第二十七戦
「…………朝の支度が終わっておりません。また、伺います」
ミリアは、細々とした声で、応えた。しかし、その視線は中将をただ一心に捉える。
「あら、そう…… なら、待ってるわね……」
姫が、つぶやくとミリアはゆっくりとした足取りで、奥へと姿を消した。
「あ、あの…… 私は……」
完全に息を殺していたメイドのルカが、恐る恐る話を切り出す。
「さて…… ルカ、ミリアが戻って来るまで、しばらくリアナ皇女の手伝いをしてやってくれ。頼んだぞ」
「ま、待って下さいよ! わ、私、ただのメイドですよ? これじゃ、私も共犯になるじゃないですか! 断固拒否します! 私も捕まるかもですよ! それに、死んだお爺ちゃんが言ってました。勝ち馬にだけ乗れって!」
「あら、この子、随分と言ってくれるじゃない。……怖いの? それとも…… 私が負けると思っているのかしら?」
「"当たり前じゃないですか! 皇帝陛下に逆らうなんて、どうかしてますよ!"」
ルカの、何かに怯える様な表情を前に、姫は思わず眉を顰めた。
「それに、海軍の皆さんまで敵に回して………… 私なんて簡単に暗殺されちゃいますよ…… もういっそ、私を不敬罪か何かで投獄して下さい! そっちの方が、よっぽど安全ですよ……」
そう言うと、ルカは、その場に座り込み地面に尻をつけ、瞳を僅かに泳がせた。不敬罪の自覚があったのがせめてもの救いだと思う。
「ルカ…… 立て」
「嫌です…………」
「外に放り出すぞ」
「嫌です…………」
ルカは、重い腰を上げゆっくりと、立ち上がる。その表情は、どこか不満そうだった。
「そう不貞腐れるな。なにも、負けと決まったわけじゃない。そうですよね、リアナ皇女?」
「ええ………… そうね…………」
姫は、自身の二の腕を掴むと、静かに応えた。勝たなきゃいけない…… いや、そもそも私は何と戦っているんだろう。何に、勝てば良いんだろう…… 私に、何が出来るんだろう…… 姫の脳裏に皇后の顔が浮かび上がる。
「…………約二十年前。皇帝陛下が、まだ18の時、陛下は自らの手で、当時の帝国君主であった母親を…… "殺めました"」
僅かに空気がどよめいた。
「えっ………… 今…… 何て……?」
「リアナ皇女、貴方の祖母を殺めたのは、他ならない父の皇帝陛下です。公には、急死とされておりますが、その実態は違う」
「待って…… 何を言っているの? 何で貴方がそんなこと……」
「この目で見た。もっとも近くで……」
「…………何があったの?」
姫の問いに中将は、持っていたコインをポケットへとしまい応える。
「かつての女帝陛下は、失敗した。権力に溺れ民を苦しませ過ぎた。多くの民が、女帝陛下の失脚を望み、新たな君主を求めた。そして、それに応える様に、現在の皇帝陛下が事を起こした。しかし、その皇帝陛下もまた、失脚の危機に立たされている。民は飢え、治安は悪化、この国は今、最悪の状態にある。かつての様に…………」
姫は、何かを察したかの様に、身につけていたペンダントに手をかける。
「皇帝陛下は、恐れている。かつて、自分が粗悪の権化として見ていた視線の先に、今や自分自身が立たされている。日に日に悪化する情勢。権威の衰退…… リアナ皇女、貴方には分かりますか。ここに立たされた人間が次に何を考えるか」
『リアナ皇女の誕生祭当日にて使者によるリアナ皇女の暗殺を決行』
ハッキリと、その文字が思い起こされた。皇帝が所持していた一冊の本。そこには、確かに、そう書かれていた。ああ…… やっぱり…… お父様は、いつだって本気よね…………
「私を…… 殺したくてたまらないでしょうね。でなきゃ、次は自分の番……」
「明言はしません。しかし、事は、そう簡単ではない。今、リアナ皇女が亡くなられでもすれば、後継はいなくなる。そうなれば民だけでなく、周囲の幹部達からも信頼を失い、権威は完全に喪失する。もし私が陛下の立場なら、することは一つ…… 邪魔な人間を全て消し去る。勝つとは、そうことです」
「だから…… 貴方は消されそうになったわけね。こんな、お父様の秘密を知っている人間、さっさと消したいでしょうね」
「私は、過程に過ぎません。本命はきっと、貴方です。リアナ皇女。皇帝陛下は、貴方の周囲から仲間を奪い孤立させたがっている。自身に歯向かえないように……」
「ふーん…… それを、知ってて忠告してくれたのね。優しいじゃない。意外だわ。それで…… 貴方、何してるの?」
そう言うと、姫の視線の先には身体を丸くし、耳を両手で塞ぐルカの姿があった。
「大丈夫です! 私は、何も聞いてませんから。気にせず続けて下さい!」
「気になるんだけど? て言うか普通に聞こえてるわよねそれ? ハァ…… ルカ! 貴方に命令するわ。立ってこちらを向きなさい…… 出なきゃ、貴方を"投獄"するわよ?」
すると、その言葉に反応したのかルカがゆっくりとこちらを振り向く。
「今………… 投獄って言いませんでしたか?」
その目は何故かキラキラと希望に満ちていた。
「あら、聞こえてるじゃない。良かったわね。今の話は無しよ」
姫は、ニヤリと僅かに笑みを見せた。
「では…… そろそろ犯人探しへと向かいますか……」
中将は、不意に平然と言って見せる。
「犯人…………? 何の話をしているの?」
「何を言っておられるのですかリアナ皇女。決まっているではないですか。皇后陛下を暗殺した犯人ですよ」




