第四十四幕
しばらく歩くと、部屋の扉が目に入る。姫は、扉に近寄ると、一つノックをした。
「はい。こちら、リアナ皇女のお部屋になります。御用件は?」
扉の向こうから若い女性の声が聞こえる。おそらく、アロッサの声だと思う。
「私よ。開けてもらえる?」
「…………」
なぜか、返答が無い。姫は、再びノックをすると扉に問いかけた。
「私よ! 開けて!」
「あっ…… えっと…… では…… 八の二乗はいくつですか?」
「…………ハァッ?」
アロッサは、突如、姫を試すかの様に問いかけた。姫は、突然のことに首を傾げる。算術の問題かしら? もしかして、本人確認のつもり?
「ねぇ。いちいち、時間を取らせないで。そんなことしなくても声を聞けば誰だか分かるでしょ? 早く開けなさい」
「…………分からない、ということでよろしいでしょうか?」
もはや、失うものが無いのだろう。アロッサは、まるで忖度をしなかった。何この人、私の顔が見えないからって随分と言ってくれるじゃない。姫は、腕を組むと、その場に仁王立ちする様に振る舞った。
「分からなかったら何?」
"ガチャッ"
すると、突然一人でに扉が開いた。若い女は、優しく微笑むように応えた。
「リアナ皇女。どうぞ、中へお入り下さい」
「ちょっと待って。なんで開けたの? ねぇ、今なんで開けたの? 本人確認は?」
どうやら、本人確認は済んだらしい。姫は、不貞腐れた表情で、部屋の中へと入っていった。舐めんな。
「お帰りなさいませ、お姉様ッ!」
ご令嬢は、姫の姿を見るや否や、満面の笑みで手を握った。辺りを見渡せば、ミリアにレナード中将、そして一人のメイドが、こちらに視線を向けているのが分かる。
「お姉様? どうされました?」
「ねぇ。何その服? 凄い見覚えがあるんだけど、何で貴方が着てるの?」
姫は、そう言うとミリアに視線を移した。
「申し訳ありませんリアナ様。どうしてもミーシャ様がリアナ様の服を、お召しになりたいと、仰るものだったので古着だけでもと思いまして…………」
ミリアは、深々と頭を下げた。よく見れば、ご令嬢が身にまとっていた服が、昔姫が着ていた古着であったのが分かる。
「ふーーん。別に良いけど。あんまり、人の物を勝手に漁ったりしないでよ。で? 算術の勉強は、終わったの?」
「ハイッ! もちろんです。皆さんにも褒めていただけました」
ご令嬢は、そう言うと満面の笑みを見せた。
「ふーーん。良かったじゃない。でも、ここの使用人達は、よく大袈裟に褒めたりしてくるから、あんまり間に受けない方が良いわよ? それで、実際はどうだったのミリ…… ミリア!?」
ミリアは、目元を抑えると染み染みと応えた。
「はい………… 千年に一人の逸材かと」
「貴方、それ私にも言ってなかった? で、何がそんなに凄いのかしら」
「はい。僅か一時間足らずで指数関数の概念を理解されてしまいました」
「ふーーん。それで? それの何が凄いの?」
「リアナ様は三ヶ月かかりました…………」
「ところで、ミーシャ? 貴方、語学は得意かしら?」
「エッ?」
姫は、ミリアの言葉を遮るように尋ねた。
「語学ですか? うーーん。申し訳ありません、お姉様。ミーシャは、あまり語学は得意では無くて………… まだ、八カ国語程しか習得しておりません」
ご令嬢は、何故か申し訳なさそうに応えた。
「ミーシャ様…… あの若さで八カ国語も……」
「リアナ皇女は三ッ…………」
「ところで貴方、地理学は得意かしら?」
姫は、二人の専属メイドの言葉を遮ると、ご令嬢に食い付く。
「えっ………… いや、その………… まだ、地理学は習っておりませんので何とも言えませんが…………」
「ふーーん。まだまだね。もっと頑張った方が良いんじゃない?」
姫は、ニヤリと笑みを浮かべた。
「しかし、リアナ皇女は、地理学は未修だったはず…………」
「リアナ様! 先程からオルディボ様が、遅れているようですが、何か用事でも?」
ミリアは、どこか不安気に尋ねた。
「ああ…… 少しね。お父様と一緒にいるわ」
「そうですか…………」
"トンッ トンッ"
誰かが、扉を叩く音がした。
「ルカです。紅茶の準備が出来ましたので、お届けに参りました」
扉の向こうから、ルカという若い女性の声が聞こえた。側にいたアロッサが尽かさず扉に駆け寄ると、何の迷いもなくドアノブに手を掛けた。
「ねぇ、本人確認はしなくて良いの?」
「えっ? 声を聞けば本人か、どうかなんて、すぐに分かりますよ?」
アロッサは、部屋の扉を開けた。もう、クビで良いかしら?
「あっ! リアナ皇女も、おられたんですね。念の為、多めに持ってきて良かったです。もう時期、昼食の準備も済みますので、今しばらく、お待ち下さい。どうぞ皆様、お好きに持って行って下さいね」
ルカが、持ってきたお盆の上には、使用人達の分まで紅茶の入ったティーカップが用意されていた。姫が、ティーカップを一つ手に取ると、ご令嬢、使用人と続いて皆、手を伸ばした。
「レナード中将? 飲まないのですか?」
ルカは、壁に、もたれ掛かる中将の下へ紅茶を届けた。
「そこに置いといてくれ。熱いのは、あまり得意じゃない。後で飲んでおく」
「……分かりました。ここに、置いておきますね。残さないで下さいよ?」
ルカは、そう言うと優しく微笑みながらテーブルの上にティーカップを置いた。




