第三十九幕
「別に聞かれる程のことでも無いわ。ただこの本を返したくて来ただけよ。鍵なら、既にお父様から預かってます。他に聞きたいことは?」
姫は、僅かに瞳を鋭くさせると挑発的な態度を見せた。
「オルディボ閣下が見当たらないようですが、いかがなさいましたか?」
「ああ、オルディボなら、今は少し席を外してるわ。それが、どうかしたの?」
それを聞くや否や、大佐は被っていた帽子を手に取ると、埃でも払うような素振りを見せる。そのまま、じっとこちらを見つめる大佐。持っていた帽子を再び被ると、静かに口を開いた。
「なるほど………… では、ここから先の監視役は私ファル・ノワールが務めさせていただきます。お分かりだとは思いますが、図書館を出るまで決して私の視線から外れることが無いように、お願いします。では、御二方の入館を許可いたします」
大佐は、そう言うと入口の隅へと移動をした。姫は、大佐を横目に持っていた鍵束を取り出すと図書館の鍵だけを司書に手渡した。
「約束でしょ? しばらくは貴方が持ってて良いから、とりあえず開けてくれる?」
「おおっ! これは、流石は第一皇女! 何処ぞやの、なんたら大臣とは、大違いだ。まあ、見ておれ、すぐに開けてやる」
司書は、晴々とした態度で鍵を通した。カチッ、という大きな音が響くと、司書は大門に手のひらを当てると、押し込むように勢いをつけた。
「な、なんだ全然開かないぞ、この扉! オイっ! 貴様、我が図書館の扉に何か小細工しよったな? 反逆行為だと知らんのか!」
司書は、突如と激昂した。
「今すぐに…………」
「…………引きです」
「ハアッ?」
「…………引きです。ララサ大公妃」
大佐は、優しく諭すように答えた。司書は、静かに扉の取手に手を掛けると、そっと扉を開けた。
「おーー。そうだったか、そうだったか。久しぶりに開けるもんだから忘れておったわ。すまんかったな、若いの! ほれ、リアナ皇女よ。我が図書館へ、ようこそ。入るが良い」
司書は、意気揚々とこちらへ笑みを見せた。扉すら、まともに開けられなかったのに、良くもまあ"我が図書館"などと言えたものだ。もう、侮辱罪か何かで捕まえた方が良いと思う。
「リアナ皇女。一つ、お伺いしたい事があります」
大佐は、そう言うと姫の下へと近寄る。姫は、それを確認すると、持っていた本を大佐の死角に置いた。
「何? 手短にお願い」
姫が応えると、大佐は意外にも無言の姿勢を見せた。何を考えているのか姫の手元を、じっと見つめた。しばらくすると、何事もなかったかのように、口を開いた。
「…………失礼。不要な心配でした。前言撤回致します。先へ参りましょう」
「そう? なら良いけど…………」
「ほれっ! 早く入られよ、リアナ皇女! 一国の皇女を差し置いて、私が先に入るわけにはいかんからな」
そう言うと、司書は今にも身を乗り出しそうな勢いで、こちらを見つめていた。よく見れば、既に片足を突っ込んでいるようにも見える。気のせいだろう。
姫は、凛々しい態度で図書館に入る。
「おーー! 恋しかったぞ我がオアシスよッ! 偶には神とやらに祈るのも悪くわ無いな。ほれ、リアナ皇女よ。すまんが、私は仕事が山ほど溜まっとるからな。用があれば来てくれて」
司書は、つかさず中央のカウンターに腰を下ろすと、散乱した紙を一つ手に取る。
視界に広がる無数の書物。司書のいるカウンターを中心に、四方八方に建てられた本棚が視界を遮る。それは、目的の本を肉眼で探せる域を遥かに超えていた。
「いかがなさいましたかリアナ皇女。先へ行かれないのですか?」
「大丈夫。少し思い耽っていただけだから」
姫は、ゆっくりとした趣でカウンターの側まで向かった。司書は、急がんと言わんばかりの表情で、羽ペンを踊らせた。
「本の返却なら、そこに置いといてくれるだけで良いぞ。後で見とくからな」
「そう? ただ、もう少しだけ見たい本もあるし、後にするわ」
姫は、特に理由も無く、並べられた本棚の周りをぐるぐると回った。わざとらしく、本を手に取ると一頻りに目を通す。
一つ、例の本が何処にあるか聞き出すこと。二つ、本の内容を知られないこと。三つ、その本を誰にも見つかること無く持ち出すこと…………
姫は、持っていた本を閉じると静かに棚に戻した。問題は、この男ね。あれだけハキハキと動いているララサには全く興味を示そうとしない。まるで、最初から私だけが観察対象だったみたいに。大佐は、姫の後を静かに見守る。
「ねぇ、ララサ。一つ気になったんだけど、貴方ここにある本全部読んだの?」
「ほ? 私がか? 逆に聞くが、全部読んだと思うか? ここには三万冊近くもあるんだぞ?」
「さあ。司書なんだから、そのぐらいはやってると思ったから聞いたの」
司書は、ため息を吐くと、指を三本立てた。
「…………私が、これまで読んだ本の数だ」
「そう…………」
姫は、分かりやすく顔を引き攣った。良かった、予想通りだった。この女、まったく本の中身を確認していない。
「そう言えば、今日オルディボが何冊か本を返しに来ていたと思うんだけど、その本はまだあるかしら?」
「ああ。あの本か。それなら、ここにあるぞ。ほれっ これが、どうかしたのか?」
司書は、カウンターの上に、何冊かの本を積むと、コチラをじっと見つめた。
「ありがとう…………」
姫は、静かに本の山を見つめた。あった…………
他の本達が皆同じ様な柄をしているおかげか特別目立ってはいないけれど、確かに一番下にそれがある。何度も見たから間違えるはずがない。




