第三十八幕
突如、背後から響き渡る肉声。三人の視線が一斉に階段付近へと集中する。
「オルディボ閣下。急ぎの要件だ。我々に着いてきてくれ」
男は、階段から登りながら淡々と話を進める。背後には、いくつかの兵士が、列を成しその後を追う。
「デグラ海軍大将………… これは、いったい何の要件だ? 今日は面談の申し入れなどは無かったはずだ」
「急用だと言ったはずだ。先程決まった」
大将は、堂々とした態度を崩すことなく言い切った。
「ねえ、申し訳ないんだけど、オルディボは私の…………」
突如、姫の言葉を遮るかのように、護衛が手を突き出した。まるで、姫に関わるなと言わんばかりの態度を見せる。
「失礼。デグラ海軍大将。おそらく、何らかの非常事態を知らせに来たのだと思われるが、昼過ぎに回してくれ。見ての通り、姫様の護衛中だ。それに、これは皇帝陛下直々の命令でもある。残念ながら、この場を離れることは出来ない。昼食の時に時間をとり……」
「"その皇帝陛下が、お呼びだ"」
大将の肉声が宮廷内に響き渡る。その返答に、男は言葉を詰まらせた。ただ、一心不乱に大将を見つめる。
「陛下は、何と仰っていた…………」
「そうだな。オルディボ閣下を下の接待室へ連れて来るように、とだけ言っておった。まあ、好きにすれば良いさ。ワシらには、御主を強制的に連行する力は無いからな。来たければ着いて来い。行くぞ」
大将は、そう言い残すと、ゆっくりと廊下の真ん中を歩いて行った。男は、何か思い詰める点があるのか、じっとその場に居座った。大丈夫…… 大丈夫…… 姫は、僅かな希望を胸に言葉を発する。
「ねぇ、オルディボ…………」
「ララサ。しばらくの間、姫様を頼む。決して目を離すな。すぐに戻る」
男は、視線を戻すことも無く、大将の跡を追うように足を動かした。
「ちょっと、オルディボ…………」
「ありゃま、行ってしまったな」
司書は、意外にも冷静な態度を見せる。まずい。どうしよう。オルディボが、いない以上このまま図書館に行っても上手く行く気がしない。戻るまで待つ? いや、ミーシャの勉強が終わるまでに間に合う?
姫は、分かりやすく動揺した様子を見せる。
「いやー、懐かしいのぅ。最近はめっきり無くなったと、思っておったが。変わらないものだな」
「…………何の話?」
姫は、僅かに不機嫌な態度で問いかける。
「いや、昔は良くオルディボ殿も皇帝陛下に、こき使われておったと、思ってな。はて、アレも、もう二十年近く前のことになるのか? 時の流れとは早いものだな。うーー 恐ろしい、恐ろしい」
司書は、あからさまに同様するフリを見せる。
「ふーーん。そう。二十年前………… まだ、私生まれてないんだけど」
「ああ、そうだったな。失敬失敬、忘れてもらってかまわんぞ」
姫は、じっと司書の顔を見つめると、思わず口を開いた。
「ねえ。そう言えば、ずっと気になってたんだけど、あなた歳はいくつなの?」
「ハッ? 私か? 26だぞ。それが、どうかしたのか?」
司書は、眼鏡のピントが合わないのか、黙々と視野の調整を行う。
「ふーーん。そう。30くらいだと、思ってた。以外と若いのね」
「はぁ………… まったく。なんたる事を言うか。これだから、17になっても相手の一人も見つけられんのだぞ?」
司書は、口を滑らしたのか大胆なことを言ってみせた。
「あら、言うじゃない。でも、私26にもなって全く同じ状況にいる人を知っているのだけど。相手の一人くらい紹介してあげた方が良いかしら? ペテック公爵なんていかが? 素敵な方よ?」
姫は、口角を上げるとワザとらしく嫌味を言った。
「ああ、ペテック公爵か。一度だけ見合いに来たことならあるぞ。確か、もう十年も前だったかな? まあ、それほど悪い人でも無かったがな〜」
「…………正気?」
姫は、青ざめた表情を見せる。
「ああ。スラっとして、それなりに顔も整っておったしな。ただ、挨拶も前に、いきなり手を掴んできおったからな、思わず顔面を引っ叩いてしまった。防衛のつもりだったのだがな、気づけば私が押さえられていた。うーーん。今思えば、あの日を境に見合いの話も、めっきりこなくなったな〜」
「馬鹿じゃないの? いくら立場が上だからって、公爵に手を挙げるなんて正気じゃないわよ」
「そうか? しかしな、リアナ皇女。世の中には、その公爵に対して二階の窓から飛び降りるよう諭した皇族もおるらしいからな。一概に、そうとは言い切れないと思うぞ? いや〜 下手すれば死んでしまう高さだというのに、大怪我は免れんぞ。ひーー 恐ろしい…………」
司書が、そう応えると姫は、しばらく考えた後ゆっくりと図書館の方へと、静かに足を進めた。一瞬、司書の方を振り返る姫。その表情に僅かな笑みを浮かべた。
「そんな怪我の心配なんて、しなくても大丈夫よ。"ここは三階だから"」
「ヒィーーーーっ!」
司書は、怯えながらも図書館へと向かう姫の後ろを、恐る恐る付いて行く。しばらく、歩くと図書館の入口に佇む一人の兵士が目に留まる。兵士は、銃を背にかけたまま、こちらの様子を注意深く観察する。
「止まって下さい、リアナ皇女。帝国陸軍大佐ファル・ノワール、本日より帝立国会図書館の警備の命を受けております。要件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
大佐は、二人の大貴族を前にしながらも、まるで日課の作業でも、こなしているかの様に淡々と話を始めた。
 




