会の規模が伺える。
会場内を見渡せば、何処もかしこも上品なドレスはスーツを見に纏った紳士淑女ばかり。まさに貴族の社交界に相応しい催しといえよう。
「おいメイド。ワインが無くなった注げ」
男はグラス片手に傲慢な態度で近くのメイドを呼び止める。ワインが注がれると男は礼を言うわけでもなく何食わぬ顔で会場の人々を一望する。男は若さこそ有るものの、その立ち振る舞いから僅かに中年臭さを醸し出していた。
次第に、男はグラスのワインを一気に飲み干すと空のグラスをメイドに預け歩みを始めた。その視界には二人の若々しい男女が映る。
「……そんなのですね。実は私も」
「これはこれは、お二人とも随分と楽しそうですな。私も話に混ぜていただけますか?」
男は二人の顔色を伺うこともせず、ごく自然に話に割って入る。二人も特に疑わずに、それを受け入れる。しかし、あまり歓迎する空気ではない。
「まずは、自己紹介から。私はルーティック侯爵フリーク・マブロイと申します。以後お見知り置きを。それで、そちらは……」
男は隣の女性に視線を移す。
「こ、これはルーティック侯爵お初にお目にかかります。私はフルトン侯爵家次女パクス・アンナと申します。お目にかかれて光栄ですわ」
アンナは身につけたドレスを軽くつまみ頭を下げた。
「おお、これはフルトン侯爵家の娘様。それにアンナ、実に良い名だ、きっと立派なご両親がつけられたのでしょう。いやぁ、私もお会い出来て大変嬉しいですとも。どうです、私と一つ踊っていただけませんかな? 決して恥は欠かせませんよ」
「……すみませんルーティック侯爵。実は既に決まった相手がおりますので、そのお誘いはお断りさせていただきます」
ルーティック侯爵は、ゆっくりと隣に立ちすくむ若い男性に視線を送る。
「おっと、失礼。まだ、お名前を聞いておりませんでしたな。それで、貴方は……」
「申し遅れました。私はフォックス伯爵ナルサ・マイトと申します。本日はお会いできて光栄ですルーティック侯爵」
「伯爵…… 確か、侯爵の一つ下だったような…… いえっ、これは失礼、独り言です。お気になさらず。しかし、まあ一緒に踊っていただけないのは残念ですが"伯爵"の爵位を持つ立派なお相手がいるのなら仕方ありませんね。では私はこのへんで」
ルーティック侯爵はフォックス伯爵に睨みを効かせると、少しの笑みと共に、その場を後にする。不穏な空気感から二人も場所を移した。
「まったく…… これだから爵位の優劣も理解出来ない次女は嫌いなんだ。侯爵の私より伯爵を取るなど、よっぽどまともな教育を受けていないのだろう。いや、そうに違いない、でなければ私があんな男に負けるわけがないのだからな。いやぁ、まったく危ないところだった。危うく我がルーティック侯爵の爵位に傷をつけてしまうところであった」
ルーティック侯爵は近くを通ったメイドからワイン入りのグラスを強奪すると、何食わぬ顔で次の獲物に視線を向ける。
「はじめましてお嬢様。私はルーティック侯爵フリーク・マブロイと申します。どうでしょう、お一人の様ですが"侯爵"の私と一つ踊ってはいただけませんか。もちろん、恥はかかせませんよ。あっ、すみませんまだお名前を伺っていませんでしたね」
ルーティック侯爵は一人の若い女性に詰め寄る。しかし、女性は「すみません」と言い愛想笑いを浮かべると颯爽と、その場を立ち去った。避けられている……
「なるほど。無理もないか。侯爵である私を目に入れられるだけでも光栄だというのに話しかけられたともなれば怖気付くのも無理ない。まったく困ったものだ」
ルーティック侯爵は、ここまで誰にも話かけられなかった理由を独自に解釈する。しばらくすると、会場内が一瞬静まり返る。宮廷の正門から複数の護衛とともに入場する大柄な男。その男に視線が集中する。
「チッ まだ、来ておらんか。わざわざワレが早く来てやったというのに、もったいぶりよって…… おい! 早くワレに何か飲むものを持ってこい」
その独特な空気感、身だしなみ、そして良く肥った腹。誰しもが一目でぺテック公爵であることに気がつく。爵位の最上位に位置する公爵を前に会場が騒めきだす。
「これは、ぺテック公爵。また、お会いできて光栄です。覚えていますか? 私ですルーティック侯爵です。以前何度かパーティーに招待いただいた者です。まさか、ここでまたお目にかかれるとは感激のあまり倒れてしまいそうです」
ルーティック侯爵は周りの目を気に留めず、我先にとぺテック公爵の前に出る。
「ああ、ルーティック侯爵か。ワレに何の用だ」
「いやぁ、実はぺテック公爵が、あの皇帝陛下の娘リアナ皇女と一度と言わず二度も、お見合いしたとお聞きしまして。ああ、流石は"公爵"の爵位を持つお方だ。きっと次期皇帝はぺテック公爵に……」
「ほう。ルーティック侯爵、貴様ワレをからかいにわざわざわ出迎えてくれたのか? まったく大きな口が叩ける様になったものだなルーティック侯爵」
ぺテック公爵は持っていたグラスを握りしめ、ルーティック侯爵に詰め寄る。その姿は、まるで動く巨壁の如く、ルーティック侯爵を影が包み込む。