第百五幕
一人の男の声が、階段を上る足音と共に鳴り響く。
「レナード中将…………」
姿を現すや否や、中将は背中にせよっていた銃に手をかける。互いに対峙し合う中、中将は男との間に十分な間合いをとる。
「今日は、アルト少尉が階段を守っていると聞いていたが、伝達ミスなのか誰もいない。それどころか地下にいるはずの兵士も見当たらない。いや…… 本当に我々のミスなのだろうか。私には何か工作行為が行われたように思える」
「……どこから聞いていた」
「どこからだと困る? オルディボ閣下」
中将は、視線を落とすと男の手元に焦点を当てる。
「急遽、陛下のもとを離れてみれば…… もう一度問う。それは敵意か?」
男は、ゆっくりと握っていた手を離した。僅かに後退りをするご令嬢。にやりと笑みを浮かべる中、中将の顔色を伺う。
「レナード、貴方……」
「皇帝陛下がお待ちです。接客室へ向かって下さい」
中将は、ご令嬢の言葉に視線を変えること無く応える。
「でも、さっき私…………」
「皇帝陛下がお待ちだ」
ご令嬢は、一瞬何か言いた気な態度を見せるも口を閉じた。二人の護衛が互いに睨みを効かせる。一言、間違えれば全てが無に帰る。その場に流れる殺伐とした空気を感じ取れない者は誰一人いなかった。
「そうね…… ありがとう!」
ご令嬢は、姫を見上げると足早に皇帝の待つ接客室へと足を動かす。
まずい…… お父様は、きっとミーシャの見方をするはず、それに教皇まで来たら完全にミーシャに部がある。止めないとッ
「待ちなさいッ!」
姫は足を走らせた。階段を駆け下り、ご令嬢の後を追う。その時、中将は意外にも姫の進行に関心を向けなかった。
男は、不思議そうに中将を見つめる。
「……どうした。止めなくて良いのか?」
「脅威ではない…… それだけだ」
中将は、そう言い残すと、ゆっくりとした面持ちで、ご令嬢の後を追う。絶対に超えてはならない壁。中将の背中が、残された二人に無言で問いかける。デッドライン。二人は、何も応えぬままに、その背中を追った。
「ミーシャ! 待ちなさい! 貴方がやろうとしてることは、ただの自殺行為よ。貴方がどうあがこうとも、お父様に殺されるだけ。でも、ここで私に従えば命だけは助けられる! 分からない? 貴方は、お父様にとって、ただの操り人形に過ぎないのよ?」
ご令嬢は、一瞬背後を振り向くと、腕を広げ温かく微笑んだ。
「はい………… 私は、お父様の操り人形です。使えないお人形さんは、要らない…… だから、お父様が死ねと言うのならミーシャは…… 死にたい……」
「チッ…… 話にならない……」
姫は、呟いた。分からない…… なんで、そこまでミーシャは……
「お姉様…… お父様が選んだのは貴方じゃない…… 私…… それを今、確かめましょう……」
ご令嬢は、の扉に手をかけた。まずい……
「お父様……」
扉が開くと、ご令嬢は真っ先にそう応えた。部屋の奥へと進む、ご令嬢。姫が部屋に着いた頃には、二人の視線が合致していた。
「"これは…… 何が起きているんだ"」
扉の前に立ちすくむ姫。一人、椅子に腰掛ける皇帝。ご令嬢は、その陰に隠れるように、こちらの様子を伺っていた。よく見れば、その向かいには皇后の姿がある。運良くか、教皇の姿はない。
「お父様…… お姉様が……」
「リアナ。どうやって、出てきた」
皇帝は、ご令嬢の言葉を遮るように応える。姫に、一点の視線を向けたまま決して目を逸らさない。
「……分かりません。ただ…… 運が良かっただけです……」
皇帝は、無言のまま辺りを見渡す。既に、兵士も使用人もいない、この部屋で皇帝は自身の無力を噛み締めたように、落ち着いた表情を見せた。
「そうか…… もう時期、レナード中将も戻ってくる。大人しく、この部屋で待っていろ。あまり、騒ぎを大きくはしたくない」
皇帝は、そう言うと、ご令嬢へと視線を移した。ご令嬢は、どこか満足気な表情で皇帝を見つめる。皇帝の腕を抱き抱えるように、手を握るように、それは、親子とは言えぬ明らかに異質な距離感だった。
「随分と、ミーシャはには甘いのですね。お父様……」
「……」
皇帝は、持っていた本を開くと無言のまま、それを読み進めた。
「だから…… ミーシャが、お父様の部屋に入った時も特別に見逃したのですね」
「リアナッ?」
思わず、皇后が口を挟んだ。
「ミーシャが、自分で言っていましたよ。お父様の部屋に向かったと。そして名前と共に手紙も残したと。私をはめたのもミーシャだと、自分で認めていましたよ」
「そうか……」
皇帝は、またも無表情のまま応えた。
「ミーシャ! 何か言ったらどうかしら?」
「…………」
ご令嬢は、何も応えなかった。ひたすらに笑みを浮かべたまま、満たされたように微笑む。まずい…… この女、何も喋らないつもりだ。教皇かレナードが到着するまでダンマリを決め込むつもり? そうなったら、もう…… 勝ち目がない……
その時、姫は僅かに俯くと、不敵な笑みを浮かべた。
「"もう…… レナードもオルディボも、ここには来ませんよ……"」
皇帝は、顔を上げた。持っていた本を静かに閉じると、姫に視線を向ける。
「それは、どう言うことだ……」
ご令嬢は、一瞬表情を崩した。
「分かりません…… でも…… 二人は、先ほどミーシャの自白を聞いてしまいました。ミーシャが、お父様の部屋に向かったことを…… ミーシャが私を陥れたことも…… 私とミーシャは急いで逃げてきましたが、二人は互いの護衛として使命を果たすべく銃を手に……」
その時、皇帝が席を立った。いつになく険しい表情を浮かべて。
「…………ッ」
ご令嬢は、思わず呆気に取られた。それが、虚偽であることを知っていたから。しかし、ご令嬢は未だ無言を貫こうとした。
「ミーシャ……」
皇帝は、落ち着いた声色で応える。しかし、その表情は決して穏やかなものではなった。固唾を飲む、ご令嬢。
「…………そのッ」
「無言は、肯定を意味するぞ。ミーシャ、何をした」
ご令嬢は、皇帝の腕を離すと僅かに姫に視線を向ける。
「皇帝陛下…… その…… 教皇聖下が来られてからでもよろしいでしょうか? そちらの方がミーシャは落ち着いて話がッ……」
「ミーシャ……」
皇帝が、ご令嬢の言葉を遮る。
「"なぜ…… お前は…… 今日、教皇がここに来ると分かった。それは…… まだ…… 誰にも伝えていないはずだ"」
次回、第百六幕(一章閉幕)。四月二十日更新予定。
皆様、長くお付き合いくださり本当にありがとうございます! いよいよ次回が一章最終回となります。多分、文字数もいつもより長くなると思います。最後まで頑張りますので、良かったら高評価やコメントなどいただけると二章への励みになります。
では、次回の最終回でまたお会いしましょう!




