第二十三戦
「よし、新入り。宮殿の案内は済んでるんだよな? なら、サリエフ皇太子の部屋までの行き方は分かるな?」
「…………いえ。分かりません。教えてはいただいたのですが……」
二人は、首を傾げた。
「……大丈夫か? こんなんでやっていけるのか? 一つ前の護衛は、人の名前や部屋の場所を覚えるのも随分と早かったぞ?」
「逃げ出すのも早かったですけどね。多分、最速記録なんじゃないですか?」
「一つ前…………?」
男は、静かにつぶやいた。
「ああ、聞いてないのか? お前は、俺の知る限りで13人目の護衛だ。ちなみに、一つ前の護衛は二日しか持たなかった。それまでの最速が一ヶ月だったから、とんでもない逸材だったな」
「逃げられたんですか………… ここから…………」
男は、話に食いつく様に応える。
「ああ…… 逃げたよ…… でも…… 逃げ切れたとは言ってないからな…… 部屋は、三階にある。着いてこい」
少尉がそう言うと三人は、ただひたすらに階段を駆け上がった。しかし、二階に差し掛かった所で少尉の足が止まる。
「まずいな……」
少尉の視線の先には、階段の上から、こちらを見下ろす、いや見下す様に待ち構える一人の幼女の姿があった。膠着する空気に男は口を開く。
「レナードさん…… そちらの方は……」
「この宮殿で一番厄介な相手…… 次期大公妃…… モンティ・ララサ様だ」
まだ、10才にも満たない様な容姿、寝癖の目立つ青髪。両手いっぱいに本を抱えた、その幼女は、じっとコチラを見つめていた。
「あの…… ララサ様……」
「オオッ! "若いの!" 丁度良かった。我は少し困っている。手伝え!」
三人は、思わず顔を見合わせた。『若いの』、幼女から発せられた、その言葉に未だ衝撃が抜けきらない。
「レナードさん…… この方は見た目に反して歳が、それなりにいっている方なのでしょうか……?」
「7才だ」
「正確には、6才と11ヶ月です。本当…… あんなに可愛かったのに…… あっという間でしたよ……」
「オイ! 人の話を聞かんか! まったく…… 緊急事態だ。母上が、何処にも見つからんのだ! ずっと探しておるのだが…… 迷子かもしれん……」
幼女の表情から、悲しみが見える。
「ササラ大公妃が行方知らずであると? それは、本当に一大事かもしれん…… いつから見当たらないのですか?」
「さっきトイレに行って戻ろうとしたら、何処にも見当たらなくてな。確かに来た道を戻って、探したのだが……」
「なるほど…… これは一度、上官へ報告する必要がありそうだ…… いや、それよりも女帝陛下へ直接報告を……」
すると、ミリアは階段を上がり幼女の直ぐそばに近寄ると優しく話しかけた。
「ララサ様?」
「な、なんだ! 説教なら聞かんぞ!」
「……図書館は、確認されましたか?」
ミリアの言葉に、少尉はため息を吐いた。
「ミリア、ララサ様も図書館にいなかったから、こうして俺達に頼んで……」
「だ・か・ら! 図書館の場所が分からないから聞いておるんだろうが! 早く案内せい! 母上に叱られてしまう!」
「お前が迷子かよ…………」
思わず本音が溢れた。
「ん? 何か言ったか?」
「いえ、何でもありません。……ん? ララサ様、本を読まれておられるのですか? 良い本を読まれていますね」
「ん? ああ、これか? これは"枕"だ。今からお昼寝の時間だからな。やはり革製の枕は良く馴染む」
「そうですか…… ん!? ララサ様っ……」
その時、ミリアが咄嗟に少尉の口を塞いだ。しかし、少尉の視線の先には、幼女の背後から恐る恐ると近寄る三十代ほどの女性の姿が映る。女性は、長い青髪を目立たせながら、人差し指を口元にシーッとジェスチャーをしながら幼女のすぐ後ろへと詰め寄った。
「ん? なんだ貴様ら、さっきからやたらと他所他所しいッ……!」
「"だー〜れだっ!"」
背後から幼女の目元を手で塞ぐ女性。少尉とミリアは、思わず苦笑いする。その女性が幼女の母親、そして現大公妃…… モンティ・ササラであると直ぐに理解した。幼女は、僅かに呼吸を乱しながら小刻み体を震わせた。
「あ、あ………… "悪魔だッ!" ぼ、牧師様ッーーーー!!」
幼女は、涙目敗走の如く三人の横を駆け走っていった。
「もーー…… 困っちゃうわね…… ちょっとからかっただけなのに……」
大公妃は、思わず頭を抱える。
「ご苦労様です。ササラ大公妃」
「ありがとうね、レナード君」
「ご安心下さいササラ様! 子供は皆そういうものです。大人になればいずれササラ様のような、ご立派な女性になられますよ。礼拝堂にも通われている様ですし」
「そう? でも、あの子、この前聖書を破いちゃって破門されてたような……? ちょっと見に行ってきますね! それでは皆さん、ご機嫌よう……」
そう言うと大公妃は、優雅にも幼女の跡を追った。
「ララサーー…… あんまり、お母さんを怒らせると…… また地下室に閉じ込めちゃいますよーー…… ララサーー……」
大公妃の捨て台詞で、なぜ幼女があれほど怖がっていたのか完全に理解した。
「ん? どうしたミリア……ッ おい!」
突如、ミリアは、廊下の窓を開けると、三階の窓からスッと身体を投げ出した。思わず唖然とする二人。その時、階段の下から階段を上がる足音が鳴り響く。
「あれ? ふーーん…… いると思ったんだけどね。アタシも感が鈍ったんかね」
二人の前に姿を現したのはメイド服に箒を手にした一人の女。メイドは、ササラ大公妃ほどの年齢にも見えるが、その顔立ちは歳の割に整って見える。
「ビアンカ……」
「あら、レナード少尉じゃないか。ご機嫌よう? ところで、ミリアを見なかったかい? さっき声が聞こえた様な気がしたんだけどね」
「さあ、分かりません。外にでもいるんじゃないでしょうか」
「外ね………… そう言えば、この窓、開けた覚えがないんだけどね…… ちゃんと閉めておかないとだよね………… ミリアッ!」
ビアンカは、窓から顔を覗きだすと辺りを見渡す。
「あれま…… また、外壁にでも掴まってると思ったんだけどね…… ん…… やっぱり、アタシも感が鈍ったかな? 見つかったら教えてちょうだいねレナード少尉? それじゃ、失礼するよ」
そう言うとビアンカは箒を担ぎ上げると、ミリアー、ミリアーと叫びながら、その場を後にした。
「行ったぞ……」
少尉が、そう呟くと、ノソノソと近くのトイレの扉がゆっくりと開いた。僅かな隙間から、ミリアがジト目を覗かせる。
「"甘いんだよ…… ババア……"」
「口が悪いぞミリア。少しはメイドとしての自覚を持て。お前も一応は未来の専属メイドだ。その性格や態度が未来の皇太子殿下に移ったらどうするつもりだ?」
「その時は、どうにかします。貴方も手伝うんですよ? 未来の護衛様?」
少尉は、呆れた様にため息を吐いた。
「ここの方々は皆、個性的で優しいのですね。少し安心しました」
突如、話し始めた男に二人は顔を見合わせた。
「お前には、そう見えるんだな…… 受け取れ」
少尉は、そう言うと自身のつけていた白い手袋を投げ渡した。
「使用人としての、たしなみだ。着けておけ。それと…… ここの連中に、あまり期待はしない方が良い。皆、お前が、思っている様な人間じゃない」
「そうですか? 皆さん、良い人に見えましたが……」
「お前は、自分は透明人間とでも思っているのか?」
少尉の言葉に、男は何かに気がつく。
「気づいたか? 誰も、お前の存在に気づいていないことに…… いや、気づいていながら…… 皆んな、お前を無視する。そう言う連中だ。誰も、お前に期待してない。だから、お前も期待するな…… 着いたぞ」




