三十一幕
「……そうか。分かった。詳しい事は後から聞こう」
そう言うと、皇帝は静かに目を閉じた。暗殺において、一番厄介なのは、部外者が近くにいること。暗殺は出来る限り他人に、その現場を目撃されてはならない。
その点、お父様がアロッサの存在を知らなかったのは好都合だったと思う。万一に備えて、アロッサを早朝からミーシャの側に付けておいた。いくら、宮廷内が兵士で溢れているとはいえ、アロッサの前で暗殺なんて出来るわけがない。
「それにしても、考えることが似ているなリアナ。今日から、しばらくの間ミーシャの護衛を任せてある。レナード中将だ。覚えておいてくれ」
その時、大門右側に控えていた中将が敬礼の姿勢を見せた。……なるほど、監視役ってわけね。いや、実行役の可能性もある。だとしたら、レナードが秘密警察ってことになりそうだけど……
「お姉様、隣失礼しますね。ところで、具合はいかがですか? 突然、体調を崩されたみたいでしたので心配になりましたよ」
「別に…… ちょっと疲れが溜まってただけ。貴方こそ、昨日着いたばかりなのに、良くそんな元気でいられたわね。それに、ご両親はどうしたの? まだ来てないみたいだけど……」
「えっ? …………来ませんよ。誰も」
ミーシャは平然と言ってみせた。その時、皇帝が皿に盛られた果実に手をかけると一粒口に入れた。続くように皇后も果実に手をかける。両親が不在なのは想定外だけど、とりあえずミーシャの側から離れさえしなければ大丈夫そうね……
姫は、初めから手前に置かれていたマカロンを一つ手に取る。
「ミーシャ様、約束の品をお持ちしました」
男が言った。男は真っ白なコークフードを身にまとい。皿を一つ手に持つ。見るからに、シェフであることは確かだ。しかし、男の顔に見覚えがない。
シェフは、ご令嬢の前に、その皿を置いた。
「そうだ、ミーシャ。今日は特別に、お前の為にカターグ地方のジャムを用意した。故郷の味だ。味わってくれ」
皇帝は諭すように言った。よく見れば、皿の上には一切れのパンと、瓶に詰められた赤いジャムが添えられていた。ご令嬢は、瞳を輝かせながら、それを直視した。姫は視線を向けたまま、摘んだマカロンをゆっくりと口元に近づける。お父様がミーシャの為にわざわざ……
「お姉様…………? どうされました?」
姫の手が、自然と止まる。心配そうに、それを見つめるご令嬢。あれ? なんで、ミーシャにだけジャムが渡されるの?
シェフは、ミーシャの分しかジャムを持っていなかった。無言で立ち去るシェフの男。
まって…… まって…… もし、もし仮にジャムに毒が入っていたなら、どうなる?
あのシェフ。今日のためにわざわざ派遣された? だとしたら、そんな怪しい奴なら毒を盛った罪をなすりつけることだって可能なんじゃ……
「どうしたリアナ? 食べないのか? お前が食べないとミーシャが手をつけられないだろ。…………それとも何か悩み事か?」
皇帝は、落ち着いた態度で姫に言い放った。
「そうですよリアナ。早く食べなさい」
皇后も、続くように述べた。その口調にいつもとの変化は感じられない。考え過ぎ…… かな? それに、こんな白昼堂々と出来るものなの? そんな簡単に、罪から逃れられるものかしら? いや、そもそも………… 誰が、お父様を裁けるの?
姫は、手に持ったマカロンを、そっと皿の上に戻した。周りの視線が一斉に姫に集まる。
「ねぇ、ミーシャ………… 悪いんだけど、それ貰っても良い?」
「えっ? それって………… このジャムのことですか? でも、お姉様ジャムは嫌いだって前に言ってたじゃないですか」
突然の提案に、戸惑いを隠せないご令嬢。
「貴方の地元産なら、ちょっと興味があるから食べてみたいのよね。大丈夫。代わりに私のマカロンをあげるから、良いでしょ?」
ご令嬢が不満そうに見つめる中、姫は優しく微笑んだ。そうよ、相手は国そのものなのよ。この宮廷内にいるうちは、常にお父様の掌の中にあると考えた方が良い。少しでも、可能性があるなら確実に潰さなければならない。
「ごめんなさいねミーシャ。お父様、もちろんお皿を変えても別にかまいませッ……」
「かまわない。パルロ、すぐに二人の皿を変えてやれ」
皇帝は、姫の言葉を遮る様に即答する。すると、背後に控えていた、パルロという先ほどのシェフが姫達に詰め寄る。シェフは、無言で皿を取り替える。
嘘…… 毒が入っていたら私が死ぬのよ? 良いの? お父様?
皇帝は、手を止めると視線をご令嬢に移した。
「すまないなミーシャ。うちの娘は、優柔不断でな。気分の移り変わりが激しいんだ。しかし、安心してくれ。今日、リアナの為に用意したマカロンは、このカターグ地方から派遣したパルロシェフが"特別に"仕上げた品だ。きっと口に合うさ…… ミーシャ……」
皇帝は、頬杖を付き優しく笑みを浮かべた。じっと、視線を逸らすこと無く、ご令嬢をただ一心不乱に見詰める。それは、まるで我が子を見守る善良な父親のように。
え………… あのシェフが作ったのはミーシャのじゃなくて私の方だったの? 確かに、あのシェフがジャムを作ったなんて誰も言ってない。てことは……
姫の視線が、山盛りに盛られたマカロンに集中する。見えないはずの邪気が、マカロンから漂って見えた。




