第四十三幕
「はぁ………… はぁ…………」
姫は、必死に呼吸を整えた。暗い廊下の下、一つの扉を前に、抱きしめた本を固く握る。戻って来た………… また………… ここに…………
姫は、顔を強張らせる。そっと、扉に手の平を合わせ力を入れた。
「嘘…… 開かない……」
その扉は、まるで、姫を拒絶するかの如くビクとも動かなかった。なんで、前は空いてたのに。…………どうしよう。姫は、扉の鍵穴に視線を向けた。
「鍵………… なんでよ………… せっかく、ここまで来たのに。前は鍵なんてかかってなかったのに………… また、全部やり直し? 最悪…………」
姫は、拳を握りしめると、深々と呼吸を整えた。大丈夫。大丈夫。また、チャンスは必ずくるから。少しでも、私が持っていた証拠は消さないといけない。仕方ない、また本をどこかに隠して、一旦やり過ごすしか…………
"トンッ"
姫は、思わず身体を膠着させた。階段を登る音………… いや、多分誰かが二階から三階に上がってるだけだと思う。音は姫の期待とは裏腹に次第に主張を強める。そもそも、この階に来る人なんて、お父様くらいしか…………
"トンッ トンッ"
音は、着実に距離を詰める。どうしよう…………
見つかる………… 姫は、必死に辺りを見渡す。早朝なこともあり辺りは見渡せるほどに明るい。しかし、視界に映るのは行き止まりの壁と、一つの扉だけ。三階と四階を繋ぐ道が中央の階段一つだけだと知った。
「終わったの? 私…………」
姫は、息を殺した。本を背後に隠し、後退りをする。次第に足に力が入らなくなる。どうなるの? 見つかったらどうなる? 謝れば済む? 中は見てないことにすれば見逃してくれる? 命は助かる? …………お父様。
姫は、瞳を閉じると、静かに、その場に崩れ落ちた。
「…………リアナ?」
聞き覚えのある肉声。姫は、恐る恐る目を開けた。
「……………………お母様。」
「なんで、こんな所にいるの?」
皇后は、辺りを警戒すると、何処か焦った様に、そばに寄った。姫と視線を合わせるため、しゃがみ込む皇后。姫は、無言を貫いた。
「静かにね。…………なんで来たの? あれほど来ては駄目だと言ったのに。お父様に見つかったら大変ですよ?」
「…………」
姫は、何も応えなかった。皇后は、不思議そうに、じっと視線を合わせる。バレてない? でも、こんな大きい本、隠し通せるわけない。ちょっと、でも動いたり、覗き込まれたらすぐに…… いや。
「リアナ? 大丈夫だから。そんな顔しないで。私が着いてるから」
姫は、悲壮な表情を見せると視線を落とした。この人なら…………
「とりあえず、下の階に行きますよ。ここには、誰も来ないはずだから下に戻ったら私に着いて来てくださっ…………」
皇后は、言葉を詰まらせた。腰を上げ背後を確認した時、突如と身体が圧迫される感覚に陥る。視線を落とすと良く知る顔が目と鼻の先にまで迫っていた。
「リアナ?」
「…………ごめんなさい。どうか、お許しください、お母様。一時の好奇心だったんです………… どうしても気になってしまって………… 駄目だとは、分かっていました………… でも…………」
姫は、皇后に抱きついたまま声を震わせた。僅かに涙を浮かべ、皇后の表情をじっと見つめる。皇后は、突然の事に驚きを隠せない。
「大丈夫。私が着いてます。お父様には内緒にしておきますから、安心して。女同士の約束ですからね?」
皇后は、寛大な心で姫を優しく諭した。
"騙せる!"
姫は、絶対にバレまいと皇后の背後に隠した本を強く握りしめる。この位置なら、絶対にバレない。お母様が一緒なら私がここにいる所を誰かに見られたとしても怪しまれる心配もない。
「ありがとう、お母様。でも、こんな顔、誰にも見せたくありません。どうか、しばらくこのままでいさせてください。お願いします…………」
「もちろん構いませんよ。…………ただ、少し時間がかかるかもしれませんから一応、伝えておきますね。喋ったりしてはいけませんよ。聞かれると大変ですから」
皇后は、そう言うと不意に一つの鍵を取り出した。伝える? 何を? 誰に?
"ガチャッ"
皇后は、何の躊躇いもなく、その扉を開けた。姫は、急いで体勢を変えると本を死角に置き、息を殺した。
「…………あなた? …………ちょっと良いかしら?」
「ノックは?」
僅かに光が差し込む、扉の向こうから、その肉声は響いた。よく聞き慣れた声。聞き間違えるはずがない…………
「扉を開ける前には、必ずノックをしろと何度言った?」
「ああ………… そうでしたね。ごめんなさい」
皇后は、扉の向こうに存在する声の主と話を始めた。まるで動じない皇后の腕を目一杯に握る。話の内容が、全く頭に入らない。姫は、固唾を飲んだ。
「…………それと。リアナに伝えておいてくれ。あまり、勝手なことはするなとな。リアナには無事に、18の誕生日を迎えてほしい」
声の主は、穏やかな口調で、そう言ってみせた。分からない………… 何が本心で何が嘘なのか…………
姫は、視線を落とすと、部屋の中からやって来たであろう一つの弾丸が視界に入った。
でも、今の言葉に嘘は無いと思う。きっと、心の底から願ってるんだと思う。まだ、死んでは困るってね。
「…………ええ。伝えておきます」
皇后は、ゆっくりと扉を閉じた。
「さあ、行きましょう………… リアナ」
姫は、再び皇后に抱きつくと、不敵にも笑みを浮かべた。
「はいっ。お母様…………」
囁くように応えた。




