二十二幕
——姫は腹部ら辺を強く抑えると、階段を急ぐ様に駆け上がった。今はお父様もお母様も、教会の人達の相手をしていて手が空けられない状態にある。兵士達も護衛で精一杯。この本を元の部屋に戻すなら今しかない。このチャンスを逃したら次はもう無いかもしれない。姫は険しい表情を浮かべる。
三階へ到着すると、姫は迷うことなく、次の階を目指す。
「イッッタッ!」姫は強く尻もちを付いた。何か壁にでも当たったのか、急ぐあまり前方への注意が疎かになっていた。
「リアナ皇女! 申し訳ありません。お怪我はございませんか?」
男の声だった。男は持っていた銃を床に置くと、姫に手を差し伸べる。
「レナード? ご、ごめんなさい! 私の不注意です。そちらこそ、お怪我はありませんか?」
姫は、中将の心配をするそぶりを見せながらも、腹部を摩る素振りを見せる。大丈夫、まだある…… 姫は中将の手を借りながら、身体を起こす。
「いえいえ。私がもっと早く気づいていれば、こんな事には……」
「別に良いわよ……」
姫は何処か落ち着かない様子で上の回を見つめる。
「ごめんなさい。時間を取らせたわね。私は少し上の階に用事が有りますので、この辺りで……ッ!」
すると再び、壁が姫の行くへを塞ぐ。
「まだ………… 何か要でも有りまして?」
姫はトーンを一つ下げた。
「……申し訳ありませんが、これより先へは、お通し出来ません。どうか、引き返して下さい」中将は真剣な眼差しで応えた。
「ごめんなさい。貴方が何を言っているのか分かりませんが、そこを退いていただけません? 邪魔ですよ?」
中将は微動だにしない。僅かな間が過ぎると、中将はポケットから一つの紙を取り出す。中将はそれを読み上げるわけでもなく、姫に手渡す。
「何よ………… コレ」
「勅令です。それも、皇帝陛下直々のものです。内容を要約しますと、本日から皇帝陛下及び皇后陛下以外の者が四階へと上がることを禁止するというものです。期限の記載はありませんので、勅令の効力がなくなるまでの一週間が期限となります。おそらく、陛下の私物が再び盗まれないための処置でしょう」
姫は、その場に立ちすくむ。また、お父様…… 何か…… 何か…… 早く、何か……
「そう…………。それが、どうかしたの?」姫は平然と言ってみせた。
「どうか、したと言われましても…… その、何と言いますか……」
「ねぇ、レナード中将。もしかして貴方、法律には疎いのかしら? 知ってますか? 勅令はあくまで皇族の地位と権威を守るためにある制度でしてよ? だから、勅令では同じ皇族に罰を与えられませんの。もう、私が言いたいことは分かりまして?」
姫は満面の笑みで応える。
「しかし……」
「大丈夫ですよ。貴方は私に脅されただけ。私が勝手にやった事にしますから。そんなに心配しなくて良いですよ」
中将はあからさまに戸惑いの表情を見せる。あと、もう一押し…… 姫は中将の隙をつくように一段目の階段に足をかける。
「随分と大胆な事をなさるのですね。リアナ様」
姫が、瞬時に膠着する。背後から聞こえた、その声は毎日嫌というほど聞かされた、あの声色だった。そっと背後を振り向く。
「ミリヤ…… いつからいたの……?」
ミリヤは、壁にもたれながら腕を組んだ姿勢で、こちらを一点見つめる。
「いつからと言われましても。ずっといましたよ。部屋に行っても誰もいませんでしたので、誰か他の使用人、特にアロッサが来るまで、ずっとこうして待機しておりましたよ。まさか、姫様が一着で来るとは思ってもいませんでしたので正直に今更、姿勢を正すべきか悩んでいます」
ミリヤは、そう言いながら組んだ腕を解く。服の汚れを叩き、軽く一礼を済ませ、ゆっくりと距離をつめる。
「ところで、今何をしようと考えておられたのですか? 私の目には、リアナ皇女が皇帝陛下の勅令に自らの意思で違反しようとしているように見えましたが。杞憂でしょうか?」
今日のミリヤの視線はいつになく冷たく感じる。
「それは……」どうしよう。今、この事がお父様に伝わったら……
「その、何て言うか……」
「申し訳ありませんでした。リアナ皇女」突如、中将が口を開く。
「えっ…… 別に貴方は何も……」
「以前、リアナ皇女と交わした約束…… 何があろうともリアナ皇女が勅令を破ろうとした際には、全力で阻止するという約束。守ることが出来ませんでした……」
中将は何故か悔しそうに言ってみせた。何言ってるの、この人? 約束? そんな約束、した覚えなんて無いんだけど? そもそも、そんな約束するほど話したことも無いと思うんだけど? 姫が一人戸惑う中、ミリヤは目を光らせながら、その様子を伺う。まさか、私を庇ってくれてる?
「そ、そうよ。まったく…… 本当に使えないわね貴方。これが、お父様の前でだったらどうなっていたか。でも、よく耐えた方よ。その度胸に免じて今日は許してあげる。次は容赦しないから…… 良い?」
「ありがとうございます……」
中将がそう言うと、姫は何事もなかったかのように歩き始める。何やってるんだろう私…… 突如、姫の肩に掌が添えられる。
「何処に行くおつもりなんですか。私は許した覚えはありませんよリアナ皇女。なんですか今の小芝居。それにまた護衛も付けずにブラブラと…… オルディボはどうしたのですか? 心当たりがないようでしたら、部屋へお戻り下さい。私が探して参ります…… ところで、ずっと腹部を抑えておられますが、何か体調でも悪いのですか?」
ミリヤは覗き込むように、背を向けたままの姫に詰め寄る。
「いえ…… ただ、オルディボを下で待たせていたのを今思い出しました。今から呼んできます。ので、貴方は私の部屋で待ってなさい。すぐにオルディボと一緒に戻るから…… いいでしょ? 分かったなら離してもらえるかしら?」
姫は比較的、冷静な態度で応える。僅かな動揺を隠すようにミリヤに視線を向ける。一瞬、ミリヤは中将に視線を向けると、そっと手を離した。
「もうそろそろ会談の時間も終わっている頃だと思います。くれぐれも、一人でいるところを陛下に見られないよう気をつけてくださいね。ここでお待ちしています」
「分かってる……」姫は優しく応えた。
オルディボなら今頃、私を探しに図書館に向かったているはず。少なくとも、遠回りしたから簡単には見つからない。一度、図書館までの道中にある人気のない所にで本を隠して、それから……
「姫様?」
姫様……? 聞き馴染みのある声だった。階段の下から姿を見せた、その男に姫は悲愴の表情を見せる。ふざけないで……




