第二十五戦
中将が振り向くと、そこには一つとして人の気配はなかった。じっと手にした懐中時計を眺める中将。
「誰も…… 見送りには来てくれないんだな……」
「大丈夫ですよレナード中将。私はいますから」
中将の荷物を持っていたメイドのルカが、励ましか声をかける。すると、中将は、徐に胸ポケットから一枚のコインを取り出した。
「なんですか、それ?」
「これか? 占いだ…… 昔、仲の良かった友人が教えくれた。何か、危険が迫った時にコイントスをして、表なら先へ、裏なら引き返すようにといった簡単な占いだ」
そう言うと、中将は躊躇うことなくコインを高らかと宙へ飛ばした。やがて、コインが中将の手に止まると中将は、そっと確認した。
「あらら…… 裏ですね……」
「そうみたいだな…… あまり裏を出したことはないんだかな…… さて、時間だ。ルカ、お前は、先に戻ってかまわないぞ。警鐘後に正門を超えるんだ、私はもう二度と戻ることは無いだろう。帰らぬ者に見送りの必要は無い」
「そうですか…… 残念です…… レナード中将。お勤め、ご苦労様でした……」
ルカが一礼すると、中将は、正門へ手をかけると、被っていた帽子に、そっと手をかけた。
「 "何をしているの?" 」
突如、響き渡る肉声。階段上層から駆け降りる音。その女は、複数の海軍兵を引き連れながら、堂々たる態度で、中将を見下ろした。リアナ第一皇女。その首元に、帝国の紋章が入った純金のペンダントを下げ、姫は、中将に視線を向けた。
「リアナ皇女……?」
「私は、何をしているのって聞いてるのよ? どこへいくつもり?」
「どこへ……? 先ほど説明したはずですが…… それは……」
「貴方が言ったんでしょ? 海軍の幹部達を連れてこいって。ほら、約束は果たしたわよ。次はどうするの? そのまま、死ぬつもり……?」
「リアナ皇女、もうよろしいでしょう。何が起きるか分かりません。後は我々が見届けますので、リアナ皇女は、お部屋へお戻り下さい。ミリア! リアナ皇女を、部屋へ案内してやれ」
背後に控えていた、ガルマン中将が応えると、ミリアは姫の手を引いた。しかし、それに反発する様に、姫は頑なに、その場を動こうとはしない。
「リアナ皇女? 私の見送りをしていただけるのは大変光栄ではありますが、ここから先は、あまりお見せできる様なものではありません。どうか、ガルマン中将の指示に従って下さい」
「嫌よ…… 私は、皇帝代理なのよ? 見届ける義務があるわ」
中将は、少し呆れた様な素振りを見せると、帽子を掴んでいた手を、そっと下ろした。
「……ハッキリ申し上げますリアナ皇女。これから行われるのは、ただの左遷ではなく惨虐な処刑です。私が、一歩外へ踏み出したその瞬間、辺り一体が血に染まるでしょう。それをリアナ皇女にお見せするわけにはッ……」
「もう慣れてるわよ…… 貴方が見せてくれたのよ? もう、忘れたの?」
二人の脳裏に、穏やかに微笑むご令嬢の顔が過った。僅かに言葉を詰まらせる中将。その視界には、奥に控えるノワール大佐の姿もあった。
「……忘れたことなど、一度もありません。…………ノワール大佐、貴殿も知っての通り継承制度に基づき私の死後、その地位は全て貴殿に継承される。ノワール。リアナ皇女を頼む」
そう言うと、中将は、お別れと言わんばかりに皆に背を向けた。
「逃げるつもり?」
そう言うと姫は、ミリアの手を振り解き中将に問いた。
「あの日…… 私の大事な家族を地獄に突き落としておいて、自分は、さっさと楽になろうなんて、甘いのよ。貴方が私を巻き込んだのよ? あんな偉そうに忠告しておいて、一人でどこに行くつもり? 貴方も来るのよ…… 誰も逃がさない…… 最後まで、この地獄に付き合ってもらうわよ…… 分かるわよね? お母様では、ダメでも、私ならどうかしら? レナード」
「リアナ皇女? 何の話をされているのですか? まさか……」
「決まってるでしょ……」
周囲の視線が一斉に姫へと向かう。僅かに冷や汗をかくガルマン中将を横目に距離を詰める。姫は、仁王立ちする振る舞いで腕を組み中将を見下ろした。
「"ノル・レナード陸軍中将、貴方を私の新しい護衛に任命するわ! 死ぬ気で働きなさい。無論、死ぬことは許さないわ!"」
 




