第三十四幕
「すまないシスター・リリー。騒がせた。間もなく礼拝の時間かと思います。準備を頼いします」
護衛の男は、そう言い放つと中へと入っていった。その後に続くように姫、ご令嬢、中将の順に入室する。どこに座ろうかと幾つも並べられた長椅子に目をやると、一人先客がいることに気がつく。
「オルディボさん。アレはどなたなんですか? 初めてお目にかかるのですが……」
「ああ…………」
ご令嬢の問いかけに素っ気なく応える男。先客に視線を向けたまましばらく考える素振りを見せると、男は先客に詰め寄った。
「おい。こんな所で何してるんだララサ……」
男がそう呼びかけると、青い長髪に隠れていた表情が姿を現す。先客の女は顔を上げると、メガネ越しにも分かるほどにウルウルと瞳を泳がせていた。
「オ、オルディボ殿…… こ、こんな所で何をされておるのだ……」
「それは今、俺が聞いた。お前、無教徒だろ? 本当に何しに来たんだ。図書館の管理はどうしたんだ?」
「聞いておくれオルディボ殿!」
司書は、男の袖を掴むと、今にも泣き崩れそうな態度で話を進めた。
「あの後…… オルディボ殿が帰られた後、私がいつも通り仕事をしておったら、いきなり下等な兵士どもが令状を持って私を叩き起こしてきたのだ! しばらくの間、図書館を閉鎖するとな…… こんなものは不当だ! そうは思わんか?」
司書は遂に力尽きたのか地面に崩ずれるように倒れた。仕事をしていたのに叩き起こされた…… 妙だな。
「皇帝陛下が宮殿内に滞在されている以上、多くの貴族が謁見に来られる。図書館には多くの宮殿内にまつわる機密書物があるからな。こういった時は、その保護のために図書館を閉鎖するのはよくあることだ。しばらく耐えてくれ」
男は冷静に言ってみせた。図書館が閉鎖されてる? これは、ちょっとまずい事になったわね……
「おや、これはこれはリアナ皇女。お久しぶりですな〜 元気にしておられたか? 最近、体調が優れないと聞いてな。無理は禁物ですぞ〜」
司書は、とてつもない程の切り替え力をみせた。
「気遣いありがとう。問題ないわ」
「そうか、そうか。それは良かった。あんな、本を読んでまた体調を崩されたのではないかと心配しておった。……ん? はて、隣にいるちっこいのはどなたであったかな?」
司書は、男の影から顔を出すと、ご令嬢をじっと睨みつけた。
「おや! さては、噂をすればと言うやつだな? ま〜〜た、何処の馬の骨ともしれん貴族どもがノコノコと来よって! ここは皇帝陛下のお住まいであるぞ。少しは武を弁えろ痴れ者ッ!」
司書は、僅かに興奮した態度を見せると、ご令嬢を指差した。その、恐れを知らない態度に、もはや敬意すら覚える。
対して、ご令嬢は驚くほど平然とした態度で表情一つ変えることなく、無言で司書をじっと観察していた。
「ああ…… すまなかった。紹介が遅れた。こちらは、我らがディグニス帝国皇位継承権第二位ミラノ・ミーシャ様だ。失礼の無いように頼む」
「第………… 二位…………」
司書は、ゆったりとレンズのピントを合わせた。
「はぁ………… そうかそうか。そうであったか………… いやいや、皇族であったか………… 失敬。それは………… それは………… 本当に、すまんかったな………… ハハっ………… ハっ………… 自害しよう」
司書は、不気味にも優しく微笑んだ。
「物騒な事を言うなララサ。お前には、死ぬまで働いてもらうからな。さあ、ここにいても邪魔だ。座ろう。姫様は私の隣で……」
「ねぇ…………」
突如、男の話を遮るかのように、ご令嬢が口を挟む。ご令嬢は、未だ表情を一つ変えることなく淡々と応えた。
「ミーシャ様?」
「あの。どうして皆さん、そんな冷静でいられるのですか? 先程、その方は私に対して痴れ者と宣いましたよ? 明らかな侮辱行為ではなくて?」
そう言うと、ご令嬢は司書の元へと近寄る。
「いや〜〜 その件は本当にすまんかった。ここは一つ…………」
「貴方、爵位は?」
ご令嬢は、司書の話を断つと、眼を大きく見開いた。
「しゃ、爵位? ああ。無いぞ。私は爵位など持っとらんよ。それがどうした?」
「……………………はぁ?」
ご令嬢は、思わず呆気に取られた。
「訳がわかりません………… 爵位すら持たないというのに、なぜ貴方はそこに立っていられるのですか………… 今すぐにでも不敬罪で処分されるべきではなくて? レナード、どうなっているのですか?」
声のトーンが更に低くなる。この子、こんな感じだったかしら? 昔は、もっと人当たりが良かったと思うんだけど。
「えっ? えっ? 私、殺されるのか?」
「少し、黙ってなさい」
ご令嬢は、冷え切った態度で応えた。
「なるほど。失礼ですが、ミーシャ様。不敬罪とは、ご自身よりも地位の低い者にしか適用されないのが原則です」
中将が、そう言ってみせると、ご令嬢はわかりやすく驚いてみせた。




